Vox

-ユース・ラッシュ-

26 : よびおこすこと



「さすがにこれじゃ、まずいんじゃないの? 山じい」

 三度途絶された無線の向こうの映像を見ながら、いつもの口調で、けれど低いトーンのまま総隊長に言葉を投げたのは京楽だった。
 モニターには、巨大なひずみ――崩玉の残滓とされるそれと、四人の院生が対峙している様が映されている。
 しかし今、技術開発局にいる隊長格たちの視線は特にその中の一番小柄な一人に注がれていた。
 先程その正体が暴露された――黒崎一護の妹・黒崎夏梨に。
「あの子が一護くんの妹だったとしても、どうしようもない」
「ふむ。その言い方じゃと、どうにかできた場合は黒崎一護の妹だから、という理由になるというわけかのう」
「……そうは言ってないさ」
 苦笑して息をついた京楽に、総隊長は落胆に近いため息をついてみせた。
「これだから、黙っておったのじゃよ。前評判で、あれの実力に蓋をしてしまわぬように」
「……本当に、あれは黒崎一護の妹なのか」
 低く、ひとり言のように呟いたのは朽木白哉だった。彼も一護とは浅からぬ因縁がある。
 総隊長は浅く頷く。
「作用。……信じられぬ者は、それでよい。ただの新たな有力者として、見ておれ。――儂は生まれを考慮してあれを鍛えたわけではない。事実、拾った当時は儂もそれを知らなんだ」
 厳しくはない、けれど力強い声で言い切られて、しばらく誰も口を閉ざした。それぞれが、それぞれの見解で、モニターの夏梨を見ていた。
「かーくんは、かーくんだよ」
 その中で、ぽつりと高い声が言った。狛村の頭の上にいるやちるだ。
 やちるはモニターの中の夏梨を見て、にぱっと明るく笑う。
「あたしの友達! それで、剣ちゃんともきっと友達になるの、いっちーみたいに。だってね」
 狛村の上では更に際立つ小さな指で、やちるは嬉々として夏梨を指差した。

「ほら、笑ってるもん」

 指された先、そこに映された夏梨は、やちるの言葉どおり確かに笑っていた。
 一瞬前まで絶望的な恐怖を浮かべていたとは思えないその変わりぶりに、目を疑う。
 気が狂ったか、とも思われた。だが、どうやらそれは違う。夏梨の笑みには確かな意志があった。
「あいつ……何か手があるのか……?」
 ユウイチの暴露からこちら、ぽかんとしたままだった檜佐木がようやく我に返った様子で呟く。
 同じく我に返った吉良は、唯一全てを知っていた様子の総隊長を見やって、彼もまた楽しげに笑っているのを視界に認めた。それはまるで、見世物を期待する観衆のような様だ。
「どうやら、条件は十分揃ったようじゃのう。見ておくと良いぞ――あれの始解は、見応えがある」

 総隊長がそう言った瞬間、巨大なひずみは夏梨たちを頭から飲み込んだ。


***


 最後の一個だ。
 まだ緊張で硬い声音で、夏梨が言った。途方もない圧迫感に押しつぶされそうなナツルたちは、喋れもせずに、けれど視線だけを夏梨に向ける。嫌な汗が止まらない。
「びっくり箱の、とっておき。……失敗しても、恨まないでよ」
 何を、とナツルたちが聞くまでもなく、夏梨は一歩前に踏み出す。伴って、ナツルを降ろしたロウがその前に出る。
 先程と同じひずみ。疲労した体。すり減った霊力。逃げ場のない場所。――絶体絶命。
 十分だ。夏梨は笑う。笑えることに自分でも驚いて、けれどそれで確信を得る。
 ――やれる。
 ロウ、と相棒を呼ぶ。その首元にある白と黒の球に触れる。そして。
 凶悪なひずみが、牙を向いた。その刹那に叫ぶ。


「――下れ、天狼!!」


 空の上から巨大な闇が四人を飲み込む。視界は一瞬で漆黒に染まった。だがそれは、また一瞬で白に塗り変わる。
 視界を覆いつくす純白に、ナツルたちは息を呑んだ。
 ひずみの黒と、白が拮抗している。――巨大な白い狼が、ひずみにその牙を立てていた。
「なに……?」
 呆然として呟いたのは真夜だ。そのときようやく体が動くことに気づくこともないほど、彼らは目の前のものに驚いていた。
 狼の傍らに、物騒な光を携えた小さな影がある。
 その背丈に見合う銀の刀身と、白と黒の二色の球を平らにして、貫き付けたようなつばを持ち、漆黒の柄の後ろには真紅の縄紐が長くたなびいているそれは、間違いなく斬魄刀だった。
「……始解」
 信じられぬように呟いたのは冬春で、自分で言った事実に、また息を詰める。
 始解。それは、死神として欠かせない最低限の能力であり、しかし会得するのは容易ではない。多くが入隊してから時間をかけてそれを手に入れる。冬春も真夜もナツルも、未だそれを手にしてはいない。
 けれど、院に入って半年も経たぬはずの目の前の子供は、紛れもない斬魄刀を手にしていた。
 狼がひずみを噛み千切る。
 何もかもを呑み込むはずのひずみには、赤く抉られた牙の痕が残る。
 その痕は次第に形を変え、六方星を描き出した。それは完成すると同時に大きさを変え、まるでひずみを捕らえるように全体に広がる。
 霊子を足場にして、六方星の正面に立った夏梨は、手にある刀を横に構えた。
「爪牙刻転」
 呟くほどの声量で言う。すると刀がその形状を、球体に変えた。白と黒のそれはロウの首にあったものと同じそれだ。
 この技を会得したとき、思わず夏梨は苦笑したものだ。相棒は、どうやら主人のことをよくよく理解している。そして刀の能力に対しても、そう思った。
 夏梨は球を放り上げる。同時に白の狼がその傍らに戻る。
「シュート!!」
 声で勢いをつけるように叫んで、夏梨は球を六方星の中心めがけて蹴った。
 過たずそれは命中し、描かれた星が砕けると同時に、固定されたひずみも硝子細工のように砕けた。しかしその破片は、空に逃げるように消える。
 どうやら倒すことはできなかったようだ。それもわかったが、これ以上どうすることもできないことはわかっていたから、夏梨はひずみが消え去るのを見送って、立ち尽くすナツルたちのほうへ戻った。


***


「――天狼の能力は『逆転』」
 ひずみが消えたのを満足げに見守った総隊長は、おもむろに口を開く。
 それまであっけに取られたようにモニターを見つめていた者たちが総隊長に視線を向けた。しかし、総隊長の言葉の後を引き取ったのは、浮竹だった。
「事象を限定し、自らの定義によって逆転させる……知ってはいたが、技を実際に見るのは初めてだ」
 劣勢を優勢に、弱を強に、開を閉に――その幅は、使い手の理解の及ぶ範囲における定義のままだ。しかしだからこそ、逆境に立って初めてその本領が発揮される。
 対象を理解していなければ、その能力は正しく機能しない。だから最初に霊術院にひずみが現れたとき、夏梨はこれを使えなかった。だが今は二回目の邂逅で、夏梨が多少なりともひずみを知っており、かつ追い詰められていたからこそ、撃退が叶った。
 消滅ではなく撃退に留まったのは、定義が甘かったせいだろう。あれの核が崩玉であることを夏梨は知らない。
 その幼さゆえ、まだ彼女は能力を十二分に使いこなせてはいない。そののびしろに、総隊長は期待した。
 定義の幅を広げるためにも、経験を積ませるためにも、夏梨を霊術院に入れたのだ。
(じゃが、潮時か)
 これを目の当たりにさせておいて――黒崎一護の妹であると明かされておいて、まだ戦力にならぬと霊術院に留め置くことに、否定の声が上がるであろうことは、想像に難くない。今の人手不足に際して、尚更だ。
(また一波乱、かのう)
 それもまた一興、と総隊長は刀を納めて仲間のもとに戻るモニターの中の弟子を見守った。



「びっくりした?」

 ぽかんと口を開けたまま同じ顔をしている三人に得意げに笑えば、三人はしばらく夏梨を凝視して、それから顔を見合わせる。
 どうやらびっくり箱の本当のオチは、今見たものだったらしい。
「……君といると、心臓に毛が生えそうだね」
 ぽつりとナツルは呟き、思いがけず自分の発言が面白くて、くつくつと笑った。
 それにつられるように真夜が笑い、冬春は疲れたように息をつく。
 こうして事態は無事収束したかに見えた。――けれど、そう上手くもゆかないことを、次の瞬間に夏梨たちは思い知る。

 音もなく、それは現れた。
 穴だ。
 断界で突如現れたあの穴に似たそれが、四人の真下に現れたのである。
 突然足場を失った四人は、当然抗うこともできず、その穴に落ちていった。
 あとには、咄嗟のことで手を離してしまった夏梨の斬魄刀がまるで邪魔だとでも言うように穴から吐き出されて、小さな黒い子犬だけがぽとりとそこに残された。


***



「……え」
 驚いたのは、穴に落ちた当事者たちだけではなかった。子犬だけが残されたその光景に、モニターで一部始終を見ていた総隊長他の面々も、ぎょっとした。
 何より、あのひずみを撃退してしまったことへの驚きも冷めやらぬ頃で、立て続けに起こったそれをすぐまともに理解できた者は少なかった。
 しばらくの沈黙を挟んでから、総隊長が指示を出す。
「近場の隊士に、現場の確認を」
 どうやらあの子供は、今日よほど厄に好かれたらしい。
 総隊長は消えうせた弟子のいたその場所を見つめて、騒ぎを起こす才能は兄譲りか、とそんなことを考えた。




天狼*てんろう=ロウ=夏梨の斬魄刀。オリジナルキャラ。解号は「下れ〜」
「爪牙刻転*そうがこくてん」=天狼の技の一。事象を固定し傷を刻んだ対象を限定して逆転させる。
[2010.08.18 初出 高宮圭]