トラブルメーカー

03

 地獄蝶が砕蜂の指に止まり、あらかたの格隊長が集合完了したことを知らせた。
 今回は特例であるゆえにいつもの隊首会の場所ではないため、部屋の前に集合をかけ、事情の説明が行われたのだ。
 今から、全隊長総勢十人の隊長が揃う。
 砕蜂はそれを旅禍の子供に告げた。子供はよくわからない様子で眉をひそめる。
 きっと一言も発せず終わるだろう。何しろ限定霊印も何もない隊長格の霊圧をこぞって目前にするのだ。ただの子供に耐えられるわけがない。
 事情は知らないが、運が悪い子供だった。
 そう思ったのだが、子供は「……よくわかんないけど、それができなきゃ帰れないなら、意地でもするよ。じゃなきゃあのオッサン殴れないもん」と呟く。
「おっさん?」
 何の話だ、と砕蜂は訝るが、同時に扉が開いた。
 総隊長を始めとして、次々と隊長が入ってくる。
 子供は想像通り固まった。
 だが、その次の瞬間に予想外のことが起こった。
 何故かよほど急いで来たらしい十番隊の隊長たる日番谷が、瞬歩で砕蜂の背後、牢の子供の前に現れたのだ。
「な……」
 砕蜂を始め、他の隊長たちも意表を衝かれた。だがそんなことを全く気にした様子もなく、日番谷は唐突に怒鳴った。

「お前何してんだ、夏梨!」
「冬獅郎、頼む浦原さんボコって」

 ――沈黙。
 誰もがぽかんとした。何やらよくわからないが怒鳴った日番谷、隊長格が揃い踏みするこの場であっさり口を開いた子供。その口から飛び出した名前。
 あらゆる驚きと疑問を濃縮した、短い沈黙が落ちた。

「……ボコるのは全く構わねえが、やっぱあいつの差し金か」
「あんたならそう言ってくれると思ったありがとう。手加減ナシでいいよ、あのオッサン最低の大人だから。本人の意志無視で勝手に実験台にしたんだぞ!」
「――ちょっと待て貴様ら!!」
 勝手に話を始めた二人を砕蜂は声量で遮った。
 二人は何だとばかりに揃って視線を向ける。
「何を勝手に話をしている、日番谷隊長! いや待て、知り合いなのか? いや、その前に今、忌まわしい名前が……っ」
「浦原さんのこと?」
「その名を口にするな、聞きたくもない!」
「まるでゴキブリだな」
「それもよせ!」
 しれっと言い放った日番谷に反論した砕蜂だったが、背後からポンと肩を叩かれて我に返った。
 勢い良く振り向くと、いつものにこにこした笑顔の浮竹が「まあまあ」と立っている。
「落ち着いて、砕蜂隊長。日番谷隊長も、ゴキブリで喩えるのはやめておいたほうがいいかもしれないな」
「以後気をつけよう」
 日番谷が淡々と応じたところで、タン!と総隊長の持つ杖が床を鳴らした。
「――突っ込みどころはそこではないわい!」
 発せられた迫力のある太い声に、室内は静寂を取り戻した。
 砕蜂が姿勢を正し、日番谷も旅禍の子供に背を向け、さりげなく庇うように前に立つ。
 総隊長は牢の前に出ていない他の隊長を背景に、日番谷たちを見据えた。
「どういうことじゃ、日番谷隊長。その旅禍の子供は何者じゃ」
 重々しい問いに、日番谷は少し間を置いてから視線だけで旅禍を振り向く。そして彼女が頷いたのを確認して、立ち塞がる状態から体を少し横にどけた。そして総隊長も旅禍も両方が見えるように斜に立つと、いつもの冷静な口調で口を開く。
「この者とは少々面識があります。どういうことかは、本人の話を聞かなければ知りません。発言の許可を」
「許す」
 短く承諾が成され、牢の中の旅禍が一歩前に踏み出した。一同の視線が集まる。
 夏梨は少し怯えた様子で肩をすくめたが、それは一度だけで、すぐにまっすぐ総隊長を見た。
「……あたしは、ここに来ようと思ってきたわけじゃない。ちょっとした事故で来たんだ」
「事故、とな。現世からこの地への道は、そう簡単には開かぬぞ」
「うちの近所にある、浦原商店の怪しい在庫処分を手伝わされてたんだ。変な道具ばっかりで、あの世とこの世を繋ぐ門の改造版とかいうのがいっぱいあって……」
「穿界門かネ?」
 興味をそそられた様子でマユリが口を挟む。旅禍は「そんな感じの名前だった」と眉をひそめた。
 浦原商店、と言われてわからない者はいない。元護廷十三隊所属だった浦原喜助が現世に店を構えていることは既知の事実だ。
 その続きから、旅禍の表情はどんどん険しい――というか、苛つきも露わなものになっていった。
「そのうちの一つを、何考えてんだか知らないけど、あのオッサンが投げたんだよ。ぶつかったと思ったら光って、かと思ったら変な通路みたいなとこに飛ばされて……ギリギリで夜一さんが教えてくれた助言があったからなんとかなったけど」
「よっ夜一様だと!?」
 何気なく旅禍が出した名前に、砕蜂は思い切り反応した。だが旅禍は構わず続ける。
「『ダメだと思ったのに案外いけた』だ何だって言ってた。……あたしはあのオッサンに勝手に実験台にされただけで、よくわかんないままここで死ぬとか、絶対嫌!」
 旅禍の主張を、浦原を知る者は戯言だと一蹴することはできなかった。
 あいつならやりかねない。
 しかも、夜一の名前も出てきている。だが、疑わしい部分がまだ晴れたわけではなかった。
「なるほど、信憑性はある。――じゃが、それだけでは説明がつかぬこともある。旅禍よ、なにゆえ我ら護廷十三隊隊長格を揃って前にして、耐え得ることができる。ただの人間の子供にしては、身に余る力を持っておるのは何故じゃ」
 総隊長のその問いに、旅禍はきょとんとした顔をした。どうやら無自覚らしい。だが、今この状況に置いてもこれだけの主張ができるというのは、感嘆を通り越して怪しい。
 総隊長の威圧に身をすくませた旅禍は、そろりと踏み出していた足を後ろに下げた。
 決まった、と誰もが思った。この旅禍の言っていることが真実でも、それが証明されるまでは地下の獄牢行きだ。今弁解できなければ尚更のことである。
 だが、そのまま動けなくなってしまった旅禍に代わって口を開いたのは、牢の前で旅禍を庇うように立っていた日番谷だった。
「総隊長。こいつの名前は聞きましたか」
 唐突に思える質問に、総隊長は「む」と唸り、首を横に振った。
 日番谷は背後に隠すようにしている旅禍を一瞥し、そして整列する他の隊長たちを迷いなく見据えて言った。
「こいつの名は、黒崎夏梨」
 総隊長は、軽く目を見開いた。日番谷は淡々と続ける。

「死神代行、黒崎一護の妹です」


***


 そこにいる誰もが声もなく驚愕しているように夏梨には見えた。
 だがそれと同時に、総隊長と呼ばれる老爺から発せられていた威圧感が少し緩んだ。
 思わずよろけそうになって、握られている左手にぎゅっと力を込める。
 夏梨の手を握ってくれているのは、すぐ目前にいる、日番谷の手だ。夏梨が弁解する前からずっと、周りからは見えない角度で手を握ってくれている。――これがなければたぶん、あんなに堂々とできなかった。
 握り返してくれるぬくもりを感じながら、夏梨は総隊長が日番谷に「まことか」と問うのを聞く。
「俺が保証します。間違いなく、こいつは黒崎一護の妹です」
 松本や、十三番隊の朽木ルキアも証言してくれるはずです、と日番谷が言うと、厳粛な空気には若干そぐわない、のんきな響きの声がした。
「いやいや、日番谷隊長にそこまで言われちゃ、信じないわけにはいかないねえ。――ああ、なるほどなるほど、言われて見れば確かに一護くんとよく似てる」
 すたすたと進み出たのは派手な女物の着物を羽織った男だった。後ろから「京楽」と呼んで出てくるのは、長い銀髪の、日番谷とゴキブリ談義をした浮竹と呼ばれた人だ。
 牢の前、日番谷の隣まで来た二人に、夏梨は咄嗟に繋がれていた手を離そうとしたが、離れない。どうやら日番谷が離してくれていなかった。
 慌てて、日番谷の背に隠れるように身を引く。
「ああ、怖がらなくて大丈夫だよ。君が一護くんの妹だと言うなら、話は早い」
「なんで……一兄の妹だと大丈夫なの?」
「彼には色々と世話になっててねぇ。しかも日番谷隊長のお墨付きなら、疑う余地はないよ」
 でしょ、と京楽は総隊長を振り向く。
 総隊長はそれに、間を置いてから口を開いた。
「今回の騒動、旅禍の処分については、――不問とする!」
 そして、と総隊長は言葉を続ける。
「責任者として日番谷隊長は即時旅禍を送還せよ。のちに報告書も提出すること。……これにて、解散!」
 宣言のあと、総隊長を筆頭にぞろぞろと隊長格だと言う死神たちが出て行く。
 一気に興味を失った様子で出て行く者もいれば、興味深そうな眼差しを夏梨に向けてくる者もいる。だが日番谷と牢の前にいる他二人の隊長に上手く隠されて、それ以上干渉されることはなかった。
 何がなんだかよくわからないが――事なきを得たなら、それでいい。
 夏梨はほう、と息をついて、へたりと座りこんだ。
 と、そこでガチャン、と耳に響く金属質な音がして、牢が開かれる。
「ったく、てめえら兄妹は、騒ぎ起こす遺伝子でも受け継いでんのか」
 ぶつぶつ言いながら牢を開けて入ってきたのは日番谷だった。
 だが日番谷はふと座りこんでいる夏梨の足に付けられた鎖を見て顔をしかめ、おもむろに刀を抜くと、声もなくそれを絶った。
 驚いたのは夏梨だ。思わず息をつめたが、日番谷は何食わぬ顔で座っている夏梨を見下ろして、手を差し伸べた。
「大丈夫か」
「う、ん……平気」
 そう言って夏梨は立とうとした――だが、足に力が入らない。
「え、あれ」
 言うことを聞かない自分の足に戸惑って、叩いてみたりするが、足は立つどころか震え出す始末だ。
「なんで……」
 呟いた夏梨に、牢の前にいた京楽が気楽に答えた。
「ああ、そりゃあ仕方ないねえ。何しろ、隊長格が集まったとこで、もろに霊圧受けたんだから。むしろ今まで平気だったのが信じられないけど。……それは、日番谷隊長のおかげかな?」
 茶化すように言った京楽の言葉に、日番谷は眉をひそめたまま答えない。
 夏梨はきょとんとして、日番谷を見た。その視線に負けたように、日番谷はふいと顔を逸らす。
「……多少、霊圧で覆ってただけだ」
 夏梨はそれにはっとした。
「だから、手握っててくれたの?」
 すると日番谷の顔が輪をかけて仏頂面になる。
 最近になってわかったことだが、図星をつかれると日番谷は黙るのだ。だから、それが何よりの答えだった。だが夏梨は口の端にふと悪戯っぽい笑みを浮かべて追求する。
「ねえ、冬獅郎ってば」
「うっせえ」
「あー、照れるとすぐそれだ」
「誰がいつ照れた!」
「冬獅郎が、今、照れた」
「てっめえ……あとで覚えてろよ」
 そんなやり取りをしていると、牢の外から何やら面白がるような声が聞こえてきた。
「仲いいねえ、キミたち」
 見ると、にやにやという擬音語がぴったりな表情をした京楽が牢の外から二人を見ていて、隣の浮竹は座りこんでいる夏梨の目線に合わせるようにしゃがみこんで、にこにこと笑った。
「一護くんの妹さんだったね、名前をもう一回教えてくれないかい?」
「え……あ、夏梨、です。黒崎夏梨」
「夏梨くんだね。見たところ、十四歳……くらいかな? あ、俺は浮竹十四郎というんだ。日番谷隊長となんとなく似てるから、覚えやすいだろう?」
「あ、はあ……。歳は、十三です」
 どうも、と夏梨はとりあえず会釈する。浮竹はそれに頷いて更に続けた。
「こっちは京楽春水。ちなみに君を捕まえたのは砕蜂隊長だよ。ええとそれから……」
「おい、浮竹。んなこたどうでもいいだろうが」
 そのまま護廷十三隊の隊長をずらずら紹介していきそうな口ぶりの浮竹に、見かねて日番谷が口を挟むと、浮竹はきょとんとした風情で日番谷を見た。そして「いやいや」と含みのない笑顔でにっこり笑う。
「ほら、将来もしお嫁さんに来たら便利じゃないか」
 ――瞬時、がしょんと賑やかな音がして、同時に「うわあっ」と夏梨の悲鳴もした。
 おや、と異口同音で浮竹と京楽が呟いて見ると、どうやら日番谷が足首に鎖の名残が付いたままの夏梨を荷物よろしく肩に担ぎ上げたせいだった。
「なっ何すんだよ冬獅郎! 下ろせ!」
「うっせえ、歩けねえくせに何言ってんだ。さっさと帰るぞ」
 仏頂面で日番谷はそのまま珍しく荒々しい足取りで牢を出て、思い切り眉をひそめたままの表情で浮竹と京楽の二人を見て、通り過ぎる。
 日番谷の背中側を頭にして肩に担がれた夏梨は反論をしていたが、そのうちあきらめた。
 二人はそれを見送りつつ、どちらからともなく顔を見合わせて微笑んだ。そして浮竹がぱたぱたと手を振りながら声をかける。
「夏梨くん、一護くんによろしく。またおいで」
 続いて京楽も口を開く。
「日番谷隊長、送り狼になっちゃダメだよ」

 次の瞬間、日番谷が何もないところで躓きそうになったのはごまかしようもなく確かだった。


***


 頬を切っていく風は柔らかだ。結構なスピードで進んでいるようなのに不思議なものだとぼんやり夏梨は考えていた。
 日番谷に抱えられたまま黙って運ばれていたのだが、途中でふと右足首にあった重みが取れたのに気づいて、首を巡らした。
 だが足元は見えなくて、仕方なく日番谷に訊くことにする。
「冬獅郎、足についてた鎖みたいなやつ……」
「取ったぞ」
「え、どうやって」
 確か鉄枷みたいなもので足首を捉えられていて、あれは鍵で開くものだったような気がする。
 そして日番谷は鍵を持っていなかったはずだ。持っていたら牢で鎖を無理やり絶つ必要はなかったのだから。
 だが、日番谷はあっさり答えた。
「霊子分解だ」
 夏梨にしてみればなんのことだかさっぱりだ。
「……わかんないけど、それができるなら何で牢屋でわざわざ鎖斬ったわけ?」
 結局考えることを即時放棄して、夏梨は疑問をぶつける。すると日番谷は「それは」と言いかけて、口ごもった。
「なにさ」
 途中でやめられるとむず痒く気にかかる。促すと、日番谷は少し黙ってから、観念したように言った。
「……無性にイラついた」
「は?」
「お前に枷つけられてんのが、無性にイラついたんだよ」
 ほとんど勢いで吐き出すように言って、日番谷は最後に小さく舌打ちをする。
「ったく、てめえはどんだけ心臓に悪い女なんだ」
「だっ、だから言ってんだろ、あれは不可抗力――あっ、浦原さん! あの野郎絶対ぶん殴る!」
 思い出したようにぎゃんと叫んだ夏梨に、日番谷は低く返した。
「心配すんな、もれなく頭から爪先まで氷漬けにしてやる」

 人の女を勝手に危ねえ実験に使いやがって。

 ぼそっと不穏な響きで何気なく付け足されたそれに、夏梨は日番谷の背中でぼんっと赤くなった。見られていないのはわかるのだが、慌ててごまかすようにぎゅうと背中に掴まり直す。
 そして、少し顔を上げて、こっそり日番谷の耳元で呟いた。
「ありがと」
 だいすき、と続けて小さく小さく付けたしたのが、あんまり自分らしくなさすぎる気がして、それでもそれが本音だったのが恥ずかしすぎて、夏梨は更に顔を赤くして、日番谷の肩に顔を埋めた。
 そのせいで、日番谷の横顔も赤く色づいていたことに、気づくことはなかった。

開店休業リク企画三つ目。
祥瑠様より「ふとした拍子に尸魂界に来てしまった夏梨が旅禍として捕まり、隊首会に連れられ……/日夏は付き合ってる設定」とのリクエストでした。
ええと、細かいところとか結構好き勝手に変えさせて貰っちゃったのですが、楽しかったです(笑)えらく長くなってしまって、短編じゃなく前後編になってしまいました;
少しでも楽しんでいただければ幸いです。リクエストありがとうございました!そして遅くなってすみませんでした……!
Xmas〜年末年始10日連続更新六日目。
[2009.12.30 初出 高宮圭]