Vox

-ロストチルド・ライド-

14 : すれちがい


 四月二日、午後三時五十分。
 あと十分で全試験課程が終了する頃、相変わらず檜佐木と吉良は門番をしていた。足元では夏梨から預かった子犬のロウが大人しく丸まっている。
「そろそろ、最後の筆記試験が終わりますね」
「だな。怒涛の勢いで出てくるぞ、受験生」
 整理するの、気が重いな。などとぼやく檜佐木に苦笑しつつ、ふと吉良は門をくぐって来た人影に気づいた。
 今は全ての門がここに繋がっているので、瀞霊廷に入る全ての者がここを通る。それはわかっていたが、入ってきたその人物が誰かを視認して、吉良は驚いた。
「日番谷隊長。現世から帰って来られたんですか?」
「……ああ、吉良か。檜佐木も、何してんだ?」
 二人に気づいた日番谷はそう訊いたが、すぐに奥に見えた表示物などを見て納得したらしい。
「なるほど、もうそんな時期だったか」
「ええ、早いですよね。……ところで、日番谷隊長は定期報告ですか?」
 何気なく訊ねたそれに、日番谷はふと眉をひそめて低く否定した。
「いや。……多少、やっかいなことがあってな。近いうち、隊首会が開かれるかもしれねえ」
「それは、どういう……」
「詳しいことはまだ言えねえ。だが、間違いなく俺たちの現世駐在期間は延びる。春に戻る予定だったが、いつになるか。……――ところで」
 真剣な声音だった日番谷だが、ふと呆れたようなそれに調子を変えると、足元に視線をやった。
「何だ、この犬」
 日番谷の足元には、黒い子犬がしきりにまとわりついていた。遊んでくれと言わんばかりにじゃれついている。
 心の底から迷惑そうな顔をしつつも振り払わない日番谷は、じゃれつかれるがままだ。
 それを見た檜佐木は、思わず噴き出しそうになるのを堪えつつ答えた。
「受験生のペットですよ。終わるまで預かってるんです。……にしてもロウ。お前、俺たちにはあんまりじゃれねえのに、日番谷隊長にはくっつきやがって」
 面倒見てやってるのに薄情だな、と檜佐木がため息まじりに言うと、子犬はまるで意味を理解したように振り向いて、どこか得意げにロゥ、と不思議な声で鳴いた。檜佐木たちがロウの鳴き声を聞いたのは、それが初めてだった。
「うわ、変わった声で鳴きますね、この子。だからロウって名前なのかな」
「安直な……」
 吉良が妙に納得したように言ったそれに、日番谷は呆れた様子で呟く。だがふと子犬の首元についた飾りに目を留めた。
 白と黒の二色の球。
 日番谷はふと黙って子犬を抱き上げる。子犬は特に抵抗することもなく持ち上げられた。まだあどけなさが色濃く残る顔立ちの子犬だったが、漆黒の毛並みに映える、まっすぐな緑の目をしていた。
「日番谷隊長、犬好きなんですか?」
 きょとんとした様子で吉良が訊ねたのに、日番谷は妙に硬い顔のままで「別に」と返す。
「……少し、この犬の首飾りが気になっただけだ」
「首飾り?」
「サッカーボールかと思った」
「は?」
「なんでもない」
 と、不意に瀞霊廷内にやかましいまでの鐘が鳴り響いた。
「試験が終わったな」
 檜佐木が試験会場のほうを振り向きつつ言った。
 日番谷は鐘がこだまする中で、もう一度子犬を見、その首飾りを見る。そして子犬を下ろした。
「……俺はもう行く。こんなとこに隊長がいたんじゃ、誰も通れねえだろ」
「あ、はい。お疲れ様です」
「お前らもな」
 日番谷はそう一言置いて、素早く姿を消した。人目につかぬためだろう。
 やたら日番谷にじゃれていたロウだったが、日番谷が去る段になっては、大人しくその姿を見送っていた。
「さて、俺らももう一仕事だな。三番隊は右列頼むぞ」
「了解です。……あの子は、どうなったでしょうね」
「夏梨か。ま、連名推薦までして落ちてもらっちゃ困るが……筆記はともかく、実技はそこそこ取れるんじゃないか? 何しろ、更木の出だ」
「でもよく考えたら、まだ子供なんですよね。しかもこの間、尸魂界に来たばかりの」
「――子供で悪かったな」
 不意に不機嫌な調子で割り込んできた声に、檜佐木と吉良は「うわっ」と揃って声をあげた。
 ばっと振り向くとそこに、腕を組んで呆れたような半眼で檜佐木を吉良を見上げる夏梨がいた。
「か、夏梨くん。早かったね。どうだった?」
「色々あったけど、やるだけやった。結果発表って、三日後だよね。それまでは宿舎にいていいの?」
「ああ、いていいよ。遠方の人はみんなそうする。暇なら図書館を使うといいよ。……どうかした?」
 ふと何かに気づいたようにきょろきょろと周りを見渡しだした夏梨に吉良は首を傾げる。
 だが夏梨はすぐにそれをやめて、「なんでもない」と答えた。
「ま、とにかくお疲れさん。次に会うのは入院してから――に、なればいいが」
「なるよ! 絶対。……て、結果発表の日はいないの?」
 きょとんとした夏梨に、檜佐木は頷いた。
「ああ。三日後から俺の九番隊は遠征任務に行くからな。吉良はまた門番してると思うが」
「三番隊はいるけど、僕がいるかはわからないですよ。何せ人手不足ですから」
 疲れたように吉良は肩をすくめる。
 それから、夏梨に向き直った。
「ともあれ、入学できるといいね。――入学したら、それはそれで大変だと思うけど」
「何しろ推薦つきだからな。だが、利点も多い。めげずに精一杯利用しろ」
 檜佐木も言って、ぱんと夏梨の肩を叩く。そしてひとつ息をついた。
「……お前、わかってないだろうが、今の状況、そうそうないことだからな? 普通副隊長が門番なんてしねえし、そもそも魂魄整理からしてしない。今話してるのも周りから見れば珍事だ。しかもお前、卯ノ花隊長にまで会ってんだからな」
「うわ、言われて見ればかなりすごい確率ですね……」
 驚いた様子で吉良が呟く。
 しかし夏梨は、それにやけに落ち着いた口調で返した。表情も、妙に冷めている。というよりは、大人びたような冷静さで。
「――利用できるものは、全部利用する。じゃなきゃ、追いつけない。……今のあたしじゃまだ、会いに行けないから」
 子供らしからぬその雰囲気に、檜佐木と吉良は少なからずぎくりとした。
「夏梨……?」
 だが夏梨はすぐその雰囲気を払うと、勝気な笑みを浮かべた。
「運も実力のうち、でしょ。――じゃあ、あたしそろそろ行くね。今日はありがとう!」
 夏梨は先ほどとは打って変わって子供らしい無邪気な笑みで礼を言って、身軽に踵を返した。
 小さな体は注目を集めていたものの、すぐに人波に紛れてしまう。
「……ホント、大した奴だな」
 感心したように檜佐木は苦笑する。わかっていないように見えて、子供ながらに、何か強い信念のようなものを感じた。
 吉良はそれに相槌を返そうとして、だが唐突に割り込んできた声にぎょっとした。
「――何だかちょっと、似てるね」
「は」
 聞き覚えのあるその声の出所は背後。受験生たちからは死角になる木陰からだった。
 ひょいと姿を見せたのは、吉良も檜佐木も馴染みのある人物だ。
「ひ、雛森くん!? どうして……というか、いつから……」
「あはは、ごめんね。ちょっと前からいたんだけど、受験生と話してるみたいだったから、出て行ったら邪魔かと思って待ってたの。副隊長会のお知らせなんだけど、あたしもこっちに用があったから、ついでに言って行こうと思って」
「全然気づかなかったぜ。わざわざ結界張ってたのか……相変わらず上手いな」
 感心したふうに檜佐木が言うと、雛森は何でもないように笑って「盗み聞きみたいなことになっちゃって、すみません」と苦笑する。
 そして副隊長会のお知らせというのを手短に伝えた。
「――これで全部です。それから、ついさっき日番谷くんに会ったんですけど、隊首会もあるかもって」
「ああ、それなら俺たちも聞いた。日番谷隊長も大変だな、現世駐在が延びるって言ってたぜ」
 雛森が幼馴染たる日番谷のことを『日番谷くん』と呼ぶのはいつものことなので構わず、檜佐木は日番谷の苦労を思って肩をすくめる。
「そうなんですか? あたしは本当にちょっと会っただけだから、そんなに話してないんですけど……。
でも日番谷くん、疲れてたみたい」
 ちょっと心配ですよね、と雛森は気がかりな様子で呟いた。だが檜佐木と吉良はそんな日番谷の様子は読み取れなかったので、さすが幼馴染と思うしかない。
「あ、そういえば。さっきの子って、受験生なの?」
 ふと思い出したように雛森がどちらにともなく問う。それには吉良が答えた。
「ああ、夏梨くんのことかい。そうだよ。見た通り、まだ子供だけど……しっかりしてる。きっと入学したら、頑張るだろうね」
「だな。期待の新人……になってもらわねえと俺らの立つ瀬がないんだが。まあ、まだ未知数な奴だよ」
 その二人の言葉に、雛森は少し笑った。
「どうしたんだい?」
 吉良がきょとんとして訊ねると、雛森は「だって」と柔らかく続けた。
「二人とも、その子が合格するの、疑ってないのね」
 言われて初めてそれに気づいた檜佐木と吉良は、一瞬驚いた様子で動きを止めて、苦笑する。そして檜佐木ががしがしと頭を掻きながら言った。
「……まあ、連名推薦した身だからな。一応、期待はしてるよ」
「連名推薦?」
 次にきょとんとするのは雛森の番だった。
「え? 連名って……吉良くんと、檜佐木さんの?」
「ああ。ちょっと前から決めてたんだがな。……本人は珍しさわかってねえみたいだが、入ったら確実に注目の的だ」
 雛森は驚いたまましばらくぽかんとしていたが、はっと我に返ってから「す、すごいね」と呟く。
「夏梨くんと言えば、雛森くん。さっき来たとき、『似てる』って言ってなかったかい? あの子のこと?」
 思い出して吉良が訊ねると、雛森は頷いた。
「うん。ちょっと見ただけだし、何となくなんだけどね。小さいのに妙に大人びて見えたとことか、まっすぐな意志とかが。――日番谷くんに似てるなって」
 見た目の大きさが似てるのもあったかもしれないんだけど。
 そう雛森は苦笑して、続ける。
「でも、二人にそこまで言われるくらいなら、本当に日番谷くんみたいになっちゃうかもしれないね?」
 少し冗談交じりのように言われたそれに、吉良も檜佐木も笑う。
「まさか。日番谷隊長は半年で始解して、最短年数の一年で卒業したんだぜ。あんな天才児、そうそう出てきてたまるかよ」
「あはは、それもそうですね。あ、じゃあ、あたしそろそろ行きますね。お仕事、頑張ってください」
 雛森は可愛らしい笑顔を残して、受験生の目につかぬようまた鬼道で姿を消して去って行った。
 それを見送って、檜佐木と吉良はどちらからともなく仕事を再開する。
 隊員に指示を飛ばしつつ、ふと吉良は頭に過ぎった考えに目を留めた。
(そういえば、死神代行の黒崎くんは、かなりあり得ない早さで始解して、卍解も習得したって噂があったような……)
 それはまことしやかに伝えられた噂だ。何しろ、上位席官以上で巡っている噂なのだから。
 あの並ならぬ力を持つ黒崎一護ならば、あり得ないことではない。誰もがそう思ったからこそ、この噂は消えない。
(黒崎くんと言えば、日番谷隊長に夏梨くんのこと、訊いて見ればよかった)
 それならばすぐ、黒崎一護との関係者かどうかわかっただろうに。そう思ってももう遅い。そもそも、そこまで気になることでもないので、吉良はすぐにその思考を取りやめたのだった。



***



 夏梨は、受験者の宿舎の部屋にロウと二人で寝そべっていた。
 というのも、もともと二人部屋だったのだが、相部屋の者が帰ってしまったので、一人になったのだ。といわけで、これ幸いとのんびりしている。
(やっぱ、目立つよな)
 適当に引いた布団に転がりつつ、夏梨は周囲の視線を思い出した。受付でも、会場でも、道々でも。夏梨のような子供は他におらず、どうしても注目の的になる。
 そしてその視線のほとんどは、敵意。――というよりは、嘲りや、馬鹿にしたようなそれだ。
 試験会場で会ったあのナツルとか言う院生は「くだらない」と切って捨てたが、ここまであからさまだと、さすがにこたえるものがある。
 意図せずもれたため息に、ロゥ、と耳元で声がして、ロウが小さな体を摺り寄せてくる。夏梨はそれにふと表情を和らげた。
 そしてひょいとロウを抱き上げると、胸の上にぺたっと寝かせて抱き枕よろしく抱きしめる。
「……ねえ、やっぱり、気のせいだったのかな」
 天井を向いて呟いた声は、自分でも意外なほどに頼りない。
「あいつの気配が、した気がするんだ」
 こっちにはいないって、聞いたのに。
 夏梨はぼんやりと、天井に片手を伸ばした。
 天井には遠く届かない。立っても、跳ねても。――きっと、そのずっと先に、守りたいものたちはいるのに。
 彼は、驚くだろうか。自分がこうして死神を目指していることを知ったら。
(いや、怒る、かな)
 何となくそんな気がする。なら、会うときは、怒れないくらいに強くなっていなくてはならない。――隣に並べずとも、同じ『世界』に立っていられるように。
 護られるだけでは、なくて。
(まだあいつとは、師匠たちとは会えない)
 まだ現世にいたとき――あちらの世を現世と呼ぶのは、山じいに習った――、夜一と浦原に約束したのだ。『必ず死神になって会いに行く』と。それまでは、誰にも何も言わないで欲しい、と。
 きっと師たちは、間違いなくあの約束を守ってくれている。兄たちは、まだ、何も知らない。
 まだ夏梨は、あの約束のほんの始まりの、その前にしかいない。まだ入学を果たしてもいないから、始まってすらいないのだ。
 早く、早く、早く。
 気ばかりが焦る。ずっとそうだ。けれど焦っても、何も変わらない。自分の持っている力以上は、出すことは出来ない。だから自分の全力を、持っている力の全てをその時々にぶつけろ。――これは、山じいの教えだ。
(また、会うために)
 頑張るのだ。月並みなことだが、頑張って、頑張って、頑張って、そうしてここまで来た。たくさん我慢をしてきた。そしてこれからもしていく。
 そう、決めた。
 ――だから。

(会いたいなんて、思うな)

 夏梨はロウを抱きしめたまま体を丸めて、布団を引き被る。
 本当は図書館に行ってしたいことがあったけれど、明日からにしよう。

 今日はもう、動けそうになかった。






 ――そして、三日後。
 夏梨は結果発表にて、無事合格を果たす。
 同日、行われた隊首会で、異常なひずみの解明のため、最長で夏まで日番谷先遣隊の派遣継続が決定された。

 四月十二日。霊術院の新入生入院式が執り行われる。
 この日、溜まりに溜まった隊長業務を、いっそ不自然なほどに脇目も振らずに怒涛の勢いでこなした日番谷は、再び現世に発った。


[2010.02.11 初出 高宮圭]