拍手御礼・弐

-氷-

02 : 『子供』

 妙な子供がいる。
 顎あたりまでの黒髪に、はっきりした黒目。どこにでもいそうな子供のくせに、しかし並ではない霊力を持っている。
 尸魂界でも氷雪系最強と謳われる斬魄刀である彼を前にして臆さず、ためらいなく触れ、口をきく。
 彼は子供に興味を持った。人間の子供というものをよく知らないせいもあったろう。子供がどう彼と接するか、主と見た目だけは似た年頃の子供がどういうものか、それを知りたいと思った。
 子供の名前は、夏梨と言う。
 だが彼は、夏梨に名を教えるのを避けた。斬魄刀の名は、持ち主が斬魄刀からその名を聞くことで呼ぶものだ。これまで、主が他人に名を教えることはあっても、彼本人から名を明かすことはなかった。
 だから、力ある者に斬魄刀から名を明かすと何らかの影響が出るかもしれぬ、と彼は判断したのだ。
 別にそこまで話したわけではないが、明かせぬと言えば夏梨はあっさり、じゃあ代わりの名を寄越せと言った。
 そうして、彼が名乗ったのが――。

「氷!」
 ぱたぱたと軽い足音と声がして、彼はそちらを振り向いた。公園の入り口から鞄を肩にひっかけたまま駆けてくる子供がいる。夏梨だ。
 彼は真名を、氷輪丸と言う。その頭文字を取って、夏梨には『氷』と名乗った。
 あれから既に二週間。夏梨とは三日と空けず会っている。
 そうほいほいと抜け出せるわけではないが、そこはそれ、頭の使いどころだ。戦時特例でもない限り、肌身離さず斬魄刀を持ち歩くことはない。そして彼の主は仕事熱心だ。デスクワークについてしまえば、一日中執務室から出てこないこともざらにある。
 仕事に励んでいる主を置いて現世遊行など申し訳ない気もするが、最近はその罪悪感よりも楽しみのほうが若干上回りつつあった。
 駆け寄って来た夏梨を軽く受け止め、ぽんと頭を撫でる。
「ただいま!」
「おかえり。今日は早かったのだな」
「うん。今週は掃除当番じゃないもん」
 もっぱら休日や、夏梨の学校帰りにここ――桜公園で待ち合わせるのがいつものことになりつつあった。
 夏梨には学校がある。氷輪丸も時間帯的に抜け出しやすかった。夕方と言えば、主はそろそろ副官を仕事にせっついているか、逆転されて休憩に連行されているか、どちらにせよ氷輪丸の置かれる寝るためだけの私室には滅多にこない。
 夏梨は鞄を近場に置くと、当たり前のように氷輪丸の手を引いてベンチに座った。
 氷輪丸が驚くのはこういうときだ。夏梨は本当に、彼に触れることをためらわない。
 彼の手は普通ではなく、氷の鱗に覆われている。人間からすれば、まず異様だろう。
 けれど夏梨はその手を「かっこいい」と言ってのけ、あっさり「お前ただの幽霊じゃないだろ」と言い当てた。しかしそこに畏怖や差別視はなく、あっさりすぎるほどあっさり、そのままを受け入れてみせた。
 これが子供所以なのか、夏梨だからなのかは、まだわからない。
「にしても、最近寒くなってきたよね。氷はそのかっこで寒くないの?」
「……何度も言うが、我は氷雪系の龍だ」
「いや、わかってるんだけど……なんていうか、見るからに寒そうで。首とか特に。その周りの氷、邪魔じゃない?」
「……邪魔なときも、あるには、ある」
「なら取ればいいのに……」
 何でもない、取りとめのない会話をする。いつもそうだ。夏梨は何事も深く探ろうとはしてこないし、氷輪丸もあれやこれやと聞くたちではない。
 いつも会っては、こういった会話をして、図書館に行ったり、駄菓子屋に行ったりしてのんびりすごす。たまに夏梨が同級生と遊ぶのを眺めたりもする。地味と言えばそれまでだが、氷輪丸としては、この時間が存外好きだった。
「あ、氷。さっきそこのおばあちゃんに貰ったんだけど、甘納豆いる? おいしいよ」
「甘納豆……」
「甘いの嫌い?」
「いや……主が好きな食べ物だ」
 思わず少し笑うと、夏梨は鞄から甘納豆の包みを取り出しながらきょとんとした。
「あんたの主って甘党なの?」
「……それは、よくわからぬ。が、甘納豆は好きだ」
 氷輪丸が真顔で言うと、夏梨はくすくすと笑った。
「何それ。……じゃ、その主サマに持って帰ってあげる?」
「それをしては、抜け出しているのがばれる」
「あ、そっか。じゃ、氷食べちゃいなよ。せっかくだし。食べたことないんでしょ」
「ない、が……」
 言いかけて、言葉を途切らすことになった。夏梨が甘納豆をひょいと氷輪丸の口に入れたのだ。
 口の中に甘みがひろがって、柔らかい豆は少し噛めばすぐに溶けるようになくなる。
「おいしいでしょ?」
 得意げに聞かれて、氷輪丸は頷きながら少し笑う。
「何故、お前が胸を張る」
「そりゃあ、おいしいもの教えてあげたもん」
 言って、夏梨は氷輪丸の手に甘納豆の袋を乗せる。
 氷輪丸はふとその手を捕まえて、きゅっと握った。
「なに?」
「おいしいものを教えてもらった礼だ。……見ていろ」
 しばらくすると、夏梨の手のひらに重ねた氷輪丸の手が、青く光る。やがて光は収束し、手を離すと、夏梨の手のひらに紅葉を閉じ込めた氷の結晶が乗っていた。
「うわっ……すっげー! 何これ、きれい!」
「花氷ならぬ、紅葉氷……というところだ。お前を待っている間に、紅葉を拾ったので、入れてみた」
「入れてみたって……すごい。でもこれ、冷たくないのはなんで?」
 夏梨は興味深そうに結晶をかざしてみたり、握ってみたりしている。
「それは我の霊力で覆ってある。お前にも霊力があるゆえ、それを保てる」
「……へえ?」
 よくわからない、といった様子で夏梨は首を傾げた。けれど嬉しそうにその結晶を見て、氷輪丸を見る。
「ありがと。あたしこれ、気に入った。大切にするね」
「……ああ」
 明るく笑ったその顔を見ながら、我知らず氷輪丸も表情が緩む。そして夏梨の頭を撫でるが、これがほとんどくせのようになっているのは、自分でも気づいていなかった。


 そんなほのぼのした空気を醸し出す『二人』を、気配を消して見ている影があった。
 くせのある赤毛に、同じ色の猫耳がぴこぴこと動く。もこもこしたピンク色の際どい服は、その抜群のスタイルを強調しており、しかし長いスマートな尻尾は緊張したようにピンと張って、ぷるぷる震えていた。
(――何よ、アレ!!)
 声には出さずに絶叫して、うっかりこぼしそうになった霊圧を慌てて閉じる。
 彼女の目には、ダーリンと(勝手に)呼んで慕い、抜群のスタイルと甘い声を使って擦り寄ってもなお崩れないあの氷像みたいな氷輪丸が、人間の子供相手にほだされているようにしか見えなかった。
(こっ……こうしちゃいられないわ!)
 これは、由々しい。由々しき事態だ。

 そう判断して、灰猫はそこから一瞬で姿を消したのだった。

[2009.11.08 初出 高宮圭]