MEMOLOG*プチお遊び企画SS

「知ーらないっと」(日夏+他)


※夏梨が普通に死神です。成長後。



 短期の遠征任務を終え、帰って来たばかりのことだった。副官たる乱菊からその報告を聞いたとき、日番谷は全身余すところなく、全ての動きを止めた。鼓動をも止まったかと錯覚するほどに、凍り付いた。
「――夏梨が、斬られました」
 乱菊が続けた、命に別状はありませんが、などという言葉も耳に入らない。凍り付いたその次の瞬間には、日番谷はよく知る霊圧を追って、姿を消していた。

 音こそないが、荒々しく霊圧を叩き付けるようにして、日番谷は四番隊隊舎にある救護詰所に降り立つ。そのまま叫ばん勢いで目前の個室の戸を開けようとしたところで、かろうじてその取り乱した行動は制された。
「――日番谷隊長、お静かに」
 凛として落ち着いた声音で、しかし確かに日番谷を止めたのは四番隊隊長・卯ノ花烈だった。
 ようやく我に返った日番谷は目を瞠って卯ノ花を見、その存在に気づけなかったほど余裕がなかったことを思い知る。
「……すまない」
 浅く息を吐いて、日番谷は意識して乱れた霊圧を治めた。おそらく卯ノ花が言ったのは音に関する静かさだけではなく、救護所にいる患者に影響を及ぼしかねない霊圧についてもだったのだろう。
 それから改めて、日番谷は彼女のいる病室の前に立った。
 そして、戸を開ける。その次の瞬間に聞こえて来た言葉に、日番谷はまた動きを止めることになった。
「――あんたって、実は結構馬鹿?」
 呆れたような、面白がるような。そんな調子で言われたそれは、間違いなくしばらく聞いていなかった、夏梨の声だ。
 彼女はベッドの上で、何故かキャップ帽を被って、備え付けられた収納可のテーブルの上に頬杖をついて日番谷を見ていた。
「病室の前で、すっごい霊圧揺れてたよ。何、まさかあたしが重傷負ったとか思ったわけ?」
「……お前、斬られたんじゃねえのか」
「ああ、乱菊さんに何か言われたんだ? うん、まあ斬られたよ」
「なっ……」
「ただし、斬られたのは髪だけどね」
 夏梨はあっさり言って、被っていた帽子を取って見せた。すると帽子に隠れて見えなかった額が現れ、常ならば額を出して分けている前髪が、適当に切り揃えられてあった。
「ご丁寧に前髪の分だけ切ってくれちゃってさ。落ち着かないから帽子被ってるの」
「松本の奴……」
 まぎらわしい言い方しやがって、と小さく毒づきながら、日番谷は長々とため息をつく。
 安心したら、今までどれだけ体が強張っていたかよくわかった。
 戸を開けた場所から動いていなかったのをベッドのそばまで歩み寄る。
 それを見て、夏梨は呆れたように言った。
「あたしなんだから、大丈夫に決まってるでしょ」
「怪我してその実証ばっか立ててんじゃねえよ。報告を人づてに聞くこっちの身にもなれ」
「隊長には迷惑かけないよう気をつけてますけど」
「そういう話じゃない」
 若干声を低めて夏梨の隣に立つ。夏梨は肩を小さくすくめて、帽子を被り直しながら、目元を帽子のつばで隠して呟くように言った。
「ごめん。……心配した?」
「当たり前だ。……一応、部下だからな」
 即答してから取って付けたように理由をくっつけて、日番谷は背後を振り向く。
「松本。いるのはわかってる。入って来い」
「……はあーい」
 どこかつまらなさそうな返事の仕方でひょいと顔を覗かせたのは乱菊だ。少し前から彼女がいることには気づいていた。聞き耳を立てられる趣味はない。
 乱菊は微妙な表情のまま日番谷の隣まで来ると、わざとらしく眉をひそめてぼそっと言った。
「……隊長って、意外とヘタレですよね」
「な……」
「はーい夏梨。元気そうじゃない。どう、調子は?」
 思わず言葉に詰まった日番谷に構わず、乱菊は夏梨に話しかける。夏梨は乱菊の発言がいまいち聞こえていなかったようで、「元気だって昨日も言ったよ」と苦笑する。
「もう寝てる必要ないのに、卯ノ花隊長が出してくれないんだけど」
「あんたが無茶するから、前の傷開いちゃってるんでしょ。入院でもさせとかなきゃ安静にしないからよ。……って待って夏梨、あんたまさか、あんなにあった仕事をもう片付けたの!?」
 夏梨のベッドの枕元に置かれた書類の山に、乱菊は目をむいた。
「だって暇なんだもん。遊子も一兄も動くな動くなってさ」
「暇って……」
 確かかなり膨大な量だった気がする、と乱菊はまじまじと夏梨を見たが、とりあえず気を取り直した様子で話を戻す。
「今回は、さすがに遊子ちゃんに怒られたんじゃない?」
 何しろ髪だもの、と言いながら乱菊は夏梨の頭から帽子を奪う。
「まあね。けど、なんか喜んでたよ。『前から夏梨ちゃんって、前髪下ろすと可愛くなると思ってた』とかなんとかって。こっちは嫌で仕方ないのに……」
 帽子を取られた夏梨は手で隠すように前髪を押さえながら不服そうだ。
「あら、でも確かに可愛いかも。ホラホラ、隠さない隠さない! あ、やだ可愛い! 人形みたいよ。ね、隊長!」
 唐突に話を振られた日番谷は、まだ若干釈然としない気分のまま夏梨を見る。目が合った途端、夏梨が露骨に視線を逸らしたのがまた少し面白くなかったが、改めて見れば、確かに前髪を下ろした夏梨は随分雰囲気が違った。
「……何だよ」
 視線を感じるのか、未だに視線をそらしたまま、夏梨はぶっきらぼうに呟く。そっぽを向いた頬が少しずつ赤くなっていくのがわかって、日番谷は思わず小さく笑った。
「――似合ってる」
 本音のままで答えると、夏梨は今度こそ真っ赤になる。動揺もあらわに慌てて布団を手繰り寄せながら、乱菊に片手を伸ばして喚いた。
「らっ乱菊さん! 帽子返して!」
 だが、乱菊はひらひらと手の代わりに帽子を振って、夏梨に背を向ける。
「じゃ、お大事にね、夏梨。隊長、あたしお先に失礼しまーす」
「乱菊さんってば!!」
「知ーらないっと」
 わざとらしい口調で言って、乱菊は部屋を出て行く。
 夏梨はしばらく途方に暮れたような顔で閉められた戸を見ていたが、やがてどこかおそるおそると言った様子で日番谷を見た。そして相変わらず夏梨を見ていた日番谷と目が合うと、今度はそらさずに、けれどどこか臨戦体勢のような視線で見つめる。
「……何だ」
「あんたは……怪我とか、なかったわけ」
 遠征で、と付け足された問いに、日番谷は即答で返す。
「ない」
「なら、いい。……あと、言ってなかったんだけど」
 そこで一度言葉を切って、夏梨は昔とは違う、柔らかい笑みを浮かべて言った。
「おかえり、冬獅郎」
 意表を衝かれたそれに、日番谷は我知らず顔を少しだけ赤くする。そして夏梨に応じながら、内心でため息をつきたくなった。
(簡単に、振り回しやがって)
 夏梨が無意識にするささいなことで、簡単に感情が揺らされる。動じるなといくら思っても、思い通りにはならない。
 周りがそれに気づいているのもわかってはいる。(夏梨が小さい頃から彼女を可愛がっていた総隊長などは「孫を見れる日も近いのう」などとのたまい、いつの間にか親気分だ。)だが、日番谷は今のところ、内心を告白するつもりはない。
 相手が全く気づいていない無意識下の今でさえ、こうなのだ。気づかれてしまったら、それこそなけなしの余裕がなくなるのは目に見えている。
(好きだなんて、一生言わねえ)

 と、乱菊が聞けば不毛と罵られそうなことを考えている日番谷は、夏梨が自分といるとき、他には見せない表情で笑っているということをまだ知らない。

[2010.04.08 初出 高宮圭]