何が欲しいですか、と唐突に問われて、日番谷は書類に通していた目を上げた。
目前には、彼の副官である乱菊が、上機嫌で笑っている。
「……何の話だ?」
本気で訝しそうな目を向けて、その一瞬で乱菊の顔が不満げなそれに変わったのを見て取り、ふと妙な既視感を覚えた。
――そういえば、去年の今頃も、似たようなことがあったような気がする。
もう十二月も半ばに差しかかり、年末の忙しなさに瀞霊廷中が追われ始める頃。師走とはよく言ったもので、各隊舎ではいよいよ人手が足りないとなると、先輩も後輩も隊長だろうが副隊長だろうがお構いなしに駆け回るはめになる。
責任者としての書類処理が一気に押し寄せてくる隊長は最も忙しく、毎年山と積まれた書類と格闘し忙殺されるのは、仕事が早いと評判の日番谷とて例外ではない。
その日もその日とて、日に日に増える書類と向き合っていた日番谷のところに、本来ならば同じく忙殺されているはずの副官たる乱菊が上機嫌でやってきて、同じことを問うたのだ。何が欲しいですか、と。
そして今年と全く同じ台詞を返した日番谷に、乱菊も全く同じ表情をし、そして。
(……そういうことか)
そこまで瞬き一つの間に思い返した日番谷は、乱菊が次に口を開こうとするのを制した。
「――去年も言ったが、誕生日なんぞにかまけてるほど、ヒマじゃねえ」
「覚えてたんですか?」
「思い出した」
お前の顔で、とは口には出さずにおいて、日番谷は書類に目を戻す。
乱菊は意外そうに聞き返したものの、すぐまた不満が戻ってきたらしい。ぐいっと日番谷の向かう机に身を乗り出してきた。
「だったら、そんなこと言ってもどうせ聞かないのもわかってますよね?」
「自分で言うな」
「誕生日ですよ、誕生日! 一大イベントを祝わないでどうするんですか!」
同じことを去年も言っていたなと思い出す。しかし書類から目は離さず、判を押して次の書類へと移行した。
だが乱菊はめげない。さらに身を乗り出して、ほとんど机に乗る勢いで日番谷に詰め寄る。
「計画は立ってるんですよ、今年も去年と同じく一護の家でサプライズパーティーです!」
「今言った時点でサプライズじゃねえだろ。……それに、今年黒崎のうちを使うのはやめてやれ」
乱菊から書類を非難させつつ、日番谷は言う。乱菊はきょとんと首を傾げた。
「何でですか?」
「あいつ、今年『受験』だろ。前行ったときも相当必死に勉強してたじゃねえか」
それに乱菊は、あー、と何とも気まずそうな声で視線をあらぬ方向に向ける。おそらく以前見た一護の状態を思い出したのだろう。
死神代行黒崎一護は、今年高校三年生である。日番谷や乱菊たちに取っては身近に感じられないが、世間一般の受験生なのだ。しかも彼は高校二年のときに何だかんだで授業をまともに受けていなかったことも響いて、希望の大学を狙うには相当苦労しているらしい。
以前会ったとき、一月の『センター受験』に向けて偏差値をどうたら、と日番谷たちにはあまりわからない話をしていた。だが、今が学生としての彼の修羅場なのは、なんとなくわかる。
「……確かに、ちょっと無理っぽいですね」
乱菊も思い至ったのだろう、あきらめたように息をついた。
だが、それで引き下がるような彼女ではない。
「でも! だったら場所を変えれば問題ないじゃないですか!」
「瀞霊廷中が忙殺されてる今のこの時期に、のんきなことやってられるか」
「うっ」
乱菊は思わず言葉に詰まる。それはそうなのだ。ほとんど鬼気迫ると言ってもいい有様で仕事に追われるこの時期、さすがにのんきなことはやりづらい。
そもそもだからこそ現世でやろうと言っていたのであり、真面目に忙しくしている日番谷も、連れ出してしまえばこちらのものという利点もあった。今までも、結局当日にはできずに忙しさが去ってから、遅ればせな誕生日パーティーとなったことがほとんどだ。
乱菊が次なる言葉を探しているうちに、日番谷は処理し終えた書類の一まとまりを揃えて、乱菊に差し出す。
「わかったら、これ持ってさっさと行け。庶務のほうに提出だ」
「……隊長なんか、」
「あ?」
乱菊はぐいっと差し出された書類をひったくって、勢い良く踵を返した。そして部屋を出る寸前、ぐるっと日番谷に向き直る。
「大切な誕生日をないがしろにする隊長なんか、サンタさんにプレゼント貰えないんですからね!」
そう言うなり、ぴゅーっと部屋を出て行ってしまう。
日番谷はそれを、ほとんど呆れた視線で見送った。
「俺をいくつだと思ってんだ、あいつ……」
思わず呟いて、次の書類処理をしようと視線を落として、もう今日は処理する書類が終わったことに今更気づいた。
そういえば、今日は少なめだと今朝思った記憶があるような気がする。それでも現在は昼過ぎ。半日以上かかったことは事実だが。
なら乱菊をあんなふうに追い出す必要もなかったか、とも過ぎったが、それも後の祭りだ。そもそも誕生日など、乱菊が毎年毎年騒ぐから覚えていたものの、それがなければ完全に意識の外に追いやられるものに過ぎない。
日番谷の座高を越えて余りあるほどの椅子の背もたれに、ため息と共に沈む。ぎし、と体重を受け止めて軋む音に、何となく落ち着いた。
(誕生日か)
乱菊を始めとする、日番谷の周りの者たちは、なぜだかやたらそういう行事ごとが好きなきらいがある。大掛かりなことをしなくとも、必ず忘れることなく、自身の誕生日すら記憶の彼方に飛ばした日番谷に「おめでとう」と言って来るのだ。物好きな。そう思いつつも、嫌ではない。
だがふとそこで、浮かんだ考えがあった。
そういえば、乱菊は日番谷の誕生日だ誰の誕生日だと人のことはやたら騒ぐが、自分の誕生日に目立って騒いだ記憶はない。
日番谷も忘れたわけではなく、一応いつも「おめでとう」だけは言っている。乱菊と仲の良い同僚たちが、もっと盛り立てようと言っていたことも記憶にある。だが乱菊は、何だかんだとそれを流してしまうのだ。まるで、深く触れるのを拒むように。
それはなぜか。
そんなことは、考えるまでもなく思いつくことができる。
―― 『あいつと会った日が、あたしの誕生日なんです』
そう聞いたのは、いつだったか。乱菊の幼馴染であるあの男のことを思い出して、それを振り払うようにもたれていた背もたれから体を起こした。
壁にかけてある日めくりカレンダーを見ると、どうやら明日が日番谷の誕生日のようだ。
今日はもう、急ぎでやらねばならない仕事はない。
そこまで思考を巡らせて、日番谷はしばらくじっとカレンダーを眺めていた。そして不意に、小さく舌打ちをする。
「……ったく」
どこか苛立たしげに呟いて、日番谷は誰に知られることなく、執務室を後にした。
2009Xmas〜年末年始10日連続更新二日目。
[2009.12.26 初出 高宮圭]