Vox

番外編

あらしのまえに

 良く言えば柔和で優しい、悪く言えばなよなよして頼りない。
 そんな印象を持たれがちな四番隊第七席・山田花太郎だが――このところ三日に一回、怒っていた。

「――まったくもう! 何度言ったらわかってくれるんですか、あなたは!」
「ゴメンナサイ」
「思ってもないのに口先だけで謝っても無駄ですっ」
「花太郎って何気に言うよね……」
 にべもなく謝罪を突き返された患者は、若干引きつった顔でため息をつく。
 四番隊・救護所。その一角で、花太郎は一人の患者の手当てをしていた。ため息をつきたいのは花太郎のほうだったが、ため息よりも処置を優先して、患者の手のひらから腕に手早く処置を施してゆく。
 男にしては小柄で細身な花太郎の腕よりも細い腕と、小さな手のひら。そこに打ち身や火傷や切り傷やと、怪我の見本かと思うほどを揃いも揃えているのは、このところすっかり常連になった少女だった。
「あれほど、怪我したらすぐ来てくださいって言ってるのに……。すっかり悪化させちゃって、痕が残ったらどうするんですか」
「一応自分で処置したもん」
 ぷいと不満げに顔をそむけるその少女は、夏梨と言う。肩にかかる程の真っ黒な黒髪と、同じ色のはっきりした目が印象的な、霊術院の院生の一人だ。
 だが彼女は、院生にしてはあまりに若かった。実年齢は知らないが、十二・三歳程度の外見なのだ。
 今までに夏梨ほどの歳で院に入り、出た者もいるにはいる。しかし近年では稀な存在だった。
 稀なのはその歳だけでなく、彼女は霊術院史上おそらく初めての、隊長一名、副隊長二名の推薦を受けて入った者だ。
 その実力も確かなようで、入学早々三年へ編入し、着実に実力を伸ばしている――のは、いいのだが。
「いくら修行だ鍛錬だって、限度があるんですよ。いつもこんなぼろぼろになってちゃ、体がもたなくなります」
「じゃあ、山じいのスパルタ止めてよ。昨日なんか危うく灰燼になりかけたんだから」
「そ、そんなのムリに決まってるじゃないですかぁ! 総隊長なんですよ? ていうか灰燼になりかけたならその時点で治療に来てくださいってば……」
「山じいの教育方針が『自給自足』なんだもん」
「治療はその範疇に含まれないです、絶対!」
「山では含まれたし」
「ここは山じゃなくて設備の整った瀞霊廷ですから!」
「健康には自信あるのに病院の常連化するのが癪っていうか……」
「入試から今までで既に常連です。怪我して癪も何もないんです!」
 きっぱり言い切りつつ、花太郎はあてていた治療具を取り外す。治りきらない部分に手際よく包帯を巻きながら、この分なら痕は残りそうにないと少し安堵した。さすがに総隊長もその辺りは配慮しているのかもしれない。
 特に酷かった右腕に巻き終え、左は手首に少しテーピングしてやる。ついでに痛めがちな膝にも予防的な意味でテーピングを施して、とりあえず治療は完了した。
 片付けを始めながら、花太郎はめげずに説得を試みる。
「いくら病院が嫌いでも、自分で多少治癒できたとしても、ちゃんと来てください。僕らじゃなきゃできないこともあるんですよ。……て言っても、僕なんか卯ノ花隊長の足元にも及びませんけど……」
 三日に一度。それが夏梨がやって来る平均的なペースだ。
 彼女は自分でどうしても治せない傷ができない限り、やって来ない。そしてやって来たとしても、大抵悪化済みである(三日に一度のペースでそれほどの傷を作るのにも呆れるが)。
 そうなる前に来いといつも言っているが全く効果がないため、花太郎が三日に一度怒ることになるのだ。
 それらから考えても、花太郎は夏梨が病院嫌いだと思っていた。――しかし、返されたのは意外な言葉だった。
「病院は、嫌いじゃないよ」
「え……」
「むしろ何か、懐かしい感じ。……ウチ、親父が医者やってたからさ」
 すいと視線を巡らせて、思い返すように夏梨は呟く。思わず花太郎はきょとんとした。
「そう、なんですか。……あ、だから応急処置は上手いんだ」
 夏梨の応急処置の様を思い浮かべて、納得する。彼女は毎度、応急処置は自分で済ましてしまうのだ。
 すると夏梨は不満そうに目をすがめる。
「『応急処置は』って……まあ、治療系の鬼道は苦手だけどさ……」
「あっ、すみません、そ、そういう意味じゃ……で、でも、誰にでも得手不得手はありますしっ」
「つまり下手ってことだろ」
「ううっ……けど鬼道を使わない処置だって、上手いですよ?」
「……もーいいよ。毎回自分で悪化させてんの、いい加減わかったし」
 はーあ、と深いため息を自身について、夏梨は処置の終わった腕やら足を見て苦笑した。
「花太郎がいなかったら、もっと酷い痕とか残ってたんだろうなあ。あたしができるのって、ホントに応急処置だけだもんね」
 花太郎はそれに苦笑を返すばかりだ。確かに否定できないことだった。夏梨は一応治療系の鬼道も扱える。だがそれはあくまで応急処置止まりなのだ。それ以上の治癒は上手く行かないようで、従って応急処置で治らない深い傷の場合は放置も同然になってしまう。
「でも、戦闘中は役に立つんだよね。一時的でもすぐに戦えるし」
「それで悪化してるんじゃないですかぁ……」
 嘆きつつ、だが花太郎はそういう生き方をせねばならない環境にこの少女がいたことを未だ信じられずにいる。
 北流魂街80区・更木。そこが彼女の出身地だという。流魂街でも最も荒れた土地として名高いそこは、まず子供が生きていくことは難しい。夏梨に聞いたところ、実際かなり危なかったところを総隊長に拾われたというから、大した運の持ち主だ。
 とは言え、更木出身だからこそ多少の傷に見向きもしなくなっているきらいがある。なまじ応急処置が上手いから、これではどんな無茶をやらかすかわかったものではない。
 少し考えて、花太郎は名案を思いついた。
「じゃあ、夏梨さん。こんなのはどうですか? あなたは怪我をしたらすぐ、ちゃんと僕のところに来ること。そしたら、治療がてら、治療系の鬼道を教えます。ね、一石二鳥ですよ!」
 すると夏梨はきょとんとした様子で目を瞬かせる。それから「いいの?」と期待に満ちた笑みを浮かべた。たまに年齢を問い直したくなるような大人びた表情を見せる彼女だが、こういう顔をするとすっかり歳相応でほほえましい。
「いいですよ。でも、ちゃんと来てくれなきゃダメですからね!」
「うん!」
 夏梨は嬉しそうに頷いて、「院だとまだあんまり実用的なの教えてくれないんだよね」とぼやき、
「それなら遠慮なく怪我して治し方覚えることにするよ。サンキュ、花太郎!」
「いえい……えっ!? いや、ちょっ、だだダメですよ進んで怪我するのはっ! か、夏梨さん!? 夏梨さんてば!」
 夏梨は明朗に笑って、もう授業始まるからとさっさと部屋を出て行ってしまった。
 花太郎はその後姿を追いすがるような片手を伸ばしたままの格好で呆然と見送って、やってしまったと頭を抱えたのだった。


 後日談として、夏梨は当初に比べれば格段に治療系の鬼道の腕を上げ、のちに起こる『ひずみ』の一件に置いて仲間の傷を癒すことに成功する。しかしそれが四番隊・山田七席の連日の努力の賜物であることは、ごく一部の者しか知らぬことである。

というわけで割と花太郎とは仲良しです。卯ノ花さんが「目をかけている」のはその怪我する才能に対してだったりして。
[2010.09.06 初出 高宮圭]