「補席?」
「ああ。位の上では席官というわけでもないんだけれど、隊長格直轄の管轄に入る。彼らはどの隊にも所属し、どの隊にも所属しない。いわば手が足りないときの助っ人のようなものだ。ゆえに全ての隊に対する補う席――補席と呼ばれているんだよ」
「そんなものは、聞いたことがありません……」
浮竹から説明を受けて、ルキアは少々困惑した。
尸魂界に帰還してから四日、先遣隊が任務を終えてから、にわかに護廷十三隊は慌しくなった。話を聞けば、隊の再編成が行われるという。随分前から持ち上がっていた話ではあったが、いよいよ現実味を帯びたらしい。隊長格を始め、各隊員たちに配属希望の提出が求められ、ルキアもたった今、浮竹にそれを提出しに来たところだった。とは言え、縁側で休憩していた浮竹を見つけてのことである。
そこでうっかり茶に誘われるままに現世のことなどを話しこんでいたら、ふと浮竹がルキアに訊ねたのだった。「朽木は補席たちに会ったかい?」と。そうして話は冒頭に戻る。
「そうか……彼らはどこにでもいるから、もう会っているかと思っていたんだが」
意外だな、と首を傾げた浮竹に、ルキアも首を傾げた。
「その、補席というのは、そんなに人数がいるものなのですか?」
「いいや。たったの三人だ。前代未聞の事態からの、極めて例外的措置だからね。ただ、安易に配属先を決められないということで、こういう仕組みが設けられたんだけれど……これがまた、案外良くてね。本人たちにとって見れば大変なことかとは思うんだが……なかなか俺は助けられているんだ」
「はあ……。それでその補席というのはどういうふうに、全隊に所属しているのですか?」
全ての隊に所属して、全ての任務をこなす、などというのは到底無理な話だろう。だからこそ二つ以上の隊に所属することはできない。
「彼らはあくまで助っ人だからね。人手がないときに呼んで、働いてもらう。時間や期間の制限があるから、その制限内でだけ。召喚証というものが彼らには渡されていて、俺たち隊長たちが呼び鈴を持っている。それで、彼らを呼ぶわけだよ」
それはつまり、ていのいい雑用係なのではとルキアは思うが口にはしない。確かにそれなら呼ぶ側は助かるだろう。呼ばれる側はなかなか目が回りそうだが。
「そうか……まだ朽木は会っていないんだな」
浮竹が考え込むように呟いて、腕を組む。自然に会うほうがいいかと思ったんだが、などとよくわからないことをぶつぶつと言っているが、どうしたというのか。
「浮竹隊長?」
浮竹の様子をルキアが伺っていると、ふと聞きなれた声が頭の上から降って来た。振り仰げば、そこには声の主ともう一人、よく知る人物がいた。
「に、兄様! と、恋次?」
「やあ、朽木隊長、阿散井副隊長。君たちもお茶をどうだい?」
ルキアと並んで縁側に座っている浮竹が、脇に置いていたお茶を勧める。だがそれには「いらぬ」と単調な声が答えた。
「この暑いのに、こんなところでお茶ですか……」
「はは、この時間になると、風が気持ちいいんだ。……ところで阿散井副隊長、君は補席には会ったかい?」
「補席? ……ああ、このあいだ隊長から聞いた、極めて例外の三人の院生、ですか」
「そうそう。今ちょうどその話をしていてね」
「……あの、浮竹隊長。その補席は院生なのですか?」
聞き流せない一言を耳に留めて、ルキアは思わず会話に口を挟んだ。するとこれには白哉が答える。
「三人全てが院生だ。仮卒業、仮入隊という形になっているが、隊にも院にも所属している状態となっている」
「そんな……いったい何があって、そんな措置が」
例外にもほどがある。確かに院生の引き抜きはないことはない。だがごく稀なことであるし、それだけでも驚きだというのに、この並ぶ特別措置はいったい何だと言うのか。ルキアたちが尸魂界を離れている間に一体何があったのか。
「……巨大なひずみが、霊術院に現れたと現世で聞きました。そんなに大事ではないというふうに聞いていたのですが、関係しているのですか?」
ルキアが慎重に問えば、浮竹は少し困ったように苦笑した。傍に置いていた湯飲みを持ち上げて一口すすり、また置く。そして懐から細長い三枚の板の綴りを取り出した。
「これが『呼び鈴』だ。実際に会ってみるといい。きっと誰か一人くらいは捕まると思うんだが……こんなことで呼ぶのは悪いだろうか」
「呼ばれれば来るのが仕事だろう。どうせ、じきに終業だ」
淡々と言って、白哉も同じ板綴りを取り出す。いくらか横暴な意見にルキアや恋次が内心で苦笑していたところで、ふと足音が近づいて来た。
「……何やってんだ」
「ああ、日番谷隊長、松本副隊長。ちょうどいいところに来たね。君たちはもう補席たちに会ったかい?」
白哉たちとは反対方向からやって来た十番隊の二人は妙な集会に首を傾げたが、補席と聞いて少し納得したらしかった。
「補充要員のことか。……会うには会った。まだ呼んだことはねえがな」
「ていうかこの三日、霊術院が例の『夏祭り』だったみたいで、呼びたくても呼べなかったんですよー。なのに隊長だけちゃっかり捕まえちゃって。あたしなんか会ったって言ったって、ちょこーっと顔見ただけです」
不満げに乱菊が腰に手を当てる。それを見て日番谷が少し眉間の皺を増やしたが、結局ため息で流した。
気を取り直したように、日番谷は恋次とルキアの顔を見て、そして浮竹と白哉に視線を向ける。
「……こいつらはまだ会ってねえんだな」
「そうみたいだ。……それで、今呼んでみようかという話になっていて」
「用もないのに?」
「ええっ、いいじゃないですかそれ! ねえ隊長!」
いきなり声量を上げて日番谷の言葉を遮るように意見したのは乱菊だ。顔からわかりやすく喜色が読み取れる。
それを見ながら、ルキアは首を傾げた。乱菊が会いたいと言ったり、浮竹が会ってみろと言ったり。あげく白哉からも一定の信頼を得ているらしい。彼は使えない者は使わない。補席というのはいったいどんな者たちなのか、さっぱり見当がつかなかった。
「それにほら、資料目録と仕分けについて聞いておきたいって言ってたじゃないですか」
「それはそうだが……」
「呼んでくれないとあたし、明日にでも自分で会いに行きますからね。夏祭り中だからって我慢してましたけど、もういいわけですし?」
「松本……お前あの仕事の山見て言ってんだろうな」
「もっちろん!」
妙に明るいのが逆に怖い。――日番谷がそう思ったかは知らないが、少なくともルキアは乱菊の笑顔に本気を感じた。もちろん仕事放棄の本気だ。
どうやら日番谷も乱菊のこれ以上のサボタージュは勘弁してほしいらしい。ごそごそと板綴りを取り出した。
「それなら、三人全員を呼べるな。さて、どこが誰を呼ぼうか」
ちょうどいいとばかりに笑った浮竹は、ルキアに「ひとつの隊に一人しか呼べないんだ」と説明してくれる。
「……どうせ捕まるかどうかわかんねえんだ。いっぺんに引いて当たったとこでいいんじゃねえか」
大した仕事もねえんだろ、と言う日番谷の言葉は正しい。その上もうすぐ終業も近いのだ。
「はは、それもそうか。それじゃ」
浮竹は軽く笑って、板綴りについている三本の組紐を全て引いた。同じく白哉も、そして日番谷も引く。するとリンリンと三つ、鈴の音が時間差で鳴った。しかしどれが誰を引き当てたのかは分からなかったようだ。
「おや。これは幸運だ。全員捕まったみたいだよ」
浮竹は笑う。が、終業を前に捕まったあちら側としては不運だろう。しかし会ってみたいのは確かだったので、ルキアたちは補席たちが来るのを待った。
そして、呼び鈴を引いてから数分。三人は瞬歩を持ってして、現れた。
すとりと降り立つ足音が三つ、そして彼らは口を開く。
「時任冬春、六番隊に召喚されました」
「水町真夜、十三番隊に召喚されました」
「黒崎夏梨、十番隊に召喚されました」
沈黙は一秒。声を忘れて目を瞠り、耳を疑ったのはルキアと恋次だ。
すぐに補席たちは一礼をして、定められた文言を言う。それに隊長らが同じく返した。
「六番隊隊長、朽木白哉、確認した」
「十三番隊隊長、浮竹十四郎、確認したよ」
「十番隊隊長、日番谷冬獅郎、確認」
それを聞いてからようやく顔を上げた三人は、前に並んだ面々を改めて見て、顔を見合わせた。だが、うち一人が一切表情を変えぬままに一歩踏み出て沈黙を破る。
「指示をお願いします、朽木隊長」
それは冬春と名乗った青年だった。一切物怖じも困惑もない表情のまま、淡々としている。
しかしその淡白さに負けず劣らず、白哉もごく平坦な声で返した。
「挨拶を終えれば、帰って構わぬ」
「……は?」
「水町くん、君も挨拶したら帰って構わないよ。ほら、まだ先遣隊の人たちとは会ってなかったろう?」
「はあ……」
状況がよくわからない補席たちは、挨拶と言ってもどうしたものかと首を捻っている。だがルキアと恋次は補席に混じって名乗りをあげた一人から、視線を外せずにいた。
その一人に、日番谷が声をかける。
「お前は帰るなよ」
「……はい」
至極不本意そうに返事をした少女はどこか気まずげに視線をさ迷わせて、結局ため息と共に下に落とした。
これはどういうことだ。ルキアと恋次の頭の中で疑問が膨れ上がって、声が詰まる。
「……では、挨拶を失礼します。補席――補充要員の、時任冬春です。以後宜しくお願いします」
「同じく、水町真夜と申します。……松本副隊長は、お久しぶりで。お元気そうで何よりです」
癖のない黒髪を短くきちんと揃えた青年は一切の表情を動かさず、さらりと長い漆黒のツインテールを揺らす大人びた少女は愛想よくにこりと笑って。
「おや、松本副隊長と知り合いかい?」
「ええ、以前からよくうちの呉服屋に来てくれているんです。浮竹隊長も今度是非いらっしゃってくださいな」
「相変わらず商売上手ねえ、あんた。元気だった?」
「はい。近頃お会いできなくて寂しかったんですよ? そうだ、この間お似合いになられそうな反物が入って……」
「真夜。戻るぞ」
落ち着いた声音のまま冬春はすっぱりと遮って、一度礼をするとあっさり踵を返した。真夜は少々残念そうな顔をしたものの、すぐに切り替えてにっこり笑うと一礼し、冬春を追う。「頑張りなさいな」と残る一人を励まして行ったが、その一人はどこか引き攣った顔で苦笑しただけだった。
「……さて、君からも挨拶を貰おうか?」
補席の二人が去ったあと、残った一人に浮竹がやんわりと微笑む。
少女は困りきった様子で眉を寄せていたが、やがて自分を落ち着かせるように息を吸ったあと、顔を上げた。
「――どうも、お久しぶり……です」
迷った末に出したらしい言葉は妙に硬い。だがその少女をルキアと恋次は知っていた。特にルキアは、ひとつ屋根の下で生活したことすらある。
「夏梨……?」
ようやく押し出すことに成功した声で口にした名前は、ひどく懐かしい気がした。だが一度出してしまえば、今度は疑問が溢れ返る。
「お前……っ! 何故、どうやってここに……というか、補席……?」
「いや、その……普通に、死んで流魂街から、こう」
どこかばつが悪そうに視線をずらしつつ、夏梨は答える。思わず立ち上がったルキアは彼女の前まで行って、その肩に触れた。
それを呆然と見ていた恋次が我に返ったように白哉を振り返る。
「……ちょっと待ってくださいよ、隊長! こいつ死んだの、ついこの間……っ」
「喚くな恋次。……それがここに来たのも、ついこの間だ」
「彼女は何も不正は行っていないよ。……言うなれば、飛びぬけて実力と運がよかった。それくらいだ」
「いや、そうじゃなくてこいつは一護のっ」
「妹だろ。……みんな知ってるそうだぜ、結構前から」
どこか呆れたような口調で日番谷が恋次の言葉を継いだ。それにはルキアが声を高くして反応する。
「そんな、では何故教えてくださらなかったのですか!」
ルキアは、夏梨が死んでからの一護たちの憔悴を知っている。平気だと強がっていても、平気でいられるはずがないことはよくわかっていた。あの一家に取って、家族の喪失は大きすぎる。一護も、その父も、家族を護ることに本気だった。
こちらに無事いることがわかれば、あの憔悴だって幾分か紛れただろう。彼らのみならず、もちろんルキアも、夏梨を知る者たちは少なからず胸を痛めた。
「すまない、総隊長に口止めをされていたんだ。……教えてやりたいとは、思っていたんだけれど」
浮竹が申し訳なさそうに詫びる。何故口止めなど、とルキアは思ったが、その答えは目の前の少女から与えられた。
「あたしが頼んだんだ。言わないでくれって」
「夏梨が……」
「だって、どうせ現世のあたしが死んだことに変わりはないよ」
「それは」
「それにさ、よく考えればあたしがここにいるのは当然だろ。ここはあっちからすればあの世なんだし」
確かに死ねば皆、あの世へ行くという意識は共通だろう。けれどあの世の東のほうにいるか西のほうにいるか、はたまた南か北かなどは考えるまい。
夏梨は眉を寄せてどこか困ったように笑った。その笑い方が彼女の兄を彷彿とさせて、ルキアは言葉に詰まる。
「……それで、よかったのか」
躊躇いつつも、ルキアは訊ねた。天性の霊力を備えて現世を生きた彼女とその家族。その力によって得た幸いも不幸もあったろう。ともすれば、不幸のほうが大きな割合を占めるのかもしれない。
その中で、唯一と言ってもいい特権に成り得たはずだ。死んで尚もう一度会うということが可能ならば。
すると夏梨は、静かな表情で頷いた。
「――今まであたしたちは、お母さんに会えなくても、ちゃんとやってこれたと思うから」
そっちのほうがいいんだ、きっと。
大きくないその声は、しかしよく通ったように思えた。そして、すとんと胸に落ちて来た。その言葉は、無性に少女に触れてやりたい衝動を起こす。それに従ってルキアが夏梨の頭に手を乗せると、きょとんとした瞳が返った。
ルキアは少し目を細める。
「……十三番隊所属、朽木ルキアだ。これから、宜しく頼む」
名乗りをあげて、それから後ろを振り向く。恋次に視線を投げれば、すぐに察した様子で難しい顔のまま、夏梨の前まで縁側を下りてやって来た。
「六番隊副隊長、阿散井恋次だ」
「十番隊副隊長、松本乱菊でーす。宜しくね?」
続けてひらひらと挙手しながら名乗りを上げるのは乱菊である。
それぞれの名乗りを受けて、夏梨はようやく無邪気な顔で笑ったのだった。
長らくの停滞に謝罪と、待っていてくださった方々に、大きな大きな感謝を。
[2012.02.22 初出 高宮圭]