避難勧告発令中

「嫌だ」
「そんなの聞けません!」
 どこまでもきっぱりとしたわかりやすい拒否を、乱菊はこれ以上ないほど堂々と却下した。
 日番谷のこめかみがひくりと痙攣する。それでも仕事を進める手は止めない。
「……お前は誰の部下だ、松本」
「日番谷隊長の部下ですけど、それとこれとは話が別です。だってこれ、女性死神協会の総意ですから。あ、ついでに瀞霊廷通信作ってる修平の連名もありますけど、見ます?」
 こういうときだけ抜かりがない。日番谷はため息を飲み込んで、じとりと乱菊を睨んだ。だが乱菊は日頃の慣れからちっとも怯む様子はない。
「というワケで、写真集第二弾、撮影ご協力よろしくお願いしますね、隊長!」
 勝手に完結させると、乱菊は風のようにぴゅうと執務室を出て行った。日番谷の「待て!」と言う声にもお構いなしである。
 再び一人きりになった執務室で、日番谷は苛立ち紛れに不要になった書類を丸めてごみ箱に投げ入れる。だが目測が誤っていたらしい。ふちに当たって足元に転がる。それをため息と共に足で蹴り飛ばして、今度こそごみ箱に入った。
 カサカサという余韻の音を聞きつつ、写真集などまっぴらだと思う。以前もなし崩しに協力させられたが、もうごめんだ。
 ごみ箱の音が止んだ頃、日番谷は最後の書類に判を押し終えた。同時に立ち上がる。
 あの、ある意味無敵な女性死神協会の面子に何を言っても無駄なことは経験則で知っている。ならば、日番谷がこれから取る方法は一つだ。
 ――逃げるに限る。

***

「というわけだ。匿え、黒崎」
「唐突すぎてよくわかんねーよ。……つまり、何だ。乱菊さんから隠せばいいのか?」
「平たく言えばそうだ。おそらく追ってくるのはあいつだろうしな」
 黒崎家、一護の部屋の窓先にてそんなやりとりをしてから、日番谷は一護の部屋に通された。と言っても、窓から入っただけである。
 とりあえず椅子に落ち着いて、今日何度目か知れないため息をついた。
 ――先刻、逃亡先を考えた日番谷は、瀞霊廷内に隠れ場所がないことに気づいた。どの隊も女性死神協会に何らかの接点がある。となれば流魂街かとも考えたが、行ける場所はしれているし、見つかったときの逃げ場所がない。
 総合して考えた結果、現世が一番逃げ場所があると踏んだのだ。何より現世ならばそう大人数で追えはしない。少数なら逃げ切れる自信がある。
「つっても、ウチなんかすぐに考えつく場所じゃねーか。いいのかよ?」
「問題ない。見つかっても現世ならば隠れ場所はごまんとあるし、お前なら時間稼ぎに不安もないだろう」
「……そういうことか」
 ぼりぼりと頭を掻いて、一護は立ち上がる。
「とりあえず、茶でも入れてくる」
「ああ、悪いな。……ところで、ここには朽木が居候しているんじゃなかったのか?」
 任務のごたごたがあるらしく、未だルキアと恋次が現世に留まっていることは日番谷も知っていた。だが、それらしい気配は近くにない。
 それに一護は外を示して説明した。
「買い物行ってんだよ、夏梨と。今日は遊子が珍しく遊びに行ってるからな」
 もうすぐ帰ってくるだろ、と言い置いて、一護は部屋を出て行く。どうやらルキアはずいぶんこの家に馴染んでいるらしい。
 そんなことを考えながら、おざなりに置いていた斬魄刀を壁に立てかける。賑やかな声がしたのは、それとほぼ同時だった。
「たっだいまーあ!」
「帰ったぞ、一護」
 どうやら、ルキアたちが帰ってきたらしい。――だが、何か聞き覚えのあるお気楽な声に、思わず日番谷は渋面になった。
 すぐさま、どたばたと言う足音が駆け上がって来て、勢い良く一護が顔を出す。
「冬獅郎! 悪い、予想外だった、乱菊さんがルキアたちと一緒に……」
「聞こえた。やはりな……。こんなときばかり俊敏な行動しやがって」
「とりあえずリビングに行ってもらってるが、どうすんだ?」
「逃げる。お前は多少時間稼ぎでもしてくれ」
 言うなり、日番谷は斬魄刀を掴んで窓を開けた。だがそこで動きを止める。
「どうした、冬獅郎?」
「日番谷隊長、だ。……野郎、無駄に手間をかけて結界を張ってやがる」
「や、破れねえのか?」
「破れる。だが、この家の無事は保障できねえ」
「……え」
「いいか?」
「いいわけねえだろ!!」
 一護は思わず全力で突っ込む。日番谷は「だろうな」と肩をすくめた。下では賑やかに乱菊が会話をしている。事情を知らないルキアはこのまま二階の一護の部屋に連れてくるかもしれない。
「と、とりあえず足止めしとくから、お前は二階のどっか別のとこに隠れてくれ」
 言うなり、どたばたとまた部屋を出て行く。日番谷はそれを見送って、思わず律儀な奴だと半ば感心した。日番谷が見つかっても一護に不都合はないはずなのだが。
(まあ、ありがたいことだが)
 とりあえず霊圧を消していてよかった。乱菊にまだ存在は知れていまい。隠れ通すことができれば、ここは安全地帯になる。
 そうして、とりあえず部屋の外に出ようとドアに向かったときだ。
 不意に、ドアが開いた。咄嗟のことに隠れることもできず、日番谷は硬直する。
 ドアを開けた張本人である、その者と目が合った。
「……何してんの?」
「お前……」
 見知った顔だった。ひょんなことから何度か関わりあいになったことのある、一護の妹の夏梨だ。
 黒い瞳がきょとんとして日番谷を映す。その背後から、騒がしい声が少しずつ近づいてくる。
 ――まずい。
 足音が近づく。階段を上ってこようとしているらしい。
 どうするか。日番谷が考えあぐねているうちに、ぐいと夏梨が腕を引いた。
「こっち」
 引っ張られるまま、廊下の奥の部屋に入る。ドアが閉まると同時に廊下で乱菊の声がした。
 どうやら、一時的に難は逃れたらしい。日番谷が息をついていると、訝しげな声が訊ねる。
「あの人部下なんでしょ? 何で逃げてるわけ」
「なぜ逃げてると……」
「様子見りゃわかるよ。一兄も不自然に慌ててたし」
 隠しごと下手なんだよね、と呆れたように言ってみせる。だが、それにしても子供ながらに察しが良い。
「色々あってな。捕まると面倒くさい」
「ふうん……」
 日番谷の思いきり言葉を濁した説明を深追いもせず、夏梨は部屋のベッドに腰掛けて、事もなげに言った。
「じゃ、ここにいれば」
「は?」
 日番谷は思わず目を丸くする。
「どっか他にあてがあるならいいけど、ウチに留まってるってことは、そうでもないんだろ?」
「いや……まあ、そうだが……。いいのか? この部屋、お前の個室ってわけじゃねえみたいだが」
 部屋を軽く見渡して、日番谷は言う。色違いのベッドが二つ、両壁脇にあり、色違いの椅子が収まった勉強机も二つ。日番谷は会ったことはないが、もう一人いるという一護の妹もこの部屋であることが伺える。
「いいよ、どうせ今日は遊子、遊びに行ってるし。この部屋は見られないから、安全だよ」
「見られない?」
「そう。さっき部屋入るときにプレート『寝てます』に変えてきたから」
 プレート、と言われて、そういえば入る前にドアにかかっていた木札のようなものを思い出す。名前が書いてあったように思うが、あれの裏側にあったのだろう。
「変えておいたら見ないのか?」
「絶対見ない。一兄、そういうとこ妙に律儀だからさ」
「……」
 思わず、うらやましいと思ってしまう。仮に自室にそんな札があったとしても、日番谷の周りにはむしろ面白がって入ってくる連中が多い。
 そんな話をしているうちに、また廊下が賑やかになった。どうやら乱菊が一護の家をあら探ししているようだ。その足音がこちらの部屋の前にまで迫ってきて、夏梨も日番谷も口を閉じる。
 やんややんやと騒がしくしていたが、一護の「静かにしろって」という言葉で若干静まり、そのまま足音が遠ざかる。そして階段を下りていく音も消えてから、夏梨は立ちっぱなしでいる日番谷に悪戯っぽく笑いかけた。
「な?」
「……ああ」
 やっと肩から力を抜いて、日番谷も苦笑する。
「だからさ」
 夏梨はひょいとベッドから降り立つと、立ちっぱなしの日番谷の腕をまた引いて、ベッドの前まで連れて行く。
「おい」
「寝たら?」
「は」
「顔色悪いよ、あんた」
 何を言い出すのか、と口を開きかけて、純粋に心配そうな表情をしている夏梨に気づいて、何も言えなくなる。
 視線を逸らすと、促すように腕を引かれた。
「そういうわけにはいかねえ」
「何でだよ。いいじゃん、ちょっとくらい休んだって問題ねえだろ」
「俺は……」
「あーもう! だから、そんな寝不足丸出しの顔してるとみっともないって言ってんの!」
 煮え切らない日番谷の応答に焦れたのだろう。夏梨は投げ飛ばす勢いで日番谷をベッドの上に引き倒す。それからのしかかるような体勢にも構わず、日番谷を真上から見下ろして言い放った。
「寝ろ!」

***

「おい、メシだぞ、夏梨!」
 ノックをして声をかける。だが一向に応答はない。先程から変わらぬこの様子に、一護は首を傾げる。
 買い物から帰って来てから、夏梨が部屋に入ったきり出てこない。プレートは『寝てます』になっているが、ここまで応答がないと心配にもなる。だが、寝ているときに入ると怒るのも知っている。
 どうするべきか、と唸った頃に、ようやくドアが開いた。
 ――だが、顔を出したのは妹ではなかった。
「ちょっと待て、今起きてくる」
「……は」
 一護に涼しい顔で応答したのは、乱菊が黒崎家を後にしてから、とうに逃げたと思っていた日番谷だった。
「とっ冬獅郎!? お前いたのか、ってそうじゃねえ! 何でここに……」
「うるせえ叫ぶな。……おい、夏梨、起きたか。寝ろっつった本人が、俺より寝てどうすんだ」
「起きたよ、うるさいな。横でぐーすか寝られたら、こっちだって眠くなるに決まってんだろ」
「俺のせいかよ……」
 ごしごしと目をこすりながら出てきた夏梨が、状況が掴めず硬直している一護のそばを通り抜けていく。日番谷も行こうとしたところで、ようやく一護は我に返った。
「おい、ちょっと待て! もしかして冬獅郎お前、あの後ずっとここにいたのかよ!?」
「……だったらどうした」
「どうしたって……お、お前ら何して……」
「一兄、ご飯じゃないの?」
 少し先で足を止めていた夏梨が、訝しそうに訊ねてくるのに、一護は何とか頷く。
「だったら、早く行こうよ。冬獅郎も食べてけば?」
「ああ、悪いな」
「いや、待てって夏梨! お前らいつの間に知り合い……ってか、え? 寝てた? 二人とも?」
 今更ふと気づいて、一護は再びぎこちなくなる。
 夏梨はそれに首を傾げて、「うん」と頷いた。
 途端、一護がびしりと音を立てて石化する。だが、夏梨も日番谷も全くそれに構わず、すたすたと廊下を歩いてゆく。
 あふ、とあくびをしながら、夏梨は背後で未だ動かぬ兄を横目に、呆れたように呟いた。
「一兄、部屋にベッド二つあること、忘れてるよな」
「そのうち気づくだろ」
 夏梨の呟きに、来た当初よりすっきりした様子の日番谷が、淡白に返した。

メリークリスマス! 空気読んでない感じですみませんorzクリスマスネタがUPできたらまたUPします、ネタはあるんだ、ネタは……!
初心に戻った感じで日夏。……ていうのもコレ書いたの八月だったんですよね。スパコミで無料配布したお話です。そろそろいいかなーと出して見ました。貰ってくれた人ありがとうございましたっ。
2009Xmas〜年末年始10日連続更新一日目。
[2009.12.25 初出 高宮圭]