1万hit御礼リクエスト企画

革命ヒーロー<前編>

「悪霊と虚って、どう違うの?」
「は」
 唐突に投げ掛けられた質問に、ジン太はほうきで素振りしていた手を止めた。
 隣で黙々と掃除を進めていたウルルもきょとんとして、問いを発した夏梨を振り向く。
 ある日の午後、学校帰りに浦原商店に立ち寄った夏梨は妙に気だるそうで、来てから何をするでもなくただぼんやりと座り込んでいた。それがようやく喋ったと思いきや、思いかけない質問をした。
「何だよ、急に……」
 夏梨は強い霊力を持つゆえに、幽霊や虚などが見える。縁あってジン太たちとは何度か一緒に虚の退治をしたこともあるから、それは今更な問いかけのように思えた。
「どう違うも何も、悪霊って言われてるのが虚なんだよ」
「じゃあポルターガイストとか、心霊現象起こすのも虚なわけ?」
「大きく分ければな」
「虚の中には、半虚(デミ・ホロウ)って呼ばれるものもいて……これは虚に堕ちかけの霊で、見た目は普通のまま、周りに悪影響を及ぼしたりするの。悪い心霊現象を起こすのは、それが多いみたい」
 ジン太の説明をウルルが補足して、夏梨はなるほど、と納得したように呟いた。
「何でそんなこと聞くんだよ?」
 ジン太が不可解そうに聞き返せば、夏梨は長々とため息をついて「別に」と一言答える。
「別にってお前……」
「ちょっと妙なヤツがいるから、聞いてみただけ」
「妙なヤツ?」
「心配ないよ、ただ付き纏って来るだけだし。ほっとけばそのうちいなくなるでしょ」
 面倒臭そうにがしがしと頭を掻いて、夏梨は立ち上がる。それから脇に置いていた鞄を片方の肩だけに引っかけると、ジン太たちに背を向けた。
「ごめん、あたしもう帰るわ」
「待って夏梨ちゃん、霊のことで困ってるなら、店長に……」
「まだそんなに困ってないから平気だよ、ありがと」
「でも……」
 心配そうに引き止めるウルルに、夏梨は店を出かけた足を止めて振り返る。そしていつもと同じように笑って見せた。
「何かあったら言うから、そのときはよろしく」
 それきり元気よく走り出して、家に向かって帰って行った。
 それをウルルとジン太は若干気掛かりそうに見送る。
「ジン太くん……どう、思う?」
「どうもこうも……ありゃ何かありましたって言ってるようなモンだろ。……あーあ、また店長に怒られんじゃねーだろうな」
 がしがしと頭を掻きながら、ジン太はぽいとほうきを投げ捨てる。それを拾い上げたウルルは嬉しそうに笑った。何だかんだケンカしていても夏梨と仲のいいジン太だ。ウルルと同じことを考えたらしい。
「大丈夫だよ、店長もテッサイさんも、友達のためって言ったら、許してくれるよ」
「……こっそり様子見るだけだからな!」
 ほとんど照れ隠しみたいに宣言して、ジン太は店を出る。
 その後に、ウルルも店の表に「本日閉店」という紙を貼り付けてから駆け足で続いた。


***


「子供の霊を従える虚?」
 一護は死覇装で空座町の空中を駆けながら、隣で同じく駆けているルキアを見返した。
 今一護とルキアは伝令神機からの指令を受け、虚退治に向かっている。詳しくは行きながら説明すると言われた一護は言われるままに駆けていた。
 ルキアは伝令神機を時折確認しながら頷く。
「そうだ。虚本体にそれほど力があるわけではない。だが既に、退治にあたった四人の死神が喰われている。しかもうち三人が席官だ」
「どういうことだよ、強くねえんだろ?」
「強いのは虚ではなく、奴の従えた子供の霊なのだ。何十……いや何百という負の気を持つ霊たちは、様々な心霊現象を引き起こして、誰しも少しは持つ負の感情をもとに、標的の魂を徐々に負の気で蝕んでいく。そうして弱らせ、負の気が魂に満ちたときに本体が喰うのだ。虚は負の存在ゆえに、負の気が満ちた魂のほうがより力になるらしい」
 一護は顔をしかめた。
「陰険なやり方だな、気に入らねえ。……だがつまりそいつは、時間かけなきゃ何もできねえってことだろ。じゃあ見つけ出して本体さっさと斬っちまえばこっちのもんだ」
「その通りだ。……だが、面倒なことにこいつは喰うときにしか姿を現さぬ」
「なんだと?」
「餌が完成するまで、本体は虚圏に潜んでおるのだ。だから私たちは、餌を喰いに出てきたところを狙うことになる」
 見ろ、とルキアは伝令神機を一護に投げて寄越した。それを掴み取って、一護は首を傾げる。
 画面には空座町の地図と、それに分布する色違いの点がいくつかあった。うち一つは赤い。
「なんだ?」
「その虚――ヘルリードと呼ばれているが、そやつがこの町で餌として目を付けたと思われる魂魄、または人間の大まかな分布図だ。ヘルリードの霊圧の名残をスキャンしただけのものだが、強さによって色が違う。一番濃く霊圧が残っている点……赤色のそれが、次に狙われるであろうと思われる」
 そこまで聞いて、一護は理解した。
 伝令神機を投げ返しながら、「つまり」と口を開く。
「その『餌』の魂魄だか人間だかを見つけ出して、保護するってことだな」
「そうだ。囮にするようで悪いが、標的を喰いに出てきたところを叩く。……よし、この辺りだ」
 伝令神機を確認して、ルキアは頷く。一護は空中で足を止めた。
 見下ろせば、見慣れた町並みが広がっている。今は夕方。学生たちの帰宅時間には少し遅いくらいだが、ちらほらと中学生、高校生の姿が伺えた。部活などがあるから、おかしくはない。
 小学生はとうに帰宅している。
 そう考えていたから、ふと目の端にランドセルが見えたとき、一護は意外に思った。だから思わず注目して――そのおかげで、気づいた。
「おい、ルキア!」
 呼び声に反応したルキアもその小学生を見る。そして、目を瞠った。
「なんだ、あれは……っ」
 黒のランドセルを背負った、小学一年か二年に見えるその男の子は、夕焼けに染まった平和な町中で、明らかに異質だった。
 徒人には見えないだろうが、死神のルキアや一護には見える。その子供の周りに、黒とも紫ともつかぬ色をした、無数の霊体が円を成して包み込むようにまとわりついていた。
 子供は虚ろにふらふらした足取りで歩いている。どうやら、人間のようだ。
「あのガキが、完成間近の餌ってわけかよ。……行くぞ!」
 一護は心底忌々しそうに呟いた。子供がではない、あんな幼い子供をああまでしたその敵が忌々しいのだ。
 だが駆け寄ろうとしたその腕を、ルキアが掴んで止めた。
「待て一護! 今近寄ってはならぬ!」
「何でだよ、あのガキ取り込まれちまうぞ!」
「あの子供の周りにある霊体、あれに触れるとその者まで取り込まれてしまう。霊体の私たちは尚更だ。あの子供は人間、まだ取り込むのに時間がかかる。だから私たちは本体が出てくるのを待って、根源から断ち切る他にあの子供を助ける術はない!」
「けど……っ」
 子供は虚ろな歩みを止めて、体をゆらゆら揺らしていた。霊体に引っ張られているようだ。片腕を取られ、もう片方も取り込まれ、足元から徐々に黒い霊体でその体が埋まって行く。
「――見てられるかよ!」
 叫ぶと同時に、一護は背負っていた残月を抜き放ち振り上げた。ルキアの制止の声など聞いていられない。
 刀の先が子供を取り巻く不気味な霊体に触れる。――途端に、耳をつんざくような無数の悲鳴があがった。
「なんだ!?」
 咄嗟に刀を引こうとしたが、動かない。驚いて見ると、刀身に霊体が解け合うように絡んでいた。舌打ちして、力任せに刀を振り上げる。
 耳に痛い悲鳴はやまない。けれど振り上げた拍子に子供の周りにあった霊体は千切れるように離れた。子供は虚ろな様子から通常に戻り、ぱたりと倒れる。どうやら、怪我はないようだった。
 だがそれに安堵したのもつかの間、今度は霊体たちは一護を取り囲む。
「破道の三十三、蒼火墜!」
 声と共に蒼の爆炎が霊体に浴びせられた。暗い色をした霊体は悲鳴をあげながら飛び散り、辺りに漂う。
「だから言ったであろう、この莫迦者!」
 瞬歩でそばまで来たルキアに出し抜けに怒鳴られて、一護は思わず言葉に詰まる。
「上手く引き剥がせたから良いものの、私がいなければ貴様が捕らわれていたぞ!」
「わ、悪い……」
「まったく貴様という奴は――」
 ルキアはまだ続けようとしていた。だが、一護はその背後にあの黒い霊体たちが集うのが見えて、瞠目すると同時に叫ぶ。
「ルキア!」
 一護が腕を伸ばす。霊体たちがルキアを捕らえる。それはほぼ同時で、そして霊体たちのほうが、ほんの少しだけ早かった。
 一瞬でルキアの周囲に霊体たちの成す円形の膜ができる。
「破道の三十一、赤火砲!」
 ルキアは咄嗟に肩から上の霊体を鬼道で吹き飛ばしたが、両腕と肩から上以外が一瞬で霊体に呑まれてしまった。これでは刀も抜けない。
「おい、大丈夫か! 今斬って……」
 一護は刀を構えるが、そこで先程霊体に刀身を絡め取られたことを思い出す。あれは刀では斬れない。
 思わず舌打ちするが、「一護!」と呼ばれると共にルキアから投げられた小さな物体に気づいて、掴み取った。
 見ると、それは伝令神機だ。
「誰でもいい、それで尸魂界に救援を要請しろ! 私は鬼道でこれをなんとかする!」
「誰でもって……番号は!」
「メモリーを見ろ、たわけ! 覚えておるわけがなかろう!」
 何でそこで胸を張る。
 思ったが、とりあえずは置いておいて、一護は自分まで取り込まれぬよう、一旦上空に距離を取った。そこで伝令神機を操作する。どうやら本当に現世の携帯と変わらないようで、操作は容易だった。
 電話番号のメモリーを呼び出す。そして表示された画面を見て、この場にそぐわないながらも、一護は全力で突っ込まずにはいられなかった。

「『隊長』と『兄様』しか入ってねえじゃねーか!!」


***


 最近、慢性的な頭痛が続いている。
 それが何故か、原因も検討がついているが――夏梨にはどうしようもなかった。
 浦原商店から家に帰りつく。「ただいま」と疲れた声で言うが、先に帰ったはずの遊子の返答はない。靴もないから、どうやら買い物に行ったようだった。
 手伝ってやれなかったのは心苦しいが、いなくてよかったとも思う。
 靴を脱いで自室に上がる。その途中、唐突に誰もいないはずの居間から勢い良くリモコンが飛んで来た。避けると、まるで操作されているかのように勝手に向きを変え、また向かってくる。それをかいくぐって部屋に入った。そして広がった光景にため息をつく。
「ったく……」
 部屋は遊子と相部屋だ。ドアから向かって右に夏梨の、左に遊子の机とベッドがある。
 その、右側にある夏梨のものだけが、ことごとく逆さを向いていた。全く場所は変わらず、けれどマットからベッドまで残らずひっくり返っていた。
「いい加減にしろよ、もう」
 独り言のように呟くが、確かに近くにいるはずの元凶に向かって夏梨は言っていた。それに応えるように、天井からぱたぱたと軽い足音が聞こえる。ここは二階で、天井の上には屋根しかない。けれどまるで天井のすぐ上を子供が走り回るような足音が響いた。
 ――最近のことだ。やたら、子供の幽霊につきまとわれるようになった。それも一人ではなく、無数の子供に。夏梨が同じ子供だからか、霊感があるからなのかは知れない。けれど、ここ一週間ほど、ずっとこういった心霊現象が絶えないのだ。
 ラップ音、ポルターガイスト、金縛り。ありとあらゆるありきたりな心霊現象を引き起こされて、夏梨は正直なところうんざりし、疲れていた。挙句夢にまで出てきてくれるのだから、たちが悪い。
「何か思い残したことがあるなら、寺に行けって言ってるだろ」
 手始めにとりあえずひっくり返った椅子を元に戻す。
 日を追うごとに過激になっていく心霊現象に、不安がないわけではない。けれど心配をかけたくなくて、夏梨はひたすらこのことを家族に隠していた。
 けれどそれもそろそろ限界かとも思う。今までこれだけあからさまなことをやられたことはなかった。
(今度身の危険感じたらウルルとジン太呼ぼう)
 と、そんなことまで考える。それでも決して家族には言おうと思わない、それをどうしても嫌っていることは、自然すぎて自分でも気づかなかった。
「よ……っと」
 ひっくり返っていた机を持ち上げる。小学生一人の力ではなかなか苦しい。それでも踏ん張っていると、不意にその重さが消えた。
「え……」
 思わずきょとんとする。持ち上げようとしていた机は、驚いたことに独りでに宙に浮いていた。そして机のみならず、椅子も本棚もベッドも、全てが重力を失ったかのように、浮き上がる。
 だがきょとんとしたのもつかの間、すぐに驚きは危機感に変わった。
 ――何か、まずい。そんな気がする。
 ドン、と地響きのようにも感じるその揺れを感じたのは、夏梨が異様な室内に置かれて間もなくだった。揺れている。地面が、ではない。空気が――霊圧が。
 正体も知らぬまま、夏梨はそれを感じ取り、次の瞬間に、派手な音を立てて窓が割れた。
 咄嗟に床にしゃがみ込む。だがそれを狙いすましたように、浮き上がった家具たちが夏梨目がけて落ちてきた。
「何なんだよっ!」
 喚きながら、器用に転げて避ける。家具は一拍前まで夏梨がいた位置に殺到したが、すぐにまたゆらりと浮き上がる。夏梨はその家具のそばに、どす黒い小さな子供の霊たちがまとわりついているのを見た。
 表情はなく、感じられるのはあからさまな敵意――というよりは、殺意。
(殺そうとしてるのか?)
 そんなことをされる覚えはないのに。
 考えながらとりあえず逃げ場所を確保しようと視線を巡らせる。そこに、ふと映り込んだものがあって、夏梨は息をのんだ。
「夏梨ちゃん……っ!」
「おい、夏梨!」
 窓際。割られたその窓辺に、飛び上がって来たのだろうウルルとジン太がいた。
 二人の超人的な身体能力は知っているから、驚いたのはそこではない。問題は今、そこに二人がいることだ。きっと二人は夏梨を心配して来てくれたのだ。それはわかる。
 けれども。
「バカ、来るなっ!!」
 部屋の上空には、ガラスの破片や巨大な家具、そして得体の知れない霊体がうごめいている。
 夏梨は咄嗟に窓辺に駆け寄って、二人を外へ全力で突き飛ばした。

 そしてその次の瞬間、背中を向けた夏梨めがけて、凶器と化した家具と霊たちが降り注いだ。

[2009.11.08 初出 高宮圭]