※色々捏造設定です。
「いつまでもそんなだと、そのうち誰かに捕られちゃいますよ」
ぼそっと乱菊が言ったのは、日番谷が夏梨の訓練の様子を眺めていたときだった。
夏梨は今、霊術院の生徒相手に実習を行っている。指導は十一番隊の弓親だ。基本的に夏梨は十番隊預かりだが、やちるを始めとして十一番隊の連中と仲が良いこともあり、隊の性質が実習向きというのも相俟って、こうして指導を任せることも多い。というか、一護の知り合いは興味本位から始まって妹たちの面倒を見たかったりするらしいのだ。何だかんだと遊子も夏梨も可愛がられていた。
「……何の話だ」
「またまたぁ。わかってるくせに。女の子は早いんですよ、成長するの」
「それがどうした」
「いいんですか、見送るだけで」
「いいも何も、あいつは死神になると決まったわけじゃないだろ。その先を選ぶのはあいつだ」
「……その鍵を握ってるのは、隊長だと思いますけど」
「なら尚更、俺は何もしない」
ひたと夏梨に視線を据えたまま日番谷は言い切る。
この訓練は先天的に素質を持った彼女たちに力の扱いを覚えさせるためのものだ。あくまでも死神になるためにやっていることではない。
「ねえ隊長。……欲しがらないと手に入らないものって、多いですよ」
そんなことは知っている、という言葉は言うことができなかった。
欲しいものほど手に入らないことを思い知った記憶が、欲しいものがある事実を肯定することを拒んだ――そんな気がした。
「おい、あれ日番谷十番隊隊長だよな」
訓練の休憩中、ふと耳に留まった声に夏梨は視線をやった。今日の訓練相手の霊術院生たちが、後方に注目している。それ以上の声は上手く聞き取れなくなったが、院生たちはぼそぼそと話し合っているようだった。
「十番隊預かりってのは聞いてたけど、隊長や副隊長が直々指導ってのがあり得ないよなぁ。今日なんか十一番隊の席官だしさ。しかも日番谷隊長と松本副隊長も見てるし」
「俺ならプレッシャーで死ねるね……たいした奴だよ、ほんと」
「ていうかあいつ十三歳なんだって知ってたか?」
「え。十五、六じゃねえの?」
「いんや、自分で言ってたから間違いねえよ」
「あっお前いつの間に喋ってんだよ!」
などと院生の男共が言っているのも露知らず、夏梨はふと立ち上がった。指導してくれている弓親が手招いているのに気づいたのだ。
「どしたの? 弓親さん」
「今連絡があってね。遊子ちゃんがこっちに来るってさ。今やってる訓練はこれで終わり。日番谷隊長のところに行っておいで」
「遊子が……ってことは、あたしと交代?」
「そういうことだね」
「あたしはともかく、遊子はあんまり怪我させないでよ」
「誰に言ってるんだい? 心得てるよ、それくらい」
弓親は呆れたようにため息をつき、それから言い聞かす口調でこう続けた。
「言っておくけど、君だって女なんだよ。それを自分で忘れないで」
「わかってるよ、そんなの」
「なら、顔に傷を作るんじゃないよ」
言いながら夏梨の頬にある治りかけの傷を指先で突いて、弓親は促すように夏梨の背を押した。
***
(女は成長が早い)
それを思い知ったのは、ずっと昔のことのような気がする。
姉弟のように育った幼なじみが霊術院に入り、まだそれをただ見ていた頃。目標を見つけたらしい彼女は、ぐんぐんと大人に近づいていくのがわかった。それが単純に、目標に対する憧れだけの思いだったのか。今となっては問うことを躊躇うけれども。
今、同じことを日番谷は傍らで眠る少女に感じていた。
黒崎夏梨、十三歳。
知り合ったのは彼女が十一のとき。そのときは、彼女がまさか死神になるとは思ってもみなかった。おそらくは、夏梨も思っていなかったに違いない。
けれど死神たちにとって、そして彼女にとって運命を左右するあの『戦争』が全てを変えた。
あれを境に夏梨の兄、黒崎一護は自分の生まれを知り、正式な死神となることを決めた。
そして妹である夏梨らも、その出生の秘密を知ることになった。――すなわち、生まれながらにして既に逃れようなく死神化していたという、その現実を。
「……う……」
意識のない夏梨が呻く。一見眠っているその表情は、決して安らかなものではなかった。それもそのはずだ。彼女はただ眠っているわけではない。
そもそもここは双極の丘の地下にある演習場であり、岩肌や地面が剥き出しだ。誰がそんなところで寝ようと思うものか。
夏梨は今、自分の精神世界に入っているのだ。
死神の力を自覚した遊子と夏梨は、訓練を受けることになった。正式に死神になるにせよならぬにせよ、遺伝的に強力な力は制御できねばならなかったからだ。
そして主な指導役としてそれぞれ能力の性質に合った隊長格の指導者がつくことになり、夏梨には日番谷が、遊子には卯ノ花が適当とされた。
――そうして訓練が始まってかれこれふた月。二人の成長は目覚ましい。
だが、力が目覚めたまま隠された年月が長かったせいか、夏梨も遊子も自身の精神世界の混乱が著しかった。
それゆえ、混乱が特に酷い夏梨に、日番谷はいつも訓練を始める前、精神世界の整理に当たらせている。ゆえに精神世界に入る最も簡易な方法として、今夏梨は眠っているのだ。
だが、横たえているその体がぴくりと震える。それを日番谷が見て取った瞬間だった。
「――わあっ!!」
不意に夏梨は叫んでがばっと体を跳ね起こす。それを予想していた日番谷は、驚くこともなかった。
「……いつも言うが、もう少し静かに起きられねえのか」
「う、うっさい! ピエロに追いかけられたら結構怖いんだよっ」
「今日はピエロか。つくづく、お前の精神世界はどうなってんだ」
呆れたように言いながら、日番谷はすいと夏梨の目尻に手を伸ばす。そして指でそこに流れていた涙を拭ってやると、夏梨はばつが悪そうに身を引いた。
「こ……怖くて泣いたんじゃないんだからな。これは精神世界の混乱の副作用みたいなもんでっ」
「毎度言わなくてもわかってる。……とは言え、本当に泣き虫だよな。端から見れば」
「泣いてない! ていうか見るのあんただけなんだからいいの!」
もうやだこれ、と言いながら夏梨はごしごしと目元を拭う。普段滅多に泣かない彼女は、生理的にでも泣くことに多大な抵抗があるようだった。
精神世界の不安定さからか、目覚めると必ず彼女は泣く。
実のところ日番谷も夏梨が泣くことに慣れたわけではないが、何食わぬ素振りをしてやることはできるようになった。
「い……一兄とか、誰にも言わないでよ」
「それもわかってる。今日は松本も来るぞ。隠したいならさっさと顔かせ」
目元を押さえたままの夏梨の手を払い、日番谷は彼女の両目を自身の片手で覆う。
視覚は最も多くの情報を得る。それは精神世界でも同じくで、それが混乱すればするほど混沌は深まる。だから日番谷はいつも、夢との境界をつけてやるためにこうしてリセットさせていた。視覚を他人が遮断してやることで、意識が完全に夢から抜ける。
「……落ち着いたか」
「……うん、ありがと」
息とともに礼を言った夏梨は、まだ少し赤い目をしていた。日番谷はそれを意識的に避けるように視線をずらす。しかしそれに気づかなかったらしい夏梨は、日番谷の正面の位置から隣へ座り直してため息をついた。
「何か、やだなあ……こういう女々しいの」
言われたんだよね、と夏梨は呟く。
「女ってこと忘れるなって、弓親さんがさ。……でも、あたしにそういうの、似合わないよ」
しかし、そう言いながらどこか所在なさ気に膝を抱える夏梨からは、仕草も表情も男にはない柔らかさが見て取れる。
「……似合う似合わないの問題じゃねえだろ。お前は女だ」
「わかってるよ。けどあたしは素直に守られてるだけの女じゃないから。……あんたには、守ってもらってばっかだけど――なめんなよ?」
「別に俺は、女を軽んじてるわけじゃない」
むしろ女のしたたかさには舌を巻くほどだ。副官の乱菊しかり、幼なじみの雛森しかり。そして今隣にいる夏梨にも、それを感じている。
紛れも無く本心であったのだけれど、まだ夏梨は不満そうに日番谷が膝の横に置いていた手を持ち上げた。
「……何で身長変わらないのに、男女で手の大きさ違うんだろ。男ってせこくない?」
「それは俺のせいなのか?」
「違うけど。でもずるい」
「あのな」
「だって、あんたに頼ってばっかなんだもん」
そう言って日番谷の手を離す。しかし夏梨の手を日番谷はため息まじりに捕まえ直した。
夏梨がきょとんとして日番谷を見返す。だが日番谷はしばらく何も言わずに掴んだ小さな手を見つめていた。
頭の中で、乱菊が言った言葉が過ぎる。
(誰かに捕られる、か)
確かに、この手を捕らえるのは誰であっても容易なことかもしれない。危険さえなければ、日番谷はそれを遮る気もない。なぜなら、そんな権利は持ち得ていないのだ。――けれども。
「冬獅郎?」
訝しげな表情で、躊躇うことなく日番谷の名を呼ぶ夏梨の声は不快ではない。
「……ずるいのは、お互い様だ」
捕まえた手と、少しだけ触れ合った肩が暖かい。
そういえば最初から、夏梨に触れられることに抵抗がなかった。基本的に触れられることは得意でないのに。
「お前の霊圧は、安心する」
できるなら離したくない、というのは口にはせずに、日番谷はしばらく手を掴んだままでいた。
[2010.04.28 初出 高宮圭]