<※夏梨十三歳(中学二年になったところ)設定>
一言で表すと、戦場だった。
土曜日、昼下がり。買い物帰りに浦原商店へ来た夏梨は、店の入口を開けて、そのまま静止した。
店内では、どうやら在庫整理と処分が行われていたのだ。だが、普通のそれとは明らかな違いがある。それは、物が飛ばされ、投げ合いになっているのはともかくとして、火が出るわ煙が出るわ、刀が飛んで銃弾も飛んで、あげく人まで飛んでいる――そんな状況があることだ。
やっているのは、もちろん浦原商店の者たちである。
いったい何の整理と処分をしているかは知れないが、まず異様だ。驚きを通り越した呆れを持って、夏梨はその壮絶なバトルを見守っていた。
だが、そういえば見ている必要もないことに気づいて、巻き込まれる前にそっと帰ろうとしたときだ。
「あってめー夏梨! 来てたなら手伝えよ!」
運悪く、気づいたジン太にがっしりと肩を掴まれた。
げ、と夏梨はうめく。しかしジン太は有無を言わさずぐいぐいと夏梨を奥へ引っ張って行く。
「ちょっと、あたしやだよ。万国ビックリショーになんか参加する気ないってば」
「んなことしてねえよ! ただの在庫処分だ」
「どこが……」
何やかんやで数年来の付き合いで、この店の奇怪っぷりには既に慣れたつもりだが、それでもげんなりする。結局、イイ笑顔の浦原に引き渡され、手伝うはめになった。
「浦原さん、これは?」
「それはこっちのダンボールにお願いします。あと、万一動き出したら、迷わずアタシか夜一サンに投げてくださいね」
動くんだ、と手に持った札の塊みたいなものを手早く運ぶ。今でも頭の上ではウルルや猫の夜一が無駄に飛んで回って処分を進めているが、夏梨から見れば、処分というより、やたら抵抗したりしなかったりする怪しげな道具を、空中の札に縁取られた黒い穴に投げ込んでいるように見えるだけだ。
「その穴、なんなの?」
一息ついて足元に降り立った夜一に聞いてみる。ちなみに夜一がただの猫でないことはずいぶん前に知った。
「これは穿界門……この世とあの世を繋ぐ門の改造版じゃ。呑まれたもの全てが無に返される空間に繋がっておる」
うっかり落ちると危険だから、空中に置いている、との夜一の説明に、夏梨はもうちょっと離れておこうと心に決める。だが、何でもないように夜一は続けた。
「おぬしが持っているそれも、これの一種じゃぞ」
「え」
「まあ万が一にも起動することはないが、今回の処分はそれの類が多いからのう。死神の世界に繋がるものもある。じゃが、気をつけろよ。うっかり行くと重罪じゃ」
猫の姿ながらににやりと笑ったのがわかる表情をして、夜一は釘を刺す。
夏梨は眉をひそめた。
「死神の世界って要するにあの世だろ。言われなくても行きたくないよ……」
――たとえそこに会いたい奴がいたとしても、迷惑をかけるだけなら、行きたくない。
口にはせずにそう考えて、夏梨は作業に戻ろうとした。
けれども。
「避けてください、夏梨サン!」
「――は」
浦原の声に視線を上げると、唐突に夏梨目掛けて飛んできた塊が視界に映る。どうやら札だらけの四角いそれは、怪しげに発光していた。
――やばい。
あれは、やばい。なんかわかんないけど、当たりたくない。
直感した夏梨は持ち前の運動神経で直撃コースから飛びのいた。
よし避けた! と心中で確信したとき。
「うおぉぉなんかこっち来たァァァ!!」
夏梨の後ろにいたジン太が叫ぶ。――そしてこともあろうに、それを自慢のバッドで夏梨のほうへ打ち返した。
「何すんだバカジン太ァァァ!!」
打ち返された塊は、まだ飛びのいたばかりで体勢の整っていない夏梨に再度加速して迫る。
今度は避けられない。
そう判断した夏梨は咄嗟に腕で頭を庇う。同時に、四角い発光体は夏梨に直撃した。
途端、目を灼くような白い光が辺りに満ちる。
「まずい、起動しちゃったッスね……。夏梨サン! 聞こえますか!」
「うあ、何っ!?」
光の中で目を開けることもできず、とりあえず夏梨は目を閉じたまま聞こえてきた浦原の声に応える。
「ソレは尸魂界への霊子変換付き転送装置です! 上手く作動すればあっちに着きます!」
「そうそさ……? 何それ……ってか上手くって何なの!? あたしどこ行くんだよ!」
「つまるところあの世ッス!」
「はあああ!?」
冗談じゃない。こんなことであの世なんてそんな馬鹿な。
夏梨は眩しいのもそっちのけで目を開けた。
「やだよそんなの! 止めらんないわけ!?」
「今干渉するのは不可能ッス! 大丈夫です、死ぬわけじゃない。上手く立ち回れば生き残れます!」
いちいち言い回しがひっかかる。ひっかかるがどうしようもない。
指先から光が体を通って行く。眩しさに堪えかねて目を閉じた。何がなんだかわからない中で、夜一やジン太の声がする。
「よいか夏梨! 妙な道に出たらとにかく走れ! あちらに着いたら儂らや一護の名前を上手く使って帰って来い!」
「てっ店長! やばいんじゃねえのかよ! てか何楽しそうな顔して……」
「いやーナイスプレーでしたよジン太。予想外でしたが面白い結果になりそうで何より。コレ使えないと思ってたんスけど案外行けますねェ」
「ま……まさか店長わざと……」
――なんだと。
聞き捨てならないやり取りが聞こえて、夏梨はもうほとんど自由のきかない体を無理やり動かす。そして叫んだ。
「ふっざけんなァァ! 帰ってきたら覚えとけこの中年ゲタ帽子――!!!」
叫びを残して光の収束と共に夏梨の姿が消える。
そのあと、浦原が「中年」という言葉に少なからずダメージを受けていたことなど、夏梨は知るよしもない。
「ちっくしょおおおっ!!」
――光に包まれた後、夏梨が次に目を開いた場所は、やたらうねうねした壁が両脇にある通路のようなところだった。直感的に触りたくないと思う。同時に夜一の「とにかく走れ」という言葉を思い出して、走りに走った。
何がどうなってここが何でどこに、なんて考えている余裕もない。
夏梨はとにかく全力疾走して――まもなく、落ちた。
「いっ」
胃がひっくり返るような感覚を覚えながら、体は墜落の一途を辿る。引き攣った悲鳴をあげて、思わず目をつむった。
「っだ!?」
しかし、足先にとんでもない痛みと痺れが走って目を開ける。何事かと思わず涙目になりながら、足を見る。すると、両ふくらはぎあたりに、黒いハンコみたいなものがあった。それはどうやら――猫の足跡のような。
猫。
それで今連想するのは、夜一しかいない。
それが足にあるということ。つまり。
ほとんど勘で、夏梨は動いた。
――いちかばちかだ。
「でりゃあああっ!」
若干捨て鉢な叫びをあげて、足を動かす。空中で走る。
すると、足の裏に確かな反発を感じた。まるで地面があるような感覚。
――いける!
確信して、夏梨は走った。夜一の「とにかく走れ」を思い出してよかった。
ただし、速度は落ちても落下は止まらない。確実に下へ落ちていく。夏梨にできたのは、階段を駆け降りるように空中を自力で下ることだ。落ちるより早く下れば、助かる。
それからは無我夢中だった。周りも何も気にしている余裕はない。最終的には五段飛ばしくらいで飛び降りた。
ダン! と足が痺れるほどの衝撃に耐えて降り立つ。今度こそ確かな地面の感触を得て、夏梨は息を切らしながらへなへなと座り込んだ。
「助かった……」
思わず呟いた、直後。
「動くな!」
鋭い声と共に、首筋に物騒な刃物が宛てがわれた。
それを見た瞬間に、夏梨は決めた。
――あの中年ゲタ帽子、絶対タコ殴りにしてやる。
***
「日番谷隊長っ! 緊急事態です!!」
それはもう慌ただしく執務室に駆け込んできた副官の乱菊を見て、日番谷はどこまでも疑わしそうな目をした。
「お前は緊急事態にみたらしだんご片手で走るのか」
「欲しいなら後であげますから!」
「いらねえ」
「それより! 緊急事態なんですよちゃんと聞いてください!」
日番谷はこめかみが痙攣するのを堪えながら、仕方なく据わった視線で先を促す。
乱菊は日番谷の座る執務席の前まで来て、ダンと腕をついた。
「さっきの旅禍騒動、知ってますよね」
「あ? ……ああ、瀞霊廷内に来た奴がいるんだろ。速攻で二番隊が捕獲したって聞いたが」
「ええそうなんです捕獲されちゃったんです! いいですか隊長、耳かっぽじってよく聞いてくださいね」
乱菊は妙に難しい顔をして、ずいと日番谷に詰め寄った。
「旅禍は現世の人間だったそうです。近場にいた七緒に聞いたんですけどね」
「それが?」
「その旅禍は非常に冷静で、捕まったとわかるやあっさり捕縛に同意したとか」
「そりゃ懸命な判断だな」
「ええもうクールすぎるくらいクールですよ、隊長の氷輪丸もびっくりですよ!」
「何テンパってんだてめえ」
半眼で応じる日番谷に、乱菊はさらに詰め寄った。真顔である。
「しかも! あの砕蜂隊長に、説得で弁解の余地を認めさせたんです」
「……それは、ずげえな」
おざなりに話を聞いていた日番谷だったが、そのときだけ少し驚いた。けれど書類に目を通すのはやめない。
けれど、次に続いた言葉には、確かな反応を示した。
「いいですか隊長。その旅禍は『現世から来た霊力の強い女の子』でした」
途端、日番谷の動きが一時停止する。
そして次の瞬間には、書類は放置され、乱菊の背後にある入口は開け放されて――日番谷の姿は、消えていた。
一拍遅れて、それに気づいた乱菊は一瞬ぽかんとして、
「待ってくださいよ、あたしも行きますー!!」
執務室から姿を消した。
***
「査問会?」
「そうだ。この後間もなく、隊首会において貴様の査問会が行われる」
夏梨は、格子越しに二番隊隊長砕蜂と名乗る女性を目の前にしていた。
格子越し、つまり夏梨は牢屋の中にいる。石と鉄しかないそこは全てが冷たく、自然にある暖かさを微塵も感じさせない。
「これは極めて特例だ。お前の冷静な態度と主張に弁解の余地を与えて良い人物と思われたゆえのこと」
「主張って……」
夏梨はただ、囲まれたときにひたすら大人しく捕まっただけだ。言いたいことは言って。
何言ったっけ。砕蜂の説明を聞きながら、頭の片隅で考える。
――動くな。
そう言われて、夏梨は素直に動きを止めた。首に刃物を当てられて下手に動けるわけもない。ついでに周りには黒づくめの者たちがずらりといて、逃げられそうな雰囲気はなかった。
「子供とて侮るな! こいつは屈強な瀞霊廷の防壁結界を突破してここにいる。――旅禍! 貴様、どうやってここに入った」
「リョカ?」
「貴様のことだ、侵入者。抵抗するならば、ここで殺す」
どうやら一方的に夏梨は悪者らしかった。殺されるほどの。
どうしよう、と考える一方で、それより勝ったのはよくもこんな物騒な事態に落としてくれたなあの中年ゲタ帽子、という怒りだった。
殺すだって。こんなよくわからないところで。何もわからないまま。こっちは巻き込まれた被害者だと言うのに。
――殴る。絶対一発、いや二発、三発、気が済むまで殴ってやる! あのオヤジ!
怒りは静かに頂点に達した。そして、頂点を通り越して冷静な頭が戻ってくる。
あのオヤジを殴りに帰るには、何をすればいい?
「砕蜂隊長! 待ってください、まだこの子、子供じゃないですか」
夏梨が固まっている間に、そんな声が割って入った。見れば、きちっと髪を結い、眼鏡をかけた女性が駆け寄ってくる。
「伊勢か。甘いことを言うな。子供であれ旅禍。ここに入っただけで十分死罪に値する。話を聞き出せば、殺すのみ」
「でも……この子、現世の子ですよ、ただの」
「それがどうした。こいつは――」
「わかったよ、あたし捕まるから」
夏梨は二人の口論を遮った。一方はほう、と冷たい視線を、一方は驚いたような視線を寄越してきたが、それを見返して続ける。
気分は自分でも驚くくらいに冷めていた。
「よくわかんないけど、あたし、なんか悪いことしたんだろ。ならちゃんと捕まるよ。抵抗もしない。……だから、話くらいちゃんと聞いてよね。今時裁判もなしに罪状決定なんて時代遅れも甚だしいぞ」
「……、……」
「……ええと、そ、そうよね……」
二人が面食らったような様子で夏梨を見る。眼鏡の女性は少々戸惑っている様子だ。
夏梨はため息をついた。
「ところでさ、逃げないからこの刀どけてくれない? 何もしないよ、できないって」
「……妙なことをしてみろ、即座に殺す」
「お姉さん、物騒すぎ」
と、首に刀を当てていた女性の表情が変わった。
「お姉さん……?」
「あたしまだ十三だもん。お姉さんは、大人のお姉さんでしょ」
夏梨を捕らえている、眼鏡の女性に比べて小さなその女性は、小さくお姉さん、と繰り返す。心なしか雰囲気が嬉しそうなふうになったのは気のせいだろうか。
「お姉さん?」
「……手は縛るぞ」
もう一度呼びかけると、女性ははっとしたように咳払いをして、刀を引いた。同時に両手首に手錠みたいなものが施される。いつの間に、と思うがよくわからない。
だが、刀がなくなったのは何よりだった。
改めてため息をついて、夏梨は立ち上がる。周りが一斉に構えたが、呆れた視線を返しておいた。
抵抗なんかするもんか、めんどくさい。さっさと帰ってあのオヤジをタコ殴りにできればそれでいい。
「で? あたし、どこ行けばいいの、牢屋?」
――という具合で、夏梨はここに来たはずだった。
どうやらあのときの態度がよかったらしい。いつもはドライすぎだ何だと言われる性格だが、功を奏したようだ。
「査問会はこの場で行われる。お前はその牢の中から質問に答えろ。……答えられたらの話だがな」
「どういうこと?」
「護廷十三隊の現在いる隊長全てが揃う。霊圧に負けて話せなければそれまでだ」
砕蜂は飛んできた黒の蝶を指にとまらせながら、背後の扉を伺う。
ごていじゅうさんたい、と漢字変換もままならない夏梨だが、考えてもわかりそうにないので放棄することにした。
「……よくわかんないけど、それができなきゃ帰れないなら、意地でもするよ。じゃなきゃあのオッサン殴れないもん」
「おっさん?」
砕蜂が訝しげに訊き返したときだ。背後にあった巨大な扉が開いた。
――そしてそこから、幾人もの死神の姿が現れた。
そのいずれも、白い羽織を着ていた。
そういえば、あれ冬獅郎と同じだ。この砕蜂って人も。
ぼんやり思って、そうだ冬獅郎ここにいるんだ、と今更思い至った。
(なら是非とも冬獅郎にも浦原さんボコって貰おう)
怒りのせいか状況のせいか、若干ずれた思考に気づかぬままに、夏梨は決意する。
その次の瞬間だ。
今しがた思い浮かべたその顔が、目の前に現れたのは。
Xmas〜年末年始10日連続更新五日目。
[2009.12.29 初出 高宮圭]