初恋連鎖

-悲哀連鎖-

05 : アンビバレンツ

「日番谷隊長」
 日番谷が技術開発局から資料を受け取り、隊舎に帰ろうとしていたときのことだ。
 ふと知った声に呼び止められて、振り返る。
「卯ノ花隊長」
 そこにいたのは、四番隊隊長、卯ノ花烈だった。隣には副隊長の勇音もいる。
 卯ノ花の手には、何やら長方形の箱が三つほどあり、勇音の手には同じ物が二つある。それらには全て四番隊の隊花と数が刻んであった。
「何スか?」
「今日、現世に発たれるのでしょう。これを持って行っていただけませんか」
 これとは、二人の手にある箱のことらしい。
「何ですか、それ」
「三ヶ月程前、浦原喜助さんに頼まれていたものです。四番隊特製救急セットというところでしょうか」
「……多くないか?」
 思わず訝しげな声が出た。
「色々入っていますから。勇音が持っている分は予備です。何かあれば日番谷隊長も遠慮なく使ってください」
「……そりゃ、どうも」
 にっこりと完璧な笑顔で差し出されては、断る術などない。もっとも、断る必要もないので、箱を受け取った。
 途端に、息が詰まる。
「……重くねえか、これ」
「あら、そうですか? 勇音、あなたもお渡しなさい」
「は、はい。じゃあ、日番谷隊長、気を付けて行ってきてくださいね」
 卯ノ花に促されて、さらに二つの箱が重ねられる。
 重い。とんでもない。
 これをさらりと三つも持っていた卯ノ花を思わず見てしまう。
 だが卯ノ花はその視線にもにっこりと微笑んで、踵を返した。
「それでは、失礼します」
 日番谷は五つの救急セットと、資料を抱えたまま、その背中を見送る。
 どうせ持ってくるなら隊舎まで持って来いと思ったが、口にはせずに、ため息に変えた。
 重いが、歩けないことはない。確か執務室に、持ち物を軽減して小さくまとめる道具があったはずだ。それを使うことを決めて、日番谷は隊舎へ再び歩き出した。

 乱菊たち六人が現世に行ってから、今日で一週間。
 ようやく技術開発局が作っていた情報資料が完成した。
 日番谷は今日、準備が整い次第、現世の空座町に向かう。
 本来引率である日番谷が遅れて行くというのは少しおかしい。だが今回、この方法が取られたのは黒崎一護が同行を認められたからである。
 一護の実力は、護廷十三隊隊長皆が知っている。そしてその他にも強力な者たちが取り揃えられたがゆえの判断だった。
 だが、日番谷としては心配は尽きない。まず連絡が取れないというのが最たるものだ。どうやら技術開発局のほうの虚の観測に関してはそこそこ回復したようだが、通信関連は未だなかなかだと言う。この霊波障害のおかげで、一週間も時間がかかるはめになった。

 執務室にようやく辿り着いて、両手が塞がっているために足で戸を開ける。
 机の上に荷物を下ろすと、ドゴンととんでもない音がしたが、あえて無視した。
(それにしても)
 一息ついて椅子に腰掛け、日番谷はまとめられた資料をほうを改めて眺めた。
 ――霊圧を消せる虚。能力を伝達し、同様の力を持った虚を大量に従える。主客の虚はヴァストローデ級に極めて近く、何か巨大な霊力を源にしている。
(やっかいな話だ)
 おそらくこれらの情報は、とうに浦原たちも掴んでいるだろう。どうやら子分の駆除から入っている様子を見ると、子分を媒体に再生することも知っているようだ。こちらが特定できていない、源の巨大な霊力に関しても何か掴んでいるのかもしれない。
 だが彼らがおそらく得ていないだろう情報が、いくつかあった。
 それを睨むように確認して、日番谷は立ち上がる。
 既に時間は昼。今から準備を整えれば、夕方すぎには現世に着けるだろう。
 できるだけ早く、この情報を伝えねばならない。
 準備にとりかかるために、日番谷は室内の物置に向かった。だが後数歩で扉の前というところで、ふと立ち止まる。
 日番谷が目を止めたのは、壁に掛けられた鏡だ。
 主に乱菊しか使わないそれは、彼女の背丈に合わせて取り付けてある。
 五年前はそこにまるで映らなかった日番谷だが、今は少し屈んでようやく顔が映る。
 我ながら伸びたものだと今更ながらに思った。
 そしてふと、一つの声を思い出す。

 ―― お前背伸ばせよな。せめてあたし以上。

 あの子供は、どうなったろうか。
 記憶置換が行われたから、日番谷のことは覚えていまい。だが自身が驚くほどに、日番谷はまだ彼女を覚えていた。
 仕事を終えたら、見に行ってみるのもいいかもしれない。

 髪は、伸びただろうか。


***


 長い黒髪が足音に合わせてさらさらと揺れる。
 その様子を、一護たちは数メートル離れた後ろから眺めていた。
「……二十九、三十! よし、行くわよ」
「……ホントに行くのかよ」
「当たり前でしょ。ていうか、もともとあんたが言い出したんじゃない、一護」
「いや……まあ確かに黒田が一人でいつもどこに行ってるのか気になるとは言ったけど、尾行しようとは言ってねえだろ」
 腰に手を当ててさも当然そうに言い切る乱菊に、一護は思わず呆れ半分の目を向ける。
 だが乱菊は堪えた様子もなく、「ま、いいじゃない」と言い放った。
「とにかく、追うなら追うで早く行かねえと見失うぜ」
 恋次のため息混じりの忠告通り、ナツはまさに今かなり先の角を曲がるところだった。
「ほらほら、行くわよ!」
 乱菊に急かされ、一護は渋々足を進め始めた。
 ――事の起こりはこうだ。
 一護たちが現世に来てから一週間が経った。ようやく増殖していた虚は上限を越えたらしく減少に向かい始め、かなりのところまで追い詰めつつある。
 ナツの霊圧は安定しているらしく、一護たちは今も昼間の自由を許されていた。
 未だナツは一護たちに関わろうとはせず、何もなければ部屋に閉じこもり、用があるとき(主に春休み中の学校のようだ)は浦原商店の誰かにのみ伝えて出て行く。
 だがそれ以外にも、一日に何度かナツは一人で出て行くことがある。これは誰にも何も言わず、いつの間にかいなくなっているのだ。一護はおそらく『何も出ない時間』なのだろうとは思っていたが、ならば何をしに行っているのだろうと、呟いてみたのが事の発端だ。
 聞きつけた乱菊が、「追ってみればいいじゃない」と言ったのである。
 後はあれよあれよとルキアが巻き込まれ、恋次も巻き込まれ、難を逃れたのは勉強部屋で鍛錬に精を出していた一角と弓親だけだった。
 かくして、乱菊を筆頭に、四人の『ナツ追跡部隊』は彼女を追っているのである。
 乱菊は三十歩が見つからない目安だと言い張るが、果たして真実かは知れない。だいたいナツは霊的察知能力が高いと浦原が言っていた気がするが、ばれないものなのだろうか。
「あれ? お兄さんたち何してるの?」
「うお!?」
 唐突に聞いたことのある声に呼び止められたのは、ナツがちょうど道路脇に立ち止まり、一護たちが三十歩離れた物陰に隠れていたときだった。
 思わずびくりとして声をあげた一護だったが、振り返って瞬く。
「お前、こないだの……」
「あら、ユウちゃんじゃない」
「こんにちは。何してるの? さっきからこそこそしてるみたいだけど……」
 声をかけてきたのはユウだった。どうやら出かけるところらしい。
 首を傾げて、一護たちが覗いていた方向を見る。
「あれ、なっちゃんだ」
「あ、いや、その、何だ。別にストーカーってわけじゃねえぞ? ただちょっと気になることがあってだな」
 妙に焦ってわたわたと弁解するが、ユウはそれに明るく笑って見せた。
「何だ、あの子のこと、心配してくれてたんだ」
「は……いや、まあ……そうなるのか……?」
 あらぬ方向を見やった一護を見て、ユウはくすくすと笑う。
 それから、もう一度道の先にいるナツを見やった。
「……一日に何回か、あの子、どこか行くでしょ。それを気にしたんじゃないの?」
「あ、ああ……」
 あっさりと見抜かれて、一護は面食らう。他の面々もきょとんとしていて、ユウは苦笑を浮かべた。
「あたしもね、気になって追いかけたこと、あるんだ。だから、そうかなって」
 そこでふとナツのいた方向に目を向けたルキアが「あ」と声をあげる。
「おい、いなくなったぞ」
「え、嘘。早くも見失っちゃった?」
 乱菊も覗き込むが、どこにもナツの姿はない。
 どうやら話している間にどこかへ行ってしまったらしい。
 だが、ああ、と落胆の声をあげる乱菊の腕をユウが引いた。
「こっち。ついて来て。たぶん次に行く場所、わかるから」

 ユウに連れられて来た場所は、公園だった。春休みということもあって、子供たちの姿が多い。
 一人が好きそうに見えるナツはあまり行きそうにない場所に見えたが、ユウが「あっち」と指差すと、確かに公園の隅のベンチにナツが見えた。
「何してんだ、あいつ?」
「なっちゃん、昔からこの公園好きなんだよ。よく遊んだし……子供好きだしね」
「そうなのか?」
 少し意外だった。冷たい印象しか受けなかったせいか、あまり子供好きには見えなかったからだ。
 見ていると、ちょうどサッカーしていた子供たちのボールが、ナツの足元に転がっていく。
 ぱたぱたとそれを追って子供たちがナツのところに集まった。
 ナツはボールを拾い上げると、何やら話している様子だ。子供たちはそれに聞き入り、時折無邪気な声をあげる。
「人気者なんだよ、なっちゃん」
 なぜかユウが誇らしげに言う。それとほぼ同時に、ナツがボールを器用に蹴り上げて飛ばした。子供たちが追っていく。
 距離があって見えにくいが、ナツは笑っている様子だった。一護たちには笑顔など見せたことがない。
 それからまた、ナツは公園を出て歩いて行く。
 一護たちはユウの先導のもと、ナツの後を追った。
 次にナツが立ち止まったのは、大通り前の踏み切りだった。
「あれは何をしておるのだ?」
「……うーん、もうちょっと見てれば、わかるかな」
 ルキアの問いに、ユウは曖昧に答えた。
 ナツはそこで何事か言っているようだった。そしてまた歩き出す。
「……結局、何だったのだ?」
「えっと……じゃあ、次でわかんなかったら、言うね」
 次は、大通りの中の十字路の端だった。献花してあるそこを、じっと見て、また何事か言う。
 ユウは今度は少し距離を縮めた。おかげで先程よりもよく見える。
 しばらく見ていて、わかった。ナツは、独り言を言っているわけではない。
「……あいつ、霊に話しかけてるのか?」
 恋次の呟きに、ユウは首肯した。
「やっぱり。あのお店にいたから、幽霊見えるんだと思った。……そうだよ。あの子、ああやって気になる霊のところ、回ってあげてるの。ちょっとでも早く成仏できるように、って」
 思わず一護は言葉を失くした。
 まだ、一護がこの町に普通の――幽霊が見える体質の高校生としていた頃、それはよくやっていたことだった。
 虚の存在も、死神の存在も知らなかった頃、成仏できない霊たちを見て回っていたことがある。
「……ユウちゃんも、見えるのね」
「あたしは、ぼんやりとだけどね。なっちゃんは、すっごくはっきり見えるから……」
 乱菊の言葉に、ユウは少し寂しそうに笑う。
 だがふとナツの方向を見て、表情を変えた。
「あ! なっちゃんをナンパする勇者発見!」
「えっ、ウソ、どこどこ?」
 いつの間にやら、ナツはまた移動していた。商店街の中を歩き始めていたらしいが、そこで一人の男に声をかけられている。
 乱菊が覗き込み、そのままこそこそと距離を詰めた。
 どうやら本当にナンパらしい。ナツはあからさまに嫌な顔をしている。
「なっちゃんはモテるんだよ。……あっ、フラれた。そりゃそうだよね、あれはあたしでも振るもんなあ……」
 などとユウは何食わぬ顔で言う。
 それに乱菊が訊ねた。
「ねえ、ナツって綺麗だしモテそうだけど、恋人いるの? ユウちゃんは間違いなくいそうだけど……」
「え、いないよ。あたしもなっちゃんも。なっちゃんなんか、今まで一回も付き合ったことすらないもん」
「やだ、意外。ユウちゃんもモテるでしょ?」
「えへへ、確かに今までいっぱい付き合ったことはあるよ。今はいないけど。……あたしと同じくらい、なっちゃんも告白されてるんだけどなあ」
 あっさりと言って、ユウはまた歩き出したナツを見つめた。
 やけにその様子が寂しそうで、一護は眉を寄せる。
 ぽつりとユウは呟いた。
「付き合ってみれば、いいのにね」
 そしてくるりと振り向くと、寂しそうな微笑を浮かべたまま、「何でだと思う?」と一護たちに訊ねた。
「何がだよ?」
「なっちゃんが、誰とも付き合わない理由」
 知るわけがない。
 一護が困惑してまた眉を寄せているうちに、乱菊が「男嫌い?」と言った。ユウが腕でバツを作ってみせる。違うらしい。
 だが確かに、あまり殊勝な理由ではないような気がした。それこそ男嫌いか、自己主義を掲げているか、そうであればとても『らしい』と思ったが、ユウがまだ寂しそうな表情のままで言った答えは、意外なものだった。

「初恋のひとが、忘れられないんだって」


***


 一護たちとユウは、あの後商店街で別れた。買い物をするらしい。
 別れ際、また見失ったナツの行き先をユウは言い残してもくれた。
 ―― 住宅街の奥にある、空き地に行ってみて。きっといるから。
 空き地に辿り着いた一護たちは、徐々に夕焼けに染められ始めた殺風景な景色を見ることとなった。
 どうやらユウの予報が外れたらしい。
「……いないわねえ」
 乱菊が呟く。
 だが、一護としてはもう十分だった。一日ナツを追いかけて、わかったことがある。
「あいつって、俺たちのこと信じられないんだろうな」
 ぽつりと呟くと、ルキアがどこか悲しげな顔で一護を見上げた。
「けどま、考えてみりゃそうだ。いきなり来て、今まで自分を襲ってたバケモノの退治するとか言って。……あいつにとってみれば、俺たちも虚も変わらねえ、わけのわかんないモンだろ」
「一護……」
「拒絶されたらされっぱなしでさ。距離を置いてたのは、俺たちもあいつも同じようなもんだ」
 ナツに正面から拒絶された、あの朝。一護たちはきっと、後を追うべきだったのだ。今更にそう思う。きっとあの朝もナツは霊たちを見て回っていたのだろう。
 信じられないと言われた、関わってほしくないと言われた。
 だが、一護たちが現世にいる時点で、既にそれは無理な話だ。信じてもらわねばいざというときに守れはしないし、関わらないことなどできない。ならば距離など置くべきではなかったし、置かせるべきでもなかったのだ。
「――今更な、ことだけどな」
 一護が呟いた、そのときだった。
 一護の背後にある木から、ガサガサと不自然に木の葉が揺れる音がする。続いて、ダンと何かが降り立った音もした。
 反射的に振り向く。
 ――ナツだ。
 そう認識した次の瞬間、一護は力の限り突き飛ばされた。
「なっ……」
 耳に痛い、ばりばりという嫌な音がした。
 ナツは一護がいた場所に転がり、一護は突き飛ばされた先にいた恋次も巻き込んで、派手に転がる。
 何が起こったのか、すぐには理解できなかった。
「おい……」
 身を起こして、一護はまず地面に広がる赤と黒の二色を見た。
 黒は、ナツの髪。
 そして赤は――ナツの血だ。
「おい、黒田!!」
 叫んでも、ナツは動かなかった。
 その体のすぐそばに立つ、人影がある。長身痩躯の男だ。だがそれがただの男でないことは、すぐにわかった。
「どうも、死神さん方」
 男は顔の右側から上を、髑髏のような仮面に覆われている。そして胸には、穴があった。
 あまりに既視感のあるその姿に、一護たちは瞠目する。
 男は足元のナツを軽く蹴り飛ばし、右手に付いたその血を見せ付けるように舐めた。

「初めましてだな。それともあんたたちは久しぶりな気がするかい。――俺は、破面だ」

「悲哀連鎖*かなしみれんさ」
[2009.07.28 初出 高宮圭]