Vox

-ライト・ラリー-

30 : なつのおわり



 この夏の、そして己の生涯の最後のあがきとばかりに蝉がその鳴き声を響かせる夏の終わり。暦の上では夏はとうに終わっていたが、気温はほぼ真夏と変わらぬ数字を保ち続けている。
 異常気象と天気予報士が口を揃えるテレビ画面を見ながら、日番谷はこれでもかというほど冷房を効かした部屋で意味もなくくるくるとチャンネルを変えていた。
 暇を持て余しているのかと言われれば、是だ。日番谷はここ浦原商店の一室で、かれこれ二十分程度何をするでもなくテレビを相手にしている。
 とは言え、何も好きでこんな無為な時間を過ごしているわけではない。彼は待っているのだ。
 全く興味をそそられない番組を眺めるのにも飽きて、いささか気だるげにテレビを消す。ふすまが開いて、知った顔が覗いたのはその直後だった。
「たーいちょー……って寒! 隊長、冷房の設定温度何度にしてるんですか!? これじゃむしろ風邪ひきますって!」
「松本か。……これくらいが丁度いい。外が暑すぎるんだ」
「ものには限度があると思いまーす。えい」
 わざわざ声を付けて乱菊は冷房のスイッチを切った。日番谷は少し眉をひそめたが、ため息をついてそれを流す。どうせそんなすぐに暑くなりはしないだろう。
 乱菊はエアコンのリモコンを置いて、日番谷の向かいに座った。
「まだ総隊長、帰って来られてないんですか?」
「浦原が呼びに来ないってことはそうなんだろ。……まあ、あいつらが話し込んでる可能性もなくはないが」
 呆れたようなため息と一緒にそう吐いた日番谷の言う『あいつら』とは、浦原喜助と涅マユリのことだ。
 そもそも、今日は総隊長からの通信があるということで、日番谷は浦原商店に呼ばれていたのだ。それに乱菊も同行し、やって来てみると、総隊長は現在遠征でいないという話を浦原に聞かされた。空間のひびが収まってきた今になって、総隊長が出ねばならないほど酷い状況なのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。最近になってひびやひずみを完全に修復できる方法が見つかったとかで、それの確認などに行っていると代理に出てきた一番隊副隊長・雀部が言っていた。
 だがもうすぐ帰って来るとのことで、日番谷はこうして待機するはめになったのである。
 ちなみに、その間は浦原とマユリがひびの新しい修復方法うんぬんで話し合い(というか浦原より先にその方法を見つけたマユリがとても嫌味たらしく解説する)が持たれている。途中までいた日番谷だったが、研究者同士のやたら専門用語の多い話にさすがに辟易して、ここで待っていたというわけだ。
「こんにちはー!」
「邪魔するぞ」
「ちーす」
 三者三様の声が聞こえる。声だけで誰が来たのかがわかって、日番谷と乱菊はしばし顔を見合わせてからふすまを開いた。
 すると向こうの土間に、予想通りの三人の姿が見える。
「織姫、朽木、一護。どうしたのあんたたち、今日って補習だなんだ言ってなかった?」
「お、乱菊さんに冬獅郎。今日は早めに終わったんだ。で、どうせなら様子聞きに行くかってことで」
 ほぼ現世でやることが終わりつつある現在、一護たちは学生らしい夏休みを満喫している。他の死神の面々も現世を満喫していて、帰ってあの激務に戻れるのか不安なほどだ。
「今日は、総隊長殿から知らせがあると聞いていたのですが」
 涼しい、と喜びながら部屋に上がりこんだ三人は、どうにも暇にしているふうな日番谷と乱菊に首を傾げる。それを代表したルキアの問いに、乱菊が苦笑して答えた。
「ええ。けど、今は総隊長が不在らしくてね。帰って来られるのを待ちぼうけってわけ」
「そうなんですか……。でも、総隊長さんの用事って何なのかな?」
「大方予想はつくな。……おそらく、現世駐在の終了に伴う帰還命令だろ」
 事もなげに日番谷が言った言葉に、三人は一瞬目を見張って、それから「そっか」と織姫が少し寂しげな表情で呟いた。
「おしまいかあ……。寂しくなるね」
「井上……」
「そっちとメールとかってできないのかな? うーん、怒られちゃうかな……」
「い、いや。不可能ではないだろう。井上たちは立派な功労者であるし……」
 うーん、と唸って考え込んでしまった織姫とルキアを横目に、乱菊はにやりと口の端を持ち上げて日番谷を見る。
「ですって、隊長」
「……なんだその顔は。俺に総隊長に口添えしろって言いたいのか」
「だーって隊長ですし」
「あのな。……だがまあ、黒崎たちを無碍にはしねえだろう。嫌でもこれっきりってことは無いだろうよ」
 日番谷のため息交じりの言葉に、ぱっと織姫たちの表情が明るくなる。それを見て乱菊は我がことのように嬉しそうに頬を緩め、日番谷はもう一度ため息をついた。
 人間と死神の友情など、本来ならば許されるはずもないし結ばれることもない。だがここまでお互いの結びつきが強く、その存在に双方が助けられてしまっていることは、問題だ。
(このままでは、いつかどちらかを完全に組み込まなければならなくなる)
 そしておそらく組み込まれるのは、この現世に生きるべき人間たち――一護たちに間違いない。
 心優しい彼らのこと、本気で願われればそれを無碍にはしないはずだ。それを是として良いものかどうか。彼らの人間としての生を、ないがしろにしてはならない。
 けれども、結ばれた関係を絶つというのも、むごい話のようにも思えた。人間はいつか必ず死して死神たちの世界にやって来る。それを理解していても、それが自然の形だとわかっていても、そのような形で迎えたくはないと、エゴのような思いを抱くのも事実なのだ。

「お、恋次じゃねえか。それと一角に弓親も。お前らも様子聞きに来たのか?」
 日番谷の巡り続ける思考を打ち止めたのは、店の戸が開く音と、それに気づいた一護の声だった。
 見れば、土間のほうに三人の姿が見える。
「なんだ、てめえらも来てたのか。そろそろ終わった頃かと思ったんだが」
「そりゃ残念だったな。まだ始まってもねえぞ」
「は? マジかよ」
「総隊長殿が出かけておられるらしい。わかったら早く入って閉めぬか、恋次。暑くなるだろう」
「なんで俺なんだよ……」
 ぼそぼそ言いながらも恋次が最後に入って、きちんとふすまを閉める。さすがに人口密度が高くなって来たので再び冷房を付けようかとしたときに、奥のほうのふすまが開いた。
「おやまあ皆さんお揃いで。暑くないッスか?」
 などと言いながら顔を覗かしたのはこの商店の店主である浦原だ。扇子をぱたぱたとさせながら、相変わらずの出で立ちで集った面々を見渡す。

「ともあれ、お待たせしました。お帰りになられましたよ、総隊長サン」


***


『待たせて済まぬ。少々遠出をしていたものでな。道草をしすぎてしまったわい』
「構いません。それより、用件は」
 続きそうな雰囲気のあった総隊長の前置きをばっさり切って、日番谷は訊ねる。
 総隊長は立派な白髭を揺らして少し笑ってから、一つ頷いて話を始めた。
『ふむ。聞いておるかとは思うが、空間のひびとひずみの原因究明とその完全修復方法が十二番隊のほうで成された。そちらもひびの対処については、ほぼ終わっておると聞いたが』
「はい。ひびの出やすい場所の特定と、応急処置は終えてます」
『後は、虚圏にある原因たるひずみ――崩玉の残滓を封じるのみ、ということじゃな』
「あのひずみの解析も終わったと?」
 データが足りぬと聞いていたからこその驚きだったのだが、総隊長は頷いて、さらに驚くべきことを告げた。
『あのひずみが、尸魂界……瀞霊廷に現れたのでな』
「な……ッ!?」
 絶句したのは日番谷だけではない。浦原と夜一を除く、その場にいた者たち全員が息を呑んだ。
『案ずるでない。尊き数名の命が失われたが、被害はそれほど大きくないのじゃ。とは言え、霊術院は半壊したがのう』
「では、院生は……」
『ほとんど無事じゃ。さて、今年の院生は粒揃いじゃぞ。帰ってからの隊の再編成、楽しみにしておると良い』
 さも自然な口調で混ぜられた言葉に、しかし日番谷はしかと気づいた。
「……やはり、再編成をするんですか」
『それしかあるまい。いつまでも要職の席を空席にばかりしてはおれんのでな。……ああ、それから。日番谷隊長。先日のことじゃが、急を要する用件があっての。隊首会を行った。三席に代理出席してもらったが、事後報告で済まぬ』
 急を要する用件、と聞き返すと、人事に関わることとだけ返答があった。要するに、急を要するとは言えわざわざ呼び戻すほどの用件ではなかったということらしい。それならば問題はない。今の三席はなかなかに優秀だ。
「それで、俺たちはどうすれば?」
 若干脱線しかけた本題に話を戻せば、総隊長はやはり予想通りの言葉を告げた。
『もう現世に駐在する必要もなかろう。よって、現世駐在は今週末を持って終了。担当の死神である車谷のみを残して、全員帰還せよ』
 その命令に逆らう理由もない。日番谷は変わらず落ち着いた声音で、「了解しました」と答えた。背後にいる織姫たちが寂しそうな苦笑をもらしたのには気づいていたが、次の言葉を告げる前に、向こうに闖入者が現れて遮られる。

『おじーちゃん!』

 副隊長、と図らずも声を被らせたのは十一番隊の二人だ。画面の中に飛び込んで来たのは、十一番隊副隊長・草鹿やちるであった。
『お帰り! ね、かーくんは!?』
『これ、静かにせんかい。チビクロなら院のほうに行っておる』
『あれ、お話中? ……あっつるりんたちだー! おーい!!』
 画面にどアップになってぶんぶんと手を振るやちるは相も変わらず無邪気である。
「何してんですか、副隊長……」
「元気そうで何よりですけど。隊長も元気にしてます?」
『剣ちゃんも元気だよ! あたしはね、今からかーくんと遊ぶのっ』
 一角と弓親に満面の笑みで答えたやちるは、少々画面から離れて『もうすぐ帰って来るの?』と問う。
「はい、今週末には」
『じゃ、また鬼ごっこしよーね! 待ってる!』
 言い終わると、まるで惜しみなくやちるは画面から消えた。どうやら部屋を出て行ったらしい。おそらく窓から。
 思わずそれを苦笑で見送った弓親は、一角が「かーくんて誰だ」とぼそりと呟いたのに少し笑った。知らぬ名前が出てきたのが、少し引っかかるらしい。まあ、やちるのあだ名は突拍子ないから、誰がどう呼ばれているかなど全部把握しているわけではないが。
 と、そうしているうちにまた新たな人物が画面に映った。それを見て恋次とルキアがほぼ同時に叫ぶ。
「隊長!」
「兄様!?」
 画面に映ったのは朽木白哉だった。表情を動かさず、『息災か』と切り出す。しかしどうやらこちらもやちると同等の闖入者らしく、総隊長がまじまじと白哉の顔を見ていたが、本人は一切気にした素振りもない。
「に、兄様こそ、お元気でしょうか……」
『問題ない。……時にルキア。一つ訊く』
「は、はいっ」
 唐突に問うと言われても何を、という心境であったが、次の瞬間問われた言葉にルキアではなく一護が叫んで固まるはめになった。

『現世にいた当初。一度こちらに帰るまで、黒崎一護の部屋の押入れに住んでいたというのは事実か』

 一拍置いて、一護とルキアは同時に、
「何でてめえが知ってんだ!?」
「な、何故それを!?」
 などと叫んだものだから、これは動かぬ証拠となってしまった。次の瞬間氷のごとく冷たくなった白哉の視線にさらされた一護が硬直している間に「あれはかくかくしかじか仕方がなく!」などとルキアが言い募っていたが、さて白哉の耳に届いているかは怪しい。
『……相分かった』
「何がだよ!?」
 すかさず突っ込んだ一護の声に反応も返さず、すたすたと白哉は画面からいなくなってしまう。
「死ぬなよ一護」
 既に一護やルキアからその辺りの事情を聞いていた恋次は半ば哀れむような視線で一護の肩を叩いた。縁起でもない。

「……ともかく。総隊長、今週末の帰還でいいんですね」
『うむ。待っておるぞ』
 ため息をこらえつつ日番谷が半ば強引に総隊長に話を戻す。それに総隊長は頷いて、簡単な挨拶ののち、通信は切れた。
 面倒なことになったと頭を抱える一護を横目に、日番谷は今度こそため息をついた。
 帰れば、山となった隊務が待っている。それを思えば気が重い。だが、いつまでも帰らずにおれるわけもない。
 帰るのは、今週末。八月の終わりが目前に迫っている。
 ――そういえば、あいつに会ったのも今頃だったか。
 ぼんやりとそんなことを思って、余計に帰るのが気が重くなった。

 寒蝉が、カナカナカナと鳴いている。




四章・開始
[2010.11.10 初出 高宮圭]