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-SummerVacation!-

03 : 海の宿

 時は夕刻。見事な夕日が水平線に消えかけている、やっと海にも静けさが戻り始めた頃のことである。
「なんでそうなる」
「えっ、当たり前じゃないですか!」
 至極当然そうに、乱菊は胸を張る。
 その背後には、総勢十八人が、騒音の塊のようにそこにいた。


 ――遡って、昼。
 避暑地を求めて砂浜を歩いていた日番谷は、ひょんなことから浦原と夏梨と三人で、とあるドッジボール大会に優勝した。多少の不正があった気がするが、ささいなことである。その景品で、海辺の旅館の今日明日の貸切権を得た。
 これ幸いと日番谷はそこを騒音と暑さからの避難場所と定め、一応それを副官である乱菊に伝えておいたのだ。
 そして、穏やかに静かに昼間は過ぎた。共に景品を獲得した浦原は個室にこもってひたすらぐうたらと涼み、夏梨も奥の部屋で寝ると言ったきり出てこず、日番谷もまた一部屋を陣取って過ごした。騒音もなく、誰にも邪魔されず、仕事もない。それはもう、平和だった。
 そうして、夕刻。
 のんきな声で「帰るんで、そこで待っててくださいねー」と連絡してきたのは乱菊だった。今回は何事もなく過ぎてよかったと、そんなことを考えていた矢先だ。
 乱菊が来た。――だけでなく、乱菊以外の全員も、共に来た。

「……どいうことだ、松本」
「だって隊長、せっかくタダで宿泊できて、しかも結構しっかりした旅館で、明日まで貸切だって言うのに、使わないのもったいないじゃないですか」
 こうして、冒頭に繋がるわけである。
 日番谷は反論しようと口を開きかけたところで、ふと乱菊の背後、すぐ近くに卯ノ花の姿を見つけた。
 卯ノ花は相変わらず、温和に微笑んでいる。
 微笑んでいる。
 あからさまに嫌そうな日番谷を見て、その微笑みは全く、崩れない。
 ――微笑んでいる。
 その微笑から、日番谷はぎこちなく、視線をそらした。
「……勝手にしろ」
 あきらめて吐き捨てた言葉には、主に女性死神協会の面々の嬉しそうな声が返った。その中で、穏やかなくせに、なぜか抜きん出て目立った声が一つ。
「ありがとうございます、日番谷隊長」

 穏やかに笑ってみせた卯ノ花は、すいと皆を率いるようにして、旅館に進み入ったのだった。


***


「こりゃあ、増えましたねェ」
「……全く驚きが感じられない口ぶりだな、てめえ」
 のんきな浦原の台詞に、日番谷は半眼で浦原を見やる。
「いやいや驚いてますって。ま、せっかくなんでアタシたちも泊まることにはなってたんですが」
 言いながら浦原は奥の間をちょいちょいと示す。どうやら浦原率いる子供たちは奥の部屋にいるらしかった。
 ちなみに死神一行は部屋決めにぞろぞろ向かった後である。日番谷は功労者かつ既に部屋を使っていたので、一人部屋となった。
「ところで日番谷サン、夏梨サンがどうしちゃったか知ってます?」
「は?」
 唐突に問われて、日番谷は意味を把握しきれずに眉をひそめる。
 浦原は扇子でぱたぱたと自分に風を送りつつ、いえね、と補足した。
「海に来てから、様子が変なんですよねェ。行く前も行く前で、妙だったと言えばそうなんスけど」
「妙?」
「海に行きたがらなかったんですよ。あの夏梨サンが」
 浦原がわざわざ『あの』と強調したわけは、日番谷にもわかった。なぜなら日番谷も、『海が嫌いだ』と言った夏梨の言葉に少なからず驚いたからだ。何となくだが、夏や海を好いていそうなイメージをしていた。
 何しろ真夏の炎天下でわざわざ好んでサッカーをやるほどなのだ。つい昼間だってドッヂボールをやったというのに、それで海が嫌いと言われてもどうしても違和感を感じる。
 だが夏梨は実際、この旅館に来てからこちら部屋にこもりっぱなしだ。
「海が嫌いだってのは聞いたが、理由は知らねえよ。……あいつに聞いたらどうだ」
 そう視線で示したのは、恋次たちと部屋を決めて戻って来たらしい一護だ。相変わらず賑やかに言葉を交わしていたが、日番谷の視線に気づくと首を傾げて立ち止まり、それから周りに一言断ってこちらに来た。
「なんだよ、冬獅郎」
「日番谷隊長だ。……浦原がてめえに用だとよ」
 最近この訂正も意味がないのではなかろうかと危ぶまないでもないが、とりあえず訂正して浦原に話を振る。
「浦原さんが? ……ああ、丁度いいや。俺も浦原さんに話あったんだ」
 日番谷の隣にいる浦原に視線を向けた一護は、立ったままだった体勢から話をするためにその場に腰を下ろす。座布団が置かれているにも関わらず、あえて座布団のない畳に直に座ったのは暑いからだろう。
「おや、アタシに話ですか。先に聞きますよ」
 こちらのは急ぎでもないんで、と扇子でぱたぱた風を起こしながら浦原が譲ると、一護は「そっか?」と一度聞き返してから話し出した。
「あいつら……遊子とか夏梨たちをここに連れて来たの、浦原さんだよな? さっき会ったんだけど」
「ええ、そうです。あんまり海に行きたいって言うんでね。今日なら危険もないかと思いまして」
 浦原の言う『危険』が何かを察したのだろう、一護は苦笑ぎみに「そりゃ、こんだけ隊長格がいりゃあな……」と呟く。そして確信めいた言い方で続けた。
「遊子はともかく、夏梨、嫌がったんじゃねえか?」
「おや」
 思いがけず、ちょうど先程上っていた話題に繋がって、浦原がぱちぱちと目を瞬かせる。日番谷も一護に視線を向け直した。
「なんだよ?」
「いえいえ、それについてお聞きしようと思ってたんでね。少し驚きました。……黒崎サンの言う通り、夏梨サンは乗り気じゃなかったですねェ。遊子サンがいるから渋々、って感じで来てました。泳いでませんし、水着すら持ってきてませんけど」
 浦原の証言に、一護は「やっぱな」と一つ息をついた。そしてしばらく考え込んだような間を空けて、続ける。
「……悪いけど俺、夜になる前に帰るわ」
「は?」
 一護の唐突な申し出に、図らずも日番谷と浦原は声を揃えた。だが一護は何食わぬ顔で携帯で時間を確認して、「フロくらい入れるか」などと言っている。
「帰るってそりゃまた唐突な……何でです?」
「夏梨連れて帰る。遊子のこと頼むぜ、浦原さん」
 一護がきっぱり言い切るのに対して、日番谷たちは面食らうばかりだ。
「おい、ちょっと待て。帰るのはいいが、説明しろ」
 理由を進んで言わない一護を妙に思いながら日番谷は問い詰める。言いたくないのかもしれないとは思ったが、このまま帰られて後で他の面子に質問攻めにされるのはごめんだ。
 一護もさすがに言葉が足りないと思っていたのか、がしがしと頭を掻きつつ説明を始めた。
「あいつ、海嫌いなんだよ」
「それは本人に聞いた」
「理由は?」
「知らない」
 そっか、と頷いて一護は片膝を立てて肘を置き、楽な体勢を取る。
「……昔からなんだけどな、あいつ、霊と共鳴しやすいんだよ」
「共鳴、ですか」
「ああ。憑依とかはされにくいらしいけど、特に歳の近い霊の記憶とかたまに見たりしちまうんだ。……まるで、自分の体験みたいに」
 言いながらどこか苦々しい表情になったのは、その体験がろくでもないものだとわかっているからだろう。霊となってさまよっているような連中は、この世に未練――忘れ得ぬ怨恨や悲しみ、ただならぬ執着などがある者ばかりだ。そういう者の記憶を自分のもののように体験するというのは、つまり死んでもなお忘れられぬような死を味わうということに他ならない。
「……追体験、だな」
 低く日番谷が呟くと、浦原も頷き、一護は怪訝そうな顔になる。
「他人の体験をあとからなぞって、自分の体験のように捉えることだ。調査をするときなどに一番正確な情報を得る手段として使われることもあるが、できる奴は少ないし、あまり使われない。かなり高度な技の一つだ」
「下手すると自分まで呑まれて死んじゃいかねませんからねェ。そんなのをうっかりやるというのも珍しい。まあ、子供はやりやすいと言いますけど……ともあれ、なるほど。そういうことなら納得です」
 海は悲惨な死が多い。
 浦原がいつもの軽い調子を収めて呟く。――意図せず追体験をしてしまうと言うなら、海にいるのは相当つらいはずだ。子供の死亡率も高い上、町などとは数も桁違いに多い。たまにとは言え数が多ければ確立も上がる。
「だから昼間もあんなに気を張ってたわけッスか。それなら確かに、霊が活発になる夜はつらいでしょうね」
「そういうことだ。だから――」
「だがそれは、霊がいなきゃ起こらない」
 一護の声を遮って日番谷が言った言葉に、その意図を察したらしい浦原がにやりと笑う。だが、理解できていない一護は眉をひそめるばかりだ。
「そりゃそうだが、霊をいなくさせるなんて……――あ」
 気づいたか、と日番谷はすいと視線をふすまにやった。その向こうには賑やかな死神一行がいるはずだ。
「今ここに、死神が何人いると思ってんだ?」
「おいお前、まさか」
「そーいうコトなら、アタシも協力しますよ。――賞品はウチにある商品何でも一つ、ってのはどうです?」
「ああ。副賞に休暇でも付けりゃ、完璧だろ」
 あっさり言って、日番谷はおもむろに立ち上がる。そしてふすまに手をかけた。
 一護はまだ驚いた顔をしている。何をするか察しはしたが、確信していない。というよりは信じられていないと言った様子だ。だから日番谷はふすまの向こうに告げる前に、一護を促した。

「お前も来い。――魂送大会だ」

まさかの夏が来るたび更新……年に一度とかそんな馬鹿な!!
[2010.08.07 初出 高宮圭]