MEMOLOG*プチお遊び企画SS

「それが恋だよ」


※黒崎家が普通に死神です。よって色々捏造設定。
(黒崎家+他)

「夏梨ちゃんのバカ!!」
 遊子の涙声が聞こえたのは、連休とあって一護が家に帰って来ていたそのときだった。
 一護が何事かと居間を覗けば、力一杯伝令神機を机に置いた遊子がぼろぼろ泣いている。昔から泣き虫な遊子だったが、歳を重ねるにつれ少しずつ泣かなくなっていた。一瞬ぎょっとしたが、先程聞こえた声と合わせて、何となく事情を察する。
「遊子」
「お兄ちゃん……」
 一護に気づいた遊子は、更に顔をくしゃくしゃにした。その頭を、ぽんぽんと撫でてやる。
「夏梨、どうしても帰れないって?」
「うん……お仕事、終わらないんだって」
「しょうがねえだろ、あいつんとこの隊は今、何だかんだで忙しいんだ」
「わかってるけど……お兄ちゃんは副隊長で帰って来れてるのに、席官の夏梨ちゃんが何で帰って来れないの?」
「そりゃまあ……うちの場合隊長が体弱いからな。残務を他の隊が結構引き受けてくれたりで……」
「……半分くらい、十番隊?」
 泣いていた遊子の声のトーンが、幾分か下がる。夏梨の所属は十番隊だ。失言に気づいたときには遅かった。
「いや、その――」
「もういいっ! お兄ちゃんなんか知らない!」
 足音も荒く自室へ走り去った遊子を、一護は自分に対するため息で見送った。

***

「ねぇ、知ってる? さくらんぼのじくの話。さくらんぼのじくを口の中で上手く結べる人はキスが上手いんだって」
 唐突にそんなことを言い出した乱菊に、夏梨は思わず半眼になった。
「乱菊さん、仕事しようよ……」
「まあまあいいから。黒崎三席、あたしの話を聞くこと! これ副隊長命令ね」
「何がいいんだ。隊長の前で堂々と職権乱用するんじゃねえ、松本」
 いつにも増して低い声で注意されて、乱菊は不満そうに日番谷を見た。
 十番隊・隊首室。世間は連休と賑わう頃だが、生憎そこに休みはなかった。
「だーって昨日から連休なんですよ、連休! なのにこんなに仕事漬けじゃ、気力持ちませんって。休憩希望!」
「お前の分がさっきから減ってないのは気のせいか」
「気のせいです」
 堂々と言い切った乱菊に、もう日番谷は注意することを放棄してため息に変えた。そして乱菊の向かいの席でほぼ機械的に仕分け作業をしている夏梨に目を向ける。
 やがてその視線を外し、しばらくの間を挟んでから日番谷は口を開いた。
「……今日一日だけでいい。明日からここも休みだ」
「え」
 その宣言に、乱菊と夏梨は全く同時に顔を上げた。日番谷は続ける。
「急ぎの分は今日で終えられるはずだ。終わったら、帰っていい」
「急ぎのって、今ある分ですよね? この目の前の」
「ああ。――休憩、するか?」
 答えのわかりきった問いに、乱菊は満面の笑みで首を横に振った。
「まさかぁ! さあ、バリバリ仕事するわよっ!」


 かくして、やる気を出した乱菊のおかげか地道な努力の賜物か、急ぎの分は昼過ぎに片付いた。
 乱菊は終わるなり嬉しそうに帰って行って、夏梨もそれに続くように帰郷への道を急いでいた。
 今朝、連休は帰れそうにないと家へ連絡したばかりだ。遊子は怒っていたが、あのあと泣いたに違いない。お母さんか一兄が宥めててくれるかな、と期待しているけれど、あれで遊子も頑固だ。
 遊子は死神にはなっていない。霊術院に入るまではいつも一緒だったけれど、今では長休みのときにしか会えなくなった。
(死神になってから、ますます帰れなくなっちゃったし)
 けれど家族に会いたいのは、夏梨も同じだ。
「――ただいま!」
 馴染みの家に叫びかけると、一拍空けて、ものすごい勢いで足音が近づいて来た。そしてその足音の主は夏梨を認識するや、がばっと夏梨に抱き着く。
「何で、なんでいるの? あたし怒ってるんだからね! 夏梨ちゃんなんか知らないんだから! でも……でも、おかえりっ!!」
「うん、久しぶり。……言ってること、何か無茶苦茶だよ? 遊子」
 抱き着かれた体勢のまま玄関先で再会を果たしていると、奥から兄を始めとして家族が顔を出した。
 それぞれに軽く挨拶する。父親の一心が遊子と同じく抱き着いて来ようとして足一本で撃退し、母親の真咲が遊子と夏梨まとめて抱きしめたのははにかみながら受け入れた。
 真咲は悪戯っぽくこう話す。
「もう、今朝から大変だったのよ。遊子が怒って泣いて一護までたじたじにしちゃって。ねえ、一護?」
「お、俺はたじたじになんか!」
「あー、仕方ないよ、一兄女の子にはヘタレだもん」
「確かにそうねえ。そういうとこお父さんにそっくりなんだから」
「違う! 俺は真咲にだけヘタレなんだッ!!」
 恥ずかしげもなく言い切った一心を、真咲は爽やかな笑顔で「はいはい」と流す。いつものことである。
 ひとしきり騒いでから、一家は居間へと移動した。
 全員が揃ったとあって、今朝不機嫌だった遊子もすっかり笑顔だ。その遊子を、夏梨はからかうように覗き込む。
「で、泣き虫遊子の機嫌は治った?」
「な、泣いてないよ! 怒ってただけだもんっ」
「ふうん? 一兄もたじたじなほど怒ってたわけだ」
「あれはお兄ちゃんの説得が下手だったの!」
 すっぱり言われた一護が、声もなくショックを受けている。昔はお兄ちゃんっ子だった遊子だが、年頃になってきた最近はようやく兄離れしてきたらしい。
「今だってちょっと怒ってるんだよ。……夏梨ちゃん、忘れてるでしょ。前に次の休みは冬獅郎くん連れて来るって言ってたのに」
「……言ってたっけ。バタバタしててそれどころじゃなくてさ。ごめん」
「だーめ! ちゃんと機嫌取らなきゃ治らないよ」
 わざとらしくぷいと顔を背けて見せる遊子に、夏梨は可笑しそうに笑った。そして同じくわざとらしい動作で、遊子の手を取る。
「――不機嫌な顔も嫌いじゃないけど、笑ってよ。あたし、笑ってる遊子のほうが好きだ」
 そう囁いて、悪戯っぽく笑った。
「これでどう?」
「うーん、仕方ないなあ……許してあげる」
 そんなやりとりをしてから少し間を置いて、二人は楽しそうに声をあげて笑った。
 楽しげな娘二人を微笑ましく見ながら、真咲は隣の一護の肩を叩く。
「年頃の女の子は難しいのよ、落ち込むなヘタレお兄ちゃん」
「励ますかけなすか、どっちか一つにしてくれ、おふくろ……」
 深々とため息をついて肩を落とした一護は、どことなく遠い目で呟いた。

「どうせどうせ、俺は駄目な兄貴だよ……」

 賑やかな家族水入らずの休日は平和に過ぎる。
 ――問題が起きたのは、連休最終日の早朝のことだった。


++++++


 まだ夜が明けて間もない頃、夏梨は枕元で鳴った伝令神機に起こされた。
 寝ぼけた頭のまま、それでも慌てて引っつかんだのは同室で眠る家族たちがいたからだ。それぞれ部屋はあるのだが、昨夜は騒いだ後、そのまま成り行きで雑魚寝することになった。
 こんな時間から誰だと思いつつも、着信と表示された名前に一気に目が覚めた。
「――もしもし」
 慌てて布団を飛び出し、部屋を出る。
『夏梨か。……こんな時間に悪い』
 伝令神機の向こうから聞こえて来たのは、霊術院来の付き合いで現上司でもある日番谷冬獅郎の声だった。
 夏梨はなるだけ声を抑えて話す。
「いいよ、冬獅郎だし。それより、何かあった?」
 彼は極めて常識人だ。普通ならば、こんな時間にかけてくるはずがない。そう確信しての問いに、日番谷はどこか気まずそうに、けれど硬い声で答えた。
『ばあちゃんが、倒れた』
 ――話によると、日番谷もまた祖母の元へ帰郷していた。昨日までは何事もなく過ごしていたらしいのだが、今朝目が覚めると何か様子がおかしく、苦しがっていると言う。
『近場の医者は今いねえ。かと言って、鬼道でどうにかできるもんじゃなさそうだ。雛森もいるが、手の施しようがない』
「それであたしに電話したってわけか、納得。――すぐ対応する。繋いだまま待ってて」
 言うや、夏梨は今度は遠慮なしに家族の眠る部屋の戸を開けた。朝日が一気に差し込んで、一護と遊子が飛び起きる。一心と真咲は既に身を起こしていた。
 そこに夏梨は声を張る。
「西流魂街・潤林安で急患! 親父、行けるよね」
 その確認に、一心は立ち上がって胸を叩いた。
「当たり前だろ。医者は副業だが、俺の腕はピカ一だ! 真咲、一護、遊子、準備しろ! 五分後に出るぞ」
「五分じゃあ遅いわよ。三分で行きましょ。一護、遊子と夏梨お願い。夏梨はそのまま対応伝えて。あなた、急患用のセット持って」
 一気に慌ただしくなった室内で、既に各自支度はしている。夏梨も肩に伝令神機を挟んで準備を進めた。
「親父と一兄の瞬歩で行く。冬獅郎、合図で霊圧上げて。一応おばあちゃんから離れてね。今から親父に代わる。おばあちゃんの容態、詳しく言って」
 伝えて一心に伝令神機を渡す。その間で一気に着替えた。
 そして一心が容態を聞いて持ち物を細かく指示するのを揃える。
 次に伝令神機が夏梨に返された瞬間、夏梨は遊子共々一護に掴まった状態で合図を出した。
「霊圧、上げて!」
 瞬間、空気が震える。それ目掛けて、妹たちを連れた一護と真咲を連れた一心は姿を消した。


 日番谷が夏梨に電話をかけて十五分足らず。黒崎一家は目的地に辿り着いた。
 夏梨は一護から離れるや、今度は自分で瞬歩を使って家の外で霊圧を放つ人影の腕を引いた。
「冬獅郎!! ストップ!」
「か、りん……」
 振り向いた日番谷が驚いた顔で見返すのに、夏梨は安心させるように微笑んで、その霊圧を止めさせる。
「もういいよ、来たから。おばあちゃんのとこ、行こう」
 そう腕を引いて、一足早く家に入っていた一行に追いついた。
「あ、シロちゃ……」
 中では半泣きになった雛森が、真咲に宥められていた。真咲は日番谷に気づくと、朗らかに笑う。
「あなたも、よく頑張ったわね。もう大丈夫よ。あとは私たちに任せておいて」
「ばあちゃんは……」
 いつもとは違う心許ない問いには一護が答えた。
「心配すんな、今親父が処置してる。遊子、血圧は」
「やっぱりちょっと低い。夏梨ちゃん、カルテお願い」
「了解。お母さん、血液検査は?」
「一応やっておきましょ。結果は後日になっちゃうけど」
 黒崎家はてきぱきと手際よく処置を進め、しばらくした後、黙って診察していた一心が日番谷たちを振り向いた。
「――よし、もう大丈夫だろう。このまま点滴して、安静にしてれば心配ない」
「よかったぁ……」
 一心の言葉に雛森が涙声で呟いて、祖母の側に座り込む。
 それに遊子や一護と顔を見合わせて微笑んで、夏梨は後ろを振り返った。
「ほら、冬獅郎」
 夏梨は祖母を見つめたまま動きを止めた日番谷の背をぽんと叩く。
「もう大丈夫だよ。おばあちゃんに顔見せたげたら」
 するとようやく日番谷は我に返った様子で、祖母の側に行く。そして、ばあちゃん、と呼びかけて、安堵したように深く息を吐いた。
 隣の雛森も嬉しそうに微笑んだ。
「よかったね、シロちゃん。……みなさん、本当にありがとうございました」
 一心たちに向かって、雛森は深く頭を下げた。
「ありがとう、ございました」
 そして日番谷もまた、頭を下げた。

 慌ただしい朝は過ぎ、穏やかな太陽が真上に昇る頃、黒崎家は西流魂街を後にした。


++++++


『その後どう? 冬獅郎くんのおばあちゃん』
「うん、今はすっかり元気だってさ。お礼言いたいからあたしだけでも連れて来いって言ってるらしいよ」
 伝令神機ごしに、もう言って貰ったのにね、と遊子が笑う。
『じゃあ、そのうち行くの? 冬獅郎くんのおばあちゃんのところ』
「うん。ていうか、このあと。今待ち合わせ場所いるんだ。明日休みだし、行ったらそのまま一回うち帰るよ」
『え、ホント? 冬獅郎くんは?』
「連れて行くわけないでしょ、桃ちゃんもいるんだから」
 すると途端に遊子の声がにやにやしたものになる。表情を見ているわけでもないのに、それがわかった。
『そうなんだ。……複雑だね? 夏梨ちゃん』
「何が……」
 含みを感じた夏梨は、苦手な展開にならぬよう気をつけて返事をする。
『あたしはあんまり知らないけど、幼なじみなんでしょ? あの二人』
「うん。姉弟みたいに育ったんだって。桃ちゃんくらいだよ、冬獅郎をシロちゃんなんて呼べるの」
『羨ましい?』
「……ていうか、すごいなって思う。あたしとは違う絆みたいなのがあって、それはすごく強いから。きっとそれが冬獅郎を支えてるんだ」
『夏梨ちゃんだって、そばにいるじゃない』
「あたしは、戦友の一人みたいなもんだよ。あたしがいなくてもあいつは大丈夫だ」
『……夏梨ちゃんは、それでいいの?』
 遊子の問いに、夏梨は苦笑した。
「あたしは、あいつの力になれればそれでいいよ。……桃ちゃんみたいには、なれないもん」
 そう口にすると、何か形容しがたいもやもやしたものが胸に広がった気がする。けれど気のせいだと流すことにして、夏梨は膝を抱えた。
 すると遊子が、困ったような息をついた。そしてしばらくの間を挟んで、柔らかい声で言う。
『ねえ夏梨ちゃん、いつまでも気づかないふりしてちゃだめだよ』
「え……」
『今までそんなふうに誰か一人の力になりたいって、思ったことある?』
 その質問で、何となく遊子の意図は読めた。だが、だからこそはぐらかすように、けれど即答で答える。
「一兄」
『……こういうとき、双子だなーって思うよ、あたし。そうじゃなくてね! んもう、わかってるんじゃないの?』
 じれったそうに遊子がため息をつくのに、夏梨は可笑しそうに笑う。
「ごめん。……でもホント、遊子が思ってるような気持ちじゃないよ」
 例えばね、と夏梨は伝令神機を持ち替え様に時間を確認した。まだ日番谷たちとの待ち合わせまで時間はある。来るまで話していてもいいだろう。
「運命の赤い糸の話、知ってるでしょ。何かの本で読んだんだけど、あれって一人とは限らないんだって。繋がってる人も、恋人とかそういうのに限定されない。親友とか、ライバルとか、色んな意味の運命の人と繋がってるらしいんだ。
 ……その話を信じるわけじゃないけどさ。あたしはあいつと会って、色々変われた気がするから。
 だから、もし本当にあたしにも赤い糸が色々繋がってるんだとしたら、その中の一本でいいんだ。何の意味でもいいから、その相手は冬獅郎がいいなって。……あいつに取っても意味のある出会いだったらいいって、そういう気持ち」
 何か違う気もするけど、と言葉を探り探り言えば、しばらく遊子の反応がなかった。
 しかし、首を傾げるほどの間を挟んで、ようやく遊子が応える。
『……何から言っていいかわかんないけど、うん……――残念ながら夏梨ちゃん、それが恋だよ?』
「は」
『普通、何とも思ってない相手によりによって赤い糸の例えしないもん』
「いや、だからそれは――」
『冬獅郎くんにはこないだと前と二回会っただけだけど、話聞く限りいい人だよね。……でも、いくら冬獅郎くんでも、夏梨ちゃん泣かせたら許さないから!』
「おいこら、遊子ってば! あたしは別に冬獅郎のことなんかっ」
 勝手に盛り上がる双子の片割れに怒鳴ったその次の瞬間だった。
「――俺が何だって?」
「わあああっ!!!」
 唐突に背中にかけられた声に、夏梨はほとんど文字通り飛び上がった。そして驚きついでに伝令神機を握り込んで通信を切ってしまう。それに気づいて、ばっと後ろを振り返った。
「ばっバカ!! 急に出てくんな、通信切っちゃったじゃんか!!」
「お前が勝手に驚いたんだろうが。……かけ直すか?」
「いや、もういいけどさ……。ところで、あの、いつからいたの?」
 割と色々言っていた気がするから、おそるおそる尋ねる。もし赤い糸のくだりを聞かれていたら逃げ出そうと心に決めて。
 だが日番谷は訝しそうな顔で答えた。
「ついさっきだ。お前が人の名前呼んだから、聞いたんだろうが」
 その回答に、「そ、そっか」と返しつつ夏梨は内心で盛大に安心していた。こっそりため息をついて、気を落ち着かせる。
「……あれ、桃ちゃんは?」
 落ち着いてから改めて日番谷を見て、一緒に行くと聞いていた雛森の姿がないことに気がついた。
「先にばあちゃんに知らせに行った。俺が行ってもよかったんだが、良くも悪くも俺は目立つからな」
 足止め食らっちゃ面倒だ、と日番谷は厭味でもなく言う。そして、踵を返した。その後に夏梨も続く。
「にしても、お礼なんかいいのに。うちは一応医者やってるんだからさ。……近所の人と他小数しか知らないけど」
「だったら診察料くらい受け取ってくれ」
「出張料だけもらったじゃん。あとは友情料金。辺鄙でモグリなクロサキ医院を思い出してくれたお礼ってことでさ。……にしてもほんと、よく覚えてたよね。うちが医者なんて話、だいぶ前にした気がするのに」
 隣に並んでこだわりなくそう言うと、日番谷はどこか気まずそうに視線をそらした。そして、ぼそりと呟く。
「……連絡したときは、忘れてた」
「え」
「お前が動いてくれて、それでようやく思い出したんだ」
「……じゃあ、なんで」
 忘れていたと言うなら、わざわざ夏梨を選んで連絡した意図がわからない。
 きょとんとする夏梨に、日番谷は幾分ぶっきらぼうに言った。
「誰かと思ったときに一番に思いついたのが、お前だったんだよ」
 その言葉に、思わず夏梨は足を止めた。気づいた日番谷も少し先で止まる。
「……なんで、あたし?」
 内心、動揺を全力で押し殺した硬い声で夏梨は返す。すると日番谷は、視線を微妙にそらしたままで答えた。
「俺だって、自分で驚いた。けど――俺はどこかで、お前は俺の側にいるもんだと思ってるらしい。今までも、これからも」
 日番谷が言ったことを理解するのに、夏梨はたっぷりな時間を要した。だが理解しつくす前に、日番谷が「行くぞ」と歩き出してしまう。
 その背中がいつもより早く遠のきかけて、とりあえず慌てて夏梨は日番谷に追いついた。
「ちょっと待ってよ! い、言い逃げってなくない!? ていうか理解が追いつかない!」
「てめえもさっき似たようなことしただろうが」
「何の話だよ?」
「糸の話」
 一瞬間を置いて、夏梨は真っ赤になった。――糸と聞いて、思い当たるのはあれしかない。
「きっ聞いてたの!?」
「聞こえたんだ」
「聞かなかったことにして!」
「じゃあお前もそうしろ」
「無理だってばっ」
「なら俺も無理だ」

 などと不毛なやりとりをしながら、二人はお互いの無自覚を自覚した。

[2010.05.02 初出 高宮圭]