――黒崎一護の行方を、ご存知ではありませんか。
日番谷やルキアからすれば、それは唐突過ぎる問いだった。
しかし、どうやら白哉には心当たりがあったらしい。わずかに眉がくもる。
夏梨はそれを見逃さず、言葉を続けた。
「一昨日明朝より、兄が戻っておりません。最後にお会いしたのが朽木隊長だったと聞き、参りました」
「……誰に聞いた」
「袖白雪です」
名を出すと、控えていた袖白雪が進み出る。
「恐れながら、白哉様。一昨日早朝、黒崎一護はルキア様をお送りになった後、行方がわからなくなっております。彼が帰る直前、会っておられたのは白哉様でした」
そこまで話が進んだところで、きょとんとした声が割って入った。
「白哉、夏梨くん。いったい何の話だ?」
「浮竹隊長」
いたんですか、と表情で言った夏梨に、浮竹は若干曖昧な笑みを浮かべる。知られているであろうことはわかっていても、婚約云々の話をしていた、などと面と向かって言いたくはなかった。
「黒崎なら、一昨日から体調不良で休むとの連絡が入ってる。今日辺り様子を見に行こうと思ってたんだが……」
「体調不良?」
思わず聞き返した夏梨の声は、後ろにいたルキアとぴったり被った。そして間髪いれず、夏梨は断言する。
「ありえません!」
「え」
「一兄がそんな繊細なわけないじゃないですか!」
一刀両断だった。けれど、妙に説得力もあった。
黒崎一護。繊細。――その言葉の、なんと似合わないことか。
「なら、黒崎は……いや、休みだと知らせて来たのは、いったい……」
困惑したように顎に手を当てた浮竹を横目に、夏梨は立ち上がって再度白哉を見た。
「――朽木隊長。ご存知ですね」
声を低めた夏梨の問い、というよりは確認に、白哉は静かに視線を落とす。そして、浅く息を吐いた。
「度を過ぎた無礼を働いたゆえ、鍛錬がてら、少々説教をしていただけのこと」
「約三日もですか」
「ああいう手合いには、骨の髄まで教え込まぬと効果がない」
「……今も、千本桜が不在のようですね」
「戦時ではないゆえ、常にはいらぬ」
「つまり一昨日からずっとってことですよね」
白哉は無言で返す。夏梨は思わず頭を抱えそうになった。
「……いくら一兄でも死ぬって」
思わず素で呟いたそれは、やけに現実じみていて寒くなる。約三日間、千本桜の刑。――想像したくもない。
「い、いったい、一護は何を……」
全く知らなかったらしいルキアがおずおずと白哉を見上げ、浮竹も同様に白哉を見る。
だが日番谷だけは、別の箇所を見ていた。というよりは、感じていた。
(どこに行った、氷輪丸)
白哉が出てきて以降、ごく自然に日番谷のもとに帰るかの様子で消えた氷輪丸は、その実、戻っていない。霊圧も気配も消されていて追うことはできないが、遠ざかった感覚もなかった。
氷輪丸の気配の残滓を探りながら、日番谷は先程夏梨を抱いていたときの氷輪丸を思い出す。
いつにも増して固く厳しい表情には、氷輪丸があまりわかりやすく浮かべない感情があった。喜怒哀楽のどれかで表すとすれば、間違いなく『怒』。そして声もなく、ただ口元だけで日番谷に言った。
―― 『馬鹿者』
それが何についての言葉なのか、わからないほど鈍くはない。そのときは氷輪丸の腕の中にいた、夏梨のことだ。
氷輪丸が夏梨を気に入っていることは知っていた。だがそんなに親しいとは知らなかった。いったいいつの間に会っていたのか。
と、思考が逸れかけたとき、急に件の氷輪丸の気配が近づいた。
来る。
その直感に過たず、氷輪丸は氷雨を伴ってその場に現れた。そして無造作に、黒い塊を足元に放る。
それを見て、まずルキアが悲鳴に近い声をあげた。
「いっ一護!?」
「う……」
黒い塊――もとい、一護は、若干うめいたものの、気を失った体のまま動かない。
ルキアは満身創痍の一護と白哉を交互に見た。
「に、兄様……これはいったい……」
「黒崎!? 白哉、いったいどういうことだ。説明してくれ!」
浮竹も白哉に詰め寄る。だが白哉は動じず、「私の気を逸らしている間に見つけ出したか」と冷静に氷輪丸を見ていた。
一方で夏梨は、一護を見、安堵したように息をついてから、白哉を見て呆れたように「朽木隊長」と呼んだ。
「いくらなんでもやりすぎです。――たかが朝帰りに、半殺しなんて」
「あ?」
ぽかんとして夏梨を見たのは浮竹だ。ルキアも一護の治療をしかけていた手を止めて、夏梨を見る。
「――たかが、だと」
声を低めて、白哉が夏梨を睨む。だが夏梨はそれにも怯まず「たかがです」と繰り返した。
「どうせ、一晩中ルキアちゃんが帰ってこなくて、任務かなあと思ってたら朝方こっそり一兄と一緒に帰ってきたのを目撃しちゃったってとこでしょ」
「み、見ておられたのですか!? と、というか夏梨、どうして……」
一護そっちのけでわたわたとするルキアに、夏梨は黙って袖白雪を示す。それから続けた。
「言っときますけど、うちの一兄に、事後堂々と朝帰りを送ってやる甲斐性も度胸もないです」
「じっ……」
ルキアが口をぱくぱくさせている。そして我に返った様子ではっとして、立ち上がった。その拍子に蹴っ飛ばされた一護が衝撃で目を覚ます。
「ちっ違います、断じて違います兄様! あれは多少仕事が長引いて、そのままこやつと朝方の見回り番だったゆえに一緒になり、帰り際に送って貰っただけなのです!!」
白哉の表情が意外そうなものに変わる。緩慢な動作で一護を見、ルキアを見て、夏梨を見た。
夏梨はよろよろしている一護を助け起こしながら、白哉を見返す。
「一兄はともかく、ルキアちゃんの言葉なら、信憑性あると思いますけど」
白哉はふいと目を逸らす。そして指を鳴らすと、すかさず現れた家臣に「四番隊の手配を」と言い渡した。
それに夏梨は長々と息を吐いて、肩の力を抜く。その後何が何だかわかっていない兄を振り向いて、背を叩いた。
「生きててよかったね、一兄。袖白雪が知らせてくれなきゃそれこそ千切りだよ」
「夏梨? なんで……てか、俺なんでか白哉に半殺しに……」
日頃の行い見直しなよ、と夏梨が立ち上がったところで、それまでずっと黙って事の成り行きを見守っていた日番谷が声をあげた。
「――待て。おい、朽木隊長。てめえまさか、それで婚約話持ち上げたんじゃねえだろうな」
その言葉に、一瞬で室内が静まる。
白哉は何も言わない。だが、どこか罰が悪そうに視線をあらぬ方向へ飛ばした。――それで十分だった。
「ほ、本当なのか、白哉!?」
浮竹が再度詰め寄る。白哉は視線を日番谷に変えると、浅く頷いた。
「どこぞの下手な虫がつくよりは、いくらかましだろうかと」
「それで、何で冬獅郎なんだ」
「仮にも兄の息子。私もその実力は評価している。……ついでに言えば、女人に興味が薄そうなゆえ」
ルキア命と言って過言でない白哉のことだ。最後が実は一番重要だったりしないだろうか。一瞬そんなことを考えた日番谷だったが、次に浮竹が取った行動にすぐさまぽかんとした。
「白哉!」
浮竹にしては珍しい怒声で呼んで、――指で白哉の額を弾き飛ばした。
ばちん、といかにも痛そうな音がする。
また部屋に沈黙が落ちた。
でこぴん。
紛れもなく、今浮竹が白哉にしたのはでこぴんだ。
朽木白哉にでこぴんできる人が、いったいこの尸魂界――いや、世界に何人いるだろうか。
だが当の浮竹は周りの驚愕など微塵も気づかず、眉をひそめて額を押さえた白哉にそのまま続ける。
「確かに冬獅郎は俺の自慢の息子だ! 家で見ても、うちは朽木家に逆らえる立場なんかじゃない。だが、そんな適当な理由で、冬獅郎との婚約は認めることはできない!」
だいたい、と浮竹はすたすたと日番谷の傍らまで来ると、その肩に手を置く。
その段になって、白哉からの要請を受けた四番隊の隊員――大層なことに隊長たる卯ノ花と、副隊長の勇音が姿を見せた。どうやら相手が一護とあって、重症を見込んで来たらしい。正しい判断だ。
「非公式だったから言えずにいたが、冬獅郎には既に婚約者がいる。今回の話、それを反故にしてまで受ける理由はないと俺は思う」
「おい、義父さん!」
何を言い出すかと日番谷は声を上げるが、言ってしまったものは引っ込められない。
「――いたのか」
心底意外そうに聞こえる声音で、白哉が呟く。初耳の他の面々も興味深そうな視線を日番谷に向けた。
一方で、やめろと言いたげな日番谷の声に、浮竹は宥めるように肩を叩く。
「黙っていたせいで今回のことが起きたんだ。言ってもいいだろう」
「俺一人の問題じゃねえだろうが。相手の意志はどうなる」
「仲良しじゃないか。この間もご飯作りに来てくれたし……もしかして、喧嘩したのか? いや、喧嘩はしょっちゅうか……」
「そういう意味じゃなくてだな……!」
「違うのか。……ああ、相手にも了承してもらわないと、ってことかい?」
ようやくわかってくれた浮竹に、日番谷は頷く。何とかこの場で夏梨の名前を出さずに済みそうだと思ったその矢先だった。
「おーい夏梨くん、言ってもいいかい?」
――止める暇はおろか、気づいた瞬間に、その名は発せられていた。
日番谷が言葉を失う。浮竹がきょとんとする。夏梨が頭痛をこらえるように額を押さえて、部屋はしばらく静まり返った。
その沈黙を破ったのは、極めつけの浮竹の一言だ。
「……あ、しまった」
ぱふんと口を押さえる。だが時既に遅しで、一護は石化しているし、ルキアは口を開けたまま日番谷と夏梨を見比べているし、何よりうるさかったのは、唐突に壁から出てきた一群だった。
「えええ!! そんなの聞いてないですよ、日番谷隊長! 夏梨っ!」
「乱菊さ……何で、っていうかどこから……」
壁の穴から飛び出して来たのは乱菊を始めとする女性死神協会の面々だった。どうやら朽木邸に出没すると言うのは嘘でなかったらしい。
壁の近くにいた夏梨は、たちまち女性陣に囲まれてしまう。興味津々な様子の彼女たちに、夏梨は一抹の恐怖に似たものを覚えた。
「――氷輪丸!」
後ずさった夏梨を、日番谷のその声とともに軽々と持ち上げた者がいた。氷輪丸だ。
氷輪丸は長身だ。さらにその威圧たるや、緊張感のない面々を気圧すには十分すぎる。
思わず道を開けた乱菊たちの前から、氷輪丸は夏梨を抱えたままひょいと日番谷の傍らまで移動する。
「ひょ、氷輪丸、ていうか冬獅……じゃなくて日番谷隊長、下ろして――」
荷物よろしく抱えられた夏梨は主張するが、それは中途半端に終わった。日番谷が氷輪丸の腕から夏梨を引き取ったせいだ。
「……義父さん。あとは頼む」
非常に面倒なことになりそうな現状を見つつ、日番谷は声を小さくして浮竹に言う。浮竹はそれを苦笑で受けた。
「わかった。でも、その前に少しいいかい?」
浮竹は日番谷に抱えられている夏梨に手を伸ばす。そしてその頭を優しく撫でた。
「いろいろとすまない、夏梨くん。でも、今回のことは俺が責任を持って白紙に戻す」
「浮竹隊長……」
「だから安心して、お嫁においで」
気まずい空気にとどめの一言を放ったことに、浮竹は気づいていない。
日番谷は深々とため息をついてから、言葉をなくした夏梨を見た。
「――夏梨」
「え」
「逃げるぞ」
言うや、一瞬で辺りに氷の壁ができあがる。
そしてそれが砕けた次の瞬間には、日番谷と夏梨、そして氷輪丸の姿はとうに消えていた。
***
「逃げちゃったら肯定と一緒だろ」
「あの時点でどうフォローしても手遅れだ。……それにどうせ事実だろ」
浮竹邸に辿り着いて、自室に向かう道すがら、夏梨は相変わらず日番谷の腕に収まっている。下ろしてくれと言っても一向に下ろしてくれないのだ。
「冬獅郎、自分で歩くってば」
「嫌か」
「やだ」
不機嫌な即答に、日番谷は一旦足を止める。こういうとき、嫌かと聞いて嫌だと返されたことはこれまでなかった。
「……何怒ってんだ」
「なんで怒らないと思えるわけ」
「――悪かった」
まっすぐに目を見て率直に謝られて、夏梨は一瞬目を見開く。口が何か言いたげに開いたが、結局何も言わずに、ふいと目を背けた。
「謝ってほしいわけじゃ、ない……」
ただ、と夏梨は肩にある日番谷の手に控えめに触れる。
「あたしより、ルキアちゃんといるほうが似合って見えたから。氷輪丸と袖白雪だって、仲悪そうに見えるけど、ちゃんと今回みたいに協力もできるし」
「……は」
「それにやっぱり、貴族にとって家柄は大切だもん。朽木家と繋がれるなら、安泰だし」
「おい」
「でも、そう思うのに……そんなこと、本当は考えたくないって思ってもいる自分にいらいらして」
最低だ、と俯いて呟いた夏梨を、日番谷はしばらく黙って見ていた。けれど止めていた足をまた動かして、ほとんどすぐそばまで来ていた自室に入る。
そこで、日番谷は夏梨を抱いたまま壁に背を預けて座り込んだ。
それから、何食わぬ顔でさらりと言う。
「何だお前、妬いてたのか」
「はっ!?」
「そうだろ」
何を言い出すんだとばかりに顔を勢い良く上げた夏梨を流し見て、わずかに笑う。自分でこそわからないものの、それはやけに意地悪い顔になっていた。
夏梨は言われてやっとそれに思い至ったような様子で、ぽかんと日番谷を見上げている。
「あたしは、別に……」
「うるせえ、認めとけ」
でないと立つ瀬がない、というのは胸中だけで呟くに留めた。
思い出すのは、氷輪丸が声なく言った『馬鹿者』という言葉だ。氷輪丸がいつどれくらい夏梨と会っていたのか気になりはする。だが聞けば、今見せているとりあえずの余裕が崩壊することがわかっていたので、口にはしない。
その代わり少しだけ乱暴に、未だ言い募る夏梨の言葉を遮った。
――その頃、朽木邸に残された浮竹が、石化した一護の回復に苦心していることなど、今の二人には知る由もない。
1万hit御礼リク一つ目。
伊砂様より「日夏で切ない感じの夏梨がルキアに嫉妬する氷輪丸&袖白雪絡みの婚約者設定」でした。
リクなのに半分無視で趣味に走る&切ない感じの夏梨はどこいったな展開で申し訳ありませ……!(汗)ていうか日夏なのに日夏の婚約者設定が活躍してないorz すみません……。
ですが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
リクエスト、ありがとうございました!
[2009.10.08 初出 高宮圭]