Vox

-ロストチルド・ライド-

13 : そのこども

「試験監督? 俺がかい?」
「はい。一人のみで構いません。お忙しいのはわかっていますが、是非」
 そう言って浮竹にすっと頭を下げたのは、現院生筆頭の青年だった。
 浮竹は苦笑して、頭を上げなさい、と静かに言う。
「ええと、時任くん、だったね。試験監督は院の教団がするはずだろう?」
 時任は今日行われている霊術院の入院試験、それも推薦者の実技試験の試験監督を頼みに来たのだ。最初に独断であることを断ったものの、唐突であり、ある意味勇気ある申し出であった。
 何しろ院生は隊舎に出入りすることは基本的にできない。必要なときのみ、特許を得てするものなのだが、今のみ試験関連に携わっている理由で院生筆頭である彼だけ出入りを許されている。だがそれを行使するのは、相当根性がいるだろう。
 しかも何かと忙しい浮竹を捕まえての面会である。
 見所がある子だなあ、などと場違いに浮竹は感心すらしていた。
「それをどうして、わざわざ……」
「――院の教師では、見極めに労するかと」
「……どういうことだい?」
 院の教鞭を執る者たちは皆、隊長格には劣れど、やはり実力者ばかりだ。それが見極めに労する、などとは軽く言えることではない。しかも彼は冗談で言っている様子でもなかった。
 時任はそれまで下げていた頭を上げて、緊張した面持ちで言った。
「その者は、副隊長二名、隊長一名の推薦を受けています」
 思わず浮竹は飲もうとした茶を止めた。
「それは、すごいね……」
 しかし更に続いた言葉に、今度こそぎょっとする。
「隊長の推薦者は、山本元柳斎重國殿――総隊長です」
「ええっ!?」
 咄嗟に手を離しそうになった湯飲みをガンっと派手に置いて、精一杯浮竹は驚いた。
 隊長の推薦はもとより、総隊長――彼の師であり、護廷十三隊を統べる総隊長が誰かを推薦するなど、聞いたことがなかった。
「そ、総隊長が推薦か……。それは、気になるかもしれない」
「お願いできるようでしたら、今すぐに。試験は始まっています。その者の試験は一番最後になりますが、もうしばらくで始まります」
 急なことで、申し訳ありません。そう再び頭を下げる彼は、どうやら相当浮竹に来て欲しいようだった。今すぐ、というぎりぎりの時間に来たのは、一種の作戦だろう。
 冷静な素振りを装っているが、かなり緊張しているのはよくわかった。それでもここまで頭を回し、身を引かない根性はなかなかのものだ。
 浮竹は、頭を下げた若き死神見習いに柔らかく笑った。
「――いいだろう。ちょうど今は時間があるし……俺も、興味がある」
 そう答えるや、頭を上げた青年は(どうやら感情があまり表に出ないほうらしい)仏頂面なままで「ありがとうございます」と言って、立ち上がった。
 浮竹は近場にいた十三番隊の隊員を捕まえて清音たちへの伝言を頼み、時任と共に歩き出す。
 そこでふと訊ねて見た。
「そういえば、その受験生の名前は? 総隊長の知りあいなら、やはり年配なのかな」
 すると時任は、ふと言葉に詰まった。しばらくの間を置いてから、小さく「俺は、人の名を覚えるのが苦手なほうで」と言葉を濁す。
「――たしか、クロ……いや、チビ……、クロ……、……」
「……チビクロ?」
「いえ、違います、が……そんな、感じだった気がします」
 すみません、と真面目に謝る彼は本気で覚えていないらしい。
 それに浮竹は和やかに笑った。
「いや、いいよ。まあ、名は知らなくても見極めは可能だ。基本的に受験番号が指標だしね」
 そこで一旦会話は途切れた。
 だが、推薦者の試験会場を目前にして、ふと時任が口を開く。
「……ただ、その者は年配ではありません」
「え?」
「子供です。ですが――詠唱破棄で、八十番台の鬼道が使える」
 浮竹が目を瞠るのを横目に、時任はここを、と試験会場への通路の一角を指した。そこは、どうやら実技試験のとばっちりか、柱が吹っ飛び、地面が抉れた痕がある。
「普通受験者が暴発させたらしい鬼道を、その者は咄嗟に断空で防ぎました」
「――そんな、馬鹿な」
「だから、隊長に来て頂きたかったのです」
 思わず足を止めた浮竹に、時任はすいと道を譲った。
「こちらです。どうぞ」
 そうして開かれた先の部屋に、浮竹は一歩足を踏み出した。
 その、刹那。
 浮竹でも若干の圧を感じるほどの霊圧が、部屋から噴き出す。後ろに控えていた時任が思わず身を引いたのがわかった。

 そして視界に飛び込んできたのは、――まだ幼さを残した、少女の姿だった。



***



「やらかしたわねえ、冬春(ふゆはる)?」
「……お前、受付はどうした」
 ひょっこり顔を覗かせた同級生に、時任は全くの無表情で問うた。
 しかし彼女はにっこり笑うだけで答えず、推薦者の実技試験会場前で待機していた時任の隣に立つ。
「聞いたわよ、筆頭特権使って十三番隊に乗り込んだんですって?」
 すっかり話回ってるわよ、と彼女は楽しそうにさえする。
 彼女の名は水町真夜(みずまちまよ)。時任とは同期の友だ。今は受付で事務処理を手伝っていたはずなのだが、ちゃっかりしている彼女のことだ、その見目好い容姿と達者な口で適当に後輩にでも押し付けてきたのだろう。
「……話を回したのはお前だろう。まだ話が回るには早い」
 すると真夜はあっさり笑った。
「だって、受付じゃずっと例のチビちゃんの話ばっかりなんだもの。私はその子見てないのに、つまらないじゃない」
 ところで、と真夜は試験会場のあるほうを見遣る。そしてきょとんとした。
「そのおチビちゃんはどう? まだ試験やってるはず……にしては静かだけれど」
「もう終わった」
「え、早いじゃない! 何よ、一目見ようと思ったのに。……にしても、早過ぎない? 推薦者の実技は時間がかかるでしょう」
 真夜が首を傾げると、時任はすっと立ち上がり、奥へ進む。真夜は立ったままだったので、時任をそのまま追う。そして目の前に現れた光景に絶句した。
「一撃だけで、終わりだったからな」
 時任が指した先、試験会場があるはずのそこは、見るも無残だった。
 屋根が吹き飛び、柱が剥き出しになり――もはや、半壊の域だ。
「一撃って……嘘でしょう……」
「本当だ。俺も特別に立ち会わせてもらったから、間違いない」
 霊圧解放の試験から入ったんだ、と時任は言う。
「……とんでもなかった。たぶん、浮竹隊長がいなければ全壊していただろう」
 真夜はぎょっとして目を見張った。
「浮竹隊長? 冬春、あなたまさか隊長引っ張り出すって言っていたの、本当に成功したの?」
「ああ。会話したのが夢のようだ」
「……あなた、せめて感動が伝わるように喋れるようにおなりなさいよ」
 呆れた口調で言ったものの、真夜はまだ信じられない様子で会場を見る。
 そして、ふと三日月形の口元で妖艶に、楽しげに笑った。
「名前は何て言ったかしら。――院で会うのが、楽しみだわ」
「……俺もだ」
 低い声で時任が同意を示すと、真夜は「あら」と意外そうな声をあげた。
「あなたが他人に期待するなんて珍しいわね。ナツル以来じゃないの?」
 興味深そうに覗き込んでくる真夜の視線から逃れるように、時任はくるりと踵を返す。そして真夜を待つこともなくすたすたと歩き出すと、振り返らないままで言った。
「――御堂が、大爆笑した」
「あら……何年ぶりかしら? そのおチビちゃんに?」
「ああ。相当気に入ったらしい。……俺が期待しているのは、あの小さいの以上に、御堂にだ」
 そしてそのまま、時任は歩き行く。
 真夜はしばらく後ろを歩いてから、隣に追いついて問うた。
「ねえ、ところでおチビちゃんの名前は?」
「……、……俺に聞くな」

 若干拗ねたような気まずい口調で時任は言って、真夜は「わかってて聞いたのよ」と楽しそうにくすくすと笑った。

 時任冬春、霊術院六年、現院生筆頭主席。
 水町真夜、霊術院六年、次席。
 御堂ナツル、霊術院三年。
 ――この三人が今後の夏梨と関わるのは、もうしばらく後のこととなる。



***



「あっ、浮竹隊長! もう、外出されるんでしたらあたしか仙太郎どっちか連れてってくださいよ! 倒れたらどうするんですかぁ!」
 隊首室に戻るや、待ち構えていた清音に怒られて、浮竹は苦笑しつつ謝った。
「ああ、うん。すまない。でもまた、少し出てくるよ」
「ええっ、どこに!」
「うん、――少し、総隊長のところにね」


 一番隊隊首室、そこへの入室許可を得て、浮竹は慣れたその扉を開けた。
 そしてその最奥の机に座している老爺に、ずんずんと近づいてゆく。
「総隊長!」
「なんじゃ、十四郎。呼ばんでも聞こえとるわい」
 やれやれと言った様子で応えた総隊長の目前に立って、浮竹は正面から老爺を見た。
「――実は、ついさっき、今行われている霊術院の試験監督をやってきました」
「ほう? これまた、珍しいことをしたもんじゃのう。見られたほうは動けまい」
 総隊長はそう言って笑ったが、浮竹は笑わなかった。いつもより少し難しい顔のままで、総隊長を見る。
「動けないどころか。――その受験生は、俺が抑えても試験会場を半壊にしましたよ。霊圧開放のみで」
「……ほう。そんな才を持った者がおったか」
「ご存知でしょう。先生が推薦された子供です」
 浮竹が落ち着いた口調で言うと、総隊長は常は細めているその目を少しだけ開いた。
 そして、ほっほっほとのんびり笑う。
「ふむ。あれは逸材じゃろう?」
「逸材なんて、そんなものでは……。俺が言いたいのは――なぜあそこまで実力のある子をわざわざ霊術院に入れるのかということです」
 本当は子供に戦わせるのは気が進みませんが、と浮竹は若干言いにくそうにしてから、また真っ直ぐに総隊長を見て続けた。
「あの子は、戦力として十分すぎる実力を持っています。そもそも、院に入る前から八十番台の鬼道を詠唱破棄で使えるなんて、聞いたことがない。……院に入れれば、かえってあの子は縛られてしまうのではないですか」
 それは、返って危険だ。
 浮竹の真剣な言葉に、総隊長はしばらくの沈黙を挟んでから、ゆっくりと口を開いた。
「……あやつは、まだ未熟じゃ。力も、体も、心も。確かに、あれは院で持て余すほどの力を既に持っておる。じゃが、安定はしておらぬ。そして――院で育てるのは力ばかりではなかろう」
「先生……」
「あれはまだほんの子供じゃ。今が最も多感で、育つ時。反対にひとつ道を誤れば、脆く落ちる。……そういうときに導いてやるのが、師というものじゃろう」
 そうして、総隊長は和やかな表情で笑う。
 浮竹は意表をつかれた様子でしばらく総隊長を見ていたが、やがてふと相好を崩して、苦笑した。
「……参りました。俺はまだまだ、師匠になれる器ではないようです」
「ほっほっほ、まだまだお前は若い。精進せい」
 用はそれだけか、と問われて、浮竹はひとつ頷いた。そして一歩下がって軽く礼をする。
「では、失礼します。……あ、そういえば」
「どうした」
「今日、現世から日番谷隊長が一時帰還するそうです。お聞きになりましたか?」
「ああ、聞いておる。……おそらく隊首会になるじゃろう。今おる者にはそう伝えよ」
「わかりました。それでは」
 それきり、今度こそ浮竹は一番隊の隊首室を後にした。
 扉が閉まり、その気配が遠ざかってから、総隊長は部屋に一人、ゆっくりと息をつく。

「十四郎でも気づかぬ、か……。ふむ、一番にあれが黒崎一護の妹だと気づくのは誰かのう」

 楽しみじゃ、と彼はまた、一つ楽しみなところを見つけたのだった。

水町真夜*みずまちまよ =オリジナルキャラ
[2010.02.07 初出 高宮圭]