「調査が最長で夏まで延期って、どういうことだよ?」
尸魂界に一時報告へ戻っていた日番谷が現世に戻り、知らせた言葉に、そこにいた浦原を除く全ての者が一護と同意を表情だけで示した。
ここは現世、空座町の浦原商店内部である。集っているのは対破面の戦争によって生まれたひずみ――空間のひびやその他の影響を修復するために派遣された死神たちと、現世の協力者たちだ。
彼らは戦争終結後しばらくしてからこちら、ほぼずっと現世での対応に追われている。だがそれもようやく落ち着いて来て、そろそろ当初の予定通り完了かと思いかけていた頃の思いがけない知らせだった。
訝しげな表情を隠さない面々を前に、日番谷は黙って視線を浦原に投げる。
それを受けて、浦原は「アタシからご説明しましょう」と一歩進み出た。
「先日――と言っても二週間ほど前になりますが、死神の皆さんが虚圏に調査に行って見たものを覚えてますか?」
問われて、一護はしばらく記憶を探る。そして思い当たった。
「巨大なひずみ……」
「ご名答ッス。あれについて、少々気になることがありましてね。持ち帰ってくれた映像や周囲の霊波を観測して、ほぼ間違いなく――あれは崩玉の残滓であることが確定されました」
浦原の口から告げられたその物質の名に、誰もが少なからず穏やかでない反応を示す。だが浦原は一気に張り詰めた空気になったその場に構うことなく話を続けた。
「おそらくは、あれが一番の元凶です。あれが巨大な捩れを引き起こし、『ひび』を作っていると思って間違いありません。あのひずみがある限り、『ひび』は幾度でも復活するでしょう」
「じゃあ、今やってる補修は全部無駄ってことなの?」
意味ないじゃない、という乱菊の意見に、浦原は苦笑する。
「いえ、無駄ってこともありません。向こうでもこちらでも、ひびが復活しやすい地域というものがあるようなんです。そこ以外は、一度補修すれば問題ないはずッス。ただひずみが虚圏にあるせいで次元がずれるようで、色んな場所にそれが分布しているのがやっかいなところですがね」
「その地域を割り出すのが、俺たちの新たな仕事だ。根本的に今の修復具には欠点も多い。いつどこのひびが復活して虚が現れるか知れない。特にこの町は重霊地だ。……そういうわけで、現世駐在はかなり伸びることになった」
悪いが休暇はなしだ、と日番谷が締め括ると、誰もが辟易したため息を禁じ得なかった。
***
休暇はなしと言えど、実質的にほぼ現世のひびの修復は終わりかけている。ゆえに一護たち学生は本業の学校へ行くことに専念し、日番谷たち死神は地味に面倒な調査をいっそ散歩がてらにしてまわることになった。
以前から学校へ行っていたルキアはともかく、他の死神たちは学校に馴染みにくいという理由から、学校へは行っていない。否、八割方面倒という気分が勝っているのだろう。
日番谷も義骸での調査をして回りつつ、若干時間を持て余していた。
そもそもこの数ヶ月であちらこちらと飛び回り、物珍しさも既に薄れている。もともといつでも騒々しい現世の空気は得意ではない。コンクリートや鉄の塊ばかり見て辟易しては、眺めのいい場所や多少緑のある公園などで休憩することを繰り返していた。
そして見覚えのある少年たちに遭遇したのは、夕日の眺めがいい高台の公園でだった。
「あ、冬獅郎!!」
唐突に名前を呼ばれ、更に指まで指されて日番谷は不愉快になるよりも面食らった。
ぱたぱたと足音も高く駆け寄って来た少年たちは、なかなか個性的で確かな見覚えはある。だがしばらく間を置いて、彼らの一人がサッカーボールを手にしていることで、ようやく記憶が繋がった。
「お前ら、フットサルのときの……」
「そうだよ! あれ以来全然見ないから、どっか引っ越したのかと思ったんだぜ」
そうだそうだと騒ぎ立てる四人の男子は、以前ひょんなことからフットサルの助っ人をしたことがある面子だった。もう一年近く前の話になるが、夏梨のおかげでほぼなし崩し的に参加した記憶があった。その根本となった彼女の姿は今はないけれど。
「でも会えてよかったよ。オレたちお前のこと探してたんだ」
「もう助っ人ならやらねえぞ」
「違うって!! ……あのさ、冬獅郎は知らないかもしんねーけど、こないだ黒崎が、その……」
言い渋った少年の言葉を、日番谷は正確に理解した。だからこそ、それを遮る。
「それなら、知ってる」
「そっか。……オレたちすっげーびっくりしてさ。まさかあいつがそんなことになるなんて、思ってもなかったし」
前の日まで遊んでたんだぜ、と少年たちは情けない顔で呟く。
「……それを教えるために、探してたのか?」
訊ねた声は、自分で思ったよりも低くなった。少し驚いたように日番谷を見た少年たちだったが、すぐにぶんぶんと首を横に振る。
「ちげーよ!! お前にコレ、渡すために探してたんだ」
これ、と差し出されたのはネットに入ったサッカーボールだった。おそらく今しがたまで使っていたのだろうそのボールは、使い込まれているのが見て取れる。
唐突な申し出に意図を読みきれず、日番谷は思わず無言で少年たちを見た。すると少年たちは、得意げに笑う。
「黒崎がさ、冬獅郎に会ったら渡してくれって。これ、黒崎のボールなんだ。冬獅郎に渡すまではオレたちが使えって、唐突に言い出して置いてったんだ。……事故の前の日にさ」
ヘンだよな、と少年の一人がごしごしとサッカーボールを服の袖で躊躇いなく拭いながら言う。
「あいつ、どっかでわかってたのかなって思うんだ。だってこのボール、すっげー大事にしてたんだぜ。……とか言っても、実はオレまだあいつが死んだなんて思えてないんだけどな」
「黒崎のことだから、どっかでピンピンしてそうだよな。なんて言ったら、蹴られるかな?」
「冬獅郎は知らねえかもしんねーけど、あいつすっげー強いんだぜ!」
故人を語る口ぶりとは思えない楽しそうな表情で、少年たちは夏梨を、自分たちの友人を語る。
「……ああ、知ってる」
日番谷も脳裏にいつでも勝気に強い目をした夏梨を浮かべて、ほんの少し相好を崩した。
少年たちは、まるで自慢するように次々に夏梨の武勇伝を語る。そこにあるのは確かな友情であり、信頼だった。時折泣きそうな表情も見せたけれど、結局彼らは泣かなかった。
そして帰り際、日番谷にひとつの伝言を伝えた。
「そうだ、冬獅郎。黒崎が言ってた。――『ボール、失くすなよ』だってさ。大事にしろよー!!」
元気よく手を振って帰って行った少年たちを見送って、日番谷はひとつ息をついて踵を返す。
サッカーボールを脇に抱えた彼の足取りは、来たときよりも軽かった。
***
「そのボール……」
空が藍色に染まりきる頃、帰りついた浦原商店で呟かれた声に、日番谷は緩慢な動作で振り返った。
浦原商店には店主である浦原を始め、夜一、一護、日番谷、乱菊、織姫の顔ぶれが揃っていた。他はまだ戻っていないか、あるいは帰宅済みである。
呟いたのは一護で、その声に含まれた疑問に日番谷は簡潔に答えた。
「お前の妹のだ。あいつの友達から預かった」
ひょいとボールをネットごと一護に投げると、一護は危なげなくそれを受け止める。
「友達って……お前、夏梨と知り合いだったのかよ?」
問われて、ようやく日番谷は一護がそのことを知らないことに思い至った。そういえば知り合ったのは一護が行方不明のときで、そのあとにあったあの事件のことは口止めされたまま誰も言っていない。
「……まあ、多少な」
「隊長、サッカーの助っ人やったのよ」
「乱菊さんも知ってんのか?」
驚いた様子で日番谷と乱菊を見比べる一護に、乱菊は苦笑した。だがそれだけで、それ以上何があったかは言わない。
「だから、夏梨ちゃんが亡くなったとき元気なかったんだ……」
控えめな声で織姫が呟いたそれに、一護は日番谷と乱菊を見返した。当時は自分のことで精一杯で、周りを見る余裕などなかった一護だが、それが少しもどかしいと言ったような、複雑な表情をしている。
日番谷は、一護にため息をついてみせた。
「……余計な気を回すな」
「けど……」
「戻るより進め。――そういう奴だろう、お前の妹は」
すると一護はわずかに瞠目して、ため息まじりの苦笑をもらす。そして、頷いた。
「ああ、そうだな」
答えると同時に、一護は手にあったボールを日番谷に投げ返した。ボールが日番谷に受け止められたのを確認して、踵を返す。
「冬獅郎が持っといてくれ。……お前が預かったんだろ?」
頼んだぜ、と片手を上げて、一護は店を出て行く。
その背中に、日番谷はわずかに笑んで言葉を投げた。
「――日番谷隊長、だ」
このとき日番谷は、サッカーボールを『預かった』と言っていたことに自分でも気づいていなかった。
***
「ようやく皆、本調子になって来たようじゃのう」
皆が寝静まった宵の頃、夜一は縁側で杯を傾けつつ、満ち始めた三日月を見て呟いた。
この季節らしく桜でもあれば風流なものだが、あいにく浦原商店に桜はない。勘弁してやるからつまみを準備しろと言って、現在進行形で浦原が背後でごそごそとやっている。
手を動かしながら、何の話かを理解した浦原は軽い調子で答えた。
「そうッスねえ。割と時間がかかりましたが……皆さん、お優しいですから」
「……ふむ、それは嫌味か?」
「いいえ、まさか。素直な賞賛ッスよ」
よっこらせと呟きつつ縁側につまみの皿を並べ、それを挟んで夜一の隣に腰掛けた浦原が苦笑する。
「彼女を死なさない道を十分に模索もせず、好奇心に勝てずにあどけない子供をあんな世界に送り出した。そんな自分がどんなに人でなしか、それを思い知ってるだけです」
夜一は、煽りかけた杯を止めた。
「それならば、儂も同類じゃろう」
「いいえ。……アタシは少なからず、『真血』の一例が見れることを喜びました。あの一家は、研究者としてはとても興味深い。けれど本当にこれでよかったのか、少し迷っていました。――つい、さっきまでは」
夜一はその浦原の言いように眉をひそめる。
すると浦原は、場違いに思えるような笑みを浮かべた。そして注いだ酒を煽る。
「何じゃ、その笑みは。気色の悪い」
「いやァ、実は先程、総隊長から直々に通信がありましてね。文句を言われました」
「文句?」
「ええ。――『癖がありすぎて育てにくい。どうせなら最初から自分に寄越せ』とね」
夜一は声もなく目を瞠る。その内容が何を示すか、それを正確に理解できた。
浦原はなおも愉快そうに続けた。
「いやはや、もう運がいいってレベルじゃないッスよ。どうやらアタシたちの弟子は、流魂街で偶然、総隊長に拾われたらしいッス」
「偶然……」
夜一は呟いて、深く息を吐く。そして顔を隠すように片手で額を押さえて俯いた。
顔の筋肉が緩むのがわかる。散々第三者目線で一護たちを見ていたにも関わらず、何だかんだで肩入れしている自分を思い知らされた気分だった。
「――そうか。無事、辿りついたか」
呟いて、くつくつと肩を震わして笑う。
「まったく、運も実力の内とはよく言ったものじゃ。貴族でも、これだけの師を揃えた者はおるまいよ」
「自分で言っちゃダメですよ、それ」
などと言う浦原もいつも以上に上機嫌だ。
何を言っても、浦原と夜一にも彼女が死んだ現実はしかと突きつけられていた。幾度経験しても、親しい者の死は、同じ重さでのしかかる。だからこそ、この知らせは光明だった。
夜一は酒を煽り、空になった杯をくるくると器用に指先で回す。
「あやつのことじゃ。霊術院に六年もおれまいよ」
「でしょうねぇ。長くて二年ってとこですか」
「じゃろうな。……まあ、あの総隊長のことじゃ。人手不足の今、有用とあらばすぐにも引っ張って来るかもしれんがの」
何にせよ、と夜一は酒を注ぎ直すと、杯を改めて月にかざした。倣うように浦原も月を酒の水面に映す。
「再会の日は、遠くない」
崩玉の公式設定が本誌に出てきちゃって、それ以前に書いてはいたものの、さんざん迷って書いたままにしました。ゆくゆくは公式設定と違いが出てくるやもですが、多めに見てやってください;
[2010.05.25 初出 高宮圭]