拍手御礼・弐

-氷-

06 : 『ヒト』

 たぶん、名前だったのだろう。
 夏梨は日番谷のいた公園に駆け込んできたとき、どこか切羽詰ったような声で呼んだ。――『ひょう』と。
 そして日番谷を見て、驚いた様子で日番谷の名前を呼び、次にわかりやすく表情を変えた。あからさまに、残念そうな顔に。
 ――別に夏梨が誰を期待していたのか知ったことではないし、どうでもいいが、そこまであからさまに期待はずれだというような顔をされると、日番谷としても面白くはない。
 だが、夏梨がすぐにその表情を消して話しかけてきたので、何も言わずに置いた。
「久しぶり。何してんの、こんなとこで」
「仕事だ。遊びに来たわけじゃねえ」
「そんな予防線張らなくても、無理に誘ったりしないよ」
 不本意そうに眉をひそめる夏梨だが、日番谷は妙な違和感を感じていた。
 いつもはサッカーの相手をしろや何だとやたら構ってくるのに、今日は妙に大人しい。
 夏梨は日番谷の死覇装と隊首羽織、そして刀を負った出で立ちを見て、首を傾げる。
「仕事って、ここで? 虚退治?」
「そうだ」
「ふうん……。じゃ、あたし、いないほうがいいよな。帰る」
 そう、くるっと踵を返した夏梨に、日番谷は目を見開いて思わず声をあげそうになった。
(こいつが素直にさっさと帰る、だと)
 言うつもりではあったが、まだ日番谷は帰れとは言っていない。いや、自ら帰ってくれるのは巻き込まぬためにもありがたいことだが――どうにも調子が狂う。
 そんなことを考えていると、ほとんど無意識で口が動いた。
「おい、待て」
「え?」
 え、と言いたいのは日番谷のほうだった。――何を言っているのか、自分は。こんなところで彼女を引きとめて、それでどうすると言うのだ。
 表情には出さず、日番谷は内心で引き止めた理由を探しに探した。そしてやっと一つ、思いつく。
「お前、最近ここで強い霊を見なかったか」
「強い、霊?」
「そうだ。そこらの浮幽霊みたいなのとは違う、強い力を持った霊。この公園でそういう霊を見なかったか? もしくは、霊的な力の強い何かでもいい」
 日番谷が今回現世のこの公園に来たのは、この公園に強力な虚が出現する可能性が極めて高いためだ。その原因は、この公園に高い霊的濃度を持った何かが頻出していたことにある。その正体を暴くのも、今回の仕事の一つだ。
 虚を呼ぶほど霊的能力の強いモノ。夏梨ならば、わかるのではないか。後付けの理由ではあるが、可能性は十分ある。
「他の、霊とは違う……」
 夏梨は日番谷の言葉を反芻させるように呟いて、考え込んだ。そしてすぐに、何か思い当たる節があったのか、ぱっと顔を上げる。
「もしかして、氷……?」
「ひょう?」
 たった先程も聞いたその響きに、日番谷は眉を寄せる。
 夏梨は頷いた。
「変わった奴なんだ。興味があるとか何とかで、あたしに付いてきて、仲良くなって。それでよくここで会ってたんだけど……」
「……ちょっと、待て」
 日番谷は思わず眉間の皺を深くして、夏梨の言葉を止めた。
「お前に付いて来た、だと?」
「うん」
「で、仲良くなった?」
「そう、友達」
「そいつは、霊なんだろ」
「少なくとも人間じゃないよ。普通の幽霊でもないみたいなことは言ってたけど」
「……それで、お前はそいつとここで会ってた、と」
 夏梨があっさり頷いて、日番谷は眉間に手を当てて俯いた。
 ――決まりだ。
 何者かは知らないが、夏梨に付いていたらしい霊。夏梨が普通でないと言うならば、恐らく普通ではないのだろう。それを見分けるだけの力があることは知っている。そしてそれと、ここで頻繁に会っていたという、夏梨。
 夏梨はあの底知らずの霊圧の、死神として見れば天才的な力を持った黒崎一護の妹である。つまり、虚からすれば、滅多にないご馳走が揃っていたことになるのだ。虚を呼び寄せたとしても、おかしくはない。
「何だよ、冬獅郎」
 ため息をついて黙り込んでしまった日番谷を夏梨が覗き込んで来る。
 日番谷はほとんど呆れた表情で、夏梨を見返した。
「いつからだ」
「え」
「いつから、その妙な霊とここで会ってた?」
「何で、そんなこと……」
 戸惑ったように、少し不満げに問う夏梨に、日番谷は手短に説明した。
「虚は強い霊的な力を持った者を好んで襲う。そしてお前の霊力は並より高い。その妙な霊も強い力を持っていたのだとすれば、繰り返しここで会うことで、この場所に霊的な力が溜まり……それが、虚の出現の原因になっている可能性がある」
 原因、と言われて夏梨は顔を強張らせた。彼女の気性からして、自分はともかく、周りを巻き込むのは最も嫌なことだろう。しばらく黙った後、視線を下げ気味にしたまま「一ヶ月前くらいから」と答えた。
「頻度は」
「週四日」
 一ヶ月間、それだけ頻繁に会っていたのなら、おそらく原因はその霊と夏梨であろう。
 そう考えながら、日番谷は次第に曇ってゆく夏梨の表情に眉をひそめた。
「おい、どうした?」
「……最近は、会ってないんだ。そいつと」
 二週間くらい前から、と夏梨はざりざりと足元の砂を鳴らしながら言った。
 それで日番谷は、では公園に来たときに呼んだのはやはりその霊のことだったのかと思う。
「いきなり、何にも言わないで、いなくなっちゃった」
 どうやら夏梨は、落ち込んでいるように見えた。きっと、仲が良かったのだろう。
 しおれた夏梨に何を言うべきか上手く思いつけずに、日番谷は少し視線を逸らす。だが考えた末にやっと出てきたのは、我ながら素っ気無い言葉だった。
「霊なんてのは、そんなもんだ」
「……わかってるけど」
「霊と人間は違う。見えようが、話せようが、触れようが、結局は相容れない」
 夏梨が、視線を上げた。しかしその黒目にあったのは先程までの落ち込んだ色ではなく、強い、どこか歯向かうようなそんな雰囲気があった。
 だが、日番谷は続ける。
「死神も同じだ。どれだけヒトと似ていても、存在する場所が違う」
「……だから、関わるなってこと?」
 夏梨の低めた声が、少し震えているような気がした。だがこれは真実だ。こうして人間と死神が関り合うことなど、本来は望ましくない。
 日番谷が頷くと、夏梨は唐突にダンっと足を一度踏み鳴らした。そして俯いたまま、低い声で呟く。
「それでも、あたしと氷は、友達だ」
 拳を強く強く握りしめて、絞り出すように叫ぶ。
「友達にまた会いたいって、そう思うのもだめなのかよ! ――またあんたとサッカーしたいって、そう思うのもダメだって言うのかよ!」
 震えが混じった声で怒鳴った夏梨は、思わず動きを止めた日番谷に、全身全力で叫んだ。

「冬獅郎の、バカ!!」

 そしてそのまま、夏梨は足音も高く駆け去っていった。
 後には、何とも言えず苦々しげな表情を浮かべた日番谷と、背に負われた斬魄刀だけが残された。

[2009.12.31 初出 高宮圭]