それは、本当は予測していた言葉だった。
いつか言うだろうと、どこかで感じていた。――けれどそれは、聞きたくない言葉でもあった。
だから、夏梨と口論の末に彼女がその言葉を言うのを、一護は遮った。
「――もう、守られるだけじゃ嫌なんだ! あたしも一兄や冬獅郎のように自分以外の誰かを、自分の大切な人達を守れる強い死神に……っ」
「やめろ」
自分でも驚くほど冷えた声だった。けれど荒れそうになる感情を抑えるには、その言い方しかできなかった。
びくりと怯えたように息をのんだ妹を見て、自分に嫌気がさす。だが、こればかりは意見を翻すことはできない。
「何で、一兄っ」
「死神は、お前が思ってるような仕事じゃねえ」
夏梨は今年、中学に入った。一護と変わらぬ高い霊的な素質を持った彼女は、死神や虚のことも明確に捉えることができる。そして一護が死神であることも知っている。
兄妹ゆえか、一護と似た性質を持っている夏梨だ。いつかこんな日が来るとどこかでわかっていた。
「あたしが思ってるようなって……」
「夏梨が思ってるような、ヒーローみたいに格好よくて、気持ちのいいもんじゃないって言ってんだ。……頭冷やせ」
突き放すような言い方で、事実袖を引いていた夏梨を振り払って、一護は逃げるようにその場を去った。
これ以上、近くにいたくはなかった。
一緒にいるだけで、傷つけるとわかっていた。
「正直なとこ、アタシは賛成ですけどね」
夏梨の前から逃げるように去ったあと、一護はその足で浦原商店へ行った。家にもおれず、一番の関係者である父親にも言いづらく、結局浅くはない縁のある浦原のもとへ行ったのだ。
そして事情を説明し、浦原は一護の予想に反して、夏梨を肯定した。
一護は思わず瞠目して浦原を見返す。
「……理由がわからない、って顔ッスね。ま、気持ちはわからなくもないですが」
そう言葉を切って、浦原は開いていた扇子をぱちんと閉じる。
「理由は三つ。一つは、今尸魂界は実力ある者が一人でも多く欲しい状況だからです。それも平隊員並じゃなく、ね。その点夏梨サンは素質十分。しごけばすぐにでも戦力になるでしょう」
「戦力って……」
「二つめは、これはアタシの個人的な興味にすぎませんが――黒崎サン、あなた達一家は、非常に興味深い。その能力が血族的に先天的なものなのか、はたまた突発的なものなのか。いろんな例を見てみたいんスよ」
「な……浦原さん!」
思わず声を荒げた一護に、浦原は苦笑して「すみません」と宥める。だが冗談だと言わない辺り、二つめの理由は大きいのだろう。
そして浦原は、ふと真剣な表情に戻って続けた。
「そして三つめ。これが一番大きな理由です。……夏梨サンが、いえ黒崎サン、あなたも妹さんたちも――生まれたときから死神になることが決まっていた」
一瞬、浦原が何を言っているのかわからなくなった。
問い質すこともできず一護が硬直すると、浦原は言い聞かすように言葉を重ねる。
「真血、という言葉はもうご存知でしょう。……それがまさか、あなたと生まれが同じ条件の妹さんたちに当て嵌まらないわけがありません」
「それは……っ!! ――俺はもう死神の力を手にした、けどあいつらはまだ素質があるってだけだろ! なら、俺だけでもいいじゃねーか!」
語気を強めてそう言うと、浦原は浅く息をついた。
「……違うとしたら、どうです?」
声を低くして、浦原は視線を一度落とす。そして、再度一護を見た。その目に、一護は呑まれたように言葉を失う。
「既に妹さんたちが、死神の力を得ていたとしたら?」
「なに、言って……」
「黒崎サン、あなたはイレギュラー的に朽木サンから死神の力を得た。けれど力を失い、取り戻そうとしたときにアタシは言ったでしょう。『あなた自身の死神の力』と。それはいつからあったと思います? ――無論、生まれた瞬間から、いえ、生まれる以前からッス」
そして、と浦原は続ける。
「あなたは十五歳のときに、必然的に初めて死神の力に目覚めた。……けれどそれは、真血の目覚めとしてはあまりに遅い」
そこまで言われて、浦原が何を言わんとしているのかを一護は感じ取った。信じがたい気分のまま、呟く。
「遅いって……待てよ、じゃあ……」
「そうです。妹さんたちの目覚めは、もっと早かった。生まれて間もない頃だと聞いてますが――無自覚であれ、実質的に妹さんたちは黒崎サンが死神代行になる前から死神だったんスよ」
嘘だ、というのは声にできなかった。ここで浦原が嘘を言う利点がないし、何よりそうであってもおかしくない条件が揃っている。
言葉をなくした一護に、浦原は黙って立ち上がった。そして隣にあった襖を、ゆっくり開く。その中に足を踏み入れて後ろ手に閉めながら、一言だけ残した。
「……あとは、ゆっくり話し合ってください」
そうして襖が閉じられた、その後。
浦原と入れ代わるように、反対側の入口から何者かが入って来た。
襖を閉める乾いた音がして、一護はようやく気配に気づいて我に返った。そして振り向いて、瞠目する。
「夏梨……お前、聞いて……っ」
「……ホントはさ、知ってたんだ。あたしたちの生まれのこと」
ゆっくり一護に近づいて来ながら、夏梨は予想にもなかったことを言い出した。
「お父さんに聞いたんだ。……一兄が、虚圏に行ったあと。今から自分も加勢に行くって説明も兼ねてね。遊子も知ってる」
「な……」
夏梨の口から伝えられた事実を捉えかねて、一護は夏梨を凝視する。その間に、夏梨は一護のポケットにあった代行証をすいと抜き取った。
一護がそれに気づいて視線を向けるとほぼ同時に、夏梨は代行証を自身の胸に叩き付ける。
次の瞬間、目の前にいたのは抜け殻のように崩れた私服姿の夏梨と――死覇装姿の夏梨だった。
「お前……その姿……」
「――生まれてほとんどすぐ、遊子とあたしの魂魄は死神化してたんだって。でも、だから隠すことができた。一兄には、それができなかった」
お母さんがね、と夏梨は倒れた自分の体を抱き起こして壁に寄り掛からせながら続ける。
「すごく一兄のこと心配してたらしいよ。もちろんあたしたちのこともだけど……。死神になる運命をわかってて自分が産んだからには、親として何があっても一生守るって言ってたんだって」
「おふくろが……」
「ねえ一兄、お母さんの好きな花、覚えてる?」
ふと挟まれた唐突な質問に、一護は思わず意図を伺うように夏梨を見た。だが夏梨はまっすぐな黒い目で一護を見返すだけで、その瞳には他意は見えない。
「……ああ、覚えてる。桜だろ」
「うん。じゃあ、桜の花言葉って知ってる?」
「花言葉?」
「そう。あたしはよく覚えてないんだけど、お母さんが特に好きなのって、山桜だったんだって。……山桜の花言葉は『あなたに微笑む』」
その花言葉に、刹那的に母の笑顔が脳裏に閃いた。何よりも大好きだった、あの笑顔。
きっと夏梨もそれを思い出したのだろう、幸せそうに頬を緩める。
「お母さんはさ、きっと今でもあたしたちのこと守ってくれてるんだよ。今までも、これからも。――だから」
一度言葉を切って、夏梨は一護の手を握って持ち上げた。一護より小さい、けれど思っていたよりしっかりした力のある手だった。
「一兄は、いいよ。もう守ってくれなくても、あたしたちは大丈夫。一兄はあたしたちの他にも、守りたいものたくさんあるでしょ」
「いいって……」
「いいの。守られてなんかやらない。守られてたまるか。……あたしは、いつも隣にいたいんだ」
一護の手を両手で掴んで、夏梨は一護の隣に寄り添った。
そのぬくもりは一護にとって、小さく頼りない。けれどそれがあることは、とても心強いことのように思えた。
[2010.04.22 初出 高宮圭]