拍手御礼・弐

-氷-

01 : 『ひょう』

 変な奴がいる。
 緑がかった青い髪は長くて、瞳は金。額に火傷みたいな傷がある。服装は古風で、素人目にも上質なことがわかるような着物を着崩していた。更に、首には氷の塊のような飾りを付けている。――とんでもない恰好に見えるそれが妙に似合っているのが、また変だ。
 そんなふうに、夏梨はその男を見ていた。
 小学校からの下校の途中のことだ。
 少し先を行く双子の姉の遊子は、何も気にした様子もなく、けれど自然にその男を避けて過ぎた。それで確信する。
(やっぱ、ユウレイか)
 現実にこんな容姿の男がぽつんと道端にいたらだいぶ怪しい。綺麗な顔をしているけれど、それだけではごまかしきれないほど明らかに異質な空気がある。
 素通りしようか、とも思った。実際に何食わぬ顔で前を通り過ぎもした。けれど結局、少し行って角を曲がってから、眉をひそめて足を止める。
「どしたの? 夏梨ちゃん」
 夏梨が立ち止まったのに気づいたらしい遊子が、振り返って首を傾げた。
「……ごめん遊子、先行ってて。すぐ追い付くから」
「え? なんで……」
「ちょっと忘れ物」
 言い置いて、踵を返す。遊子がまだ不思議そうな声をあげていたけれど、もう一度「すぐ行くから!」と繰り返すと、首を傾げながらも進んで行った。
 道を戻る。角を曲がると、やはり道端にその男はいた。
 周りに人はいない。夏梨はずかずかとその男の前まで行った。
「ねえ!」
 応えはない。だが、無反応というわけでもない。男は誰かを捜すように周りを見渡した。どうやら夏梨が自分に話しかけているとは思っていないらしい。
「どこ見てんの、あんただよ、あんた!」
 ため息混じりに夏梨は男の袖を引く。すると男は目を見開いて、驚いたようにその手を振り払った。
 けれど気にせずに、夏梨は腰に手を当てる。
「あんたさ、幽霊でしょ。何か思い残したことがあるなら、こんなとこ突っ立ってないで寺にでも行きなよ」
 男は目を見開いたままで眉をひそめた。
「じゃなきゃ、あっちの奥にある浦原商店にでも行くんだな。どうとでもしてくれると思うよ」
 あそこ普通じゃないから、と呟きながら夏梨は店主のいかにも胡散臭い容姿を思い浮かべる。――たぶん、大丈夫だろう、うん。
 男は相変わらず妙なしかめっつらで夏梨を見るばかりで、頷きもしない。それが少し気になったが、言うべきことは言ったから、夏梨はまたすぐ踵を返した。
「じゃね、あたしからはそれだけ」
 そう言って夏梨は走り去る。
 結局最後まで、男は何も言わなかった。

***

 その次の日、男はもうそこにいなかった。――いなかった、のだが。
「……何してんの、あんた」
「……」
 男は小学校の前にいた。相変わらずの無口と無表情で、ただ立っている。
 夏梨はため息をついた。
「何かここに用あるの?」
「……」
「寺には行った? 浦原商店は?」
「……行く必要はない」
 やっと喋った。男はそのままじっと夏梨を見ている。
 どうやら、ついて来たと見ていいだろう。面倒なことになった、と夏梨は頭を掻いた。
「黒崎、どうしたんだよ、早く行こうぜ!」
 同級生の友達に声をかけられて、夏梨はそういえば今から遊ぶ予定だったことを思い出す。
 夏梨は校門を出たところで立ち止まっていたから、先に進んだ友達の一人が様子を見に帰って来たらしかった。
 少し考えてから、そっちに向かって、夏梨は声を張る。
「ごめん、やっぱあたし今日はパス!」
「えー!?」
「また今度な!」
 言い終わると、夏梨はそのまま男の服の袖を引いて駆け出した。唐突に腕を引かれた男が驚いたようによろけたのがわかったが、構わない。
「……おい」
「桜公園まで行く。あとちょっとだから、黙って来る!」
 物言いたげに声を発した男を制して、夏梨は走った。別にもう走る必要もなかったのだが、言葉通り目的地まではそう距離はなかったので、いっそのこと走ってしまうことにする。
 桜公園は小学校の裏手の道を少し行ったところにある。その名の通り桜が多く植わっていて、春には桜並木が楽しめるお花見スポットだ。けれど今は秋だから、すっかり寂しい状態になってしまっている。その上桜以外に本当に何もない公園なので、人はまずいない。
「……まったく、何なの、あんた」
 桜公園に辿り着いて、夏梨は男から手を離し、向き直ってため息をついた。
 男は相変わらず無表情だ。だが、喋った。
「お前は何だ」
「……イヤ、あたしが聞いたんだってば」
「童にしては、力が強い」
「聞けよ話」
「我が見え、触れ、恐れぬ。お前は何か、興味がある」
「……勝手にしてくれ」
 夏梨は深々とため息をついた。いまいち会話が成り立っていない気がするが、とりあえず目的はわかった。どうやらやはり、夏梨について来たらしい。
 今までにも霊に付きまとわれたことはある。たいがい放っておけばそのうちいなくなっていた。
「言っとくけど、あたしは何もできないよ。話相手にくらいならなるけど、気が済んだらちゃんと成仏しな」
 どうやら害があるようにも見えない。それならまあいいかと安直に夏梨は考えた。
「……やはり、妙な童だ」
 男はわかりにくいが興味深そうな顔をして夏梨を見下ろす。それに夏梨は眉をひそめた。
「ねえ、それやめてくれない?」
「何がだ」
「その『わらわ』ってヤツ」
「……ならば『子供』」
「ケンカ売ってんの、おっさん」
「……それは、よせ」
 夏梨は「ホラ見ろ」とニヤリと笑う。どうやらさすがに『おっさん』は嫌だったらしい。
「あたしは夏梨。あんたは?」
 腰に手を当ててさあ言えとばかりに促す。すると、男はきょとんとしたような顔をして、それからふっと笑った。
「不遜なことだ。……似ているな」
「は?」
「我が主に、お前は似ている」
「主? 何それ、どの辺が?」
「何事にも物怖じせぬ態度。……あとは、大きさもか」
「……あっそう」
 男は妙に楽しそうだ。だが夏梨としては別に褒められている気がしない。詰まるところ、その『主』とか言うのもチビだと言うことだ。
 主だ何だといまいち言っていることはよくわからないが、もともと変だと思っていたこともあり、深く気にしないことにする。
「で、名前は?」
「……む」
「教えないなら、おっさんて呼ぶよ。いい?」
 すると男は首を横に振る。だがそのまま、すっかり考え込んでしまった。
「……言いたくないの?」
「……名は大切だ」
「そりゃ、そうだけど。でも名前って、あんたをあんただって、呼ぶためにあるでしょ」
「それは間違いない。……だがだからこそ、我が名を我から教えると、お前は我を呼べるようになるかもしれぬ」
「……わけわかんない」
「お前には力がある。だからこそ我が名が意味を持ってはならぬ」
「ああ、もういいよ、わかった! じゃあ適当に一文字でも取って教えて。あたしは呼べりゃそれでいいもん」
 そろそろ面倒になって来て、夏梨は手振りで男の言葉を止める。
 すると男は「なるほど」と呟いて、また少し考えた。
 男が外していた視線を夏梨に戻す。
「夏梨、と言ったか。――ではお前は、我を『ヒョウ』と呼ぶといい」
「ひょう? どんな字?」
「『氷』と書く。我が名の一部であり、我の本質だ」
「ふうん……こおりでひょう、ね」
 飲み込むように呟いて、夏梨は男――氷に笑いかけた。

「じゃ、よろしくな氷」

[2009.09.26 初出 高宮圭]