目の回るような忙しさが少しはマシになって来た、初夏の頃。朝からぶっ通しで続いていた仕事の合間をようやく見つけ、吉良は少し遅めの昼食を適当な店で済ませて、商店街をのんびりと歩いていた。
瀞霊廷にある商店街はピンキリである。というのもここを利用する死神の者たちがそうだからだ。流魂街出身の者から、上級貴族までが護廷十三隊に在籍している。ゆえに品揃えが豊富で、よく賑わう。今日は平日のために休日ほどの賑わいはないが、それでも活気は感じられた。
平和が感じられるその活気を好ましく思いながら歩いていて、吉良はふと見知った顔を見つけた。
「おじさん、このりんごちょうだい」
「あいよ。いくつだい?」
「一つ。一番おいしそうなのにしてよ」
「おう、任せとけ」
耳をすましていたわけでもないが、そんな会話が聞こえた。ちょうど数歩先にある店先で交わされた会話だったせいだ。
店主から一つのりんごを受け取ったのは黒髪の小柄な少女で、吉良の知る人物だった。以前と少し印象が変わったような気がするのは、髪が伸びたからかもしれない。そんなことを考えながら、買い物を終えた少女に声をかけた。
「やあ、夏梨くん。久しぶりだね」
「え……吉良兄! ホント、久しぶりだね。仕事は?」
一瞬きょとんとしてから明るく笑う少女は、夏梨だ。霊術院に入る際に吉良と檜佐木が推薦をし、のちに総隊長の推薦まで発覚して霊術院では一気に有名となった子供である。吉良も総隊長の推薦を知ったときは度肝を抜かれたものだが、本人はあまり気にしていないらしかった。
「ちょっと一段落。休憩中だよ。きみは買い物かい?」
「うん。先輩の誕生日が明日なんだ。だから」
「そう。……もしかして、りんごをあげるのかい?」
誕生日プレゼントにりんごというのは珍しい気がして思わず訊くと、夏梨はこくりと頷く。それから少し困ったような表情になった。
「たぶん好物……なんだと思うんだよね。それに、あたしのお小遣いでも買えるし」
「お小遣い?」
「あたしもともと一文なしだから。山じいがね、鍛錬頑張るとたまにくれるんだ」
なかなかしんどいんだけど、とげんなりした様子で言うのに、吉良は思わず感心してしまう。あの総隊長の鍛錬は相当厳しいと聞くからだ。そしてお金がないというのは、なかなか不便でもあろう。
「……大変そうだね」
様々な意味を含めて苦笑すると、夏梨もため息とともに「まあね」と返して、それから「でも」と続けた。
「みんな色々くれるから助かるんだ」
「え……」
「みんな、食べ物とかお菓子とかいろいろくれるんだよね。何も言ってないのに」
たぶん見た目のせいだと思うけど。
などとさらりと言う様子は子供の容姿にそぐわない雰囲気だ。妙に達観した視点を持つ子供だと以前から思っていたが、どんなふうに育ったのだろうとわずかに思う。
しかしそんなことを思っている間に、夏梨は何か目に留まるものがあったらしい。あ、と呟いて向かいにある店を覗いた。
そんな動作は子供らしいのに、と取り留めもないことを思いながらそれを追って、吉良も店を覗く。そこには色とりどりに鮮やかな髪留めや髪紐などが並べられていた。なるほど、と納得する。
「そういえば、髪が伸びたね」
「え」
「どれがいい? 一つくらい買ってあげるよ」
すると、夏梨は慌てて首を振った。
「そんな、いいよ! だいたい、あたし自分で髪くくれないんだ」
「やってればできるようになるさ。……じゃあ、すみません。これください」
夏梨が引き止めるのも構わず店員に声をかけて、さっさと一組の髪紐を買ってしまう。子供が遠慮しない、と言ってやれば、どこか納得できなさそうに袂を引っ張ったまま吉良を見上げた。
「吉良兄ってば」
「夏梨くん、こっちにおいで」
袂に手があるのをいいことに夏梨を引っ張って、店の前にある長椅子に夏梨を座らせる。どうやら店が髪留めの試着用に置いているらしく、櫛と鏡まで置いてあった。
夏梨の背後に回って、櫛を取る。そこで吉良の意図に気づいたらしい夏梨が吉良を振り仰いだ。
「ほら、動かないで」
櫛で髪を梳きながら前を向かせて、片手に先程買った髪紐を持つ。癖のない指通りのいい髪だ。このまま伸ばせば綺麗な長髪になるだろう。
頭の上のほうで髪をまとめる。そのまま凝らずにポニーテールを作ってくくってやった。
「はい。どうかな?」
「……器用だね、吉良兄」
鏡を渡せば、映った自分を見て、夏梨はまず吉良の器用さを褒めた。それから、くくりつけられた髪紐を見て、「ちゃんと、あたしが欲しかったやつだし」と呟く。
緑を基調にしてグラデーションになっている紐に、澄んだ橙色の飾り玉がついた髪紐は、わずかな間だが夏梨が目を留めていたものに間違いなかったらしい。それに吉良は微笑んだ。
「これでも、副隊長だからね」
「……いいの? 貰って」
「貰ってくれないと、困るな。……ああ、じゃあ、誕生日プレゼントにしておいて。いつか知らないけど、いつだい?」
そう訊くと、夏梨は心底驚いた様子でぱちくりと目を瞬かせた。その反応に、吉良のほうがきょとんとする。
「どうかした?」
「……今日」
「え?」
「あたしの誕生日。五月六日」
「え」
今度は吉良が驚く番だった。目を瞬かせて、夏梨を凝視する。すると、夏梨が不意に吹き出した。
「あははっ! すごいや、吉良兄。一瞬なんで知ってるんだろうって思ったんだけど、偶然なんだ」
「いや、え……今日? 本当に?」
「嘘言ってどうすんの。じゃ、ありがと! ありがたく貰っとく」
無邪気に笑った夏梨は、立ち上がって吉良に向き直る。驚きも少し収まって、吉良も思わず笑った。
「じゃあ、丁度よかった。……誕生日、おめでとう」
「ありがとう。大切に使うね」
嬉しそうに笑うその表情が素直に嬉しく感じて、夏梨の頭を撫でる。
「上手くくくれないようなら、またおいで。僕でよければ、だけど」
「忙しいのに?」
「息抜きになるさ。まあ、確かに会えるかわからないけど……」
「じゃあ、会えたらお願いするよ。あたしこういうの、ホントに苦手だから」
夏梨は言いながら髪に触れて、それから改めてもう一度礼を言うと踵を返した。
「そろそろ行かなきゃ。じゃあね!」
軽く手を振る夏梨に手を振り返して、吉良は駆け去っていく夏梨をしばらく見送った。結ってやった髪が元気に揺れている。それを微笑ましく見てから、自分も戻るべく、隊舎の方向に向かって歩き出す。
そうして、この日、吉良が唯一夏梨の誕生日を祝えた人物であるということを、本人ですら知らぬままに五月六日は過ぎて行った。
後日談として、次に夏梨と会った七月の頭で、吉良は夏梨が六年に進級することを知らされる。けれど髪を結うのは上達しないのだと夏梨は不本意そうに言って、吉良はまた髪を結ってやりながらのんびりと笑った。
というわけでちゃんと祝えたのは吉良でした。夏梨ちゃんは結局自分では上手くくくれなくて割と真夜とかにやってもらってると思う。
[2010.09.08 初出 高宮圭]