「あれ、何してんだよ、冬獅郎」
一護は立ち寄ったスーパーで顔見知りを見つけてきょとんとした声をかけた。
「日番谷隊長だ。……黒崎か」
ほとんど反射のように日番谷が訂正する。
日番谷は惣菜のコーナーで(いつものことではあるけれども)眉間に皺を寄せて、商品を見ていた。半ば睨んでいるように見えなくもない。
スーパーの惣菜と日番谷。
何ともミスマッチな組み合わせに見えるが、とりあえずそれは言わないでおいた。
「……晩飯の確保だ。お前は?」
日番谷は何故か疲れたような息をついて言う。一護はそれを訝しく思いつつも、買い物カゴと小さなメモを示した。
「俺も晩飯の材料の買い出しだ」
答えて、ふと疑問を覚える。
「あれ、お前確か井上の家にいるんだろ? 乱菊さんは毎日美味いメシが出るっつってた気がするんだが」
尸魂界から派遣された日番谷先遣隊は、どうやらそれぞれ宿を確保している。恋次は浦原商店、日番谷、乱菊は織姫宅、ルキアは当たり前のように黒崎家にいるし、一角と弓親もどこかに居候しているらしい。
ならば晩御飯を惣菜で確保するなどしなくていいはずだ。特に織姫は今までずっと一人暮らしでやってきているから、手料理が食べられると乱菊が言っていたのを知っている。
だがその問いに日番谷はあからさまにげんなりした――むしろいっそ青い顔になった。
「ど……どうしたんだ……?」
一護は思わずぎょっとして、頭痛を堪えるように額を押さえた日番谷を見る。
「いや……まあ、確かにメシは出る。だが、何だ……あいつらの味覚は宇宙人並でな」
「う、宇宙人……?」
「俺にはどうしても、味噌汁にプリンとあんこと生クリームと魚のお頭が入ってるのを美味いとは思えねえ」
「……」
思わず沈黙した。ついでに想像もしてみた。――できなかった。
とりあえず、胸焼け程度では済みそうにない。
「……まさかそれ、毎日?」
おそるおそる訊ねると、日番谷が重々しく頷く。
一護は何も言えなくなった。日番谷のことだ。そんなメニューでも全て食べていたに違いないことは想像できる。つくづく苦労性な性格だ。
「――冬獅郎」
ため息をついた日番谷の肩を、一護は掴んだ。
ここまで聞いて、あっそう頑張れと言って帰れはしない。
「何なら今日、ウチ来るか?」
一護のその一言で、日番谷先遣隊の面々は黒崎家への招待を受けることとなった。
ピンポーン、と平和なチャイムが鳴って、一護は玄関を開けた。そしてげんなりした。
「……俺が誘ったのは冬獅郎だけだったつもりなんだが」
玄関先には、日番谷先遣隊の面々が集結していた。
スーパーで一護の誘いを受けてから日番谷は、一旦帰ると言って一護と別れた。そして今やってきて、この現状である。
先頭の日番谷は、もうあきらめきったような顔でいた。
「……悪いな、黒崎」
「いや、まあ……予想はしてたからいいけどさ」
なんとなくこうなるような気はしていた。一応材料を多めに買って帰ってよかったと一護はため息をつく。
「ホラホラ、固いこと言わない言わない! 朽木からあんたのとこのご飯が絶品だってのは聞いてるんだからね!」
ずいと乱菊が前に出てきて、何故か胸を張る。
「せっかく頂けると言うなら、貰っとく主義なんでね」
「一人も五人も同じだろ」
「つーか腹減ったんだよ、入れろ」
弓親、一角、恋次も遠慮という言葉を知らないらしい。ついでに言うと一人と五人はえらく違う。
「なんでお前らそんな偉そうなんだよ……」
一護は弱弱しく突っ込んで、とりあえず五人を家に招きいれた。
「おお、日番谷隊長たちが来られたのだな!」
人数が人数なので、とりあえず一護の自室に通して、晩御飯の完成を待ってもらうことにした。
一護の部屋にいたルキアは、やって来た面々を見て立ち上がる。
その様子を見ながら自身も部屋に入った一護は口を開いた。
「まだできてねえから、ここでしばらく待っててくれ。十分もしねえうちに呼びに来ると思う」
「りょうかーい。……ってそう言えば、一護の家って誰がご飯作ってるの?」
「あ? ああ……家事全般はみんな遊子……妹がやってる。最近は夏梨も一緒にやってるみたいだけどな」
これにきょとんとしたのは恋次と一角、弓親だった。
「お前、妹いるのかよ?」
「ああ。言ってなかったか? まだ小学生だけどな。遊子と夏梨。双子だ」
双子、というのに反応したのは乱菊だ。
「双子? じゃああたしが知ってるのって一人だけなのね」
「は? 乱菊さん、知ってんのかよ?」
乱菊はあっさり頷いて、黒髪の、と記憶を探るように言う。
一護は首を傾げながらも「それなら」と答えた。
「夏梨のほうだな。……まああいつは俺に似て霊力強いから、死神も見えるみたいだし」
呟いて一護は言葉を濁す。夏梨に死神のことを問われたことを思い出した。
――『あたし、知ってるんだ。一兄が死神だってこと!』
あのときは破面の出現のせいでうやむやになった。だがあれきり、夏梨は再び訊ねようとはしてこない。あくまでいつも通りに一護に接する。
だから一護はそれに甘えて、何もなかったかのように振舞っていた。
このままではだめだろうとは思う。けれど何をどうしていいか、よくわからなかった。
「おにいちゃーん! ごはんですよー!」
明るい遊子の声が一階からかかったのは、日番谷たちが来てからちょうど十分ほど経った頃だった。
とりあえず思考は置いておいて、一護は座っていた椅子から立ち上がる。
「じゃあ、行くか」
***
「いらっしゃいませっ」
リビングに入った日番谷たちを可愛らしい笑顔で迎えたのは、ショートカットで茶髪の子供だった。エプロンを付けているところを見ると、家事全般をやっている妹はこちららしい。
「おう、遊子。悪いな、急で」
一護が声をかけると、遊子は明るく返した。
「大丈夫だよ、夏梨ちゃんも手伝ってくれたし」
「そういや、夏梨は?」
「お父さん呼びに行ったよ。ちょっと遅いから、カルテ整理手伝ってるのかも……。あっお客さんたち、こっちでーすっ」
入り口付近に立ち止まりっ放しだった日番谷たちを、遊子は食事の用意されたテーブルのほうへ案内した。
ずらりと並んだ食事に、乱菊が歓声をあげる。
「きゃあっ、すっごーい! これ、全部あなたが作ったの?」
「えへへー。あたしだけじゃなくて、夏梨ちゃんも一緒だよ。品数増やしたからちょっと時間かかっちゃったけど……全部カロリー控えめだから、たくさん食べてね!」
「遊子ちゃんだっけ? あなた絶対いいお嫁さんになれるわ! あ、あたしは松本乱菊って言うの。よろしくね」
「よろしくお願いします! ……あれ? お兄ちゃんのお友達って、ちっちゃい子もいたんだね!」
ふと遊子が乱菊の後方にいた日番谷に気づいて声をあげる。
小さい、辺りで日番谷の眉間の皺が増えたが、遊子は気づかない。
「小さい言うな。日番谷冬獅郎だ」
正面に回り込んだ遊子に、日番谷は低い声で名乗る。
遊子はぱあっと笑った。
「冬獅郎くんだね! かっこいい名前! あたし遊子。今日は遠慮しないでいっぱい食べてねっ」
にこにこ笑って遊子は眉間に皺を寄せたままの日番谷の腕を引くとテーブルにつくよう促す。いつも遊子が座っている隣の席だ。
どうやら遊子は日番谷を一目で気に入ったらしかった。
一護はそれに若干釈然としない気分を覚えながらも、自分もテーブルのいつもの席につく。「お前らも好きに座れよ」と恋次たちにも声をかけた。
早速仲良くなったらしい遊子と乱菊がきゃいきゃいとはしゃいでいるところで、奥から新たに二人が現れた。黒崎家の大黒柱たる一心と、彼を呼びに行っていた夏梨だ。
「ごめん遊子、親父手伝ってたら遅くなった」
「おー! こりゃまた大量だな! 賑やかな食卓は大歓迎だ!」
一心が揃った人数を見て盛大に笑って、よっこらせと席につく。夏梨も遊子の隣に座って、席は埋まった。
「はいっ、じゃあ手を合わせて! いただきまーす!」
遊子の元気な号令に合わせて、賑やかな夕食は始まった。
「てっめえコラ恋次! 肉食いすぎだろ、こっちにも寄越せ!」
「一角さんだって十分食ってるじゃないッスか!」
「ちょっと、僕の肉を取らないでくれないかい」
「うるさいわねえ、あんたたち肉ばっかがっついてないでこっちのサラダ食べなさいよ、絶品よ。ていうかお味噌汁ってこんなに美味しかったかしら。織姫の作るのとはまた味が違うわねえ」
「イヤ乱菊さん、たぶんそれ材料の問題だと……」
食卓は想像通り賑やかなものになった。品数は多いはずなのだが取り合いが勃発し、ほとんど取っ組み合いになりつつある。一心がそれを面白がって煽ったり娘自慢をしてみたりしていたが、今は珍しいことに大人しく席について、一点を見つめていた。
「はいっ冬獅郎くん、あーん!」
「いらねえっつってんだろうが、ていうか何度も言うが日番谷隊長だ!」
「えー、だって何の隊長か教えてくれないじゃない」
「だから、今はこの面子の隊長だって言ってんだろ」
一心が見つめているのは日番谷と遊子のやり取りである。日番谷と反対で遊子の隣にいる夏梨は我関せずとばかりに黙々と食事をしていた。
一心はどうやら遊子に気に入られたらしい日番谷を見ている。――というかもう睨んでいる。
「……まずくないか、一護」
「ああ……」
一護の隣で食べているルキアがぼそりと言う。彼女は日頃から黒崎家で過ごしていることもあり、一心の静けさにいっそ不気味なものさえ感じていた。
「たーいちょう! モテますねえ。遊子ちゃん一目ぼれとかしちゃった?」
「えっ! や、やだ乱菊さんっ!」
からかう口調で日番谷と遊子に絡んだ乱菊に、遊子が顔を真っ赤にしてまんざらでもない反応を返す。
それでどうやら、限界だった。
「遊子――! おとーさんにも構ってくれぇぇっ!!」
一心は派手に飛び上がって、
「うっさい」
――瞬時に殴り飛ばされた。
一心が「ぐふうっ」などと言いながら机とは反対方向の床に激突する。
黒崎家ではいつものことだが、これを初めて目の当たりにする日番谷たちは一瞬静かになった。
「いっ痛いじゃないか夏梨!!」
「そこで暴れられたらあたしのメシが危ないの。あっち行け」
「冷たい! 冷たいぞ夏梨、父さんは悲しいッ!!」
「寄るなヒゲ」
凄まじい勢いで夏梨に詰め寄った一心は再び今度は蹴り飛ばされて壁に沈む。
「もー、お父さん! 突然立ち上がったら汁物こぼれちゃうでしょ! 大丈夫だった? 夏梨ちゃん」
「うん、平気。それより醤油どこ行った?」
遊子と夏梨は全く普通に一心の暴走を受け流す。
それを思わず箸を止めて見ていた日番谷たち招待客一行だったが、恋次が一護にぼそりと訊ねた。
「……いつもなのか?」
と、同時に壁に沈んだ一心が復活して、ちょうど目の前にいた一護に向かって飛びかかってきた。
「ぬおお受けろ八つ当たり一発ゥゥ!!」
「自分で八つ当たり宣言してんじゃねーよ!!」
瞬時に父子の攻防が始まる。
それを横目に見ながら、ルキアが笑った。
「いつものことだ。楽しい家族だろう」
本人たちに自覚はないようだが、なかなか、バイオレンスな家族である。
「あ、醤油見っけ。冬獅郎、取って」
「なんで俺が……」
「一番近い」
端的にしれっと返した夏梨は、渋々動いた日番谷から醤油を受け取る。
「じゃあ夏梨てめえそっちのマヨネーズ取れ」
「サラダにならカロリー控えめのドレッシングのがお勧めだけど」
「どっちでもいい」
「はいはい」
夏梨がドレッシングを取って日番谷に渡す。
それを見た遊子と、向かいの一護がきょとんとした。
「あれ、夏梨お前……」
「冬獅郎くん、夏梨ちゃんと知り合い?」
それに日番谷と夏梨は異口同音で「まあな」とだけ答えた。
そんな淡白な二人に代わって、乱菊が補足する。
「隊長、前にサッカーの助っ人したことあるのよ」
「サッカー?」
「そ。あたしは試合見てないけど……。そのときにあたしとも知り合ったのよね、夏梨ちゃん」
乱菊が夏梨を見て、夏梨が頷く。
一護がぼそっと「聞いてねえぞ」と呟くと、夏梨はあっさり「言ってないもん」と言ってのけた。
我が妹ながらドライだ、と一護は思う。
「えー! その試合あたしも見たかったなあ。言ってくれたら応援に行ったのに」
遊子が残念そうに言うのに、夏梨は少し困ったような顔で「今更言わないでよ」と呟く。
「それに、冬獅郎来てくれるかわかんなかったし。ずっと誘ってたのに結局練習には来なかったしさ」
「本番行ったんだからいいだろ」
「うん、十分だったけど」
あっさり頷いて夏梨は食事を続行する。夏梨としてはそれでその話題を終わらせたつもりだったのだが、遊子はさらに食いついた。
「夏梨ちゃんから誘ったの?」
「まあ……なんかできそうなカオしてるなって」
「わあ! つまりあれだよね、逆ナン!」
「「むぐっ!」」
遊子の突拍子もない台詞にわかりやすくむせたのは一護と一心だった。詰まりかけた食事を慌てて茶で流し込む。
その動作を見ながら、夏梨は呆れ混じりの息をついた。
「遊子……あんたはワイドショーの見すぎ。それかドラマ」
「そんなことないよ。あたしが逆ナン知ったの小説でだもん。知らない? 『私の愛人』シリーズ」
「何それ……」
「とある女の人がいろんな男の人をことごとくオトしてく話!」
「悪いことは言わない、遊子。あんたそれはもうちょっと歳とってから読みな」
小説のタイトルにさらにむせている兄と父を横目に、夏梨は食べながら遊子を止める。だが遊子は引き下がらなかった。
「その話の中にね、あるんだよ! 突然困ったことになったヒロインが、その場しのぎで適当な男の人をナンパしてね。でもこれがまた意外にいい男で、ヒロインはその男の人に片思いするようになるの!」
「ごめんさっぱりどんな状況かわかんない」
「でもでも、実はその男の人は人間じゃなかったの! 男の人はヴァンパイアで、それを知ったヒロインはその人を愛人にするかどうかすっごく悩んで……」
「ヒロイン悩むポイント間違ってるって。愛人持つこと自体に悩めって」
「続きはWEBで!」
「ネット小説かよ!」
全力で突っ込んだ夏梨だったが、まったく遊子は意に介した様子もない。むしろ遊子の隣の日番谷のほうが居心地が悪そうな顔をしていた。
「だからね! このルールに則ると、夏梨ちゃんは今冬獅郎くんに片思いしてるってことになるの!」
「どんなルールだ! ていうか状況違いすぎるし何よりそんなこと言ったら……」
ガタンっ、と勢い良くまた一心が立ち上がる。
「カリーーン!! おとーさんはそんな恋愛認めんぞォォ!!」
「ヒゲがまたうっさくなるでしょうが!!」
また飛びかかってきた一心を椅子の上での回し蹴りで沈めて、夏梨はぜいぜいと肩で息をする。
それから深々と息をつくと、お茶を飲み干して、音を立てて置いた。
「ごちそうさまでした! ったく、くだらないことばっか言わないでよね! あたし先にお風呂貰うよ。……あ、食器は置いといて、あがってきたら一緒に片付けるから」
「えっ夏梨ちゃん、一緒に入ろうよー!」
「い・や!」
「夏梨ー! じゃあ父さん……どフゥッ!!」
「沈め! 地獄まで!!」
夏梨の後にすがった一心は顔面を踏みつけられて床に沈み込む。瞬殺である。
そしてバタン! と勢い良く戸を閉めて夏梨は出て行った。だがその一拍前にちゃんと「お客さん方ごゆっくり」と言い残してもくれた。
一連の事態をぽかんと見守っていた恋次たちは、閉められた戸と、床に沈んだ一心、気を取り直したようにまた日番谷に構い出した遊子を見て、心底と言った様子で呟いた。
「一護……てめえの妹すげえな」
「夏梨ちゃんだっけ、あの子十一番隊でも生きてけるよ、あの蹴りがあれば」
一角と弓親がそう言って、一護は乾いた笑いを返す。
食事を再開しながら、恋次が締めた。
「つーか、お前の家族すげえよ、色んなイミで」
***
肩まで湯船に浸かって、夏梨はふうと息をついた。
風呂場は家の一番奥、リビングからは遠くにある。おかげで静かな空間に、夏梨は少しほっとした。賑やかなのは好きだが、ほどほどでいい。
兄の一護が連れてきた総勢五人は非常に賑やかだった。多分、全員死神だろう。なんとなくそんな気配がわかった。けれど、夏梨は何も言わずにおいた。楽しい雰囲気を壊したくはない。
男がほとんどだからよく食べるし、今日は遊子もいつもよりハイテンションでよく喋っていた。おそらく、『彼』が気に入ったのだろうことはわかりやすいほどわかったけれども。
(それにしても)
突拍子もないことを言ってくれる。
湯船の中で膝を抱えて、口元まで沈む。息を吐くと、ぷくぷくと泡が弾けた。
(片思い、か)
びっくりした。
本当は、今日リビングに入ってテーブルに日番谷の顔を見つけたとき、思わず動きを止めそうになった。けれどどうにか冷静を装って、いつもより黙々とご飯を食べた。遊子が日番谷に構っていることも本当は気になっていたし、話したいこともたくさんあった。
けれど結局、ほとんど逃げるように出てきてしまった。
(遊子が、あんなこと言うから)
びっくりしたのだ。――まるで、心を見透かされたような気がして。
片思い。
そんなこと、とっくに自覚していた。
サッカーの助っ人をしてくれたこと、虚から守ってくれたこと、そのあともたまに様子を見に来てくれること。
――少しずつ少しずつ積み重なって、気づいた。けれど、同時に決して誰にも言わないことにも決めた。
だって彼は死神なのだ。伝えたって迷惑なだけだし、それでどうにかなりたいとも思っていない。
だけど、好きであることをやめようとも、思わない。
(あたしが誰を好きでいようと、あたしの勝手だ)
だから、いいじゃないか。
誰に弁解するわけでもないのに、言い訳するように思う。
膝を抱えた体勢から、湯船の中に思い切り体を伸ばして上を見上げる。
体が熱い。たぶん、湯のせいだ。
その熱さに浮かされたように、ほとんど無意識で口から小さな言葉が滑り出た。
「すき」
全身が熱い。たぶん、湯のせいではなかった。
風呂からあがった夏梨がリビングに戻ると――そこは、何だかもうよくわからない状態になっていた。
「かっりーん!! おとーたんでふよごフッ」
呂律の回っていない一心が突っ込んで来て、それを冷静にかわす。そのまま一心は壁に突っ込んで沈黙した。
「あらー夏梨ちゃんあがっちゃったのーぉ? あたし今から遊子ちゃんとおフロ行こうと思ってたのにぃ!」
乱菊が何やら上機嫌で寄ってきて、手を掴んでやたらハイテンションに回り出す。
夏梨は長身の乱菊に振り回されてふらふらしながら乱菊の顔が赤いのに気づいた。
「うわ、ちょ、乱菊さんっ! って酒くさ! 酔ってんの!?」
「酔ってないわよー! ね、遊子ちゃんっ」
「酔ってなーい!」
こちらもやたらハイテンションの遊子がくっついてくる。明らかに酒に酔っていた。
「だっ誰だよ遊子に酒飲ましたの!?」
「おとーさんだ! ついでに他のみんなも酔ってるぞ!」
「こンのアホヒゲ!!」
壁から復活してきた一心を今度は床に沈めて、乱菊と遊子に振り回されながら周りを確認する。
酔いどれオヤジそのままにどこからか引っ張り出してきたネクタイを頭に巻いて踊っている一角、何がおかしいのかとりあえず笑いまくっている弓親、一護と恋次とルキアはぎゃあぎゃあと大声で喧嘩なのか雑談なのか踊りなのかよくわからない動きをしていた。
「……」
カオス。混沌。
それしか思い浮かばなかった。
おそらく、一心が酒を持ち出して来たのだろう。それは想像できたが、いったいどれだけ飲んだというのか。しかも、夏梨が風呂に入っているたった三十分かそこらの時間でだ。
思わず呆れてされるがままになりかけた夏梨だったが、ずりずりと乱菊と遊子に引きずられかけたところで、ぐいと肩を引かれてその手から解放された。
「うわっ」
唐突すぎてよろけ、引かれた方向へ素直に寄りかかってしまう。
「大丈夫か」
「とっ、冬獅郎?」
肩を引いてくれたのは日番谷だった。慌てて離れると、日番谷はため息をついてやんややんやと言う乱菊と遊子を追い出す。
「おら、風呂行くんだろ、さっさと行け」
「えー冬獅郎くんも一緒に入ろうよぅ」
「断る! というか、日番谷『隊長』だ! さっさと行け!」
バタンッと戸を閉めて、日番谷は疲れきった顔で夏梨を振り向いた。どうやら、彼は正体を保っているらしい。
「全員酔ってんだ」
「み……みたいだね。冬獅郎は飲まなかったの?」
「こうなるだろうってことは経験則で予測してたんでな」
始末する奴がいるだろ、とげんなりした様子でぼやく。
とりあえず避難するか、ということになって、日番谷と夏梨はひとまず二階の客間へ逃げた。ドアを閉めれば、若干は騒音がマシになる。
「とりあえずここなら、鍵かかるから」
「そりゃ、助かる」
酔っ払いは何するかわからない、とぼやく日番谷は外見にそぐわずやたら年寄りに見えた。思わず夏梨が噴き出すと、日番谷がじと目を向ける。
「何笑ってんだ」
「いや、冬獅郎ってホント苦労性だよなって。同情するよ」
「同情する余裕があるなら代われ」
「やだよ」
とりあえず座ろう、と促して夏梨は椅子に、日番谷はベッドに腰掛けた。
「まあ、無事ご飯は食べれたんだろ?」
「ああ。食べ終わってから、お前の親父が酒持ち出して来たんだ」
「やっぱそうか……。ま、あの様子なら片付けは明日の朝だな。それ以前に、乱菊さんたちあれじゃ帰れないだろ」
「……まあ、まず無理だな」
「なら冬獅郎も泊まってけよ。この部屋使っていいから」
あっさり持ち出した夏梨の提案に、日番谷はきょとんとした。
「いいのか?」
「いいよ。あたしは自分の部屋あるし、何ならあとで風呂入ってきていいよ、着替えなら適当に見繕ってあげる」
願ってもない申し出だったのだろう。日番谷は「じゃあ、そうさせてもらう」と頷いた。日番谷一人で正体をなくした大人四人を連れ帰るのは確かに無理な話だ。
気まずくない沈黙を挟みながらぽつぽつと雑談をしばらくしたところで、夏梨は足先の冷えを感じた。そういえば急いで逃げたせいでスリッパをはくのを忘れていた。さりげなく椅子の上で三角座りをしてみたのだが、どうやら聡い日番谷はその動作に気づいてしまったらしい。
「お前、湯冷めするぞ」
「え、平気だよ」
「足冷えたんだろ、つべこべ言ってねえでこっち来い」
そう言って日番谷は自分の座っているベッドを叩く。
「布団があればマシだろ」
「じゃ……じゃあその前に冬獅郎の着替え出しとく」
なんだか無性に焦って、夏梨は立ち上がった。
「おい、今外出たら松本たちが……」
「大丈夫だよ。この部屋ほとんど使わないから、昔の服とかの物置になってるんだ。確かこの押入れの奥に一兄の小さい頃の服あったと思うんだけど」
夏梨は床に座り込んで、ごそごそと押入れを探る。ありがたいことに案外すぐに探し物は見つかって、適当な服を引っ張り出した。
「これでいい?」
「なんでもいい。……お前、冷えるっつってるのにいつまでも裸足で床に座ってんじゃねえよ。ほら」
ひょいと腕を引っ張って立たされて、夏梨はわたわたとバランスを取ろうとする。だが、上手く取れずにまた日番谷に支えられてしまう。
「わ、ごめ……」
すぐに離れようとしたのだが、それは叶わなかった。しっかりと肩を抱え込まれていたからだ。きょとんとして日番谷を見ると、至近距離で日番谷の唇が悪戯っぽく笑うのが見えた。
その途端だ。夏梨の体はひょいと宙に浮いて――日番谷に抱き上げられて、その上、ぺいっと荷物よろしく投げられた。
「ひゃああっ」
夏梨の体はベッドに受け止められて何ともなかったが、唐突に投げられたせいで心臓は一気にうるさくなった。
「なっ何すんだよ!」
「いや、何となく」
ばっと起き上がって抗議すると、日番谷は飄々と言ってのけた。若干楽しそうなのは見間違いではないと思う。
「何となくで人を投げるな!」
腹立ちまぎれに持ったままだった日番谷用の服を投げつけるが、あっさり受け止められてしまう。
「投げれる位置に来たてめえが悪い」
言いながら日番谷はてくてくとベッドまで来て夏梨の隣に腰掛ける。
ちょうどそのとき、階段を上がってくる足音と話し声が聞こえた。どうやら遊子と乱菊、ルキアの声がする。
「風呂、あがってきたみたいだな。上に来るってことは、言わずもがな泊まる気満々ってことか……」
呆れた風情で日番谷が呟いて、夏梨も耳を澄ます。足音は少しずつ遠ざかって、ドアが閉まる音で消えた。
「あたしらの部屋に行ったみたい。よかった、バレなくて」
ほっと胸を撫で下ろした夏梨だったが、ふと日番谷が次に訊ねた言葉に固まった。
「おい、お前の部屋って双子で使ってんのか?」
「え、うん。今はルキアちゃんも一緒だから、ベッド三つ……」
あれ。
自分で言いかけたことにはっとした。遊子、乱菊、ルキア。この三人で定員は満了である。
「……お前の寝るとこは?」
「……いっ一兄の部屋とか……」
瞬間、どたばたと駆け上がる音がして、大音量で一護が「俺は俺の部屋で寝るからな、邪魔すんなよ!」と喚く声がした。
「……埋まったな」
「……」
どうしよう、と夏梨は固まった。だが、さらに日番谷が続けた言葉に耳を疑うことになる。
「じゃあ、ここで寝ろ」
「はっ?」
「このサイズのベッドなら、俺ら二人くらい余裕だろ」
「いやいやいや待てよ冬獅郎、何言ってんの?」
まさか日番谷からそんな言葉が出るとは思っていなかった夏梨は思い切り動揺した。小学生とは言え夏梨は既に日番谷に片思いをしていることを自覚しているし、もうあっさり男子と一緒に寝られるような年齢でもない。
「何だよ。嫌なのか」
「嫌っていうか、そういう問題じゃ……まさか冬獅郎、あんた酔って……」
「誰も飲んでねえとは言ってねえぞ」
しれっと衝撃の事実を告げられて、思わず夏梨はぽかんとした。
「へっ屁理屈! ややこしい言い方すんなバカ!」
「じゃあ、俺より見境なく酔ってるあの連中の中で寝るか?」
「うっ」
それは嫌だ。嫌だけれど日番谷の提案をあっさりも呑めない。――けれども最早逃げ場所もない。
「――ああもう、わかったよ! いいか、明日そんなの忘れてましたギャーとかやめろよ!」
言って、夏梨はぼすっと布団を引っかぶった。もう半分ヤケである。
日番谷はそんな夏梨を微妙に笑った。
「言わねえよ、そんなもん。……じゃ、俺はそろそろ風呂行ってくる。先に寝るなよ」
「なんで!」
「つまんねえだろ」
「あっ……あのなあ!」
ひらひら手を振って、日番谷は何か悠々とした雰囲気と共に出て行った。それをほとんど真っ赤になって見送った夏梨だったが、ドアが閉まると同時にきゅうっと丸くなった。
(なんだよ、あれ!)
変な酔い方をする。普通だと思ったのに、あとで来るタイプなのだろうか。
寝るなよ、と言ったその声を思い出す。寝たくても寝られそうにない。とんでもない勢いで心臓が疾走をやめないのだ。
今日はどうにも心臓に優しくない日だ。唐突に現れるわ、片思いだと本人の前で言われるわ、挙句一緒に寝ることになっている。片思いはおろか誰かを好きになることすら初めての少女にとっては、その相手とこんなことになってしまって、非常によろしくない。
(ああもう、上等じゃねえか!)
ばっと起き上がって、夏梨は日番谷の出て行った、そして戻ってくるそのドアをほとんど睨み付ける。そして、宣言した。
「絶対寝ないぞ!! 寝てやるもんかっ!」
――こうして、心臓に悪い夜は朝へと続く。
開店休業リク二つ目。
佳奈様より「現世にて日番谷先遣隊を黒崎家へ招待でのシチュエーション/夏梨片思い」とのリクエストでした。
ええと……思ったよりはっちゃかめっちゃかな展開になってしまいました……。日夏のシーンより黒崎家フィーバーのほうが長い気がする(←)一心さんがほとんど暴走と吹っ飛ばされ役で非常に申し訳なかったです……大好きですよ!!
何だか微妙にリクからずれてしまった感が否めませんが;少しでも楽しんでいただければ幸いです。
リクエストありがとうございました!
[2009.11.09 初出 高宮圭]