Vox

-ユース・ラッシュ-

15 : おもいしること

「おい、知ってるか。今年の新入生に副隊長二名の連名推薦と隊長一名の推薦受けて入った奴がいるんだってよ!」
「はあ!? なんだよそれ、んなもん試験ないも同然じゃねーか! ずっりー!」
「しかもそいつ、まだガキらしいぜ。見た目日番谷隊長くらいだって」
「あっ……あり得ねえだろ! どんなコネ持ってんだよ、貴族!?」
「違うよ、流魂街出身のただの平凡な子供!! しかも、女!」

 ――というような噂は、まだ入院式すら行われていないにも関わらず、尾ひれや余計な憶測まで付けたされたりしつつ、合格発表から一週間もすれば霊術院中に広まりきっていた。
 しかしその噂の中心、嵐の目ともくされる、当人の夏梨と言えば。

「……嘘だろ……」
 ――瀞霊廷内一番隊隊舎内部。そこの頑丈な鍵と結界の張られた小さな一室で、大霊書回廊から出してもらった記録書を試験終了からこちら、朝から晩までひたすら読み漁っていた。
 当然、周りの騒動など気にしていない。というよりは、あまり気づいていない。奇異の目で見られることには慣れてきたため、それらを見事に受け流すようになったからだ。もともと、気にしないと決めたことにはとことん無関心になれる淡白さを持っていたのが幸いした。
 なぜ夏梨がそんなところで引きこもりじみたことをしているのか。その理由は、入試の結果発表当日にまで遡る。

 真央霊術院では、入学が決まったその日、つまり結果発表の日に説明会が行われる。
 その席で制服を貰い、宿舎が割り振られるため、受験者用の宿舎で結果待ちをしていた者たちは、そのまま引越しを終える。夏梨もその一人だった。
 説明会の席で、夏梨は案の定好奇の視線にさらされた。――だが、直接絡んで来る者がいなかったのは、夏梨が最初から最後まで、近寄りがたいほどの怒りのオーラを発していたからだろう。
 別に、周りの視線や勝手な評判に腹を立てたわけではない。むしろそんなものはものの見事にスルーしていた。
 夏梨が怒っていたのは、命の恩人であり尊敬すべき師でもある、『山じい』にだ。
(あの野郎……!!!)
 ズゴゴゴ、と地鳴りでも響いてきそうなほどの雰囲気で、夏梨は配布されたしおりをほとんどぐしゃぐしゃになるまで握りしめていた。
「……ですので、ごく稀に在院中に始解を習得できる人もいます。まあ入隊してから始解を得る人がほとんどなので、焦らずに基本を……」
 などと前で話しているのは新人隊員だという。実は僕もまだなんですよねー、などとお気楽に笑っているが、夏梨にしてみればその内容は笑えたものではない。
(……何が、)
 隊員の話など、もう耳を素通りして行く。頭に浮かぶのは、流魂街での山の暮らし。『山じい』との修行。その中で、言われた言葉だった。
(『始解ができねば霊術院には入れぬぞ』だ……!!)
 変だとは思ったのだ。
 夜一や浦原はそんなこと一言も言わなかったし、だいたい確か霊術院は基本を学ぶところ、という話だったのに、と。
 『山じい』の言葉を信じて、文字通り血を吐くような修行に耐えたというのに。
 ――騙された。
 それしか考えられずに、夏梨はしおりの一番最初のページに刻まれた名前を、これでもかというほど握りつぶした。

 一番隊隊長・護廷十三隊総隊長・真央霊術院創設者――山本元柳斎重國の名を。

 相手が凄すぎて偉すぎてもう驚く気にもなれなかったから、ひたすら思考を占めたのは怒りだ。
 だから、説明会ののち、一番隊の隊員だという男がやってきてこう言ったときも、沸点を通り越してやけに冷静な思考を保ちつつ、即答した。
「総隊長がお呼びです」
「行きます」
 そして夏梨は、一番隊隊首室に連れられた。


 目の前に座するは、この一ヶ月、殺す気かと言いたいほどのスパルタっぷりで修行をつけてくれた師だ。そしてその傍らには、入試の実技のときに特別試験官としていた白髪の男性と、もう一人知らない男性がいる。いずれも隊首羽織を着ているから、隊長のようだ。
 だが夏梨はまっすぐ総隊長だけを見て、すいと頭を下げた。
「……このたびは修行に推薦と、格別な待遇をありがとうございました」
 この文言はここに連れられるまでの間に、こう言ったらいいと隊員の者に言われたものだ。どうやら夏梨が子供とあって、総隊長に失礼がないよう気を遣ったらしい。それを丸々再生してみる。
「このようにお忙しい方とは露知らず、貴重なお時間を裂いて下さったこと、感謝しています。つきましては、今後精一杯精進する所存です。……今回の呼び出し、御用は何でしょうか」
 頭を下げたままそこまで言うと、しばらくの間があった。
 前方で「話に聞いてた様子と違うじゃないかい」と面白がるような声もしたが、その後に、総隊長がようやく口を開いた。
「……ふむ、それなりの礼儀を覚えたか、はたまた誰に吹き込まれたか知らぬが、そのような物言いもできたのじゃのう」
 夏梨は、沈黙で返す。
 総隊長は、のんびりとした口調で続けた。
「用は二つじゃ。一つは、無事の入院に祝辞を。筆記のほうが大分ぎりぎりだったようじゃが、まあよしとしよう。二つめは――お前も何か、言いたいこともあろうと思うてのう」
「……言いたいこと、ですか」
「ふむ。あるじゃろう? 礼儀など構わぬ。申してみい」
 その言葉に、夏梨は黙って顔を上げながら、ここに呼ばれた意味を理解した。
(ケンカ売られてるわけだ)
 ならば、対応は決まっている。というかもとよりそのつもりで来たのだから。
 そしてゆっくり息を吸い込み――

「騙しやがったなこのクソジジイ!!!」

 自分の耳もキンとするほどの声量で、叫んだ。
 総隊長の傍らにいた二人が呆気に取られた様子でぽかんと口をあけていたが、構わず続ける。
「何が霊術院に入れないだ!! 修行の九割試験に関係なかったじゃんか!! 鬼道は八十番台どころか打てなくてもいいし、剣術なんか使わないし――ていうか始解できなくてもいいってどういうことだよ!!」
 修行中夏梨は、始解できねばならないし、鬼道も八十番台は打てなくてはならないと言われていた。
 だが実際の試験では、推薦者の実技は霊力測定と、鬼道の基礎の基礎である、ただ霊力を込めて打つもの、もしくは剣術等の実技を見せるだけだった。どうやら推薦者は大方が貴族であり、あらかじめ訓練を受けているのが前提であるらしく、もはや飛び級試験のようなものだという。
 ちなみに普通受験者に至っては、実技とはほとんど名ばかりで、霊力測定だけらしい。ただしここで一定の霊力を示せねば即失格なので、実技のほうが重要視されるというわけだ。このときにどう霊力を示すかは自由であり、気張った受験生の霊力が暴走することが多々あるという。夏梨が試験前に巻き込まれたあの件も、珍しくはないことだったらしい。
 夏梨の全力の叫びに、しかし総隊長は朗らかに笑った。そして、いけしゃあしゃあとこう言った。
「ほっほっほ、バレてしまっては仕方がないのう」
「仕方ないって、あたしがどんだけ……!! おかげさまで徹夜明けに試験だよ!!」
「ふむ、よくぞ間に合った。じゃがそれでコントロールをし損なったか。十四郎から聞いたぞ、試験会場を吹き飛ばしたそうじゃのう」
「あれは、ロウがいなかったから……って話そらすなよ! なんで騙したって聞いてんの!!」
 噛み付くように喚く夏梨に、総隊長はあっさり言ってのけた。
「騙してなどおらんよ。院の創設者を誰だと思っておる。お前ならその程度できねば入れてやらぬということじゃ」
 結果できたのだから喚くでないわ、やかましい。
 呆れたように言われてしまえば、もう夏梨は言葉を失うしかなかった。ありったけの罵詈雑言を投げつけてやろうかとも思ったが、それをするには今は気力が足りない。
 二、三度口をぱくぱくとさせて、結局夏梨は大きなため息をつくに留まった。――どうあがいても、この老爺に勝てる気がしなかったのだ。
 と、そこでぱちぱちと何やら場違いな拍手が鳴らされる。きょとんとして視線をやれば、白髪の男性の隣にいた、やたら華美な着物を羽織った男性が、楽しそうに手を打っていた。
「いやはや、びっくりだなぁ。話には聞いてたけど、ここまで面白い子だとは思ってなかったよ。まさか山じいを『クソジジイ』呼ばわりできる子がいるなんて」
 愉快愉快、と笑いながら、その男性は夏梨に近づいてくる。
 そしてまじまじと夏梨を見ると、おもむろにその頭を撫でた。
「いやぁ、本当に小さいねえ。君くらいの子が院に入るのは日番谷隊長ぶりじゃないかな? 制服、似合ってるよ。おめでとう」
「……どうも、ありがとう……ございます」
 気安いが、何となく値踏みされるような感覚を味わいつつ、夏梨はその男性を見上げる。
 院の制服は、着て来いと指示されたために入院式も先であるにも関わらず、先程初めて袖を通したばかりだ。
 着ているというよりは着られているような感覚を今更覚えて持て余していると、男性の後ろから、和やかな声が近づいてきた。
「本当におめでとう。きっと合格すると思っていたけれど、よかったよ」
 近くでその人を見て、夏梨はようやく試験のときの記憶を引っ張り出す。そして、思い当たった。
「えっと……浮竹、隊長……。あの、試験のときは、お世話になりました」
 彼のことは、さすがに覚えていた。特別試験官の隊長として非常に目立っていたし、何より暴走しかけた霊圧を治めてくれた人として、記憶に残っていたのだ。
「いやいや、怪我人が出なくてよかったよ。……でもまさか、霊力測定で強制終了になるなんて、思ってもみなかったなぁ」
 いや驚いた、としみじみ言われたそれに、夏梨は苦笑する。
「……正直、落ちたかと思いました。筆記も悪かったし」
「はは、まさか! あれだけ素質と才能を見せ付けられて、誰も落としたいわけないじゃないか。実技のほうはほぼ満点だったんだよ?」
 本人も知らなかったことを告げられて、夏梨はきょとんとした。だが浮竹は構わずに続ける。
「ああ、そうだ。ちゃんとした自己紹介がまだだったね。――俺は浮竹十四郎。こっちは京楽春水。俺は十三番隊、京楽は八番隊の隊長をやってる。困ったことがあったら、いつでも訪ねておいで」
「そうそう。僕ら、山じいの弟子ってことで、君とは一応同門のよしみってことになるしねぇ。だから顔を見ておきたかったんだ。……まあ、今日ここに来たのは、それだけのためじゃないけどね」
 そう言って、京楽は夏梨と合わせていた目線を外し、姿勢を直す。そして浮竹と並んで、夏梨を見下ろした。

「君の始解を、見せてもらいに来たんだ」


 ――始解を見せたその後、京楽と浮竹はそれぞれやって来た副官やその代理に急かされて隊首室を後にした。どうやら予定が押しているのをほとんど無理やり出てきたらしかった。
 それだけの価値があったのかどうか、夏梨にはわからないけれども。
 とにかく、夏梨は総隊長と二人と一匹で部屋に残された。
「……山じ……総隊長は、仕事、いいんですか」
 何だかどっと疲れたような気分で口を開くと、総隊長は軽く笑いながら、座っていた席を立った。
「好きに呼ぶとよい。呼び名や口調など、所詮表面上のものじゃ。その心根が正しくあれば、儂は気にせぬ。気にする者がおるときにだけ、気にしておくがいい」
 コツ、コツ、と杖を付きながら、重くない足取りで総隊長は窓辺に立った。そして夏梨を手招く。
 素直にその傍らに寄ると、窓からは瀞霊廷内の様子がよく見えた。そして目に付くどの者も、何やら慌しく動き回っている。
 そういえば、試験会場でも人手不足だ何だと檜佐木たちが話していたのを思い出した。
「ここに来るまで、お前は更木からずっと、外の様子を見てきたのう。……この瀞霊廷まで来て、何を思った」
 総隊長の唐突に思える問いかけに、夏梨は怒涛の勢いで駆け抜けてきた道のりを思い出す。
 正直なところ、ほとんど景色など記憶にない。あると言えば、曖昧な感覚だ。
「……更木のほうは、すごく嫌な感じ。でもこっちに来るほど和らいできた。ここは……何て言うか、完璧だけど、不完全みたいな……変な感じ」
 言葉を探り探り口に出して、言ってから、何だかずいぶん子供っぽい言い方になった、と少し後悔する。だが、総隊長は満足したように頷いた。
「完璧だが不完全、か。ふむ、やはりなかなか良い勘をしておるのう。……お前の言う通りじゃ。今はこの尸魂界全土にひずみが頻出し、特に北流魂街はそれがまだ治まり切っておらぬ。そして瀞霊廷は、隊長格の多くが出払っている上、一点集中型の守りを布いておるゆえ、脆い部分もあるのじゃ。常ならば、このようなことはせんがのう」
 嘆くような口ぶりに、夏梨は眉をひそめた。
「……今は、普通の状況じゃないってこと?」
「左様。――少し前に、大きな戦争が終結したばかりじゃ」
「せん、そう……」
 耳慣れた言葉だが、現実にはあまりに距離があったその言葉に、夏梨は呟いて返す。
 現世にいた頃、学校で、テレビで取り上げられるそれは、生と死や、善と悪をごちゃまぜにしたややこしいよくわからないもの。けれどそれは決して引き起こしてはいけない悪いこと。
 身に迫らないその距離感に、漠然とそんな感覚を抱いていた。
 けれど今なら、実際に手に武器を持った今なら、その恐ろしさは実感を持って感じられる。
 何かを失う恐怖と、失わせる恐怖。
 だが、似たような感覚は、現世にいたときにも味わったことがあった。
「それって――去年の、夏から冬?」
 ぼそりとそう口に出すと、総隊長の視線が、ゆっくりと窓の外から夏梨へ戻される。
 その視線に肯定を受けたような気がして、夏梨は俯きがちに続けた。
「ずっと町が変だったんだ。一兄がいなくなったり、たくさんの死神がいたり……。虚も多くて、何回か襲われた」
「……黒崎一護が死神だということを、知っておったのか」
「知ってたよ。本人は隠してたつもりみたいだけど。……一回聞いたこともあるんだ。でも、教えてくれなかった。――ねえ、山じい」
 俯かせていた顔を上げて、夏梨は総隊長を見上げる。見定めるような視線を正面から受け止めて、言葉を続けた。
「あたし、知りたい。一兄が何をしてたのか。あの冬、何があったのか」
 それは、ずっと思っていたことだった。
 兄は何も言わない。言ってくれない。けれど同じ死神を志した今なら、ここでなら、真実が知れるのではないかと。
 総隊長は、しばらく黙って夏梨を見ていた。静かだが、えもいわれぬプレッシャーに、無意識のうちに固く拳を握りしめる。
「――よかろう」
 長いような短いような重い沈黙のあと、総隊長はそう言って頷いた。
「ほ……ほんと?」
 思わず夏梨は聞き返す。ずっと知りたいことだったが、大事だろうことは察していたので、教えてもらえるとは思っていなかった。
 ぱあっと喜びかけた夏梨だったが、総隊長は「ただし」と続ける。
「事は重要機密にも値する。尸魂界でも、全容を知っておるのは隊長格及び上位席官のみじゃ。従って、決して口外せぬこと、そして知ったからには、お前にも力を貸して貰う」
「あたしも?」
「そうじゃ。言った通り、人手が足らん。そして何より――お前の斬魄刀の能力は、役に立つ」
 断定したその口調に、夏梨は少し尻ごみした。
「役に立つって、やったこともないのに……。あれは対象をよくわかってなきゃできないって、山じいも知ってるだろ」
 そう自分で言って、夏梨は何かに気づいた様子ではっと動きを止めた。そして、肩をすくめて苦笑する。
「……そういうことか。だからあたしに、教えてくれるんだ」
 すると総隊長は、温和な老爺そのままの様子で朗らかに笑った。
「理解が早くて何よりじゃ。儂は有効な手を利用せん気はないのでのう」
「あたしを拾ったのも?」
「さて、な。――じゃが選ぶ権利はお前にある。この話に乗るも乗らんも、お前の自由じゃ。乗れば否応なしに、この先すぐにでも面倒なことに巻き込まれてゆくじゃろう。それは決して、安全なものではない。拒否して、全力で儂らが守るその内で堅実に死神になり、ゆくゆくの将来を担ってくれる人材になってくれても構わぬ」
 その言葉は事実だ。おそらく乗らないと言っても、総隊長は止めはしないだろう。そして安全なものではないと言われた道も、脅しなどではなく、きっと危険なのだ。
 だが、夏梨は迷うことはなかった。
「乗るよ」
 総隊長を見上げて、まっすぐに言い放つ。
 そして夏梨は、不敵に笑った。
「何のためにここまで来たと思ってんの。あたしは早く死神になりたくて、一兄たちと同じところに行きたくて、ここまで来たんだ。どうせ巻き込まれたらその中に、一兄たちはいるんでしょ? だったら、巻き込まれてやろうじゃん。――ていうか、言われなくても突っ込んでやる」


 かくして夏梨は、一番隊隊舎内部にある鍵と結界の張られた小さな一室で、大霊書回廊から特別に出してもらった関連の記録書を、その日から入院式までの約一週間、ひたすらに読みふけることとなったのだった。



 いかにも読みにくそうな古めかしい文体と達筆で書かれたそれから始まった瀞霊廷の記録を綴る、膨大な記録書たち。それを夏梨は、あきらめそうになりつつも半ば必死で解読して行った。
 というのも、関連するものを全部持ってきてもらったせいで相当古いものから始まり、膨大すぎてどれがどれだかさっぱりわからなかったため、とりあえず端から当たったのである。
 ちょっと失敗だった、と気づくのはだいぶ経ってからだった。それで若干中飛ばしにしたものの、案外記録書というのは面白くて、夏梨は黙々と読んで行った。
 古文体に慣れて来た頃、ようやく硬いが少し馴染みのある現代文に近くなってほっとする。だがそれもつかの間、一気に内容は今に近くなった。
 山本元柳斎重國、四楓院夜一、浦原喜助――聞き覚えのある名前が、そこらじゅうに出没を始めたのだ。
 そこからは、更に夢中になった。
 いつの間にか三日過ぎていて。
 宿舎での新入生歓迎会があると言われたけれど出なかった。
 おかげで噂が噂を呼んで風当たりがまたきつくなった気がしたけれど、懲りずにこもり続けた。
 こういう意地は遺伝だろう、と頭の隅で思った。兄も調べものに没頭するとわかるまで出て来ないたちだったのだ。
 ――気づけばこもり始めてから一週間。これまでの人生でおそらく、一番本を読んだ一週間が過ぎて。
 そしてついに、辿り着いた。

『五人と一匹の旅禍、侵入』

 丁寧に外見の特徴まで述べられたその記録書からは、驚きの事実が次々に浮かび上がったのだ。
 嘘だろ、と呟いて、夏梨は読み進めた。兄だけでなく、知り合いであるその友人たちのその壮絶な戦いの様を。
(一人は知らないけど、四人と一匹は、わかる。……一兄と織姫ちゃんと、インコのおっさんと、石田とかいう人と、夜一さんだ)
 彼らは、護廷十三隊の上位席官、そして隊長格と戦闘を繰り広げた。――朽木ルキアの処刑を止めるために。
(ルキアちゃんが、処刑……?)
 頭が混乱しそうだった。ルキアが死神――それに関与していることは、夏梨も感づいてはいた。何しろ何度も死覇装姿の一護といるのを目撃している。だが、処刑されるほどの罪を犯すとは思えない。
 焦って読み進めると、その罪状が書かれていた。
(人間への死神の力の譲渡)
 ――『……戦闘不能に陥った朽木ルキアは、黒崎一護に霊力の素質を見出し、死神の力を譲渡。結果、黒崎一護は虚を撃退。その家族は一命を取り留める。……』
「……何だよ、これ……」
 やたら波打つ心臓の音が耳にうるさい。夏梨は我知らず震える手で、頁を捲っていく。
 そこからは、回顧録のような形で、兄である黒崎一護の行動が記されていた。中には織姫や、茶渡、石田の名もある。
 呆然とした。
(一兄は、あたしたち家族を守るために、死神になった?)
 そもそもを辿れば、そうとしか考えられなかった。たとえ真に死神の力に目覚めたのがルキア救出のためであれ、きっかけはそうだ。
 そしてそれはとても兄らしすぎて、――腹が立った。
 思わず床に本を叩きつけようかという衝動もあった。けれど結局、どうにかそれを押さえつけて、瀞霊廷への旅禍侵入、そして隊長三名の離反に至る、その騒乱を読みきった。
 その後、一護は正式な死神代行となる。破面たちとの全面戦争が始まり、慣れ親しんだ故郷の町を舞台に、壮絶な戦いが繰り広げられる。結果、死神たちの勝利で幕を下ろしたその戦争のことは、壮絶すぎて、文字の羅列だけでは夏梨の頭では想像できない有様だった。
 だがそれでも、兄がこの瀞霊廷――護廷十三隊の上位席官、隊長格たちにとってどれだけ重要で、重大なことをしたか。それは嫌でも感じ取れた。
 兄の、隊長格たちの尋常ならざる実力も、覚悟も。全ては夏梨の想像を絶するものだった。
「なん、だよ……」
 怒りも驚愕も、上手く追いついてはこない。ただ夏梨はしばらくぼうっとして、散乱させた本の中にほとんど埋もれるようにしながら、静かにただ寄り添ってくれていたロウの温もりだけを感じていた。

(おなじ世界に、来た気がしたのに)
 それは、気のせいだったのだ。
 むしろここに来て、全てを知って、夏梨は今までにないほど、突き放された。
 あんなに近かった兄も、誰もが、とても遠い遠い存在に思えて、ただただ無性に泣きたかった。



[2010.02.20 初出 高宮圭]