拍手御礼・弐

-氷-

03 : 『疑惑の子供』

「いい加減なこと言わないでくれます?」
「はあ!? どういうイミよ、それ!」
 じと目で明らかに信じていなさそうに言われたその言葉に、灰猫はカチンと来てずいと少女を見下ろした。
 少女は長めの髪に、白を基調とした着物。桃色の羽衣のようなものを纏っており、その先には大きな鈴がついている。彼女も灰猫と同じく、斬魄刀であった。名を、飛梅と言う。
 飛梅は心底呆れたような表情で灰猫を見やった。
「そのままの意味です。あの人が子供にうつつを抜かすなんて、そんなことあるわけないわ。くだらない嘘をつかないで」
「あのねえ! こんなことで嘘ついてあたしに何の得があるってんのよ! 嘘だと思うならあんたも見てくりゃいいでしょうが」
 堂々と言い切られて、嘘だと切って捨てた飛梅も、少し気がかりそうな表情をした。だがそれを振り切るようにぶんぶんと首を振る。
「あ、あり得ないわ。いくら主があの容姿だからって、あの人が子供に……」
「だからこそあり得るんでしょ。最近頻繁に抜け出してるみたいだし、持ち主には隠してるし。怪しいと思って探して見たら――ああっもう! 何なのあのガキ!」
 灰猫の演技ではない憤慨の仕方に、飛梅は口には出さずに本当のことなのだと悟る。
 彼女たちは斬魄刀であるが、今は主人のもとを離れていた。
 灰猫の主たる乱菊は(氷輪丸の予想通り)日番谷を引きずって無理やり休憩と称して甘味屋に行ったし、飛梅の主人の雛森も、乱菊に誘われて共に行ったのだ。戦時特令も出ていない今、斬魄刀は未所持である。となると、抜け出し放題なのだった。
「……その子供は、あの人が意中に入れるほどの子供なの?」
 飛梅はおそるおそるといったように灰猫に問うた。なんだかんだと言っても気になる。
 あの氷輪丸が気にかけると言うのだから、相当見目がいいか性格がいいか、とにかく特別な子供なのだろうと思ったのだが、灰猫は顔をしかめてぶんぶんっと勢い良く首を横に振った。
「全っ然普通よ! どこにでもいそうな平凡なガキ! そりゃあ確かに、ダーリンが見えて触れてするんだから霊力は人並み以上あるみたいだけど……それだけ! ていうかむしろ、男勝りな感じ」
「な……」
 飛梅は軽くめまいを覚えた。
 そんな何の取り柄もなさそうな子供を気にかけるなんて、もう理由は一つしか思い当たらなくなってしまったではないか。
「あっ……あの人は、幼女趣味だって言うの!?」
「いっやーー! 何言ってんのよ一番ヤなこと言わないでよね! んなワケないでしょっ!」
「だってじゃあ、何でその子供にほだされてるのよ!」
「知らないわよ知りたいわよ! だからあたしは不本意だけどあの主……オバサンに言って一緒に現世行こうと思ってたの! あいつ、現世のことには結構詳しいもの」
 灰猫は自分の主人をオバサンやあいつ呼ばわりしたが、いつものことなので飛梅は聞き流す。だが、耳に留めた一言もあった。
「あなた、また現世に行くつもりだったの?」
 そして、一瞬の逡巡のあと、がしっと灰猫の腕を捕まえた。
「――私も行きます」
「はあ?」
「だって、まだ信じられないもの。それに、あの人が子供のわがままに無理やり付き合わされてるだけかもしれないじゃない。なら――少し、お説教をしてあげないと」
 そう言ってくすりと少し笑う。
 その表情に灰猫は、若干寒気を覚えなくもない。見た目は清楚で可憐な飛梅だが、その実腹の中は黒かったりするんじゃなかろうかと、こういうとき思う。
 だが、『お説教』は悪くない。
「……なぁるほどね」

 灰猫がにやりと笑って、飛梅と灰猫の現世急行が決定した。


***


「っくし、っくし、へくしっ」
 学校の帰り道、夏梨はくしゃみを三連続でして首を傾げた。
 風邪なんてここ近年ひいたことがない。風邪をひきやすい季節の変わり目ではあるが、別に体調を崩していることもないから、不思議だった。
(誰か噂でもしてんのかな)
 結局そう結論付けて、歩く足を速めた。
 水曜日。今日は氷が来る日だ。
 氷と知り合ってからかれこれ二週間と少し。最初は妙な幽霊につかれたなと思っていたが、どうやら氷はただの幽霊ではなかった。氷を自在に操れるし、何か思い残したことがあるわけでもなさそうで、主だ何だと言っている。
 だから夏梨は、もう氷を『幽霊』だとは思っていない。氷は、氷だ。何か気になることがあって、夏梨と共にいる不思議な奴。気が済むまでいてくれていいと思っている。彼と過ごす時間が、夏梨も嫌いではなかった。

 いつもの待ち合わせ場所の、桜公園に入る。どうやらまだ、氷は来ていなかった。
 『主』の目を盗んで来ているらしいことを知っているから、大して気にしない。遅くなっても、必ず氷が来ることはわかっていた。
 毎日抜け出すこともできないと、氷は毎週月曜、水曜、金曜、日曜にやってくる。何をするわけでもないのに、これだけしょっちゅう会っていても飽きないのが夏梨自身でも不思議だった。
「ちょっと、そこのチビガキ」
 夏梨がのんびりベンチに座ってそんなことを考えていると、何とも失礼な声が聞こえた。自分のことか、とむっとしながら声のしたほうに視線を投げる。そして、きょとんとした。
「……何、あんたら」
 視線の先にいたのは妙な女二人だった。一人はハロウィンの仮装かと思うような猫じみた際どい格好で、もう一人はやたらでかい鈴をつけた羽衣みたいなものを引きずっている。
 だが二人は夏梨がその格好に気を取られている間に、二人でやいやいと話し始めた。
「ちょっと、これが本当にあの人がほだされた子供なんですか? 平々凡々にも程があるじゃないの!」
「だーから言ったでしょ! あんたちょっとくらい信用ってものをしなさいよ!」
「信用? どうして私があなたを信用するなんて思えるのかしら。男を見つければあっちへふらふらこっちへふらふら、だらしがないあなたを」
「言ったわねえ、このまな板!」
「なっなんですって!?」
 ――どうやら、仲が悪いらしい。
 これはほっといていいだろうか、と夏梨がため息をついたときだ。二人がばっと同時に夏梨を見て、ずかずかと歩み寄ってきた。
 夏梨はベンチに座っているから、立っている二人からは見下ろされる形になる。
「……危うく本題を忘れるところでした。あなた、ここで何をしているの」
 鈴をつけた少女のほうから問われて、夏梨は眉をひそめた。
「答えなさいよ、あんたがダーリンを付き合わせてることは知ってるんだから」
 続いて猫の仮装っぽい格好の女性からも明らかな敵意を込めて見られる。
 夏梨はますます顔をしかめた。
「ちょっと、聞いてんの?」
「――あんたら、誰」
 ずいと覗き込んで来た女に、夏梨は低い声で言った。二人の表情がきょとんとしたものになる。
「何の話してるの? ていうか、人にもの訊ねるのに名前も名乗らないわけ」
「な……何よ、ガキが生意気にっ」
「ガキだから何してもいいとか思ってるの。それならあんた、最低なオトナだね」
 呆れた口調で夏梨が言えば、猫っぽい女は口を開け閉めしてぽかんとした。子供にここまで言われるとは思っていなかったのだろう。
 それを横目に見て、もう一人の少女が進み出た。
「口が達者なのね。……けれど、一理あります。私は飛梅。そっちは灰猫。あなたに事実確認と忠告をしに来たのよ」
「飛梅さんと、灰猫さん、ね。変わった名前だけど……あんたら、もしかしなくても氷と同類?」
 夏梨があっさり受け流して聞き返すと、飛梅は怪訝そうな顔をした。
「ひょう?」
「違うの? 青い髪で、金の目の男。なんか、ちょっと雰囲気似てる気がしたんだけど」
 すると、飛梅の表情が一気に驚愕に塗り変わった。
「ひょっ……ひょうって、あなたまさか、あの人のことを『氷』って呼んでるの!?」
「うん。氷がそう呼べって言ったから」
 輪をかけて二人が驚き、余って硬直したのがわかった。何やら小さく「まさか、本当に……」などと言っている。よくわからない。
「で、あんたらホントに何なの? 確認とか忠告とかって、何の話?」
 よくわからないやりとりに疲れてきて夏梨が話を戻すと、はっと我に返ったように灰猫が夏梨をびしっと指差した。
「あんたがどうやってダーリンをたぶらかしたか知らないけどね、ガキがちょこちょこ付きまとうのはやめなさいって言いに来たの!」
 ダーリンとは氷のことだろうか。指された指をひょいと避けて立ち上がり、夏梨はため息をついた。
 よくわからないが、とりあえずこの二人は何か勘違いしているらしい。
「いや、どっちかっていうと最初について来たの氷なんだけど……」
「なん……っ!! っと、とにかく! これ以上ダーリンを困らせたら、痛い目みることになるわよ」
「痛い目って、だからあたしは別に――いっ」
 夏梨の弁解は灰猫の耳には届かなかったようで、風が舞ったと思うと、頬にぴりっとした痛みを感じた。
 ぐいと頬を拭うと、わずかに血がつく。どうやら、何かで切られたらしい。
「なに……」
「ふふん、あたしの操る灰はよく切れるのよ。あんたなんかすーぐ千切りにできちゃうんだから」
「何であたしがっ」
 言いかけたところで、足元に唐突に火の球が落ちてきた。咄嗟に公園の中央へ避難する。
「言ったでしょう。これは忠告です。これ以上あの人を困らせないで」
 淡々とした表情で飛梅が言った。どうやら、彼女がやったらしい。彼女の持つ大きな鈴が炎に囲われていた。当たっていたら、火傷どころではすまなかっただろう。
 飛梅はそれを涼やかな音を鳴らしながら持ち上げ、灰猫が手に集めた灰の刃をごうと回す。
「でないと――」
 二人の声は重なり、その手が振り下ろされる。
 ――だが、その動作は途中で止められた。
 秋を通り越し、真冬のような痛いほどに冷えた一陣の風が吹き抜ける。瞬時に、飛梅と灰猫の腕が武器もろとも凍りついた。
 二人は悲鳴をあげるが、氷は一瞬で二人の腕を解放し、砕け散る。
 あとにはきらきらと舞う氷の破片と、夏梨を庇うように立つ氷が残った。
 夏梨は氷、と呼びかけようとし彼の背がまとう酷く冷えた、けれど確かな怒気に声をかけるのをためらった。
「――何をしている」
 氷から発せられたのは、淡々とした低い声だった。それに灰猫と飛梅はびくりとして、口ごもる。
「なにゆえ、この子供を襲う」
「そ、それは……」
「わ、私たちは、あなたがその子供のわがままに付き合わされているから、それを……っ」
 彼は飛梅の言葉に、眉間に刻んだ皺をさらに深くして、強く放っていた冷気を弱めた。そして、背後に庇っていた夏梨を顧みる。
「氷……」
「大事ないか」
「あ……うん。何ともな……」
 何ともない、と夏梨は言いかけたのだが、ふと氷の手が伸びてきて、頬にあった薄い傷に触れた。そういえば、先程灰猫にやられたのだ。
「いや、これは……その、かすり傷だし、どうってことないよ?」
 慌てて夏梨は言う。常も表情が柔らかくない氷だが、今はいっそう固い顔に見えた。
「……済まぬ」
 一言呟いて、氷は灰猫と飛梅を振り返る。二人が思わず後退するのがわかった。そば近くにいる夏梨は何故かそう感じないが、近づきがたいほど凍てついた空気が彼から放たれていた。
「我がここにいるのは、我の意志」
 冷えた空気を震わせて、氷は声を響かす。
「何を思ったかは知らぬ。――だが、この子供に手を出すことは、我が許さぬ」
 ばきん、と空気が凍るような音をたてた。夏梨が見上げたときには、空中に成された氷塊が、灰猫と飛梅のすぐ足元に突き刺さっていた。
 身をすくめた二人を見て、氷は相変わらず表情を変えず、けれど少し冷気を緩めて、二人を見据えた。

「わがままを聞いてもらっているのは、我のほうだ」

[2009.11.15 初出 高宮圭]