White Birthday

 ―― 十二月十九日、二十時五十分。

 日番谷は、酷く冷えた夜空のもと、己の副官を睨めつけていた。だが、背丈の問題と今の状況に置いては、明らかに日番谷の不利であった。
「……おい、松本。もう一度だけ訊くぞ。正気か」
「ええ、もうバッチリ正気ですよ。やる気に満ち溢れた今のあたしはたとえ隊長にだって止められやしません」
 そのやる気を普段の仕事に向けてくれ、頼むから。
 日番谷が思わず頭痛を覚えて額を押さえているうちに、乱菊はくるっと踵を返した。自分の後ろにあった、十番隊隊舎のところへ。
 そして扉の前で再度日番谷を振り返ると、いっそ清々しく手を振った。
「じゃ、隊長の誕生日パーティーの用意、完璧にしますから、ちゃっちゃと明日になるまでどっか行っててくださいね!」



***



 ―― 十二月十九日、二十一時。

「……だからって、こんな夜中に放り出すか、普通?」
「あいつに普通を求めた俺がバカだった。というわけで入れろ」
 はいはい、と夏梨は窓を開け、日番谷は白い息でため息をつきながら、夏梨の部屋に入った。

 己の管轄下であるはずの隊舎を追い出された日番谷は、結局行き場に悩んだ末、現世の黒崎家にやってきた。というのも、他の隊舎に行って他の隊長にこの馬鹿げた事情を話すのも嫌だったし、何より今の時期、年末に向けてどの隊もてんてこ舞いなのを知っていたからだ。
 もちろん日番谷の十番隊も例外ではなかったのだが、乱菊がお構いなしに日番谷の誕生日を騒ぎ出し、今年も今年とてパーティーを企画して、隊舎を追い出されたのだ。
「あいつは誰が隊長だと思ってんだ」
 思わずぼやきながら日番谷は勧められるままに部屋の中央にあるこたつに座る。
 夏梨は向かいに座って苦笑しながら、「乱菊さんらしいね」と返した。
 ちなみに日番谷が今夏梨の部屋にいるわけは、特に深い意味はない。ただ、いつものように一護の部屋に入れてもらおうかと窓から覗いたところで、何とも必死な形相で黙々と勉強する一護を見たのだ。
 そういえば今年は大学受験がどうのと言っていたのを思い出し、よくはわからないが邪魔するのは悪い気がして引き上げようとしたところで、偶然自室にいた夏梨と、窓越しに視線が合ったのである。
「にしてもびっくりした。一瞬でかい雪かと思ったもん、あんた白いから」
「悪かったな」
 むすっとして日番谷は視線を逸らし、そしてふと部屋の景色が目に入って眉をひそめた。
「一人部屋になったのか。こないだまで双子で使ってたろ」
「ああ、まあね。もう中学だし、そろそろ何かと。……てか、こないだって言ってももう一年くらい前なんだけど」
 まあ、あんたとは全然会ってなかったもんね、と夏梨は言いながら立ち上がる。
「ココア、コーヒー、ミルク、紅茶、お茶。どれがいい? 入れてくる」
「いや、別に」
「え、ら、べ」
 半眼で低くすごまれて、日番谷は一瞬言葉に詰まり、そして不本意そうに「お茶」と答えた。それに夏梨は満足そうに頷いて、すたすたと部屋を出て行く。
 その背中をなんとなく見送って、日番谷は何もすることもなく、部屋を見渡した。別に他人の部屋を検分する趣味はないが、何とも手持ち無沙汰なのだ。
 部屋は、よく言えば簡素、悪く言えばあまり年頃の女らしくはない部屋のように思えた。本棚や机、ベッドなどの必要なもの以外に、余計なものは見受けられない。
 そんな部屋の中でふと日番谷が目を留めたのは、ハンガーにかけられた制服だった。中学の制服なのだろう。当然スカートである。未だかつて日番谷は夏梨がスカートをはいているのを見たことはないが。
(中学、か)
 実のところ、まともに夏梨と会うのは一年ぶり程度だったりする。去年は黒崎家を借りて日番谷の誕生日を祝ったから、その時以来なのだ。
 日番谷も夏梨も、少し見た目は変わった。人間である夏梨と同様に成長期である――と言うのはどうかとも思うが、ようやく背が伸び始めてくれたのは日番谷としてはありがたいことだ。
 ありがたい、と言えば全く普通に日番谷に対応してくれた夏梨もありがたい。
 どう足掻いても時間を異にする人間と関わりすぎるのはよくない。だが、今だけのこの程度の距離感ならば許されるかとは思う。
 しょっちゅう会うわけではなく、深く関わることもない。そのうち彼女は人間としての時間を日番谷には追えぬスピードで歩き出し、浅いこの縁は記憶に埋もれるだろう。
 それでいい。それが、正しい。
 と、だいぶぼんやりしていたのだろうか、コンコンとドアがノックされる音で日番谷は我に返った。
「ちょっとごめん、開けて」
 ドアの向こうから夏梨の声がして、日番谷はドアを引いて開ける。
 するとカップや何やを乗せた盆を両手で持った夏梨が、ありがと、と言って入って来た。
 ドアを閉めてから、日番谷はこたつに戻る。一足先に辿り着いていた夏梨は、カップなどを盆から下ろし終えていた。
 それを見ながら座った日番谷だったが、その中の一つに怪訝なものが混じっていて、思わずじっと凝視してしまう。
 だが夏梨は気づかずに「お茶、お代わりあるから」とごく普通にその『怪訝なもの』を一つ取る。
「……おい、夏梨」
「なに?」
「何だ、それ」
 すると夏梨はきょとんとして、当たり前の風情で答えた。
「え、アイス」
「……なんで、冬にこたつでわざわざアイスを食うんだ」
「何言ってんの、冬でこたつがあるからアイス食べるの。常識でしょ」
 そうなのか。――いや、違うだろう。
 思わず言うべき言葉を見失った日番谷だったが、夏梨は何食わぬ顔でもう一つあるカップアイスを日番谷のほうに押しやってくる。
 だが相変わらずアイスを凝視したまま考え込んでいる日番谷を見て、夏梨は首を傾げつつも、慣れた手つきでアイスを開ける。そして一口食べると、何とも幸せそうに頬を緩めた。
「やっぱ、いい贅沢だよね。こたつでアイス」
「……贅沢なのか」
 その幸せそうな顔に思わず毒気を抜かれた思いでいつつ、日番谷は問う。
「贅沢でしょ。ほら、冬獅郎も食べなよ、溶けちゃうから」
「安っぽい奴」
 言いながら、結局日番谷もアイスを開けて、一口食べる。そしてひとつ瞬き、日番谷の先ほどの言葉で多少むっとした顔をした夏梨を見て、思わず小さく笑った。
「――だが、まあ、悪くねえ」
 それを聞いた夏梨はぱっと表情を笑顔に戻す。そして得意げに「だろ?」とまたアイスを口に運ぶ。
 そんな夏梨を見ながら、日番谷もアイスを食べる。妙なことをするとは思ったが、存外、確かに悪くはなかった。そう思うのは、まるで無邪気に幸せそうに目の前で食べている彼女がいるせいもあるかもしれない。


 ―― 十二月十九日、二十三時五十五分。

 冬獅郎、と呼ばれて、日番谷は目を覚ました。
 一瞬寝起きでぼんやりした頭を持て余し、そして驚いて身を起こす。すると傍らに夏梨の姿が見えた。
「……俺は、寝てたのか?」
 最もそれが驚きで、思わず日番谷は確認する。
 すると夏梨は頷いた。
「アイス食べ終わって、話してるうちにこてっと寝たじゃん。覚えてないの?」
「……そう、だったか」
 正直覚えていない。アイスを食べて、話していた。それは確かだ。だが、そのときに眠気を覚えた記憶など――と、記憶を辿って、そういえばと思い出した。
 唐突に瞼が重くなって、抗っているうちに『眠いなら寝なよ』と促されて、――そのまま正直に意識を手放してしまったらしい。
 やってしまった、と内心で頭を抱えた。年末の慌しさで疲れていたとは言え、一隊長がころっと熟睡してしまうなど。
 その後悔に輪をかけるように夏梨が付け足す。
「そりゃあもう、よく寝てたよ。起こすのどうしようかと思ったけど、十二時過ぎたら帰るって言ってただろ。もうすぐだよ」
「……悪い」
 どうやら気遣って布団をかけてくれていたらしい。起きた拍子に落ちたそれを拾い上げながら、日番谷は壁にある時計を確認する。
 二十三時五十八分。そろそろ帰ってもいいだろう。
 世話になったな、と日番谷は立ち上がる。そして入ってきた窓を振り返って、すっかり曇ったそれを開けた。
 外は来た時と同じく、むしろそれより冷え込んだ様子で、いっそ鋭いまでの冷気が部屋に吹き込む。
 早く閉めたほうがいいか、と窓枠に足をかけたところで、ふと夏梨が呟いた。
「あ、雪の匂い」
「……雪の匂い?」
 思わず問い返すと、夏梨は窓枠に寄ってきて、外に顔を出す。白い息がふわりと夜風にさらわれて消えた。
「うん。すっごく冷たい、けど綺麗な匂い。ほら、夏なら雨が降る前とか、何となく湿気た匂い、しない?」
「ああ、……なるほど」
 言われてみれば、確かに冬には冬の、夏には夏の、独特の風の香りがある。
 夏梨は冷えた風に少し頬を赤くしながら、柔らかく笑った。
「あたし、夏の朝の匂いと、この冬の雪の匂い、好きなんだ」
 日番谷はそう言った夏梨の横顔に、少しばかり驚いた。――こいつは、こんな大人びた表情をするようになったのか。
 きっと、日番谷の見たことない、見ることない時間の中で、彼女は知らぬ表情を覚え、大人になってゆくのだろう。今でこそ日番谷は似たような容姿年齢で、同じ時にかろうじていられる。
 けれどそれが終わるのは、存外近いのかもしれない。
「冬獅郎?」
「……いや」
 黙りこんだ日番谷に首を傾げた夏梨が視線をやってきて、日番谷は漆黒の夜に目を戻す。そしてその空を見て、ふと思い立った。
「夏梨」
「なに?」
「雪が見たいか」
「……え、まあ、うん。雪は好きだよ」
 その答えに、日番谷は小さくそうか、と呟いて、おもむろに腰に佩いていた刀を抜いた。
 ぎょっとした様子で名前を呼ぶ声が聞こえるが、構わない。
「霜天に坐せ、氷輪丸」
 始解をするなり、ごうと夜風が唸って、更に冷えた空気が一気に満ちる。
 その風に思わず目を閉じていた夏梨に、日番谷は「見てろ」と声をかけた。
 頬を刺すような冷たい空気が部屋の中で暖められていた二人の体を急速に冷やしていく。だが、夏梨は言われたように外を、空を見上げて、瞠目し、ぽかんと口を開けた。
「雪……」
 そしてすぐにばっと日番谷を見て、その袖を引っ張る。
「冬獅郎がやったの!?」
「まあな」
「うわ……っ、すっげー! すごいよ、冬獅郎! きれい……」
 夏梨は嬉しそうに笑って、じっと雪に見入る。その顔を、日番谷は我知らず浮かべた笑みで見た。
 今日、世話をかけた礼だ。そう、言葉にすることなく言い訳するように思う。彼女がこの先、これを覚えていればいいなどと過ぎったのは、気のせいだ。
 嬉しそうな笑みのまま、夏梨はくるりと日番谷を見た。
「ホワイトクリスマスならぬ、ホワイトバースデーだな」
「は」
「誕生日、おめでと。冬獅郎」
 十二時回ったよ、と部屋の時計を指す夏梨は、悪戯っぽく笑う。
「実はあのアイス、あたしからのプレゼント。……とか言ったら、信じる?」
「……今思いついたろ、お前」
 日番谷が呆れたような口調で言うのに、夏梨はバレたか、とあっさり笑ってみせる。
「ま、それは嘘だけど。またちゃんとプレゼント用意するからさ」
 だから、また来てよ。
 そう言われたそれには、日番谷はたぶん拒否を返さなければならなかった。
 けれど、咄嗟に自身の体が起こした反応は、夏梨のすっかり冷えて赤くなった頬に触れる、というものだった。
 それでどうしようというのか。ただ触れたかったというのか。
 己の行動に内心で盛大に戸惑いつつ、日番谷は言葉を捜す。
「……アイス食いすぎて、風邪ひくんじゃねえぞ」
 すると夏梨が、また嬉しそうに、ふわりと笑う。
 そして頬に触れた日番谷の手に自分の手を添えて、うん、と頷いた。
 まただ。
 また、彼女は見たことのない表情を見せる。そしてそれを自分は、見たいと思う。
 ――距離を間違えるな。
 言い聞かせながらも、少しずつ、抗えず、距離は縮まってゆく。

 風に乗って舞いこんだ雪が、二人の頬に触れて、溶けた。

[2009.12.20 初出 高宮圭]