MEMOLOG*プチお遊び企画SS

5つのSS。日夏で、夏梨が普通に死神です。
それぞれ独立してますが、設定は全部同じです。



「逃げねえ保障なんてしてやらねえからな」

「隊長に、なるんだってな」
「……ああ」

 霊術院に入って以来、ずっと共に切磋琢磨してきた友人は、いつもは空けなかった距離を置いて、日番谷の前に立っていた。
 黒崎夏梨。まだ子供と呼ばれて憚りない容姿は日番谷と同様で、けれどその実力は大の大人を気圧すほどであるのもまた同様。そして子供ゆえに軽んじられることさえ同じであり、気質もどこか似通う部分があった。似た境遇の中で互いを理解することに難はなく、よき友人兼ライバルとして共にここまで来た友人と、日番谷は決定的に立場を分かつことになった。
「……冬獅郎はすごいよ。あたしは卍解なんか、まだまだ先だ。まだ始解も満足に扱えない」
「夏梨」
「昔から、そうだったよな。あんたのほうが先にできて、いつもあたしは後から追いつく。あたしがあんたより良かったのって、白打くらいだっけ」
「俺は、」
「――でも絶対、追い付けないことは、なかったよ」
 そこまで俯かせていた顔を、夏梨は真っ直ぐに上げた。そして開けていた距離を一歩一歩埋めていく。
 出会った当初は顎の辺りで切りそろえられていた黒髪が、今は肩口で風に揺れている。積み重ねた時間は、消えはしない。
 見慣れた勝気な笑みに、日番谷もわずかに相好を崩した。
「――早く追いついて、俺を捕まえてみろ、夏梨。……追いついたなら、俺を逃がさなくてすむようにしっかり捕まえとけよ。また逃げねえ保障なんて、してやらねえからな」
 その不遜な物言いに、夏梨は明るく破顔した。

「当たり前だろ、バーカ!」



「嫌いだ、男の成長期なんて」

「嫌いだ、男の成長期なんて」
 ぼそりと背中で呟かれた悪態に、日番谷はぴくりと眉を動かした。しかしそれだけで、他は一切動じずに本を読み続ける。
「……何ヘソ曲げてんだ」
「別に? ついこないだまであたしよりちっちゃかった冬獅郎がよく育ったもんだと思って」
「いつの話だ、いつの。まだお前が入隊もしてねえ頃だろうが」
「……やっぱり十番隊、入るんじゃなかった」
 聞き捨てならない呟きに、今度こそ日番谷は不快感を隠さなかった。開いていた本を栞も挟まずに片手で閉じ、いつもより眉をひそめて背中合わせに座っている夏梨を振り向く。
 どういう意味だ、と詰問してやるつもりだった。夏梨が十番隊の三席になったのは一年ほど前で、日番谷が隊長になったのはその一年前のことである。
 能力に目立った偏りがあるわけでもなく、オールマイティに満遍なくこなせる優秀で将来有望な夏梨を引き抜くのは、割と競争率が高いものだった。しかも前代未聞の常識破りと名高いあの黒崎一護を兄に持つということで、目をかけている隊長格は多かったのだ。それらを押さえて十番隊が獲得したのは、何より本人の希望があったからである。
 ――絶対に追いついてやる。
 日番谷が隊長になるときに誓ったあの言葉を叶えるために、彼女は今の場所を選んだ。それは日番谷にとっても嬉しいことであった。だからこそ手を尽くした。だと、言うのに。
 それを放棄するのか、と怒りにも近い感情で振り向いた先の夏梨の表情を見て、――あっさりその感情は静まった。むしろ笑いがこみ上げてきて、思わず吐息に隠すように笑う。
「何だ、お前。……本当に拗ねてんのか」
「拗ねてない」
「顔に出てる」
「うるさい、元チビ」
 むくれた夏梨は、もはや表情を取り繕うこともなく明らかに拗ねていた。いつもの淡々とした表情でない彼女は、大人びた様もどこへやらで子供っぽくなる。
「……だって、あたしはせいぜい髪が伸びたくらいなのに。何だよ、嫌がらせみたいにでかくなりやがって」
「お前も一応背ェ伸びただろ」
「あんたよりちっちゃいのが気に食わない」
「今更なことを」
「そうだよ今更だよ。……けど今更思ったりするんだ」
「背丈の差をか?」
「じゃなくて。どうすれば、あんたに追いつけるのか。――どうなったら、あんたに追いついたことになるのか」
 不意に背中に重みが増して、わざと夏梨がその体重をかけていることがわかる。そこに確かに自分がいるのだと証明するように、ぬくもりを伝える。
「一緒に戦えるようになった今でも、追いついたのとは違うんだ。卍解も、何か違う気がする。……ならいっそ、もっと違うところから追いかけるのもありかと思ったんだ」
 それは多分、真実彼女が考え出した答えなのだろう。ここのところ妙に不機嫌だったのはそのせいかと頭の片隅で納得しつつ、しかし日番谷はその彼女の思案を一言で切って捨てた。
「却下」
「は」
「お前の提案は却下だ、と言ったんだ。そんな理由で他への移動は認めない」
「そんな理由って……あたしは!」
 夏梨がばっと身を起こして反論しようとしたときだ。向こうから賑やかな足音が聞こえて、一瞬で夏梨は「げ」と言いたげな表情になった。どうやら自分で忘れていたようだが、彼女が日番谷の背中にいたのは、実は身を隠すためだったのだ。暇を持て余して手合わせの相手を手当たり次第に探している十一番隊の連中から。
 まだこちらに気づいた様子はないが、夏梨がまずいと思った次の瞬間だ。ひょいと腕を引かれたかと思うと、犬猫よろしく首根っこをつかまれて、気づけば日番谷の背ではなく、胸のほうに置かれていた。
 そして頭に手を置かれて日番谷が袖と羽織を広げれば、その姿はほとんど隠されてしまう。
 きょとんとしている間にあっさり足音は通り過ぎ、白と黒の視界が解放されて、ようやく夏梨は我に返った。その頭の上から、声が降る。
「俺は言ったはずだ。――追いついて、捕まえろ、と」
 見上げれば、いっそ腹立たしいほど綺麗に整った顔があった。

「追いつけないなら、捕まえればいい」

 そのために距離は邪魔なだけだろう、と言外に告げる。
 ぽかんとした間抜け面になった夏梨は、次に呆れたような目で日番谷を見返した。
「……背は伸びたくせに、あんたって妙なとこ、ガキっぽいよね」
 離れて欲しくないなら、素直に言えばいいのに。
 からかう口調で言えば、背後の日番谷が若干固まったのがわかった。回りくどく格好いい言い方をしたって、他の女子ならいざ知らず、素直にときめくような夏梨ではない。彼の素直でない性格とは長らく付き合って来たし、何よりその部分は自分と似ている。
 また向こうから、夏梨を追う足音が聞こえてくる。
 夏梨は、ため息混じりに頭を背後にある日番谷の胸に預けて、言った。

「ま、いいや。とりあえず隠して、冬獅郎」



「氷漬けにされちゃうわよ?」

「いい、あんたたち。間違っても夏梨だけは絶対にナンパしようと思っちゃ駄目よ?」
 季節は春。入隊の儀が各隊で行われるその折のことだ。
 十番隊も例外なく入隊の儀が行われていたのだが、ふとそんなふうに話の矛先は変わった。
 隊長からの言葉が終わり、次に副隊長からの挨拶があった。それも滞りなく終わろうとしたところで、副隊長たる松本乱菊はにっこりして言った。
 十番隊に入隊した新人隊士たちは、一様にきょとんとして乱菊を見る。
 ちなみに現在隊長と三席は席を外している。だからこそ話が変わったのだが、新人たちは首を傾げるばかりだ。
「ええと……それは、あの有名な黒崎夏梨三席、ですよね?」
「そうよ、あの三席よ。他にはよく気がつくのに、自分の色恋沙汰になるとてんでダメなあの子のことよ。主に男たちにだけど、いろんな意味で痛い目しか見ないから」
「痛い目って……」
「そうねえ、具体的に言えば……あんたたちのうちの誰か一人でも夏梨に下心を持って近づいた日にはその人、氷漬けにされちゃうわよ」
「え」
「まあ、氷像になりたいって言うなら、止めないけど」
 それはそれで面白いし、といい笑顔で言い切った乱菊に、男たちの表情が固まる。ここで『氷』と言われて、誰に何をされるかなど、想像に難くない。
 何しろあの子は、と更に乱菊は続けようとしたのだが、そこで一人の隊員が裏返った声をあげた。
「まっ、松本副隊長!」
「なに?」
「うううう、後ろ、後ろッ!!」
「え」
 後ろと言われた途端に背後から限りなく冷えた空気が感じられて、乱菊はびたりと固まる。そしてぎこちなく振り向いた。
 ――その後はもはや、言うまでもない。

 そうして隊員たちは、下手な噂話はすまいと固く心に誓ったのだった。



「みんなで幸せになろうよ」

「やあおはよう日番谷隊長。お邪魔させてもらうよ」
 言葉通り朝も早くからやって来た浮竹に、日番谷はもう慣れた様子で振り向きもせずに「ああ」と答えた。
 ここは十番隊の隊舎の一角だ。隊長の部屋として使われているはずのそこは、生活感などまるで感じさせない殺風景さだが、その部屋の寝台を一つの小柄な影が占拠していた。
 その寝台を覗き込んで、浮竹は和やかに笑う。
「うん、今日も元気そうで何よりだね。ああ、そうだ、今日はプレゼントを持って来たんだよ。遊び道具なんだ、気に入ってくれるといいんだけれど」
「……ったく、気が早いな」
 ため息混じりに日番谷は言ったが「それじゃ、プレゼントはここに置いとくよ」と浮竹が機嫌よく笑うのに意見はしなかった。
 浮竹は嬉しそうに寝台を見つめる。
「子供は男の子と女の子、どちらがいいかなぁ。日番谷隊長は父親としては、どう思う?」
「……おい、浮竹。何度も言うがまるで俺の子みたいに言うんじゃねえ」
 非常に複雑そうな表情で日番谷は苦言を呈した。だが浮竹はきょとんとして返す。
「だって、君の子同然じゃないか」
「こいつは犬だ」
「飼い主は君だ」
「暫定的に預かってるだけだろうが。面倒見てるのは俺じゃなくて夏梨だ」
 日番谷の寝台を占領しているのは、一匹の犬だった。そのお腹は大きく膨らんでいて、傍目にも臨月とわかるほどだ。
 この身ごもった犬を連れて来たのは、十番隊の三席である夏梨である。何でも流魂街に出たときに、臨月だがどうしても一緒にいてやれない事情があるから預かってくれと頼まれたらしい。彼女の実家は医者もやっているから、それを知ってわざわざ頼んだようだ。しかし生憎父も母も家をあけていたから、どうしようもなくなって、日番谷に頼みいれた、というのが事のあらましである。
 それを聞き付けて、動物好きたちがこうしてこぞって様子を見に来るものだから、日番谷もさすがに辟易しつつあるが、拒みはしなかった。
「ところで、その夏梨くんはどこへ行ったんだい? いつもならいるじゃないか」
「多分今日あたり生まれるだろうからって、兄貴迎えに行った。前に経験があるらしい」
「それは頼もしいね。……無事に元気な子が生まれるといいな」

***

「眠くて死ぬ」
 その言葉を体言するように大きなあくびをした一護は、ふらふらと部屋の隅に行ったかと思うと、そのままぱたっと倒れて、寝た。
 そんな兄を見て、夏梨は控えめに苦笑した。
「一兄、遠征の仕事明けにそのまま来て徹夜だもんね。お疲れ。……冬獅郎も浮竹隊長も、もう大丈夫だよ」
 夏梨がそう言うと、二人ともさすがに疲れた様子で長い息を吐いた。けれどその表情は明るい。
 彼らの視線の先には、ミィミィと鳴きながら親犬の乳を吸う子犬たちの姿があった。
「うん、これで一安心だな。……じゃあ俺は、一度隊舎に戻るよ。黒崎はそのまま寝かせてやってくれ」
 ゆったりと頷いて、浮竹は朗らかに部屋を後にする。
 それを見送っていると、入れ替わるように京楽がやって来た。
「京楽隊長」
「や、おはようさん。無事に生まれたみたいだねぇ、よかったよかった。七緒ちゃんも気にしてたんだよ」
 そう言って子犬たちを覗き込む京楽に、日番谷が呆れた声をかける。
「わざわざこんな時間に見に来たのか? 物好きだな」
「だって、めでたいことじゃあないか。みんなで幸せになろうよ」
「飲まねえぞ」
「相変わらずだねえ、日番谷隊長は」
 ちぇ、と歳甲斐もなく拗ねたように呟いた京楽に夏梨も苦笑する。
「どうせまた里親探しで宴会じみたことやると思いますよ。乱菊さんが乗り気だったから」
「へえ、それは楽しそうだねえ。ボクも喜んで参加させてもらうよ」
 じゃあボクはこれで、と京楽はどうやら本当に見に来ただけだったらしい。ぱたぱたと手を振ってまた部屋を出て行った。
 犬たちと沈没した一護がいるが、実質二人で残された日番谷と夏梨は、顔を見合わせて、再度疲れた息をつく。
「お疲れ。冬獅郎も寝ていいよ。て言っても、いつものごとく寝台じゃないけど」
「今更だな。……お前はどうするんだ。どうせこのまま付いてるんだろ」
 そうあっさり言われてしまった夏梨は「う」と言葉に詰まる。だが図星だったので、正直に答えることにした。
「あたしは、このまま起きてる。目が冴えちゃったみたいだ」
「なら、少し付き合え」
「え」
「眠る気分じゃねえんだよ。……朝焼け見るくらい、目ェ離しても平気だろ」
 ぶっきらぼうに言った日番谷は、返事も聞かずに静かに戸を開けて外に出て行く。「待ってよ」と夏梨も後を追ったが、部屋を出たすぐの縁側に、日番谷はいた。
 日番谷が座るその隣に腰掛けて、夏梨もだまって空を見上げる。
 そして、朝日が山間から顔を出す頃、日番谷が一言、ぼそりと呟いた。
「お疲れさん」
 若干時差のあった労いの言葉に、夏梨は一瞬きょとんとして、それから相好を崩した。
「うん。冬獅郎も、ありがとうな」
「……ああ」

 ――そうして朝陽は、新しい命の誕生を祝うように、惜しみなく全てを照らし出した。



「泣かしたら許さないからね」
「う……」
 お互いのうめき声で目が覚めた。それの何と寝覚めの悪いことか。
 しかも身を起こせば頭が鉛のように重い。伴って鈍い痛みがずきずきと苛むものだから、二人はこれまた揃って悪態をついた。
 ほとんど同じ動作で髪をかきあげて、ようやく横目でお互いを見やる。先に口を開いたのは、だいぶ長くなった艶やかな黒髪を無造作に肩の後ろへ流した夏梨だった。
「……目、覚めた?」
「先に沈没したのはそっちだろうが」
「先に酔っ払ったのはそっちでしょ。ったく、酒には強いくせに、一度酔うとタチ悪いんだから」
 おかげで酷い二日酔いだ、と夏梨はため息をついたが、それ以上のこと(例えば、隣の頭を引っぱたくとか)はしなかった。そちらも同等の二日酔いであろうことは、表情から易々と読み取れたからだ。
「冬獅郎が珍しく飲みに付き合えなんて言うから、何事かと思ったのに。……まあ最近、仕事漬けだったしね」
 夏梨は現在の上司でもあり古い友人でもある日番谷を労うように、その頬に指先で触れる。――そしてそこに至って、そういえば指先で触れられる距離に彼が横になっていて、おそらく現在地は寝台で、昨夜沈没したのは机だったはずであることに気づいた。
 普段なら悲鳴の一つもあげたか、彼を蹴り飛ばすかしたかもしれないが、二日酔いのせいで重い頭は割と冷静だった。
「そういや遊子が、『泣かしたら許さないから』って伝えとけって言ってたこと、今思い出した」
「今言うか、それを」
「……どうやらぐっすり眠れたようだから、状況には突っ込まない」
「賢明な判断だ。……ところで」
「何?」
「酔った勢いで、俺は何をどこまで言った?」
「……再現しようか?」
 日番谷から返された沈黙を肯定と取って、夏梨は二日酔いを持て余しつつ、淡々と、素晴らしい棒読み加減で再現して見せた。

「『結婚してくれ』」

 日番谷はまるで動き方の全てを忘れたように固まって、それを呆れたように見る夏梨は、なお淡々と続けた。
「で、あたし。『てことは、一兄が冬獅郎の義兄になるってことだよね』……まだ、続ける?」
「……もう、いい」
「あっそ」
「お前は、」
「何?」
「……それは、肯定なのか。否定なのか」
「……さあねえ」
 夏梨はため息まじりに相槌を打って、おもむろに二日酔いと何やで相当参っているだろう日番谷の額に、容赦ないでこぴんをお見舞いしてやった。そして、昔から変わらない笑みで放言する。

「もう一回言えば、わかるかもよ?」

[2010.04.17 初出 高宮圭]