初恋連鎖

-忘却昔日-

02 : 変わらぬ景色に滲む時

「いンやあ、お久しぶりッスねえ、皆さん」
 穿界門を抜けて始めに聞こえたのは、緊張感のないひょうきんな声だった。
 声の方向に視線を向ければ、帽子に下駄、扇子という五年前の記憶と寸分違わぬままの姿の浦原がのんきに手を振っている。
 周りの浦原商店の風景もまるで変わりはない。
 非常事態と言うことにそこそこの緊張感を持ってやって来た一護たちにとって、それはあまりに気の抜ける出迎えだった。
「う、浦原! 緊急事態ではないのか!?」
「おや、朽木サンじゃないですか。黒崎サンも元気そうで何よりです。いやァ、予想通りの面子が来ましたねェ。……おっと、日番谷サンがいませんか」
 ルキアの声を綺麗に流して、浦原は意外そうな声を出す。これには乱菊が答えた。
「あ、隊長なら後で来るわよ。あたしたちは急ぎってことで先に来たんだけど……いらなかったかしら?」
 乱菊が探るような目つきで訊ねるのに、浦原は大げさに手と首を振って否定した。
「いえいえそんな。早く来てくれて、こっちとしてもホっとしてますよ」
 まるでそんなことを思っていないような口調で言う浦原に、誰もが白い目を向けかけた、そのときだ。
 どこか遠くない場所で、爆音が弾けた。
「なんだ!?」
 一護たちは一斉に店の表を振り返る。
 その背後で、浦原はぼそりと呟いた。
「――ほら、ね」
 爆音は霊圧の振動と共に立て続きに鳴り響く。まるで一方的なそれはやがて途絶え、とどめとばかりに霊圧の塊が放たれるのがわかる。鬼道だ。
 そして最後はわずかな虚の悲鳴とともに、戦闘の気配が掻き消えた。
 気配に気をこらしていた一護は、ようやく戦闘を行っていた気配が誰かを捉えて、目を見開く。
「夜一さん……」
「ええ。さっきまではアタシもあっちにいたんですけど、皆さんが来るみたいだったんでね。さっきのでとりあえず今出てきた分は最後ですかねぇ……」
 やれやれ、と肩をすくめる浦原に、一護は信じられない気分で訊ねた。他の面々も、怪訝そうな表情を浮かべている。
「今……夜一さんが戦ってたのは、虚なのか?」
「ええ。悲鳴、聞こえたでしょ。巨大虚(ヒュージ・ホロウ)ッスよ」
「な……巨大虚!? どういうことだよ、ちっとも虚の霊圧なんざ感じなかったぞ!」
 一護は霊圧を読むことや扱うことには疎いほうだ。けれど重ねてきた経験で、虚や敵の気配に気づくことは最低限できる。ましてやそれが巨大虚ともなれば、その大きな霊圧に気づかぬはずがなかった。
 浦原の言いようを聞いていると、一護たちがこちらに着いた時点で既に虚は現れていたはずだ。だが、一護を始めとする誰一人、夜一の戦闘の気配を察知するまで、その存在に気づかなかった。
「――少々、やっかいなことが起こっているのじゃよ」
 不意に聞こえた涼やかな声に、皆一斉に戸口のほうを振り返る。
 そこには、外から戻ってきたらしい、相変わらずな夜一の姿があった。
「お疲れさまッス、夜一サン。……さて、死神の皆さん。尸魂界、あんまり情報行ってないんじゃないですか。とりあえず、現状のお話から始めましょ」
 帽子を軽く被り直しながら、浦原は店の奥に進んだ。


***


 霊圧を消せる虚がいると、まず浦原は言った。
 その言葉に、室内に一瞬で緊張が走る。
「霊圧が消せる虚、だと……?」
 今までにそういった虚がいなかったわけではない。むしろもっと強力な能力を持つ虚にも遭遇してきた。
 だがそれらは、自然にそうなったものではなかったのだ。
「どういうことだよ、虚の強化は藍染がやってたことで、今はもう……」
 六年前の死神対破面の全面戦争で、彼の野望は費えたはずだった。それを見届けたのは、他でもない一護だ。
 一瞬で張り詰めた空気に、浦原は「落ち着いてください」と冷静に言った。
「今回のは以前のそれとは全く無関係です。言うなれば突然変異と思ってもらっていい」
「突然変異?」
「そうです。アタシたちが気づいたのも三ヶ月前のことッス。それくらいから尸魂界と連絡がつかなくなりましてね。いよいよおかしいと思って調べたら、わかりました。……情けないことですよ」
 浦原はどこか自嘲じみた言い方をした。彼にしては珍しい感情の見え方に、一護は少し戸惑う。
 だが何か訊ねる前に、夜一が言葉を続けた。
「この変異は、どうやら四年ほど前から起こっていたようなのじゃ」
「四年だと? その間にこの町の担当だった死神は何をしておったと言うのだ」
 ルキアが眉を寄せたのに、呻いたのは恋次だった。
 浦原がわざとらしく記憶を探るような声を出す。
「そう言えば……黒崎サンが行ってから最初の二年は阿散井サンで、その後二年を綾瀬川サン、で今はアタシや夜一サンがいるので問題なしってなってましたっけねェ」
「……おい、恋次」
「な、何だよ! 俺だけじゃねえだろ!」
 据わった目を向けたルキアに、恋次は弓親のほうを指で示す。
 弓親はそれに全く動じずに応じた。
「指で指さないでくれないかい。だいたい、隊長格の浦原さんたちが気づかないのに、僕に気づけというのも無理な話だろう」
 もっともな意見だ。恋次が黙ったところで、また夜一が口を開いた。
「そういうことじゃ。奴らは儂らの知らぬ間に着実にその数を増やしておった。……どういうことか、わかるじゃろう」
 言葉に含まれた意図に気づき、一同は目を瞠った。
「まさか……報告にあった『虚の集合、消滅』って……」
「ああ。奴らは変異を起こしてから定期的に、一瞬だけその霊圧を現す。尸魂界のレーダーに引っかかるか、かからないかの程度にな。それを先日観測した結果が、これじゃ」
 夜一の言葉に合わせて、浦原が地図のようなものを机の上に広げる。どうやらそれは空座町の簡易地図のようで、至るところに黄色い斑点のようなものがあった。
「なんだよ、これ……」
 思わず一護が呟く。他の面々も声には出さないものの、同じことを感じていた。
「これが、全部虚だって言うのか?」
 右下のほうに斑点の総計が書いてあった。
 その数――三百二十四。
 言葉をなくした一護たちに追い討ちをかけるように、浦原がため息まじりに呟いた。
「それでも、アタシたちが二百近く倒した後なんスよ」
 妙な沈黙が落ちる。室内が重苦しくなり始めた頃、ふとふすまが開いた。
「皆さん、お茶が入りました」
 現れたのは、こちらも相変わらずなテッサイである。
 場の空気を気にしない素振りで茶を配り、終えると浦原のほうへ向き直った。
「そういえば店長。先程お使いから戻ってきたジン太殿とウルル殿が何やら拾い物をしたとか」
「ほほう? 拾い物ッスか」
 浦原が首を傾げるのとほぼ同時に、ふすまの奥がにわかにどたばたと騒がしくなる。どうやらあの二人の子供は健在らしい。
「……本当に相変わらずだな」
 茶を一口飲んで言ったのはルキアだ。他の面々も似たようなことを感じていたらしく、同意するように頷く。
「そうッスか? でもま、変わったとこは変わりましたよ。……皆さんもそんなに劇的に変わってないッスねえ」
 何やらつまらなそうに言う浦原に、ルキアは呆れた口調で返す。
「五年でどう劇的に変われと言うのだ……」
「少なくとも、日番谷隊長は変わりましたねェ。この前通信で久しぶりに見ましたが、驚きました。……なので朽木サンとかは特に部分的な成長を期待できるかと思ったんスけど……」
「どっ……どこの成長だ! 余計なお世話だ、たわけ!」
 ルキアが真っ赤になって喚いたところで、不意にふすまが開いた。
 おや、と浦原はそちらに向かって手を挙げる。
 そこには、憤まんやる方がないと言った様子の、十七、八歳頃の少年と少女が二人いた。
「ジン太、ウルル。どうかしたかい?」
「どうしたもこうしたもねえよ! こいつら店の前に義骸ごそっと落としてたんだ!」
 少年が言いつつ、隣では長い黒髪をツインテールにした可愛らしい少女が黙々と義骸を中に引っ張り込んでいる。
 その二人をまじまじと見ていたルキアは、まさか、と浦原を見た。
「この二人、まさかジン太とウルルか!?」
「ええ。さっきから言ってるじゃないッスか」
 浦原がさも当然と言った様子で答えたが、これには一護や恋次たちも驚きを隠せなかった。
「で……デカくなったな……」
「そりゃあ黒崎サン、五年もすりゃ、小六の子でも高校生になりますからねェ」
 確かにそうだ。だが一護の意識の中で、ジン太やウルルは小学生並の姿で止まっている。別人だと言われてしまえば、そのまま騙されそうな気がした。
「ところで皆さん、駄目じゃないッスか。義骸とは言え、現世じゃ人間と同じなんスから、店の前に大量に人が倒れてちゃあ商売上がったりッスよ」
 尸魂界を出るときに日番谷が義骸が転送されると言っていたが、どうやら転送先が浦原商店の店先だったらしい。
「どうせ、人など来ないだろうが」
 ルキアが呆れたように言ったが、これは浦原が楽しそうに否定した。
「どっこい、いるんですよ、最近」
「何?」
 意外そうにルキアが訊き返したとき、それまで黙っていた夜一が飲んでいた茶を置いて、口を挟んだ。
「とりあえず、さっさと入ってしまえ。この部屋に倍の人数を押し込まれては狭くてかなわん」
 もっともな意見に、一護たちは義骸に入る。部屋が幾分かすっきりしてから、夜一は「話を戻すぞ」と前置いて話を始めた。
「今の状態になったのは、もちろん原因がある」
「わかってんのか? 原因」
「ああ。虚は魂喰いによって能力を得ることが多い。今回もそれによる変異だ」
 一護は息をのんだ。つまり、町の人間や魂魄が虚に襲われているということだ。
 だが、疑問を感じて眉を寄せる。
「待てよ、でもそれならおかしいじゃねえか。そんな数の虚がいて、全部がその能力を身に付けてるってことは、それだけ町の人間や魂魄が喰われてるってことだろ? さっき外に出たとき、そんな様子なかったぞ」
「それに同じ能力ってのが府に落ちねえな。同じ魂魄を喰ってるわけじゃなし、同じ能力を得られるわけがねえ」
 一護の後を続けた一角の言葉に、夜一は頷く。
「その通りじゃ。……じゃが実際、この事態が起こっておる。そして儂らが調べた結果、一人の人間に原因があると判明した」
「人間だと?」
「そうじゃ。そやつは人間にしてはとんでもなく霊的濃度の高い魂を持っておる。もちろん虚も見える。にわかには信じがたいことじゃが、虚はその者の霊力を吸い取っておるのだ」
「あ……ありえねえだろ! あの数だぞ、生きてけるはずがねえ!」
 思わず一護は勢い込んで叫んだ。
 霊力と言うのは魂の力だ。それだけ高い力を持つ者ということは、そのまま生命力にも直結する。それを吸われ続ければ、すぐに死に至るはずなのだ。
「じゃがその者は生きておる。さらに調べたところ、どうやら吸っているのは一匹だけのようなのじゃ。その一匹が吸い、能力を身に付け、伝達することで他の虚たちに能力を分け与え、従えている」
「従えることができるだと? まさかその虚……」
 ルキアがいち早く察して夜一を見る。視線を受けた夜一は、頷いて見せた。
「アジューカス級以上。――下手をすれば、ヴァストローデ級かもしれぬ」
 またも室内に緊張が走る。
 ヴァストローデ級。幾百の虚が互いを喰らい続け生まれる強大な大虚の中でも最上級のクラスに当たる存在だ。それ以上と言われる成体の破面たちと戦ったのが六年前のことになる。
「とんでもないわね……。四年間気づかれなかったって言うんだから、相当よ」
 乱菊が厳しい表情で呟いて、ふと思いついたように声をあげた。
「あ。でもやっぱりおかしいんじゃない? いくら一匹だってヴァストローデ級だとしたら、霊力が強くたってただの人間が生き残るのは難しいわよ。一回は襲われてるんでしょ。何で喰われないで、吸われるだけで終わったのかしら」
「ふむ。儂もそう思ったが、これまた信じられぬことに、自力で逃げたそうじゃ」
「……嘘でしょ? だって、人間よね」
「紛れもなく人間じゃ。じゃが元々能力のあった人間のようでな、自分の霊圧や気配を消すことができる。だから虚がそのような力を持ったらしい」
 訊ねた乱菊は思わずぽかんとした。聞いていた一護たちも、似たような反応で言葉はない。
 信じられないとばかりの反応に、夜一はひとつ息をついた。
「信じられぬか。まあ、それも仕方あるまい。だが会えば、真偽のほどもわかるじゃろ」
 そう言って視線を壁にかけられた時計に投げる。針は四時半を指そうとしていた。
「もうじき帰ってくる。ウルルが迎えに行ったようじゃしの」
 言われて見れば、確かにいつの間にかふすま近くにいたはずのウルルが姿を消している。
「迎えにって……そいつ、ここに住んでるのか?」
 一護がこの店の店主である浦原に訊ねると、浦原はぱたぱたと手を振って見せた。
「いえいえ。ただ、黒崎サンほどじゃありませんけど、かなり霊圧の高い人なんでね。発作みたいに霊力が暴発するときがありまして。そうなると虚が寄って来るので、危ないときはウチに泊まって貰ってるんスよ」
 浦原はあっさりと言ったが、それがただの人間だと言うのだからとんでもない。
「あと補足しときますが、その人が吸われたのは一回じゃないッスよ。かなりの回数やられてます。あと五回も吸われたら、さすがに命に関わりそうです」
 付け足された言葉にぎょっとする。そういう理由で『人命に関わる』だったらしい。
 それにしても、と弓親が独り言のように言った。
「それだけ襲われても生きてるというのは、大した生命力だね。どれだけゴツいのやら……」
 美しければやる気も高まるのに、と愚痴るように締めくくる。
 そういう問題ではないだろうと一護は思うが、確かにゴツそうな気はする。相当の根性と肝が据わっていなければまず逃げることも困難だろうからだ。
「ま、でも確かにどんな人かってのは楽しみよね。それだけたくましいんだから」
 乱菊に視線で同意を求められたルキアは、少し言葉に詰まってから返す。
「で、ですが……男か女か、まだ知りませんし……」
「そういえばそうね。どっち……」
 どっちなの、と乱菊が訊こうとしたところで、カラカラと店の戸口が開く音がした。
 どうやら噂の人物が帰って来たらしい。
 その音に、一番戸口に近かった一護がふすまを開けようと手を伸ばす。
「オレンジ頭!」
「え?」
 唐突に鋭く呼ばれて、思わずその手を止めた。振り返ると、隣の部屋のふすまの前を陣取って座っているジン太が、半ば睨むように一護を見ていた。
「何だよ」
 呼んだくせに続きを言おうとしないジン太を促すが、ジン太はそのまま視線をあらぬ方向に飛ばした。
「……入ってくるまで、開けるな」
 明らかに何か違うことを言いたかったように見えたが、そう言うとそのまま黙ってしまう。そんなジン太の頭を、前方に座っていた浦原が優しく叩いた。
 よくわからない。
 だが逆らう理由もなかったから、大人しく手を引っ込めた。
 戸口から、二人分の足音が近づいてくる。一旦それは止まり、今度は一人の足音がゆっくりと大きくなる。
 室内は何ともなしに静かなままだった。だから余計にその音が聞こえる。
 部屋の前まで近づいた足音は、わずかな沈黙の後、大きく一歩を踏み出して、勢い良くふすまを開けた。

 目に飛び込んできたのは、腰を過ぎたところまである、まっすぐな長い黒髪。はっきりした黒目。ほっそりした体格だが、よく発育した胸に、白い足の映えるミニスカート。歳はウルルたちと変わらぬ、十七、八程度。
 その外見は、どこからどう見ても、普通の女子高生だった。
「……浦原さん」
 一護はぎこちなく浦原を振り返る。
「原因って、こいつ?」
「はい。間違いなく彼女ッスよ」
 もう一度視線を戻す。
 ヴァストローデ級の虚に何度も襲われたにもかかわらず、逃げ生き延びた強者。いったんどんな猛者だと思いきや、その予想は百八十度違う方向で外れた。
 思わぬ展開にぽかんとした死神勢の中で、いち早く我に返ったのは乱菊だった。
 素早く立ち上がると少女の前に回り込む。
「やだちょっと、めちゃくちゃ可愛いじゃない! 制服ってことは高校生よね? いくつ?」
「……十七」
 端的に返答する。
 乱菊の言うように、確かに少女は容姿端麗だった。ウルルもしっかり可愛い美少女に成長しているが、こちらの少女は可愛いと言うよりは綺麗が当てはまるだろう。町を歩けばさぞかし視線を集めそうな雰囲気があった。
 一護はまだまじまじと少女を見ていた。
 見とれていた、と言えば語弊になるだろう。少女が一護を視界に入れて以来、ひとつも逸らそうとしないために、思わず一護も見返している状態だった。
 それに気づいた乱菊が、からかうように言った。
「なーに見つめあってるのよ、一護。一目ぼれしちゃった?」
「ばっ……んなわけあるか! ただ、何か……どっかで見たことあるような気がして」
「えー、陳腐な口説き文句」
「だから、違うって!」
 叫び返してから、また少女を見る。少女は今だ一護を見ていた。
「……なあ、お前、名前は?」
 胸にひっかかるような感覚がむず痒く、一護は耐えかねて訊ねる。その問いに、少女はあからさまに顔をしかめた。そして押し出すような息を小さく吐いてから、淡々と返す。

「あんた、誰?」

 ――その言葉の裏に隠された途方もない絶望に、一護はこのとき全く気づくことはなかった。

[2009.07.24 初出 高宮圭]