「あれ、夏梨ちゃん、水着は?」
「持ってきてない」
「えー! なんで!?」
「泳がないから」
遊子の不満げな声を聞き流して、夏梨はパラソルの下に腰を下ろした。
結局、夏梨は浦原商店一行と遊子によって、真夏の海に連れ出された。
暑いのは苦手ではないし、夏はどちらかと言えば好きだ。けれど、海は嫌いである。だから夏梨はひたすらに憂鬱だった。
「あたしのことはいいから、さっさと遊んできな。ウルルとジン太、待ってるよ」
そう促すと、遊子は納得しきらない顔をしながらも、浮き輪を持って駆けて行った。
パラソルの下には、浦原が残る。テッサイは保護者として海に同行した。
「あんたは行かなくていいのかよ?」
さすがにいつもの着物ではなく、ワイシャツに麦わら帽子の浦原は、夏梨の問いに笑顔で頷いた。
「こんな炎天下で遊んだら、アタシなんかすーぐ倒れちゃいますよ」
「嘘くさ」
浦原を一蹴してから、夏梨はビーチを見渡す。まだ浦原が何か言っていたが、まるで聞き流した。
どうやらカップルや若者集団も多いが、親子連れも多い。
海に出て遊んでいる遊子たちを見ていると、まるでテッサイが父親に見えた。
――ということは、もしかしなくともはたから見れば浦原と自分も親子に見えたりするのだろうか。
そんなことを考えて、横目で浦原を見る。
「……ヤダなあ、それ」
「夏梨サン、何か失礼なこと考えてません?」
「別に? ま、耐えられないほどじゃないから、マシなほうだと思うよ」
「何の話ッスか」
何でもない、と返して、じと目で見てくる浦原の視線から逃げるように夏梨は立ち上がった。
途端に額に溜まっていた汗が流れ落ちて、砂に濃い色を落とす。
「おや、どこか行くんですか?」
「喉渇いた。どうせ遊子たちにも水分補給させなきゃだし、今のうちに飲み物買いに行ってくる」
「ははあ、黒崎サンとこの兄弟はみんなしっかりしてるッスねえ」
そう言って、ぱたぱたと手を振る。明らかに見送る姿勢だ。
だがその手を、夏梨はがしりと掴む。
「あんたも行くの」
「は? ああ、まあ確かに子供を一人にするのは危険ッスよね」
それなら仕方ない、と立ち上がりかけた浦原に、夏梨は冷めた表情で言った。
「んなモンどうでもいいよ。ただあたし、お金持ってないもん」
***
「そういやお前、水着は着ないのか?」
「泳ぎもしねえのに、いらねえだろ」
ばっさりと日番谷は一護に返した。ふうんと返す一護は水着の上に上着を羽織っている。
一護と日番谷は、日番谷の希望から、静かで涼しい場所を探していた。
だが、人の溢れるこのビーチでそんなところを見つけるのは困難を極めた。結局、海の家の周辺を探索するに至っている。
「あー……ねえな。どこもかしこも人だらけだ」
「……だから嫌だったんだ、ったく」
日番谷は思わずため息をつく。その様子は外見にそぐわない、やけに年配の動作に見えた。
だが事実、実際年齢日番谷は一護より相当年上なのだろう。
その日番谷が、それでなくとも不機嫌な声をさらに低くして一護に声をかけたのは、そんなことを考えていたときだった。
「……おい」
「え?」
「あれ、来るんじゃねえか」
あれ、と日番谷が示した先を一護が見ると、そこにはどうやら一護と似たりよったりの年頃の女子集団が見えた。確かにこちらを伺っては、明らかに近づいて来ている。
まさかとは思うが、声をかけて来る気だろうか。
逃げようと思ったが、さりげなく逃げるには距離が足りない。
そのとき、日番谷が動いた。
「頑張れよ」
「は」
言うや、その身の小ささを生かして、見る間に人の間に紛れて行った。見事な早業である。
「おい、とう……っ!」
「すいませーん、お兄さん! 一人ですか?」
「いや、一人じゃ……くそ、ずりーぞ冬獅郎!」
背後から聞こえてきた叫びに、日番谷は小さく「悪いな」と呟いた。
それにしても、と辺りを見渡す。カップルから家族連れまで、日番谷としてはこの暑いのによくもと思ってしまう。だが見る限り憂鬱そうな顔で歩いているのは日番谷くらいのもので、皆一様に楽しそうだった。
唐突に腕を引かれたのは、そのときだ。
「あ、ビンゴ」
「は?」
思わずつんのめりそうになって振り返った先に見えたのは、キャップを深く被った子供だった。外見だけで言えば、日番谷と歳はそう変わらない。
ぱっと見では顔が見えない。だが確認するより先に、その子供は走り出した。
「ちょっと来て!」
「な……おい!」
ぐいぐいと腕を引いて子供は砂浜を走る。だがそう距離を行かぬうちに、日番谷はその手を振り払った。
子供の腕は日番谷よりも細く、振り払うのも難しくない。意外だったのは、振り払った拍子にキャップが取れて見えた素顔だった。
顎のあたりでざっくりと切り揃えられた黒髪に、勝気な黒目。それは見知った少女のものだ。
「お前、何して……」
「何だよ、気づいてなかったわけ? あたしだよ、黒崎夏梨! わかったらホラ、早くいくぞ、冬獅郎!」
呆れたような声で名乗ると、夏梨は今度は腕ではなく日番谷の手を捕まえて走り出した。
なぜ彼女がここにいるのか、それよりなぜ自分が走らされているのかさえわからない。あまりの事の唐突さに日番谷が行動を選択できないでいるうちに、夏梨は走るスピードを落とし、やがて立ち止まった。
そこは日番谷たち死神一行がいる方向からほとんど逆方向にある場所だった。だが、こちらももちろん海に変わりはなく、人も多い。夏梨が立ち止まったのは、その人ごみの最たる中心部だった。
「おい、いったい何……」
だが日番谷が聞きかけたと同時に、その手を握ったまま夏梨は人ごみの中に突っ込んでいく。そして無理やり人を押しのけ、人ごみの最前列にまで来ると、声を張り上げた。
「おまたせ、親父ー! 三人揃った!」
「おお、ナイスタイミングです夏梨サ……じゃなかった、さすがアタシの娘ッスね! ……ってこれまたすごい息子連れて来たッスねェ」
まるで棒読み全開の夏梨の呼びかけに嬉々として応えたのは、日番谷も見知った浦原商店の店主だった。
浦原は夏梨に捕まったままの日番谷に気づき、きょとんとした様子だ。
だが、首を傾げたいのは日番谷のほうである。
「おい、どう言うことだ! 誰が息子……っ」
『ヘーイ! どうやら挑戦者チームが出揃ったようだ! 何だか似てない親子だが、その辺りは触れないことにしておこう! とにもかくにも、これでラストチャレンジゲームの始まりだ!』
ハイテンションな実況に、日番谷の声はかき消されてしまう。そして聞こえてきた実況は、さらに日番谷を混乱させた。
――親子? ラストチャレンジ?
「おい、浦原!」
「だめッスよ、日番谷サン。ここでは『父さん』もしくは『パパ』と呼んでください」
「は!? だから、何がどうなってるのか説明しろ!」
怒鳴ったところで、また後ろ手にぐいと引かれた。
首だけで振り向くと、夏梨が上を指差している。どうやら見ろと言いたいらしい。
渋々それに従って、見上げる。そこにはバルーンが飛ばしてあり、そこから吊り下げられた幕には、でかでかとこう書いてあった。
「『夏だ! ビーチだ! 家族でハッピー☆ビーチドッジボール大会』……?」
――ネーミングに突っ込むべきなのか、これは。
どうやら家族三人でドッジボールのプロプレイヤー三人に挑む大会らしい。なるほどそれで父親かと理解するものの、納得はいかない。それになぜ自分が引っ張り出されなければならないのか、と文句を言おうとして、ふと動きを止めた。
大会タイトルのその横に書いてあった優勝景品という文字列に目が止まる。
「悪くないだろ?」
日番谷がそれを認識したことがわかったのだろう、夏梨が楽しそうな声で言う。
それに、日番谷は一拍前まで浮かべていた不機嫌な表情を沈静化させて、口の端を持ち上げた。
「――ああ、悪くねえ」
***
「いやー勝った勝った。お疲れ様ッス、さすがアタシの子供たち」
「もう試合終わったんだから、いい加減それやめろよ……」
げんなりした様子で浦原を見る夏梨の隣で、日番谷はのんびりとカキ氷をつついていた。
ここは砂浜のすぐ上にある小さな旅館だ。小さいとは言っても旅館と言うだけあって、くつろぐにも泊まるにも十分な広さがある。
――先程行われた、例のドッジボール大会。
結果から言えば、日番谷たちは見事勝利した。死神二人にスポーツが得意な少女一人。当然と言えば当然の結果だが、まず試合に臨む三人の気合の原因が、景品にあった。
『優勝チームには今日明日二日間の海辺の旅館貸切権をプレゼント!』
涼む場所を探していた日番谷にとって、願ってもみない機会であったのだ。
かくして相手チームが哀れになるほど見事な大勝をおさめ、『チーム浦原家(仮)』は景品を手にした。
「にしても、偶然冬獅郎見つけられて良かったよ。ホントは適当に運動できそうな奴見繕おうと思ってたんだ」
そのために夏梨はそこらじゅうを駆け回っていたらしい。元気なことだと日番谷は思う。
だが同時に、少し意外な気もしていた。
「お前は海に行かなくていいのか。浦原がいるってことは、他のガキもいるんだろ」
日番谷から見て、夏梨はスポーツ好きの少女だった。炎天下でも全く気にせずサッカーをし、遊び回っている様子を知っている。だから当然、海に来たなら涼んでなどおらずにひたすら遊びまわるのではないかと思った。
だが夏梨はそれに淡白に答えた。
「いいよ、あたし海嫌いなんだ」
さらに意外な答えが返って来て、思わず日番谷はカキ氷をつつく手を止める。
だが夏梨はそれ以上の理由を言おうとはしなかった。
「あんたこそ、こんなとこで何してんの? 死神ってそんなに暇なんだ?」
「違う。強制で慰安旅行に連れ出されただけだ」
「……慰安旅行」
夏梨が心底訝しげな顔をする。それもそうだ。
だが夏梨はすぐに訝しげな表情から、はっとしたように日番谷に訊ねた。
「なあ! それってもしかして、今日ここに一兄いたりするのか!?」
「あ……ああ。いるが、どうかしたか」
そういえば一護を置き去りにしたままだったと今更思い出した日番谷だったが、一方で夏梨は素早く浦原に向き直り、その胸倉を思いきり引っ張った。
「おいこら! やっぱあたし来なくてよかったじゃんか、一兄いるなら!」
「いやー、アタシも今初めて知りました。来てたんスね!」
「白々しすぎるんだよ!」
しれっと返す浦原にぎゃんぎゃんと怒鳴りつけたあと、夏梨はふと疲れたように息をついた。
浦原の服から手を離し、てくてくと旅館の出口に向かう。
「おい」
日番谷が声をかけると、夏梨は首だけで振り向いて「遊子たちに知らせに行ってくる」と疲れた様子のまま言って出て行った。
それを見送って、妙に釈然としない気分になる。
何がと言われれば、おそらく夏梨が海を嫌いだと言ったことだろう。そして、いつもと同じようで違う、何をするにも億劫で仕方がないと言ったような態度が見える気がする。
「……何だ、あいつ」
ぽつりと呟いて、日番谷は自分も事情を説明すべく、伝令神機を取り出した。
夏休みに合わせて書いてたんですが、話が終わる前に休みが終わってしまったので下げました(←)
とりあえず終わるまで書きます(笑)
[2009.07.31 初出 高宮圭]