窓から差し込む朝日に、小鳥の形の影が差す。
春の陽気を携えて来た朝の風が、爽やかな香りを運び込んだ。
一護たちが現世に来てから、四日目の朝。
陽気に反して食卓は、そう明るくはなかった。
「いつまで減らねえんだ、こいつら……」
恋次が低く呟いて机の中央に置かれた虚の分布図を睨む。特に黄色い斑点の総計を見ては、視線を逸らした。
当初見せられたそれに書いてあった数は三百二十四。
そして今書いてある数は、二百九十二。
ただし、初日から毎晩百以上を倒し続けた後である。
「増殖速度が半端じゃねえな。これじゃいたちごっこだ。いつになったら上限になるんだ?」
「さあ……単純計算約千匹は行ってるけどね。雑魚とは言え、そろそろうんざりかな」
一角に答えた弓親の呟きと同じようなことを皆思いつつあった。倒しても倒してもきりがない。
「これは本当に黒田の力のせいなのか? 多すぎる気がするぞ」
「そうよねえ。いくら力が強いって言っても、一護みたいに底なしじゃあるまいし」
乱菊がルキアに同意して一護を見る。
朝食をかきこんでいた一護はそれに「おい」と不満そうな声を出した。
「誰が底なしだ。別に底なしなわけじゃねえぞ」
「隊長格の霊力なんて底なしと一緒よ。あんたってまた別格だし」
「乱菊さんだって副隊長じゃねえかよ……」
「ま、とにかく本気でこれは持久戦になりそうねえ。ウチの隊長来るまでに片付きそうにもないかしら」
一護の呟きを綺麗に流して、茶を飲む。
ふすまが開いたのはそのときだった。
「ふむ、皆揃っておるな」
現れたのは猫の姿の夜一だ。一護たちにとっては初日以来の顔合わせである。
「夜一さん」
「喜べ、今日は待機はなしじゃ」
「え!」
その言葉に乱菊が嬉しそうに反応する。
これまで一護たちは突発的に虚が出るということで、昼もひたすら店に待機する日々を送っていたのだ。それが解かれるということは、昼間好きに町に出ていいということに他ならない。
「でも、いいのかよ?」
「ああ。ナツの霊圧が落ち着きつつある。しばらくおびき寄せない限り虚が出てくることは減るじゃろう」
「あいつの霊圧が落ち着いてないと来るのか?」
「確率は上がるな。あやつの霊圧の波長は虚を呼ぶ。落ち着いていないときは霊圧を消しても寄って来ることが多いのじゃ」
そういえばそんなことを浦原も言っていたと思い出す。
ちなみに浦原たちと一護たちは別々に食事を取っている。人数が多すぎるためだ。
「じゃあ、今日は自由行動ってことだな」
「ああ。皆そうだが、一護。おぬしにとっては特に、久しぶりに現世をゆっくりできる機会じゃろう。行ってこい」
そう言い置いて、夜一はしっぽを一振りするとまたふすまの向こうに戻って行った。
その背中を見送っていた一護は、ふすまが閉じられる前、その向こうの部屋から何やら賑やかな声が聞こえて来た。
「おいコラ喧嘩売ってんのかてめえ!」
「売ってない。だいたいあんたみたいなのに売ってどうすんだよ、もったいない」
「売ってんじゃねーか、買ってやらァ!」
「うっさいな、静かにご飯くらい食えってば。ホントあんたって変わんねえな。成長しろ、バカジン太。ウルル見習え」
「け、喧嘩はダメだよ、ジン太くん……」
そこで、ふすまが閉じられる。
一護はしばらくぽかんとした。今見えたのはナツとジン太、ウルルである。
「……あいつらって、三ヶ月前に知り合ったわけじゃねえのか?」
「何の話だ?」
「黒田と、ジン太たちだよ。何か昔から知り合いみたいな会話が聞こえたからさ」
それにルキアは当然そうに答えて見せた。
「まあ、歳も近い。知り合いであってもおかしくはないだろうな」
「あと……」
「あと、何だ?」
「……いや、やっぱいいや」
言いかけて、一護は言葉を飲み込んだ。
――妙な既視感があった。賑やかな食卓で、冷静に周りに突っ込む、その様子が。
「そういえば、同じ年頃と言えば、貴様の妹たちも似たようなものではなかったか?」
「え」
ちょうど考えていたことをひょいと言われて、思わず一護はきょとんとしてルキアを見る。
「あ、ああ……そういや、そうだよな」
そこで、ふと気づいた。無意識に、家族のことはあまり考えないようにしていたらしい。
家族の中からも、記憶は消えているはずだ。それをあまり、感じたくはなかった。
「……どう、してるかな」
「……見に行くか?」
「――いや、やめとく。多分元気にしてるだろうし、さ」
曖昧に笑う。その意味をルキアは正確に読み取ったらしい。「貴様がそれでいいなら、いいだろう」と苦笑するようにして、それ以上は言わなかった。
ともあれ、今日は自由だ。
「となると、やっぱ買い物はしなきゃよね。ね、朽木! 織姫誘って買い物行かない?」
「井上を? それは、いいですね」
「そうよね! そうと決まれば善は急げよ、今から行きましょ!」
言うなり、乱菊は元気良く立ち上がる。ついでにルキアの腕も捕まえて、支度を整えに貰った私室へ引っ込んで行った。
一護はそれを半笑いで見送って、既に食べ終えていた食器を適当に片付ける。
「恋次たちもどっか行くのか?」
「あ? ああ、そうだな……ま、適当にぶらぶらするか。一角さんたちはどうすんだ?」
「俺は下の勉強部屋で鍛錬でもしてる。ぶらぶらしても、やることもねえからな」
「僕は町に行くよ。相変わらず興味深いものが多いからね」
要するに、皆ばらばらに行動するらしい。
一護はそれに「そうか」と相槌を打ってから、立ち上がった。
「てめえはどうすんだよ、一護」
恋次に訊ねられて、一護は窓の外を眺めた。
見知った町は、一見何も変わっていない。けれど人は確実に変わっているのだろう。
家族を見に行く勇気は、まだない。それでも旧友たちが気になるのは事実である。
「……町の連中、元気にしてるか見に行くよ」
***
「ねえねっ、お兄さん!」
「あ?」
一通り町を回ったあと、一護は夕闇が落ちてき始めた道を浦原商店に帰るために辿っていた。
やたら人懐こそうな少女に声をかけられたのは、そのときである。
結い上げられた色素の薄いセミロングの茶髪に、化粧。しっかりとコーディネイトされた服を身にまとっている様子は、今時の女子高生らしい。
「この辺じゃ見ない顔だね。外から来たの?」
「あー、まあな。……悪いが、俺は話し相手には向いてねえよ。他当たれ」
どうやらこの手のタイプは長引きそうだと判断してあしらおうとしたが、少女は引き下がらなかった。
「あたしもこっちのほうに用があるの。こっち行くんでしょ? 途中まで一緒に行こうよ」
「……ったく、物好きだな」
「えへへー。だってお兄さん、あたしのタイプだもん!」
「……そういうのって、堂々と言うモンか?」
「あたしは言うんだよ。特にそのオレンジの髪とか、すっごい好み!」
「変なヤツ」
呆れたように言えば、少女はやたら嬉しそうに笑った。
それに一護は、また何とも言えない感覚を覚える。
「どうしたの?」
「あ……いや、何でもねえ」
どこかで見た気がする。ナツに感じたのと同じものだ。こちらもやはり、思い出せない。
少女は他愛ない質問をいくつか投げてきた。好きな食べ物や、本や、そういったものだ。そして答えを聞いて必ず、きょとんとする。
いくつめかの質問に答えた後、やはりきょとんとした少女が、今度は驚いた表情になった。
「すごい、お兄さんの好み、あたしのお兄ちゃんと全部一緒!」
「は? 兄貴いんのか」
「うん! ……って言っても、ホントにいたわけじゃないんだけど」
少女は気落ちしたように苦笑する。
「どういうことだよ?」
「夢でしかみたことないの。顔は見えないし、ぼんやりしてるけど……でも、好きなものとか、あれはお兄ちゃんだってすごくリアルに覚えてるから、きっとあれはお兄ちゃんなんだよ」
そこで一旦言葉を切って、少女は頼りなく笑ってみせた。
「なんて、妹に言ったら怒られちゃったけど。……変だよね、やっぱり」
一護はなんとも言えなかった。いまいち状況がわからない。
だが、少女がひどく寂しそうに笑ったのが気にかかって、その頭を無造作に撫でた。
「わ」
「お前がいると思うんなら、いるんだろ。それでいいじゃねえか」
「……お兄さんも変だね」
「うるせえ。……っと、俺はこっちなんだが」
うっかり角を曲がり損ねそうになって、足を止める。
ここから浦原商店へ行くには入り組んだ住宅街を行かねばならない。おそらく少女はこのまま大通りを行くのだろうと思ってのことだったのだが、少女は目をまん丸にして「え!」と叫んだ。
「あたしもこっちだよ! 今から浦原商店に行くの」
「え」
今度は一護が驚く番だった。まさかな目的地が少女の口から飛び出したからだ。
「……俺も浦原商店に行くとこだ」
「ええ! すごいすごい、これってすごいね! じゃあやっぱり一緒に行こうよっ」
少女は無邪気に飛び跳ねんばかりの勢いで喜ぶ。
年頃は十七、八。化粧で整えた外見は黙っていればそれ以上に見えかねないが、まるで子供のような無邪気さに一護は思わず苦笑した。
「仕方ねえな」
一護と少女が並んで浦原商店に辿り着いたとき、ちょうど店から誰か出てくるところだった。
「あれ」
出てきた人物を見て、少女が声を上げる。
一護も動きを止めた。
だが何か言う前に、出てきた黒髪の青年のほうが口を開く。
「やあ、久しぶり」
「え……」
思わず一護は目を瞠った。だがすぐに、その言葉が自分に向けられたものでないと気づく。
「お久しぶりです、水色さん! 帰ってきてたんですか?」
「うん、仕事も春休みだから、しばらくいるよ」
青年は――水色は、一護の記憶にある姿とそう変わらぬままで、そこにいた。
どうやら知り合いらしい少女と話す様子にも変わりはないが、どこか大人びた雰囲気もある。
――今日一日、一護は町を歩き回った。
まず、茶渡と雨竜に会いに行った。二人とも相変わらずな様子で、ずいぶんほっとしたのを覚えている。
そのまま何となく三人連れ立って、馴染みのある場所を巡った。どうやら多少雨竜は丸くなったようで、案外率先して歩き回ってくれたことが意外だった。
途中で織姫、ルキア、乱菊の三人組にも会った。こちらもやはり相変わらずな様子で、再会を文字通り飛び跳ねて喜んでくれた。
ゲイゴやたつき、同級生の面々はあまり見かけなかった。それもそうだ。今や皆立派な社会人なのである。町から出ていてもおかしくはない。織姫からたつきも元気にしていると知らせてはもらった。
織姫たちは町を出ないのかと問えば、茶渡はもう出ているらしい。今は里帰り中だったそうだ。織姫はこの町で幼稚園の先生を務めていると言い、雨竜は父の病院を継ぐために研修医をやっていると言った。
確実に時は流れている。それが少し寂しくもあり、嬉しくもあった。
その中で、水色にも会わなかった。茶渡から町を出たと聞いていたから、会えはしないだろうと思っていた矢先、ばったり今出会ってしまった。
そういえば、記憶が消えた旧友と会うのはこれが初めてだと今更思う。
「お兄さん、どうしたの?」
「あ……いや」
ぼうっとしていたのだろう、少女がきょとんとした様子で見上げていた。
「知らない顔だね。新しい恋人?」
にこやかに問うたのは水色だ。一護がぎょっとしている間に、少女がこれまたにこやかに返す。
「ええ、違いますよぅ。好みだったんで声かけただけです」
「あはは、相変わらずだね。……同い年くらいかな? 小島水色です」
「あ、ああ……一護だ」
何となく苗字を名乗るのは憚られて、名前だけを口にする。
だが水色は気にした様子もなく、じいっと一護を見た。
「な……何だよ」
「ああ、いや……何か、だんだんどっかで見た顔に見えてきて」
思わず一護は固まった。だが水色は考え込むように顎に手を当てて、すぐにやめる。
「まあ、いいか。君もこの店に用なの? だったら、一つ忠告。……綺麗な子がいるけど、惚れちゃダメだよ」
水色は意味深に微笑むと、少女に「またね」と手を振って行ってしまった。
あっけない再会に、一護は思わず背中を視線で追う。だが慌しく戸が開けられる音がして、視線を戻した。
「あれ?」
隣にいた少女がいない。
だが代わりに、何メートルか先にある浦原商店の出入り口が開かれている。
続いて「お邪魔します!」と声が聞こえて来て、一護も少女の後を追った。
「おい、どう……」
「なっちゃん、いるんでしょ、なっちゃんってば!」
どうしたんだ、と聞こうとして店に入るや、甲高い声で少女が何やら叫んでいた。
その声量に思わず一護は耳を押さえる。
そこで、店の奥の戸がスパンと開いた。
「うるっさいな、聞こえてるよ」
「今! 水色さん来てたよね?」
現れたのはナツだ。どうやら『なっちゃん』は愛称らしい。
間髪入れずに訊ねた少女に、ナツはあからさまに顔をしかめた。
「何で知って……」
「さっきそこで会ったから! ね、何だったの? ていうか何でここにいるって知ってたの?」
「別に何でもないよ、何となく寄ってみたんだってさ。あ、カステラ貰ったけど、食べる?」
「もう、そうじゃないでしょ!」
「だから、あんたが思ってるようなことは一つも……って、いたの、あんた」
そこでようやくナツが一護に気づいたらしい。
あの朝以来、まともに顔を合わせるのは初めてで、妙な気まずさに思わず曖昧に頷く。
ひょうきんな声がかかったのはそのすぐ後だ。
「はいはーい、いらっしゃいませ。おや、そっちもお帰りなさいッスね。立ち話も何でしょ、入ってくださいよ」
浦原はそう言って少女と一護を手招く。ナツはため息をついて、先に部屋に入ってしまった。
「あれ、お兄さんここに泊まってるの?」
「え? ……ああ、まあな」
「へえ! じゃ、これからも会えるね! あたし、ユウって言うの。よろしくね!」
手短に名乗ると、ユウはぱたぱたと勝手知ったる様子で部屋に上がって行く。
その勢いに思わずぽかんとして見送った一護だったが、奥から聞こえた催促の声に、部屋の中に入って行った。
***
ユウとナツ、ジン太、ウルルの四人組は、すっかりナツの部屋に閉じこもって、何やら盛り上がっている様子だった。
一護たちは朝と同じく何となく居間に集まり、ぐうたらと話している。
違うのは、浦原と夜一がいることくらいだ。
「今日はホントに虚が出なかったな。やっぱ黒田のせいなのか?」
「そうッスね。今日は調子がよかったみたいッス。……ところで皆さん、毎晩お疲れ様ッス。先程計測してみたところ、あれから百増えて三百九十二。それ以上はありません。そろそろ上限みたいッスよ」
「ようやくかよ……」
一護は呟いて大きく息をつく。
これまでの計測で、敵は一日最高二百程度増やせるらしいと判明している。だがそれが百止まりということは、上限が近いと見て間違いない。
誰もが安堵の息をついた頃、ふと奥の部屋の賑やかさが静まった。
しばらく沈黙があって、やがてふすまがガラリと開く。
顔を覗かせたのはジン太とユウだった。
「おや、お話は終わりましたか?」
「はい。……ていうか、なっちゃんに追い出されちゃったんですけど」
「追い出された?」
一護がきょとんとして訊ねる。
ユウは苦笑して頷いた。
「あたしがあんまり水色さんのこと訊くから、怒っちゃって」
「ていうか、余計な想像喋るからだろ」
「もー、ジン太くんうるさい!」
呆れたようにジン太が言うのを、ユウがじとりと睨む。
そのユウの言葉に興味を持ったのは乱菊だった。
「なになに? 水色って、さっきナツに会いに来てた男のこと?」
「そう、黒髪の人。あたしはそろそろ報われてほしいんだけどなあ……」
「おいってば! んなこと言うから怒られるんだよ、主に俺が!」
さらに続けようとしたユウの肩をがしりとジン太が掴む。
ユウは不満そうにジン太を見上げた。
「だって、どうせこのお店の人みんな知ってるし……」
「そういう問題じゃねーだろ、ホラ、帰るんだろ!」
「はいはい。……それじゃ、失礼します。お兄さん、またね!」
いかにも仕方ないと言った風情でユウはジン太に引かれて店を出て行った。
乱菊はそれを若干不満そうに見送る。
「えー、ナツの話、気になったのに」
乱菊の呟きに、どうやら気になっていたらしいルキアも同意する。
だがふと、乱菊は不満げな表情を変えて、真顔で言った。
「けど、何か意外ね」
「何がですか?」
「だってほら、言っちゃ悪いけど、ナツってあんまり友達多そうなタイプに見えないじゃない。あたしたちとは特に全然喋らないし。……でもこの店の子とは仲良いみたいだし、ユウちゃんも気にかけてるし、案外そうでもないのかしら」
それは確かに、一護も感じていたことだった。
会ってから数日、ナツは一護たちとほとんどまともに話していない。
頑な過ぎるほど、関わろうとしないのだ。
「……ナツさんは、良い子ッスよ」
ぽつりと、浦原が呟いた。
「頭もいいし、ぶっきらぼうですけど、優しい子です。……何よりも、精神的な面で、とても強い」
少し帽子をいじって、浦原はそれでなくとも見えにくい目元を隠すようにする。
続いた声は、軽いものだった。
けれど口元は笑っておらず、響きにそぐわぬ妙な重みがあった。
「――じゃなきゃこんなこと、耐えられやしない」
***
店を出ると、外はもうすっかり夜だった。
春とは言え、まだ少し冷えた風が残って、立ち止まったジン太とユウを吹きさらす。
「……あれで、よかったんだよね。ジン太くん」
「……ああ。悪い、よくわかんねえことに巻き込んで」
「やめてよ、ジン太くんが悪いわけじゃないじゃない。……それにあたしは、あの子がつらい顔しないで済むようになるなら、いくらだって、何だってやるもん」
でもね、と呟いて、ユウはジン太の背中に隠すように額を寄せた。
「今日見たあの子、やっぱりつらい顔してた。……ねえ、あの人たち、ホントに『死神』なの? ホントにあの子、あのバケモノから守ってくれるの?」
だんだんと、声が潤んできたのがわかる。
ユウはジン太の背中に強くしがみついた。
「ジン太くん」
「なんだ?」
「ぎゅってして」
「……俺は彼氏じゃねえんだろ」
「違うけど、今だけ」
「……ったく」
振り向いて、引き寄せる。空いた背中がやけに冷たく感じたのは、風のせいばかりではないだろう。
「ごめんね」
「謝んなよ。俺が泣くぞ」
「……ありがと」
ユウはそのまま、ジン太の胸に顔を埋めた。ジン太は黙って、小さく震える肩を撫でた。
「――遊子」
「あれ……いいの? あたし、『ユウ』なんでしょ」
「もう店ん中じゃねえだろ。……アホみたいに泣いていいぞ。あいつが泣かねえぶん、泣いてやれ」
「……うん……」
夜風が二人を吹きさらす。
取り落とされた遊子の鞄に付けられた苺の形の髪飾りが、アスファルトに当たって冷えた音を立てた。
当サイトはジン太×遊子応援派です。
「グリフ*grief=悲嘆」
[2009.07.27 初出 高宮圭]