「魂魄整理?」
「の、見本だそうですよ」
「何で俺たちが……」
「人手不足が極まってるからじゃないですか」
明らかに疲労の色を見せつつ、吉良が答えるのに、檜佐木は「極まりすぎだろ」とため息混じりに呟いた。
だが、どこもかしこも人手不足なのは承知していたから、不承不承「わかった」と頷いた。
尸魂界きっての動乱、史上に残る戦争が幕を下ろしたのは、わずか二ヶ月前のことだ。
隊長格三人の離反、そしてその者たち率いる破面たちの猛攻。尸魂界、現世の重霊地である空座町ともに相当の危機に陥った、その傷跡は未だ深く残っている。
だがその混乱と危機を乗り切り、再び尸魂界は落ち着きを取り戻しつつあった。――とは言え、度重なる戦いによる欠員は著しく、事態が事態だけに相応の責任を負える者が必要とされることが多く、隊長格はほぼ総出で余波の対応に当たっているのが現状だ。
檜佐木の九番隊、吉良の三番隊も例外ではなく、先日遠征から帰ってきたばかりだった。
部下に伝言を残して、檜佐木は吉良と共に魂魄整理の仕事へ向かうために歩き出す。
「しかしこんなときに魂魄整理か。見本ってことは平隊士にだろう?」
「こんなときだからこそ、なんじゃないですか。送られてくる魂魄の通過門は本来あまり警備しません。敵が侵入を試みる可能性もなくはない。それにあの騒動でそこらじゅうに空間のひずみができてますから……」
「どこからともなく虚が現れる、だろ。特に流魂街はひどいからな。……なるほど、それで俺たちに命が下りたってわけか」
魂魄整理とは名の通り尸魂界に来た魂魄たちを流魂街の各地区に振り分ける作業だ。整理券を配り、転送装置で各地区に誘導するのみの単純作業であり、通常ならば隊長格がやるような仕事ではない。新人隊士などがやるものだ。
だが今は動乱の余波により、空間のひずみができてしまい、そこから虚が頻出する。もし万が一強敵が現れたなら、新人になど到底対応できまい。そういう事情から、二人が抜擢されたらしかった。
現場に着くと、指導を受ける新人隊士たちが既に揃って待っていた。二人を見つけると、一斉に挨拶をする。
「よろしくお願いします! 檜佐木副隊長、吉良副隊長!」
「ああ、よろしく。……さて、じゃあ始めるか。吉良、お前は一班から五班を指導してくれ。俺は六から十を指導する」
「わかりました。実践のときは共同でいいですよね」
「ああ。それじゃ、後でな」
檜佐木が担当の班をまとめて連れて行ってくれた。そのため吉良はその場で説明をすることにする。
とは言え、説明することは多くない。もっぱら装置の使い方と、もしものときの対応方くらいだ。
魂魄の通過門が開くまで、あと少し時間があった。
「よし。そろそろ行くか、吉良」
「はい。……じゃあみんな、最初は僕らがやってみせるから、その後は各自事前に言われた持ち場で仕事に当たってくれ」
隊士の返事を確認して、通過門を開放する。
ぞろぞろと、現世で死した者たちが列を成して入って来た。
手際よく整理券を渡し、転送装置の方向へ誘導する。
トラブルが起こったのは、もうそろそろ後輩隊士に代わろうかと言い始めたちょうどそのときだった。
「……ねえ、コレ、動かないんだけど」
「え」
転送装置に乗った一人の子供が、檜佐木の袖を引いたのだ。
地区への転送は五十人単位で行う。各自の持っている整理券が読み取られ、各地区のどこかにランダムで送られる仕組みになっている。そのため同じ地区の者でも、同じ場所に着くとは限らない。
その説明を終えて、いざ転送のスイッチを入れたはいいが、うんともすんとも言わなくなったのだ。
「さっきまで普通に動いてましたよね」
トラブルに気づいたらしい吉良が寄ってきて、スイッチの部分を覗きこむ。檜佐木も見てみるが、二人とも機械には縁がないため、さっぱりわからない。
「トラブルが起こったみたいだ。少し待っていてくれ」
吉良の声に人々は困惑顔になる。檜佐木は隊士の一人に技術開発局の誰かを呼んで来いと言い渡した。
死んだところでよくわからない状況に置かれた人々は落ち着きがなくなる。だがその中で、妙に冷静な表情の子供がひょいと転送装置から飛び降りた。
「おい、お前……」
「いいじゃん。時間かかるんだろ?」
「いや、まあそうだが……」
それは檜佐木に装置が動かないことを進言した子供だった。歳は十歳前後、黒髪に勝気な黒目が印象的な少女だ。
普通これくらいの子供ならば全く状況を把握できず、喚くのも珍しくはないのだが、そのような様子は全くなかった。
「な、ここってあの世なんだよな」
「は? ああ、まあ……尸魂界と言う。死んだ者の魂が行きつく場所だ。今からお前が行くのは、皆最初に行く流魂街というところになる」
どうやら、暇つぶしに付き合えと言うことらしい。確かに檜佐木もすることはないので、隣にいた吉良を引っ張って参加させることにした。
「何ですか、檜佐木さん。僕、子供は……」
「何だ、苦手なのかよ?」
「そういうわけじゃ、ないですけど……」
「じゃあいいじゃねえか。なあ、ガキ」
「ガキじゃなくて夏梨だ。あんたら、死神だろ?」
すっぱりと切り返して、少女夏梨は据わった目を二人に向けた。
面食らったのは二人のほうだ。
「知っているのか?」
「うん」
「そうか……お前、死神に魂送されたクチか」
気づいたように檜佐木が言うが、夏梨は首を横に振った。
「違うよ。普通に事故で死んだ」
「……覚えているのか?」
訊いたのは吉良だ。こんな子供がしっかり自分の死を認識しているのは、少し珍しい気がした。
夏梨は視線を下げて、首を横に振る。
「実感はないけど。……でもそうやって死んだってことは、確かなんだ」
吉良たちに比べれば小さい手を握りこんで、続ける。
「今家族が泣いてるってことは、確かなんだ」
死んだんだよな、とどこかぼんやりした口調で少女は呟いた。その様子がとても頼りなく見えて、吉良は少し視線を落とす。そして、その握りこんだ手をゆるくほどいてやった。
「覚えていなくても、いいと思う。……きみは今からここで、また新しく始まるんだから」
「……やだよ、覚えてる」
吉良の手をそっと逃れて、夏梨は呟いた。
「じゃないと、あたしじゃない」
揺らいだ感情を押し殺し損ねたような声で、夏梨はそれでも言い切る。
その俯いた頭を檜佐木が撫でようとしたところで、夏梨は勢い良く顔を上げた。
「でさ、訊きたいんだけど、次の死神の学校の入学試験っていつ?」
「……は?」
あまりの切り替えの速さと唐突な問いに、二人して声が揃った。
「あたし、入りたいんだ、そこ。誰でも受けられるんだろ?」
「いや、まあ、そうだが……お前、どこでそれを」
「あたし、死神になるんだ」
檜佐木の問いを遮って、少女はまっすぐに言い切った。
思わず当の死神二人はきょとんとして彼女を見返す。
夏梨と名乗るこの子供は、確かに死んだばかりのはずだ。けれどそれにしては、あまりに意思がしっかりとしていた。
そのときふと夏梨の手から持っていた整理券がこぼれる。それを拾った吉良は、一瞬動きを止めて、それからそれを差し出すと同時に言った。
「――四月の頭だ」
「そっか、ありがと。……あ、何かアレ、直ったみたいだな」
どうやら話している間に移転装置が直ったらしい。そこに夏梨は惜しみなく駆け寄っていく。
その前に、今度こそ檜佐木は少女の頭を撫でてやった。
「頑張れよ」
檜佐木の声が先行したが、吉良も同じ台詞を同時に言った。きょとんとしたように彼女は一度振り返り、子供らしく笑って見せる。
「おう!」
一度手を振って、夏梨は装置に再び飛び乗った。
技術開発局の局員のもとで、装置は無事に作動したらしい。きん、と音を立てて、装置に乗った人々が、少女もろとも消える。
それを見送って、吉良と檜佐木はどちらからともなく苦笑した。
「どこで聞きつけたか知らないが、大したガキだな。言うだけあって霊力もあるみたいだし、次は絶対無理だろうが、そのうち本当に来るかもしれねえ」
「――いえ、多分、無理だと思います」
檜佐木の声に吉良は低い声で否定を返した。檜佐木は訝しげな表情で吉良を見返す。
「何でだ? お前だってさっき、頑張れって言ってたじゃねえか」
「あの子の送られた地区的に、まず無理ですよ。……北流魂街80区ですから」
その言葉に、檜佐木は表情を固くする。
そこは、子供が簡単に生き延びられるほど優しい地区ではない。
吉良はそのまま言葉を続けた。
「けど、もし万が一、あの子が無事試験を受けに来られたとしたら……僕、特別推薦書を書いてもいいですよ」
「ああ、まあ……もし来れたら、確かにそれだけ凄いってことだからな。……連名で俺のも書いといてくれ」
「副隊長二名の連名推薦ですか。……成績はどうあれ、入学したら、相当注目されますね」
「何だ、絶対無理とか言っておいて、そこまで考えてるのか?」
皮肉くさいな、と自身にも言える言葉を吐いて、次の五十人が乗り込み始めた移転装置を二人してしばらく眺めていた。
***
目の前に広がるのは、荒野のみだった。
ところどころに家らしきものは見えるものの、人らしい気配というものは彼女の他にないに等しい。
「……ここが、流魂街かあ」
ぽつりと呟いてみる。声は広すぎる荒野に響くこともなく風にさらわれた。
たった先程、夏梨はここに来た。
尸魂界と呼ばれる――いわゆる『あの世』に。
その中で、流魂街は死んだ者の魂がまず始めに行きつく場所らしい。例外なく、夏梨も辿り着いた。
(あんなに業務的だとは思ってなかったけどな)
まず気づけば着物で列に並ばされていて、死神に整理券を渡され、それに書いてあった地区に転送されたのだ。多少トラブルがあったらしく、担当だったらしい死神二人と話すことはできたが。
どうやら東西南北それぞれに80地区があり、数字が大きくなるごと治安が悪いらしい。
「……なるほど、悪そうなとこだな」
見渡して、夏梨は息をついた。
ともすれば吹いてくる風に鉄の臭いが混じっている。そこらじゅうに使い古した刀が転がっている、明らかに血の跡らしいものが足元にもあった。
(死んでも、まだ先があるなんてさ)
変な話だ、と思う。
ざりり、と裸足の足元で土が乾いた音がした。
甲高い悲鳴のような叫びが聞こえたのは、一際強い風が吹いたそのときだ。
振り向く。見たこともない男がまだ新しい血のついた刀を手に、恐らく、「死ね」と叫びながら駆けて来ていた。標的は明らかに夏梨だ。
誰だ、や、何で、など考えている間もない。反射的に、夏梨は走り出した。
「なん……っ」
何なんだ、と息継ぎの間に毒づく。一瞬背後を顧みる。男は夏梨の倍ほどある歩幅で、確実に距離を詰めてきている。
治安が悪いって、こういうものなのか。
必死で足を動かしながら、夏梨はやけに冷静な頭の半分で考えた。逃げているせいで横切って行く土地には相変わらず人気はなく、ただ嫌な鉄の臭いばかりがきつくなっていく。
「わっ」
ごん、と不意に足元の障害物に躓いて、体勢を崩した。
膝から地面に倒れ込んで、かろうじて腕を付き、顔面を打ち付けるのは免れる。
ぬるりとした感触が地面に付いた手に伝わったのは、その直後だった。
「なに……」
思わず呟いて、夏梨は手元を確認する。とっさに地面についた左手が、赤い水溜りの中にあるのが見えた。そしてその出所は、躓いた、その障害物に他ならない。
人が、死んでいた。それに夏梨は躓いたのだ。
思わずもれそうになった悲鳴を飲み込んで、夏梨は慌てて起き上がる。その拍子に、死体がごろりと動いて、見開いた目が見えた。
「あっ……」
堪えようとした声が漏れる。体が硬直しようとしたところで、荒々しい足音に顔をあげた。その先に、振り上げられた白刃が鈍く光る。そういえば追われていたことを、ようやく思い出した。
とっさに目を閉じる。次の瞬間に、二の腕に焼けるような痛みが走った。
(痛い)
だがそこで、夏梨は一つの光景と、二つの声を思い出す。
迫る不自然なエンジンの音、歩道を歩く親子、走り出す自分。気づけば、自分の何倍もの大きさもあるトラックが視界いっぱいに広がっていた。
――『いくら恐ろしくとも、目を閉じるな。むしろ恐ろしいときほど、怯えを捨てろ、目を開け』
死の先の死は、消滅だと。あの人はそう夏梨に教えた。
現世で自分は死んだのだ。実感はない。けれど何よりの証拠に、自分はここにいる。
実感がなくとも、今生きているときと同じように痛みを感じていても、きっと今頃家族を悲しませていることに変わりはないのだ。
間違いなく、黒崎夏梨は死んだ。
それならば、これ以上死ぬことはあってはならない。
そう決めたはずで、約束もしたはずだ。
――『利用できる全てを利用して、生き延びろ。そして必ず、死神になれ』
そうだ。
そのために。
「――死んで、たまるか!」
目を開いた。再び振り上げられた白刃をしかと見る。腕が痛い。血が流れる感触が絶え間なく続く。けれど、それを振り切るように、後ろに転がった。
間一髪で刀は直前まで夏梨の頭があったそこに突き刺さる。
安心している暇はない。素早く立ち上がって、走り出した。
そこでようやく周りが見える。辺りには動かない人が山のように積み重なってあった。地面は黒ずみ、奥の森からは不穏なきらめきが一瞬見えた。
方向を変える。先には池があった。そこにも動かぬ人影がある。
「何だよ、ここは……ッ!」
こみ上げそうになる吐き気を飲み下して、それでも走る。戦う術など持っていない。それでも生き延びるには、走るしかなかった。
とんでもない場所だ。
追いかける人が増えたような足音がする。首だけで振り返ると、血走った目の男が二人増えていた。いずれも、まともには見えない。
夏梨は腕を庇って走りながら、この地区の名を思い出して見た。
――北流魂街80区『更木』。
そこが、夏梨の送られた、この地区だった。
転送の前、頑張れ、とあの死神たちは言った。それがこんな意味を含んでいるとは思いもよらなかったが、頑張るしかないのは、既に決定事項である。
だから、走る。
ここには守ってくれる兄も、助けてくれる人物もいない。
怖い。不安はつきない。それでも、目は閉じない。
何もない荒野を、夏梨は裸足で駆けた。
「負けるもんか!」
「転送装置/魂魄整理」=半オリジナル設定
[2009.08.11 初出 高宮圭]