Vox

-ロストチルド・ライド-

11 : ふみだすこと

 すっきりとした青空が広がる頭上を見上げ、吉良は長々とため息をついた。
「この一週間、天気良くてホント良かったですよね。雨だと体力倍かかりますから……」
 隣にいた檜佐木は大きなあくびを隠しもせずにして、ごきごきと肩を鳴らす。
「全くだ。……ていうか、ようやく一週間か……長かったぜ……」
「うっかり手伝うとか言うからですよ」
「感謝しろよ、三番隊だけじゃ絶対さばききれてねえからな」
「檜佐木さんこそ、忘れないでくださいよ。入門終わっても門番ありますからね」
「う」
 来るんじゃなかった、と今更ながらの後悔を全身で表しつつ、檜佐木はもうほとんど入門者がいないその向こうを見やる。
 今日は四月二日。試験当日だ。大体近隣の者でも最低一日前には宿舎入りするので、当日の入門者はほとんどいないと言っていい。
 なので今は、他の隊員たちを休ませ、檜佐木と吉良の二人で門前に立っていた。この一週間ほとんど朝から晩まで立ちっ放しの二人は、疲労困憊もいいところである。
「……試験って、何時からでしたっけ」
「午前十時。あと三時間後だ」
「じゃあ今七時なんですね。……あれ、檜佐木さん時計持ってましたっけ」
「バカヤロウ、俺の腹時計をなめるなよ」
「何か発言が朦朧としてますよ」
「馬鹿言え俺は正常だ。お前こそ大丈夫か、朦朧とするのは意識であって発言じゃねえぞ」
 そんなやりとりをスローテンポでして、二人してため息をつく。ついでに肩も落ちた。
「……疲れてますね、僕たち」
「ああ……」
「……来ませんね、やっぱり」
「そりゃな……」
「……水でも、飲みに行きましょうか」
「そうだな……」
 のろのろと門に背を向けた二人は、四番隊の管轄する救護詰め所に向かった。
 受験者及び担当隊員たちの健康を維持すべく設けられたそこでは、疲れきった者に特製の栄養ドリンクをくれる。とはいえ詰まるところ薬なので、おいしいわけもない。だが、効果は抜群である。
「あ、交代申請してませんよ」
「五分、十分じゃ誰も来ないだろ。それに一応他もいる。問題ねえよ」
「はあ……まあ、そうですね」
 二人が救護詰め所に入ると、試験当日とあって、さすがに人は少なかった。皆自分の宿舎で勉強しているのだろう。
「あ、お疲れ様です、檜佐木副隊長、吉良副隊長」
 受付にいたのは、四番隊第七席の山田花太郎だった。気の抜ける笑みを浮かべて、「どうされました」と訊ねる。
「……て、訊くまでもないですかね……。えと、栄養ドリンクでいいですか?」
「ああ、頼む」
 花太郎は、わかりました、と返事をして、すぐ後ろの棚をごそごそとした。どうやら頻繁に栄養ドリンクを貰いに来る者が多いようで、近くに置いているらしい。
「はい、どうぞ」
 二本差し出された薬筒を、二人はそれぞれ掴んで無言で煽る。
 それを苦笑で見ていた花太郎は、「大変そうですね」と呟いた。
「今年は特に人手がないから、忙しいですよね」
「全くだ……」
「で、でもあとは今日と結果発表の日だけですし! そろそろ交代されてもいいんじゃないですか?」
 早朝からずっとでしょう、と問われて、二人は揃ってため息をつく。しかし吉良はドリンクを飲み干して、空筒を返しながら、それに頷かなかった。
「……まあ、ここまでやったしね。どうせなら最後までいてみようかなっていう……」
「そうそう、もう一種の意地だな、これは」
 あー、くだらねえ。
 そんなふうに毒づきながらも、檜佐木もドリンクを飲み干して、そして踵を返した。
「意地って……あの、どなたか、待ってるんですか?」
 空筒を回収しつつ、花太郎が二人の背中に控えめに問う。
 それに二人が振り向いた、そのときだった。

 ―― ゴッ!! ドガン!! バキバキバキ。

 突如として、何かが何かに突っ込んだ、轟音がした。しかもかなりでかい。
「何だ!?」
 門から目を離したのは迂闊だったか、と二人は刀の柄に手を当てて詰め所を飛び出す。
 そして目に飛び込んで来たのは、もうもうと立ち上る砂埃と、ほとんど粉々になった案内板だった。
「……案内板に、何かが突っ込んだ……?」
 何でまたあんな避け易いでかいものに、と声には出さず吉良が呟いた頃、ようやく砂埃が薄くなる。
 すると中から聞こえてきたのは、高い女の子供らしい声だった。
「いったあ〜……お前なあ! だから言ったんだ、止まれって! 車は急に止まれない、犬も急には止まれない! おいこら聞いてんのか、ロウ!! のびてんじゃないって――ば!?」
 きゃんきゃんと喚いていた声の主は、言葉の語尾をほとんど驚きの声に変えた。
 というのも、その首根っこをぐいっと檜佐木が持ち上げたからだ。
「お前……っ」
 持ち上げた子供を見て、檜佐木はこれ以上ないほどに驚いた。おそらく隣にいた吉良も同じくだ。
 まっすぐな黒髪に、勝気な黒目。かの十番隊隊長と似たような背格好の、その女の子供こそ、二人が意地で待っていた、あの子供だった。
「あれ、あんた、あのときの……」
「き、君!! どうしてここに……」
 吉良が何とか驚愕から立ち直って声をあげると、子供は「あんたもあのときの」と目を瞬かせた。それから、じたばたと足を動かす。
「ていうかとりあえず、下ろしてくれない? 息苦しい」
「あ、ああ。悪い」
 ようやく我に返ったらしい檜佐木が子供を下ろすと、少女はふと慌てたように着物の帯に結び付けてあった竹筒と板らしきものを取り外す。そして焦った口調で訊いた。
「ねえ! まだ霊術院の受験受付ってしてる?」
「って、やっぱお前、受験しに来たのかよ!?」
「当たり前だろ!」
 これ受験票! と見せられたそれに檜佐木はそういえば受験票がないと門が通れないことにようやく思い至る。
 その段になって、騒音に驚いた他の隊士たちが集まってきた。救護詰め所にいた花太郎もいる。
「どうかされましたか、副隊長!」
「何か大きな音がしましたが……」
 口々に言葉を発する隊員たちに、檜佐木はぱっとしっかりした表情を取り戻して答える。
「ああ、問題ない。少し事故があっただけだ。持ち場に戻れ」
「君たちも、戻って構わないよ。山田くん、君も――……って、う、卯ノ花隊長!」
 吉良も檜佐木に続いて隊員に指示をし、花太郎に視線をやったところで、その背後に現れた人物に、思わず声をあげた。
 どうやら騒ぎを聞いてやって来たらしい卯ノ花は、檜佐木と吉良、そして子供を見て、訊ねる。
「何があったのですか?」
「いえ……その、この子、受験者なんですが、何やら誤って案内板に激突したらしくて……」
 と、説明しながら吉良はふと疑問に気づいた。
 案内板は誰にも見えるようにかなり大きく作ってあったはずだ。それこそ大人数人がかりで運ばねばならないほどには。けれどこの少女は子供で一人。どうやら犬もいるが、小さな子犬だ。
「……何がどうなって、ここまで案内板が木っ端微塵に?」
「……すみません、その場を見ていなかったので僕にも、よく……」
 そう頭を下げた吉良に、卯ノ花は責めるでもない口調で「わかりました」と答えて、居心地が悪そうに立ちすくんでいた子供に視線を合わせるように、膝を折る。
「あなたは、受験者なのですね」
「は……い。あの、あたし……すみません! い、急いでて」
 がばっと頭を下げた子供に、しかし卯ノ花は優しい声をかけた。
「気にすることはありませんよ。遠方から来たのですか? ずいぶん消耗しているようですが」
「あ、はい。ええと……更木から、です」
 卯ノ花はその答えに静かに目を瞠ったが、子供のほうは呻いて身を起こした犬のほうに気を取られて気づかない。
「あっ、ロウ。大丈夫?」
 子供は子犬を抱き上げる。だが子犬は一度尻尾を振ってそのままくてっと寝てしまった。子供はそれに苦笑して、子犬を抱いたまま、卯ノ花を見た。
「あたし、真央霊術院の入院ノ試しを受けに来ました。まだ、間に合いますか?」
 しっかりとした芯のあるその声に、卯ノ花はゆっくりと立ち上がって、頷いた。
「間に合いますよ。あと、約二時間で試験が始まります。――山田七席」
「はっ、はい!」
「この方の受付が済み次第、回復を。それから代えの着物を一着、何か用意してあげてください」
「え、あの、あたし……」
「そんなぼろぼろの着物では、動きにくいでしょう?」
 実技もあることをお忘れなく、とにこりと笑った卯ノ花に、結局子供も何も言えなくなって頭を下げる。確かに卯ノ花の言う通り、子供の着物はぼろぼろだった。ついでに裸足である。
 そして卯ノ花は、もう一度子供に温和な笑みを浮かべて、踵を返した。
「無理のないように、頑張ってください」
「――は、はいっ」
 卯ノ花は檜佐木たちにも目礼を残して、そこを去った。大事ではなかったことと、人が集まり出したことを考慮してだろう。
 卯ノ花が去り、一時ざわついた空気も治まったところで、改めて檜佐木と吉良は子供に向き直った。
 きょとんとして見上げてくる子供はまだあどけなさすらある。だが、間違いなくあのとき、更木に送られたあの子供だ。
「夏梨、つったな」
「あ、うん」
「まさか本当に来るとは思ってなかったぜ。いい根性してんな、ったく」
 言いながら、檜佐木はぐしゃぐしゃと夏梨の頭を撫でた。一通り撫で終わってから、ぱっと手を離すと、隣で笑みを浮かべて見ていた吉良と一瞬顔を見合わせる。
「檜佐木さん、副隊長印、持ってます?」
「ああ。お前、推薦書持ってるか」
「持ってますよ」
「お、来ないっつってたくせに、用意いいじゃねえか」
「そちらこそ」
 などと言いながら、二人はがっしと夏梨の腕を掴んですたすた歩き出した。
 状況が掴めないまま引きずられる夏梨は、とりあえず着いていくしかない。
「あ、あの! どこ行くんだよ!」
「受付だよ、受付。そこで俺らが推薦書書いてやる。これはすごいぞ、レア中のレアだ」
「は、推薦って、何で……」
「君がもし今回来たら、推薦しようって話だったんだよ。前から」
「って、さっき来ると思ってなかったって言ってたじゃん!」
 すると二人は振り向いて、ふと笑った。
「――来るとは思ってなかったが、期待はしてたんだよ」
「そういうことだね」

 あっさり言われた言葉に夏梨はぽかんとして、また引っ張られて歩き出す。
 それから、腕の中の子犬をぎゅっと抱きしめて、嬉しそうに笑った。



***



「じゃあ、行って来るね。ロウのことよろしく」
「おう、行ってこい」
「応援してるよ」
「うん、ありがと」
 試験開始十分前、夏梨はほとんど緊張などしていない素振りでぱたぱたと試験会場に入って行った。その子供の容姿ゆえ、好意的でない周りの視線も集めているが、それも気にしていないというのがすごいところだった。
 ――あのあと、夏梨は受付を済ませ、救護詰め所で着替えを貰い、回復治療を施してもらった。だが回復力が高いのか、案外早くそれは終わった。むしろ犬のロウのほうが重傷で、花太郎は夏梨の懇願により、四苦八苦してロウの治療をするはめになった。おかげでロウはだいぶ復活し、今は足元で尻尾を振っている。
「にしても、本当に驚きだな。俺、まだ信じられてないぜ」
「僕だって、そうですよ。……まあ、これでしんどい入門役をやった甲斐がありましたね」
「だな。にしてもあいつは、推薦の凄さわかってんのか? 副隊長だっつっても『へえ』で終わりだし」
 やれやれと言うように肩をすくめながら、檜佐木と吉良は門番役に戻るべく、歩き出した。
 ロウも大人しくついてくる。
「わかってないほうがいいんじゃないですか、今は。変なプレッシャーにならなくて」
 苦笑した吉良は、そういえば、と何か思い返すように続けた。
「檜佐木さん、あの子が受付したときの、係の人の驚き方、ちょっと変だったと思いませんか?」
「あ? 受付って……ああ、驚くの通り越して固まってたのは見たぞ」
 副隊長の連名だから驚いたんだろ、と言うが、吉良はそれでも何か腑に落ちない様子で考え込む。
「僕が見たときは、硬直がとけたあとだったんですけど。もう何か、奇声とか悲鳴とかがすごくて」
「……奇声? そこまで驚くほどのことか?」
 推薦書は親類に死神を持つ者ならまず書いてもらうものだし、今回だってごく少数でも、副隊長が親類という者もいたかもしれない。まず連名推薦は珍しいからないだろうが、そこまで驚くこととは思えない。
「そういえばあいつ、願書と推薦書の他に、板みたいなのも出してたみたいだが……関係ないか」
 考えても仕方ないと判断したのか、檜佐木は「それにしても」と声の調子を変えた。
 ちょうどその辺りで外に出る。清々しい朝の空気が、今日初めておいしいと思えた瞬間だった。
「黒崎って苗字の奴は、みんなトンデモな力でも宿るのか?」
「ああ……あの子の苗字、そういえば黒崎でしたっけ」
 相槌を打って、だがふと吉良は立ち止まる。
「……まさか親族とか、そういう……」
 それに檜佐木も驚いたようだったが、少し考えて首を横に振った。
「いや、偶然だろう。俺、他の受験者にクロサキって苗字の奴、見たしな」
 字は違ったが、と檜佐木は付け足して、辿り着いた門番の位置につく。
 これから今日と、五日後の結果発表の日の門番を終えれば、お役ご免だ。
 吉良も定位置について、ひとつ息を吐く。それから苦笑して呟いた。

「そうですね。偶然ですよね」

 それきり、夏梨の苗字の話が話題に上ることはなかった。
 この時点で、二人がかすりはすれど、確信に辿り着かなかった事実が二つある。
 一つは、夏梨が黒崎一護の親類である、ということ。
 そしてもう一つは、受付で夏梨が出したあの板が巻き起こした驚愕の嵐の、その凄まじさを。

[2010.02.04 初出 高宮圭]