まだ寒さが色濃く残っていた季節。見上げれば真っ白な冬空が広がり、息を吐けば同じ色で吐息を形作るような頃のこと。
夏梨が浦原喜助と四楓院夜一に修行を付けてもらい始めてしばらくたったある日のことだ。
当時、浦原商店でもコタツは健在だった。みかんが山と積まれた冬の象徴とも言えるようなそれにもぐりこんで、そこの店主は怪訝な顔をした夜一と夏梨を食えない笑みで振り返った。
「それでは、今日も今日とて修行を始めましょうか!」
「何言ってんの、あのオッサン」
「どうやらとうとう耄碌したらしいのう。ほれ夏梨、アレは放って勉強部屋にゆくぞ」
「わー! 冗談、冗談ッスよヤダなあもう! ……あっそんな疑いの眼差しで見ることないじゃあないですか、アタシのちょっとしたお茶目だったのに……」
完全に白い目を向けられた浦原はコタツから出てわざとらしい咳などしてみせる。だがどうやらお茶目が微塵も受け入れられていないことを悟ったらしく、大人しく説明を始めた。若干肩が落ちていたのは言うまでもない。
「つまりですね、今日からあの勉強部屋は使いません」
浦原の言う『勉強部屋』は、浦原が一護に修行をつけたときに使用した、店の地下にある巨大な空間のことである。穿界門を繋いだりもした場所だ。今では現世にいる死神の鍛錬場所などに当てられている。そして夏梨もそこでこれまでの修行を受けていた。
「使わないじゃと?」
「はい。あそこを使うには、いろいろと問題がありましたしね。ちょいと場所を変えます」
「問題って、なに?」
夏梨が首を傾げると、浦原はいい質問だと言いたげな笑みを浮かべる。
「秘密を秘密にするのが、あそこじゃちょっと難しいんスよ」
わかるでしょ、と口元を隠すように扇子をぱかりと開いた浦原に、夏梨は彼の言う『秘密』が何かを察した。
夏梨がここにいること――二人に死神になるべく修行を付けてもらっていること。それを秘密にしてくれと頼んだのは他でもない夏梨自身だ。
「……まあ、あそこはちょくちょく一護たちも入って来るしのう。じゃが、場所を変えると言ってもいったいどこに」
「もう準備してありますよ。で、コレが入り口ッス」
と、示されたのがコタツであった。
夏梨と夜一は今度は努力して白い目を向けることを我慢して、代わりに「……は?」と異口同音で呟く。
だが今度は浦原はその反応を嬉しそうに受け入れた。
「ね、そう思うでしょ? それが狙いなんですよ! まさかの入り口、コタツの先にでっかい修行部屋があるなんて思いもしない。つまり逆手を取ったわけッス」
「……つまり、コタツの中に修行部屋があるわけ?」
「今は繋がってませんよ。開錠してやらなきゃ開きません。で、開錠の仕方はアタシたち三人だけのヒミツです」
「確かに、それならバレることはなかろうが……」
「というわけで、その方法を今から教えます。一度で覚えてくださいね、二回は教えませんよ」
――そして。浦原から開錠の説明を聞き終えた夜一は思い切り顔を引きつらせた。
「浦原……お前、その方法は」
「さすが夜一サン。お察しの通り、穿界門開錠の基礎略式ッスよ。だってこの辺でもう新しい空間作るのはムリがあったもんで」
「だからと言って界を越える阿呆がどこにおる……!」
「大丈夫ッスよ、完全に越えてるわけじゃあない。ちょーっと間にちまちまっと作らせてもらっただけッス」
証拠に断界にも繋がりませんよ、と得意げにする様は自分の研究成果が出たことに満足しているようにしか見えない。
夜一は盛大なため息をついて、その隣で夏梨は聞きなれない用語に疑問符を浮かべていた。
「せんかいもん、って?」
「尸魂界とこちらを繋ぐ門のことッスよ。今回使用したのはその門を繋げる基礎の方式です。普通はこんなのいらないんですがね。いかんせん、不法な方法なので」
「不法って……」
「普通は穿界門の先は一定に定められていて、普段は施錠されているものなんです。さっき教えたのは、その先を変える基礎式と口上の式で開錠するのをアタシ流にアレンジした簡単な方法ッス。特に夏梨サンは斬魄刀を持ってないので、しっかりぜーんぶ覚えててくださいよ」
「……ちょっと待って、すぐに頭から飛んでいきそうなんだけど」
教えられた意味のわからない言葉の羅列を頭の中で再生するが、既に怪しい。だが、まあ長くはなかったから、かろうじて記憶には引っかかっている。それをなんとか忘れないように努めて、夏梨は顔を上げた。
「うん……大丈夫」
「いい返事ですね。それじゃ、行きましょうか」
そしてその日、コタツから繋がる新たな修行部屋が開通する運びとなったのだった。
***
ひたすらに、走る。
追って来る足音を聞く。気配を感じる。五感の全てを受身に回す。
地面があれど地面は蹴るな。霊子を蹴れ。飛ぶように、駆ける。
(今日の課題は、三つ)
一つ目、とカウントした瞬間、瞬歩で疾走する夏梨の目の前に障害物が現れた。それはただの藁の巻かれた丸太に見えたが、瞬く間にその姿を虚に変える。その虚が巨大なあぎとを開く前に、夏梨はその背後に一瞬で回りこんだ。そしてその後頭部を強かに得意の蹴りで仕留める。
(二つ目)
次に現れたのは谷だ。狭く切り立った谷の隙間を通り抜けなければならない。しかもこの岩場はランダムに動く。動くだけならまだしも、叩き潰さん勢いで来るからやっかいだ。その速度は、今の夏梨より速いものもある。
霊子で作った足場を頼りに、夏梨はそこに飛び込んだ。そしてタイミングを見極めて、隙間隙間を縫っていく。
「っ!?」
途中、寸でのところでかわした岩場が予想外の動きをした。谷から、岩が独立したのである。
「こんなの、ありかよっ!!」
思わず叫んだが、岩が聞いてくれるはずもない。気を取られているうちになんでもない岩場に足を取られそうになって、さらに独立して動き出した岩が降って来る。慌てて一つを蹴り飛ばして抜け道を作り、抜け出した。
何の防具もなく硬い岩を蹴った足は痛んだが、次に現れた三つ目の課題にぽかんとして、夏梨は一瞬その痛みを忘れた。
「……猫?」
目の前にいたのは、十数匹の黒猫だった。何だか、どこかで見たことがある。
すると猫は、一斉に喋った。
「さて、本物の儂はどれか、わかるかのう?」
言い終わると同時に、猫たちは散り散りになった。ぽかんとしていた夏梨はそれを見送りかけてやっと我に返る。
「当てなければ、終わりは来ぬぞ」
にやりと笑んだであろう声音が、耳を掠めた。
再び駆け出しながら、夏梨は心の中で喚く。
(――わかるわけないだろ!!)
浦原と夜一の修行は、優しさはあれど容赦はない。
そのことは、修行を付け始めてもらった一日目で痛感させられた。
一番初め、体を霊子に変換し、その扱いを教えるために夜一はまず夏梨をこてんぱんにした。
課題はこなせるまで続くし、かと言って口うるさく言うことは少ない。夏梨が自分でなんとかすることを待っている。
勉強を主に見てくれる浦原はよく喋るが、彼も実技になると多くを言わなかった。
夏梨がまず教えられたのは『逃げること』――瞬歩だ。動けなければ機会を狙うことすらできない。
そして次に、鬼道。これは死神の基礎の一つなのだそうだ。兄はさっぱりできないらしいけれど。
彼らはただ、方向を大まかに示してくれる。それをいかに考えて最適を選ぶか、夏梨はその作業が案外、嫌いではなかった。
(サッカーに、似てる)
そう思うことが多々ある。どこにパスを出せばゴールまで一番早く、安全にボールを運べるか。どのルートを選べば包囲網を切り抜けられるか。時に力ずく、時に頭脳戦。ディフェンスの動き、オフェンスの動き。それらを瞬時に把握すること。その次を読むこと。それらを全て完璧に読みきって、ゴールを決めたときの爽快感と言ったら、ない。あれがやみつきになってしまって、夏梨はサッカーをやめられないでここまで来た。
普通の勉強会(と言ってもあの世の勉強なわけだが)の合間、そんな話をしたら、浦原は興味深そうに聞いてこう言った。
「夏梨サンって、どちらかと言うと理数系のほうが得意でしょう」
「え? うん……まあ、国語とかのほうが好きだけど、どっちが得意って言われたら、そうかな」
本は好きだ。けれど成績で言えば、国語より算数のほうがいいことは事実だった。
「囲碁とか将棋とか、そういうのも得意じゃないですか?」
「やったことないよ、オセロなら得意だけど」
家族でオセロ大会をやったとき、夏梨はほとんど負け知らずだった。むきになった一護に負けたこともあるけれども。あれで案外一護も頭がいい。
「おぬしは案外、戦術士向きかもしれんのう」
傍らで話を聞いていた夜一が口を挟む。
「いや、司令官のほうが良いか。その的確な状況把握能力と判断力は、個人戦ばかりの一護には少々乏しい。あやつも頭は良いのじゃが、ほとんどをその勘に任せてしまっておるからのう。的確は的確なのじゃが、危なっかしくて仕方がない」
「ま、夏梨サンもたまーにかっとなってどかーんとやっちゃうときがありますけどね。……ふむ、戦闘スタイルとしては、夏梨サンは日番谷サンに近いかもしれないッスね」
前触れもなく出された名前に、夏梨は思わず過剰反応しそうになった。だがなんとかそれを平常心に隠し切って、浦原を見返す。
「なるほど、あやつも頭はよく動く。が、アレも冷静に見せかけて案外衝動的に動くからのう。見ていて飽きぬが、あれはあれで危なっかしい」
夜一の分析を夏梨は少し意外な心持ちで聞いていたが、日番谷の行動を思い返して、あまり意外でもないかと思い直した。
(……確かに、簡単に挑発には乗ったな)
ということはつまり、自分も十分子供っぽくて危なっかしいということか。
少しふててそう考えたが、機嫌が降下することはなかった。
日番谷と似ている、と言われたのが、現金にも少し嬉しかったからだ。
***
「治療系の鬼道と、剣術も少しやっておくか」
「戦術と術式のほうもちょっとかじってみましょうか」
と、提案されたのは全く同じ日だった。どうやら、予想外に夏梨の余命は長かった。それで、せっかくだからというようなレベルでそれは始まったのだ。
夏梨としては実のところ結構いっぱいいっぱいで、正直「無理だ」と言いたい気持ちが強かったけれども。
――後々それが大いに役立つことは、当時の夏梨には知る由もないことである。
1万hit御礼リク企画3つめ。
あきらさまより「夏梨+夜一+浦原/「Marmelo」設定。4話派生。死神訓練の日々」とのリクエストでした。
「Marmelo」は改題前の「Vox」のことです。直そうかなーと思ったんですが、懐かしいのでそのままで(笑)
夏梨が本編で霊術院の穿界門開いたのはこの方法ですね。正しい穿界門の開け方として教えてもらったわけじゃないので夏梨が本編で開けたときはかなり無理があったようです。ですが、それはきちんとした門がかろうじて補ってくれて、成功した模様です。
前中後じゃないのと言われそうですがすみません引き伸ばせなかった……!!orz
ネタはあるにはあるんですが、煮え切らないので書かないほうがマシかと思いまして;もし続けられそうなら続けますが、とりあえず今は短編で!;
遅くなって申し訳ありません;リクエストありがとうございました!!
[2010.09.05 初出 高宮圭]