Vox

-ロストチルド・ライド-

09 : めざすこと

 三月二十六日。
 瀞霊廷はにわかにいつもより賑やかになっていた。
 というのも、硬く閉ざされ、山のような巨躯を誇る門番たちが守る四大瀞霊門が今日から一週間、開放されるためだ。
 門からは、一様に緊張した面持ちで老若男女様々な者たちが足を踏み入れてくる。
「霊術院受験者の方は受験票を提示してください。入った方は右の受付へ」
 入ってくる者に声をかけながら、吉良はそれを少し笑みを浮かべて見守っていた。
 開放と言っても、通れるのは関係者と受験票を持つ真央霊術院の受験者のみだ。十二番隊特製の侵入者防止策も取られており、四つの門全てが開放されるが、通った者全てが一箇所の出口に出てくるようになっている。
「……君、受付が終わったなら宿舎に行くといいよ。あっちに順路が示してあるから、辿れば間違いない」
 戸惑った様子でおどおどとしている受験者の一人に声をかけてやると、その青年は心底ほっとしたような顔をして、「あ、ありがとうございます」と駆け足で去った。
 吉良はその後姿に、頑張れと声にはせずに投げてみる。
 何しろ彼もこうして受験をしに来たことがある一人だ。あのときの緊張を思えば、やって来る全員を応援したくなるというものだった。
「もはやこの時期の風物詩だな。受験生の入門は」
 背後からひょいとかけられた声に振り向いて、吉良は目を瞬かせた。
「檜佐木さん。どうしたんですか、九番隊は補修作業じゃ……」
「七番隊が代わってくれたんだ。で、せっかくだからこっちに来てみた。三番隊が入門担当か?」
「はい。入門が終わったら、門番役ですよ。……って、もしかして、手伝ってくれるんですか? せっかくの休みでしょう」
 今はそれでなくとも『ひび』の補修にどの隊もてんてこ舞いで、休みなど滅多にない。
 だが、檜佐木は「手伝う」とあっさり笑った。
「何だかんだで入門担当と門番は忙しいだろ。ウチは今回の処理、楽なほうだったしな。どうせ人手不足だったんじゃねえのか」
「まあ……。いつの間にか受付担当の四番隊に結構人手を取られたりで」
 そう苦笑して、しかし卯ノ花の笑顔の頼みに逆らえなかったのは一応隊の一番上である吉良なので、それ以上文句は言えない。
 檜佐木もそれを察したのか、気を落とすなとばかりにばしんと背を叩いて、その場から控えていたらしい九番隊の隊員たちに手際よく指示を飛ばした。
「――と、こんなもんでいいだろ」
「あ、はい。ありがとうございます」
 そうして二隊がかりで入門者の対応に当たる。いちいち一人ひとりの受験票を照合し、番号によって受付を振り分けねばならないので、結構な手間である。
「……そういえば、三番隊は去年も入門担当じゃなかったか?」
 ようやく入門者に切れ目ができてきた頃、ふと思い出したように檜佐木に問われて、吉良は苦笑した。
「ええ、そうでしたよ」
「担当は年ごとローテーションだろ。何でだ?」
「他の隊の都合が合わなかった、ていうのもあるんですが……僕が言っちゃったんですよ、何ならやりますよって」
 入門担当は楽ではない。何しろ一日だけならともかく、遠方の者のことを考えて一週間開放される門に立ち合わねばならないのだ。何でわざわざ、と驚かれるかと思ったのだが、檜佐木はきょとんとしたように吉良を見て、それからにやっと笑った。
「……何ですか、その顔」
「いや。そうか、お前も同じこと考えてたわけだ」
 何の話だ、と吉良は一度訝しげな表情を浮かべたが、すぐに思い当たることがあることに気づいて、まさか、と呟いた。
「檜佐木さんもですか?」
「まあ、な。絶対無理だと思いはしたんだが、何となく気になって」
 そして、ようやくぽつぽつとなりだした門のほうを見ながら檜佐木は苦笑した。
「こないだの、あのガキ。――夏梨、つったか。根性のありそうな奴だったからな」
 思い浮かべるのは、約一ヶ月前、人手不足極まって魂魄整理に檜佐木と吉良が借り出されたときのことだ。
 魂魄の通過門の整理をしているときに、機械の故障でできた時間に、偶然話した子供がいる。死んだばかりだというのに死神になると言い切った、突拍子もない少女だ。
「……僕も、無理だと思ってたんですけどね。何しろ北流魂街80区ですから。でも、何て言うか、印象的だったんですよ。ふと思い出して、来たらすごいなって思ったら、つい」
 自分に呆れたように息をつく吉良に、檜佐木はふとからかうような口調で付け足した。
「それに、連名で推薦書を書くって話だったしな?」
「……いや、絶対来ないでしょうけどね。だってたった一ヶ月ですよ。移動だってあるのに。というか、あんな子供があそこで生き延びられるわけがない」
 吉良が気を取り直したようにそう否定し直すと、檜佐木はつまらなさそうにじと目で見てくる。
「お前、もうちょいプラス思考しろよ。まあ否定はしないが、……ま、もし今年来たら、間違いなく実力者だな。推薦に十分あたいするだろ」
 その言葉に、吉良はすいと視線を空に投げた。
 そして苦笑を浮かべて、呟いた。

「今年、来たなら。実力者どころか――間違いなく、天才ですよ」

 受験者を受け付けるのは、今日から一週間。
 一週間後の四月二日。今年の真央霊術院・入院ノ試しが行われる。



***



 神様、仏様、よくわかんないけどマリア様、キリスト様。
 別に全く信じても祈ったこともなかったけれど、今だけは信じてみたい。いえ信じます信じるからだから頼むから――。
「寝かせて……」
「何ゴミみたいに転がっておるんじゃい」
 ほっほっほ、と頭の上からのんびりした老爺の声がして、夏梨は地面に転がったまま、ぎろりと声の主を睨み上げた。
「ゴミ言うなクソジジイ……」
「ほっほ、それだけ言えれば心配ないのう。ほれほれ、起きねば打つぞ」
 言うや、老爺は手をかざして軽く火塊を打ってくる。夏梨は慌てて飛び起きて、それを間一髪で避けた。
「もう打ってんじゃねーか! ていうかちょっとくらいいいじゃん、休ませてよ!」
「何、まだまだ序の口じゃぞ。きゃんきゃん喚くでないわ、みっともない。この一ヶ月そんな柔に育てた覚えはないぞ」
「この三日間朝から晩まで戦闘繰り返して序の口かよ!!」
「ふむ、では折り返し地点くらいにしておこうかの。早いところ一本取ってくれぬか、老体にはなかなかのう……。というわけで儂もそろそろ抜くぞ」
「鬼ジジイ!!」
 などと言いながら二人の動きは止まっていない。
 北流魂街、霊黎山の山頂。そこで夏梨は、弟子入りした師匠たる正体不明(おそらく死神であろう)老爺、山じいにひたすら鍛えられていた。
 今回は山じいから一本取るまで飲まず食わずの休憩なしというハードなものだ。
 約一ヶ月前、この山で山じいに拾われて以降、夏梨はもれなく毎日ぼろぼろになるまで修行漬けである。弟子にしてくれと言ったのは確かに夏梨だ。だが、この老爺のスパルタぶりは半端ではなかった。
 ここに来るまでに鍛えてもらった夜一や浦原とは比べ物にならない――というか、おそらくあれでかなり手加減されていたのだろうことがわかるほどに、差がある。
「――おいで、ロウ!!」
 山じいが杖としていた刀を変化させて抜くと同時に、夏梨も相棒であるロウを呼ぶ。漆黒の子犬の姿だったロウは光に包まれたかと思うと、一瞬のうちに巨体の狼に姿を変じる。
 夏梨はその首にあった白黒模様の球体を取った。するとそれは、柄もつばもない真紅の刀身に変わる。それを構えるのと、山じいの刀が振り下ろされるのは同時だった。どうにか踏み止まったものの、疲労困憊した体は今にも力負けしそうだ。
「初動が遅いと言っておるじゃろう。そもそも、まだ自分の斬魄刀を出せぬか」
「う、っさい……!」
「この一ヶ月で得たものが、たかがその球を使いこなすだけでは、落第じゃぞ」
「そんなわけ、あるか! ――縛道の三十九、円閘扇!」
 声と共に円形の盾ができあがる。そして次の瞬間には、その盾の内側から赤火砲を放った。すると盾もろとも、山じいが後退する。
 その隙に、夏梨は再度ロウを呼んだ。
「行け、ロウ!」
 巨体の狼が山じいに食らいかかる。だがそれはいとも簡単にはじかれた。しかしそんなことは想定済みだ。この一ヶ月、毎日毎日手合わせしてきただけはある。
 ロウが吹き飛んだその影に一瞬姿も霊圧も潜めた夏梨は、瞬歩を駆使して山じいの背後に回り込む。
「――ふむ、速くなったのう。元から素早かったが、霊圧の操作も悪くない」
「それは、どうも!」
 投げ捨てる勢いで夏梨は刀身を横に薙ぐ。だがそれはかわされ、堪えきれず離した刀身は、遠心力によって回りながら宙に飛ぶ。同時に芯から震えるような強大な霊圧が身を打つ。息を詰めてそれを堪えたところで、容赦なく蹴り飛ばされた。
「がっ」
 呻いて飛ぶが、次に攻撃がすぐさま来るのはわかっているから、何とか空中で体勢を整えて、一瞬の後に予想通りに来た二撃めを足で受け流す。続けて白打による打ち込みを連続させて、狙った地点の地面に山じいを落とした。と、そこに先程投げ捨てた刀身が狙い通りに降りかかる。
「む」
 少し目を見開いた山じいはそれを折り払ったが、その頃には夏梨も二撃めの用意をしていた。折られた刀身は一瞬で花びらに帰し、夏梨の手に戻るや、今度は群青色の刀身となって現れる。
 そして体勢を立て直した山じいの背後に、気配もなくロウが降り立った。そのあぎとが大きく開く。夏梨はそれを視認して、叫んだ。
「破道の三十三、蒼火墜!」
 瞬間、青白いの爆炎が山じいを襲う。同時にロウが容赦なくその体に喰らいつく。だが山じいが動きを止めたのは一瞬で、すぐさまロウを振り払い、空中にいた夏梨のほうへ飛び上がって来た。
 その刀が、過たず夏梨の足を貫く。
「――ッ」
 痛みよりも衝撃に、夏梨は息を詰める。だがすぐさまそれを抜き払い、ちょうど背後に来たロウが体勢を崩した体を受け止めてくれる。
 ――山じいの修行と、夜一の修行の差。それを感じるのは、こんなときだ。
 確かに夜一も容赦はなかった。だが、蹴り飛ばし、殴り飛ばし、刀で薙いでも、直接斬られることはなかった。だが山じいは違う。呆けていれば、殺される。
 そしてあるときには、ぽいっと血に狂ったあの者の渦中に置き去りにされるし、かと思えば熊相手に立ち回らせたり、猪狩りをさせられるし、狂ってはいないが、狂暴な荒くれ者たちをのしてこいと言われるし。しまいにはちょうどいいから虚倒してこいとまで言われたりもする。
 ほとんど狙いが見えないままひたすら一ヶ月近くを過ごしてきた。どう戦えだ、ああしろこうしろとはほとんど言わない。ただ、山じいは夏梨の弱点を確実に狙ってくる。
(――怯むな!)
 痛みに後退しそうになる自身を叱咤して、夏梨は群青色の刀身を山じいめがけて投げた。それと共に、夏梨もロウを足場にして瞬歩で山じいの目の前にまで接近する。
「その心意気や、見事。――しかし」
 山じいの刀が唸る。だが刀が夏梨を捉えた瞬間、『それ』は折れた。
「――む?」
 ガキィン、と耳に痛い金属質な音と共に折れたのは、夏梨が投げ、空中を並走していたあの群青色の刀身だ。それを山じいが視認した瞬間、背後に殺気の塊が迫った。
 背中から首めがけて振り下ろされた刀身は、しかし山じいの頬をかすめただけで、いとも簡単に持ち手の夏梨もろとも吹き飛ばされた。
 しかし木に叩きつけられる前にロウがその身をクッションに助けてくれたので、大事には至らない。すぐさま次の刀身を用意した夏梨だったが、山じいは次の攻撃を加えてはこなかった。
「……ふむ、なかなか生意気な技を使うようになったのう。鬼道は上、剣筋も悪くない。あとは打ち込みの力じゃが、それは体格のこともあるから、まあそんなものじゃろう」
 相変わらずのんびりとした声音で、山じいは言いながら、ぴたと頬の傷を指した。
「一本じゃ。――休憩にするかのう」

 かくして何とか、夏梨はほぼ三日ぶりの休憩を勝ち取ったのだった。


 ぐでっとしてロウの背中で運ばれながら、夏梨は貫かれた足の治療を行っていた。
 練習も兼ねて、自分の怪我は自分で治すようにと言われているのだ。
 三日間、ほぼ飲まず食わず眠らずの夏梨は、体力も気力もほとんど限界だったが、かろうじて意識は保っていた。ああこれも修行のたまものかとは思うが、いっそすこんと眠りたかった。
「刀を振るうのに、ようやく殺気を覚えたようじゃな」
「……え?」
 もはや見慣れた山道を先行く山じいがふと口を開き、夏梨は重たい頭を上げた。
「以前までは気合だけじゃったが、最近ようやくお前の刀に殺気が宿った。――戦場で生き抜くには、それは必要不可欠なものじゃ」
「あたし……殺す気なんか、」
「あったはずじゃ。でなければ儂には勝てぬと、わかっておったろう」
 臆するな、と山じいは夏梨を振り返らずに続ける。さわさわと鳴る葉ずれの音が、共に耳を過ぎる。
「お前が今から行こうとしているのは、殺気が渦巻く場所じゃ。ここぞというときに呑まれては、そこまで」
「……て、やっぱ山じい死神なんじゃん。あたし死神になりに行くのに」
「……ウェッホン。ともかくじゃな」
 そこでいつもの生活場所としている洞窟に辿り着いた。夏梨はロウの背から降り、ロウは子犬の姿に変わる。
「お前の成長は目覚しい。――じゃが、今のままでは、死神になることはおろか、霊術院にすら入れぬぞ」
 厳しくはないが、ただ事実を語る口調で言われたそれに、夏梨はぐっと手のひらに力を込めた。
 山じいは居間として使っている空間まで来ると、ゆっくりと夏梨を振り向く。
「言ったじゃろう。――始解ができねば、霊術院には入れぬ」
「……何回も言われなくたって、わかってるよ」
 それは、弟子になった当初にも言われたことだ。浦原たちからは言われたことはなかったが、でなければ入院は認められないと言われ、一ヶ月。夏梨は始解はおろか、自身の斬魄刀すら手にしていない。
 なんとかロウの首飾り――山じい命名で天元と呼ばれている――は何となくで上手く使えるようになったものの、いまいち要領を掴めないし、こうすればああなるかな、という曖昧な使い方で、様々な刀身を出すに留まっている。そもそも何がどうしてああなっているのか、よくわからないのだ。
「でも、斬魄刀の夢たって、見ないんだから仕方ないじゃん。最近見るの、ロウの夢ばっかだし」
 わかんないよ、と呟いて夏梨はいつも定位置にしている座敷に座る。鬼道を火元に、慣れた手つきで薪に火をつけた。
 山じいも向かいの座敷に腰を下ろす。
「――じゃが、そんな悠長なことはもう、言っておれぬぞ」
「え?」
「夏梨、今日が何月何日か、わかるか」
 問われて、夏梨は眉をひそめた。
「わかるわけないじゃん、ずっとここなんだから。……でも、大体一ヶ月くらい経ったかと、思うけど」
「今日は、三月二十六日じゃ」
「……え、……あの、霊術院の試験って、確か……」
「作用。――四月二日。今日より、一週間後じゃ」
 夏梨は思わず言葉を失った。
 あと、一週間。
 さらに山じいは、追い打つように続けた。
「ここから一番近い黒隆門に行くには、徒歩で最低三日はかかる。じゃがまあ、その犬に乗れば、無理やり一日でも着くじゃろう。しかし最善の体勢で臨みたくば、残された猶予はあと四日」
「四日……」
 呆然と呟いた夏梨を、山じいは鋭い視線で正面から見据えた。
「死神になりたくば、あと四日で始解を習得せよ。――よいな」
 低く強く響いた声に、ほんの一瞬夏梨はびくりと肩を震わせたが、すぐにきっ、と山じいを睨み返した。そして、ほとんど叫ぶように応える。
「――はい!」
 だが、その返事に山じいが満足そうに目を細めた瞬間だ。
 ぐらっと夏梨が後ろに倒れた。タイミングを計ったようにロウが姿を大きく変えて受け止める。
「けどとりあえず今は、寝る……」
 それきりすっかり動かなくなった夏梨に、山じいは軽くため息をついた。
「大丈夫かのう……」
 思わず呟くと、それに応えるように、夏梨をくるみ込んでいるロウが、ロン、と鳴く。
 山じいは目をすがめると、その頭をゆっくりと撫でた。
「困った主人だことじゃのう。……斬魄刀の夢を見ないなど、まだ言っておる」
 そして最後に夏梨の頭を撫でると、背後に置いていた布団代わりの毛皮(ちなみに少し前に夏梨に皮なめしをさせたものである)をかけてやった。
「『ロウの夢しか見ない』、か。……しっかり見ておるではないか、のう?」
 困ったふうな口調で言うと、ロウが肯定するように、嬉しそうに鳴く。そしてそれきり、ロウも静かになった。――夏梨の夢の中に入ったのだ。
 それを見届けて、山じいはおもむろに立ち上がった。
(まだまだ未熟に過ぎる力じゃ。……しかし、正しく開けばとんでもない能力となろう)
 まだ体が幼いことが悔やまれる。だが、だからこそ育てがいもあるというもの。
 斬魄刀も始解もすっとばしての具象化――というよりは、常時開放型と言ったほうが正しいのかもしれない。
 本人は気づいていないようだが、間違いなくあの犬は斬魄刀だ。
 それをしばらく山じい――山本元柳斎重國にさえ気づかせなかったあの能力は、おそらく尸魂界でも類を見ない。まだ一片しか見せていないあれが本来どんな力を持つのか。それは個人的にも、興味があった。

「――ほっほ、明日が楽しみじゃわい」

 たきつければ確実に反応を返して来る。子供らしからぬ冷静さを持つ一面もあるが、それ以上にまだ、子供らしさも残る部分。それゆえに得る手応えがあることを、彼はとうに知っている。
 洞窟を出た彼は、瀞霊廷へ一時帰還のために、姿を消した。

[2010.01.31 初出 高宮圭]