Vox

-ユース・ラッシュ-

23 : うずまくもの


「たっ大変です、阿近さん!!」
 技術開発局のオペレーター席で、声をひっくり返して叫んだのは壷府リンだ。前髪を上げてちょんまげにしている頭と口の周りについたお菓子のかすが著しく緊張感を下げているが、いつものことなので阿近も気にせず応じる。
「どうした?」
「センサー、見てください!!」
 言いながらで、既にモニターには画像が映し出されている。それを見て、阿近は一瞬言葉を失い、けれどすぐに叫んだ。
「局長呼べ! 今すぐだ!! ――瀞霊廷内に、ひずみが出るぞ!」
 その声で現場は一気に騒然となる。待機状態にしていた機器たちが一気に立ち上がり、局員たちも常の休憩状態を放棄して持ち場につく。
 けたたましく警報が鳴り出す最中、その音にも負けぬ印象的な声がした。
「場所の特定はできたのかネ?」
「局長! ――場所の特定は今……」
「場所の特定出ました!! モニター出します!」
 リンがよく目立つ声で叫んで、モニターが切り替わる。それを見て、技術開発局の局長であり、十二番隊の隊長でもある涅マユリは目を細めた。
「ホゥ……霊術院かネ」
「局長、今すぐ伝令を……」
「もう遅いヨ。今から伝令を出したところで、間に合わないのは目に見えている。それより院内にある映像記録装置と無線を全起動させたまえヨ」
 何の動揺もなく、淡々と命じたマユリは、ぎょろりとした視線で阿近を見た。背後で控えるネムが黙って既にその操作を開始しており、阿近も一瞬だけ逡巡したものの、言い募らずに言われた通りの指示を飛ばす。
 モニターに映る霊術院の様子は、刻々と変化していた。真っ黒な雲がその上空にのみ集い、空にひびが入る。
「映像記録装置、全機順次起動! 無線の接続完了です!」
 報告を聞きながら、マユリは興味深くモニターを見つめていた。
「まったく、実に面白いネ」
 流魂街ならともかく、瀞霊廷内にひびが現れるとは。しかも、ただのひびではない。おそらくはあの、虚圏にあったという巨大なひずみだ。
 浦原喜助さえまだ解明に至っていないそれの情報を、自らが先に手にできるのだ。
 そんな重要な情報源を、事前に食い止めるなど愚かとしか言いようがない。止めるための手立てはあるが、マユリはそれを駆使する気などさらさらなかった。
 あれに呑まれれば、まず命はないと言っていい。――けれど多少の犠牲など、躊躇うような彼ではない。
 モニターの中で、ひびはやがて不気味なその口を開ける。
 院生たちがいよいよ恐怖に逃げ惑うが、その中で無謀を通り越して愚かにも、現場に突っ込んでゆく姿があった。
「犬……?」
 マユリは愚者を蔑む目つきでその者を見る。若干普通より大きく見えるが、それは犬――もしくは狼の類であった。その背に、人が乗っている。
 その者が、何かを叫んだ。あいにく音声まではまだ解析できていない。だが次の瞬間、波形が現場の霊圧の揺れを計測する。
 そしてその一瞬あとに、霊術院は左半分を残して、削り取られたようになくなった。同時にひずみの霊圧も綺麗に消え去った。
「きょ、局長……っ」
「うるさいネ。こうなることは想定済みだヨ。――院内の装置と無線はどうなっているカネ?」
「はっ……はい、応答ありませ……あっ、いえ!! 信号確認、六台中三台が起動、無線は四台中一台の接続確認です!」
 リンが声を高くするが、ネムが機器を確認して淡々とした口調で報告をする。
「ひずみの転移先は虚圏北方。ですが、生体反応はありません。おそらく、生存者はいないかと」
 容赦のない現実に、しかしマユリはさも当然のように受け流した。

「フン、想定内の結果ダヨ」



***



 霊術院上空にひずみが現れ、その半分を喰らい尽くしたことは、すぐさま総隊長のもとにも伝えられた。
 軽く目を見開いたものの、黙って報告を聞き終えた総隊長は、低く「あいわかった」と応える。
「既に四番隊が死傷者の手当てに。十二番隊も解析に当たっています」
 現状を報告し終えた伝令が、一言挨拶を残して下がろうとする。しかしその者を、総隊長は落ち着いた声音で引き止めた。
「映像記録が残っていると言ったな。気になることがある。儂は技術開発局に出向こう」
「そっ総隊長自ら、そんな……」
「人手がないことは重々承知しておる。儂が出向くのが一番早い。……それと、霊術院教頭の百目鬼恭二郎も技術開発局に来るよう伝えよ」
「は、はい。かしこまりました」
 伝令が直ちに命を果たすべく姿を消し、それを見届けて、総隊長は椅子から腰を上げた。
 そして窓から騒然となっている瀞霊廷内を見渡して、踵を返す。
 その唇が、音を発せずに一つの名前を呟いた。

 ――藍染。

 死してなお、彼の残した禍根は蠢いている。
 これもあるいは、あの男の思惑か。
 だとすれば。

「永落人を、戻さねばならぬか」

 今や天に立とうとしたあの男の思惑を知るのは、あの者ただ一人なのだ。


 総隊長が技術開発局に到着すると、既にそこには数人の隊長格と呼んでおいた百目鬼恭二郎の姿があった。どうやら皆、正しい情報をいち早く得るにはここが相当だと判断したらしい。
 総隊長に気づいた彼らはそれぞれ目礼で挨拶を寄越し、視線をモニターに戻す。
 中央のモニターには何枚かの画像が区切られて映っており、一番大きな画面でおそらく霊術院が呑まれる当時の記録映像らしきものが繰り返し再生されていた。
「かーくん……」
 ぽつりと高い声が呟いて、総隊長は視線を傍らに上げた。上げたのは、声が上からしたからだ。
 視線を向けた先、狛村の肩の上で、草鹿やちるがどこか呆然とした顔をしている。いつも底抜けに明るく賑やかな彼女だが、今はその様子もなりを潜めていた。
 やちるが『かーくん』と呼んだのが誰か、画像も合わせて総隊長は正しく理解する。そして同時に、やはりという気分になった。
(異変に気づき、自ら飛び込んだか)
 実に彼女らしい行動だ。一切己を省みぬその行動力は、無謀を実力で押し通すあの兄を彷彿とさせる。
 黒崎夏梨。総隊長は自らの弟子でもある彼女の行動を、確認するためにここに来た。
「百目鬼よ、霊術院の被害状況はどうなっておる」
 視線をモニターに向けたまま問えば、霊術院教頭の百目鬼は、その逞しい巨体を揺らしてきびきびと答える。
「はい。今のところ、負傷者八十二名、死亡者十三名、行方不明者十五名、他軽傷者多数です」
「何だ、思ったよりも被害が小さいネ」
 百目鬼の報告に、どこかつまらなさそうな風情で言ったのはマユリだった。
 百目鬼はそれに険しい表情を浮かべるのを隠さず、しかし丁寧な口調で補足する。
「異常を認知した院生筆頭らが、避難の誘導などを行っていたようです」
「さすが、お前の生徒たちじゃのう」
「はい。――とは言え、その者たちも生死不明ですが」
 苦い口調で呟く百目鬼は、拳に力をこめたまま緩めない。それだけで内心を推し量るには十分だった。
 総隊長はそれ以上百目鬼に言葉はかけず、誰にともなく「行方不明者の生存率は」と問うた。わかる者が答えるだろうと踏んだ問いだったが、これには機器の前に座したネムが淡々と事務的に答える。
「ひずみに呑まれたとすれば、限りなく生存率は0%です」
 ネムの回答に、短いが酷く重い沈黙が落ちた。状況から判断して、行方不明者たちはひずみに呑まれたとしか思えない。
 だが、それを否定する声があがった。
「それはあくまで、ひずみに呑まれたとすれば、の話ダヨ」
 意外な人物の意外すぎる言葉に、一同の視線が声の主たるマユリに注がれる。
 マユリは視線を全く意に介した様子もなく、どこか面白くなさそうな声音のままで続けた。
「ひずみが現場を飲み込む直前に界の霊波がぶれた。――おそらく、最後に飛び込んだあの犬と子供が、何かしたはずだヨ」
「かーくんが?」
 ぐいと身を乗り出して、やちるがマユリに聞き返す。マユリはいっそ忌々しそうな表情でため息をついた。
「まったく余計なことを……よりにもよって界の霊波を乱すとは、迷惑甚だしいネ」
「涅隊長、界の霊波って……」
 説明を求めて口を挟んだのは檜佐木だ。他の面子もいまいち理解できていないふうの視線を返す。
 これに答えたのは、マユリから至極面倒くさそうな視線を向けられたネムだった。
「尸魂界や現世など、それぞれの世界の霊的周波のことです。これを乱すとひずみやひびが引き起こされます。また、界渡りを引き起こすことも可能です。界渡りとは二つ以上の世界を渡ることであり、穿界門はこれの応用に当たります。今回起こされたのはこれだと推測され――」
「あー、わかった。つまりあいつはひずみに呑まれる前に穿界門的なものを使ったと、そういうことでいいか?」
 まだまだ引きのばれそうだった説明を檜佐木が要約すると、ネムは相変わらず淡々と「はい」と頷いた。
「では、生徒たちが生きている可能性も……」
「なくはないということだネ」
 百目鬼が勢い込んで訊ねたのにマユリはさほどのことでもなさそうに答える。だが、その場には若干の希望のある空気が流れた。
「でも、穿界門なんてどうして……というか、なら生徒たちはどこに?」
 この疑問を発したのは吉良だった。異変に気づいて駆けつけた一人である。
 穿界門を開くにはそれなりの手順がいる。それをすっ飛ばして開くなど、いくら実力があろうが無理な話だ。
「霊術院には専用の穿界門があるだろう、それを使った痕跡があったヨ。かなり無理やりのようだから、どこに繋がったかなど、知らないがネ」
「そんなことが、できるんですか?」
 吉良が重ねて問うと、マユリは不愉快そうに声を低くする。
「できないことは、ない。――その手法が、実に不愉快極まりないがネ」
「手法、とな」
 総隊長が促すように繰り返せば、心底口に出すことも嫌そうな口ぶりで、マユリは続けた。

「浦原喜助の手法と、実によく似ているネ」

 その名にわかりやすく反応を示したのは、この事態の行方不明者たちの捜索隊の編成を命じられてここにいた、二番隊隊長の砕蜂であった。
 ここまでほとんど関心を示さずにいたが、浦原の名には無反応でいられなかったらしい。
「どういう――」
 ことだ、と彼女は続けることができなかった。オペレーター席のリンが、マイクがあるにもかかわらず、大声で叫んだためだ。
「院内無線一号機から通信信号確認!! 音声、出します!!」
 その言葉の意味に全員が理解を追いつかせる前に、技術開発局の中に、酷いノイズが混じった通信音声が流れた。


『……こちら、霊術院筆頭・時任冬春。応答願います、こちら――』






永落人*えいらくじん=オリジナル設定
[2010.07.08 初出 高宮圭]