きれいなひとだ、と思った。
夕焼けに溶けたようなその髪も、その色を引き立たせる死覇装すら。
空をも支配し、全ての景色を橙に染める夕焼けの中に溶けながら、けれど彼だけが支配されずにいるように雛森には見えた。
「綺麗、ですね」
だから、声をかけるつもりもなかったのに、思わず口をついて出たその言葉は、どちらかと言えば彼に対しての賛辞だった。
しかし驚いたように振り返った彼を見て、雛森はしまったと後悔する。だが既に彼の耳に届いてしまった言葉は取り返せない。焦って次の言葉を探すが、上手く行かなかった。何しろ雛森は、目の前の彼と言葉を交わすのはこれが初めてだったのだ。
雛森は人見知りをするほうではないし、一応彼のことは知っている。だがそれは彼が有名なゆえであり、一方的に聞かされた情報としての彼を知っているにすぎない。当然あちらは雛森のことなど知らないだろうし、そもそも声をかけるつもりなんてなかったのだ。
そんな焦る雛森に、しかし彼は何事でもないように応えた。
「ああ、絶景だな。ここの夕焼けは」
どうやら褒めたのが夕焼けのことだと解釈したらしい。当然だし、それに安堵もしながら雛森は予想だにせず彼の声が柔らかかったことに少し驚いてもいた。
逆光で少しわかり難かったが、彼は少し口角を上げて問う。
「あんたも、見に来たのか?」
黒崎一護。それが彼の名前だ。その名は、空座町や瀞霊廷を――引いては世界を救った英雄として名高い。
雛森とて旅禍侵入の際からのあの壮絶な戦争に身を投じた一人であるが、しかし今まで彼の勇姿を見たことはなかった。それどころか、まともに姿を見ることすら初めてかもしれない。
「いえ、あたしはその……何となく」
その答えは嘘ではなかったが、どこか気まずい気分になった。ただ気分転換に何となく散歩に出たのは本当だ。けれどここで立ち止まったのは夕焼けのためではなく、彼が綺麗だと思ったからだというのが気恥ずかしかった。
「そうか。……けど、惜しかったな。あの十分くらい早く来てれば、一面桃色だったのに」
「え……何で」
桃色、という言葉に驚いて、雛森は目を瞬かせる。一護はどこかきょとんとした様子で答えた。
「女は好きなんじゃねえのか? ピンク」
「あ、そういうことですか……」
てっきり自分の名前とかけられたのかと勘繰ったが、どうやら違ったらしい。双方の安直な思い込みに、雛森は思わず笑った。
「確かに嫌いな人は少ないと思いますけど、女の子みんなが好きってこともないと思いますよ」
言いながら、ずっと振り向かせておくのも悪い気がして、一護の隣に並ぶ。先程より視界いっぱいに夕焼けが広がった。
「そんなもんか。……ま、確かに俺の妹も一人はピンク、あんま好きそうじゃねえな」
「でしょう? でも、あたしは好きですけどね。何しろ自分の名前が『桃』だから」
言って、そういえば名乗っていなかったことを今更思い出す。
「あの、あたし五番隊の雛森桃っていいます」
「ああ、そういえば聞いてなかったな。俺は黒崎一護だ」
知ってるかもだけどな、と微妙な苦笑になる一護に、雛森も苦笑を返す。『身の丈ほどの大刀を持った、オレンジ色の髪をした死神』という容姿は、どうしても有名なのを彼も辟易半分で知っているようだった。
一護は夕焼けに視線を戻すと、そのままで言った。
「けど、なら尚更惜しかったな。――空一面、あんたの色だったのに」
何の臆面もなく、まるで無意識に言われたその言葉だったが、雛森は何か無性に恥ずかしくて仕方なくなった。頬に熱が集まるのを感じて、ごまかすようにわざと顔を夕焼けに向ける。これで色はわかるまい。
「い、今は、黒崎さんの色ですよ」
「そうか? ――こんなキレイな色じゃねえと思うんだがな」
――それは、自分の髪のことを言っているのか、それとも。
そんなことを一瞬考えていたら、思わず雛森は言っていた。
「きれいですよ」
少なくとも雛森は始め、彼自身が綺麗だと思った。だからそれは、確かな答えだった。
断言された一護は少し目を瞠って、それから苦笑じみた表情になる。
「……サンキュ」
ぽん、と軽く手のひらが頭に触れて、離れた。そして一護は踵を返す。
「俺はそろそろ行くけど、あんたはどうする?」
「あたしは、もうちょっとここにいます」
「わかった。なら、暗くなる前に、気をつけて戻れよ。……じゃな」
一護は夕焼けに背を向けると、振り返らずに歩き行く。――かに見えたが、ふとこちらを振り向いた。何となく見送っていた雛森はきょとんとする。
「五時半くらいが、あんたの色だ。キレイだぜ」
そう声を張って、片手を上げる。そして今度こそ背を向けて歩き去った。
それを半ばぽかんとして見送った雛森は、その場に一人きりになってから、思わず吹き出す。
(あんな人だと、思ってなかった)
初めて言葉を交わした黒崎一護という人は、思っていた以上に柔らかな印象を受けた。
伝説と謳われるような雄々しい英雄とは違う。夕焼けの移り変わりを静かに見守る、優しい人。
何てギャップだろう。ほんの一瞬髪に触れた無骨な手は、間違いなく覇者のそれであったのに。
(友達に、なれるかな)
――きっと、なれるだろう。彼だって同じ、夕焼けに心を置くひとなのだから。
彼の色をした綺麗な空を眺めながら、明日は自分の色を見に来よう、と小さな楽しみを一つ増やした。
血迷ったわけではなく、随分前から書きたかったものです。思いつきはブリミュで「俺たちイチゴとモモですね!」ていうのから(←)案外仲良くなれる気がする。恋愛とかじゃなく。
一護は黙って立ってれば綺麗な部類に入ると思います。そして発言・行動の全てに他意はないタチの悪さ。
[2010.06.15 初出 高宮圭]